暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

手紙のスキャン 続編

2020-12-21 20:10:13 | 捨て活

16日のブログに書いたように、12月13日から手紙の捨て活をしてきたが、なるべく、スキャンして原本は手放す方向で処理を進めた。



↓ ↓ ↓



今日、一応の区切りがついた。

甥姪の小さいころの手紙は原本を残したが、そのほかにも、原本を残したい手紙は最終的にはトータルで、タオルが入っていたような箱一つに減らした。

スキャンを毎日毎日した。

手紙は一通ずつ読み返した。

1990年ころからのものだった。

来年大学院を修了する甥がまだ生まれる前のころからの手紙だ。

幼かった姪のかわいらしい様子が書かれた姉の手紙は、姪にLINEで送った。

「なんか、こういうの読むと、愛されてるなーって嬉しい。
 ちっちゃいころのこと覚えてないから」

と返信があった。



メールのないころ、(世間的にはもうあった時期でも、うちにはパソコンもなかった) 手紙とFAXは、貴重な情報交換の手段だった。

郵便受けに手紙が入っているのを見つけたときの、ワクワク感は、メールやLINEの着信のようなクールで無機質なメッセージとは、まったく違う心温まる家族のまさに「お便り」だった。

ずっと捨てられなかったことがそれを物語っている。

でも、捨て活をして、デジタル化して手紙は自分の近くに保存された。

終活の一環だ。


紙媒体の写真がたくさんアルバムにはまだある。

これこそ、まだ捨てられないでいる。

まだ捨てる気にもなっていない。

老後の楽しみともいうべきか。

アルバムを出してきて、ときおり話題に上った写真を夫と見て話が弾む。

夫との思い出の旅のスナップがほとんどだ。

だが、安曇野にご主人の定年後引っ越していった友人は、

「写真は、アルバムの本人以外は誰も欲しがらないし、1冊から1枚くらい選んで、残し、パソコンで自分が見て楽しむだけにしたし、ネガは全部捨てたわ」

と、語っていた。

写真は子供も孫も欲しがらない、とほかの人からもよく聞く。

たしかに、両親の家を片付けたときも、記念にある程度はもらってきたが、例えば父自身が一人で海外旅行に行ったときにアルバムなどは、開いても見ずに遺品処分業者の車に持って行ってもらった。

多くて、私のマンションに持ち帰ることもできない。

写真は自分が楽しむものだ。


とりあえず、手紙の捨て活は終了した。


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ブログタイトル変更します

2020-12-21 16:33:53 | 日記

ブログタイトルを年代と共に、何回か変更してきた。



これまでの「『人生は短い』と知る歳になってしまった」は、その時の衝動的な気分で変更してしまったので、
またではあるが、ブログタイトルを変更したいと思う。

新しいタイトルは

「暮らしの差し色」

に致しました。

今後ともよろしくお願い致します。



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