ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

臨時: 「リンチ」の語源は?

2016-08-27 14:29:33 | 日記
2016年8月27日(Sat.) 最近のニュースを聞いていて、「リンチ(私刑)」と言う言葉を思い出しました。また、この「 lynch : Lynch 」の由来は、1770年代のアメリカでの私的法廷・裁判を主導していた人(人名)から来ているのですが、さらに、この「 Lynch 」は、アイルランド縁(ゆかり)の名前でもあったのです。



報道によると、河川敷で複数の少年たちが、一人の少年を袋叩き状態にしたようで、「ボコボコにした」などと言う証言も出ているようです。詳細はメディアに任せるしかありませんが、正に”リンチ”でしょう。 集団心理が働いた可能性もありますが、誰も止められなかったのでしょう、結果において。 16歳の被害者少年は死に追いやられてしまいました。 さぞかし無念であったことでしょう。 一体、加害者に責任は取れるのでしょうか。



話は変わりますが、某男性タレント(俳優?)が、強姦致傷罪に問われる事態を引き起こしています。被害者女性の”意思に背いて”強要した行為であるのならば、相手の人格・意思を無視・軽視したもので、これも断じて許されるものではありません。 仮に、刑期を務めようが、慰謝料・損害賠償などを金銭的に収めようが、これによって、「原状」(元の状態に戻る)に帰するわけではありません。 責任など取れないのではないでしょうか。

そして、この件では、容疑者の母親が記者会見に臨みましたが、自分の息子の犯した(と思われる)犯罪について、謝罪し・釈明し、多くの記者たちに囲まれて質問等に答え、さらに、その様子はTVで生中継までされていました。

これまでの情報では、この事件は犯罪性が強いと思われますので、加害者の罪は計り知れないほどに重いと感じます。 が、一方で、あの記者会見は、仮に母親の意向に基づいて開かれたものだとしても、憔悴しきったかのような状態で立ちっぱなしで、そばに寄り添う助言者のような存在もない状態で、ニンマリとも出来ない状況の中で・・・、記者たちからの質問やカメラ視線の集中を浴びる姿。  これは「私刑」に近いのではないかと感じてしまいました。

容疑者の犯したと思われる行為は断じて許されるものではありませんが、あたかも、正当であるかのようなあの記者会見は、行き過ぎたものがあったように感じていますし、仮に、所属事務所側がやらせたものであったとしたら、その本意はどこにあったのかと疑念を持ってしまいます。



社会的に大きなショックを伴った事件であれば、大きく取り上げたい気持ちもわかりますし、知りたい側に対して情報提供する必要性もあるでしょうが、異常なほどにエスカレートする事象には、大きな懸念を感じます。 「多数」がそうさせたのでしょうか。


**

トルコのエルドアン政権が、あのクーデター未遂事件をキッカケにして、反体制派の一斉検挙・取締りに動いた件はいまだに収束していないようですが、数の論理(多数決原理)に基づいて政権を維持している側が、それ以外のグループに対して圧政を強いる・・・。 仮に、彼ら政権側が、立法措置を踏んだとしても、自分たちに都合の良い方法で他方に強いる行為は、やはり、「私刑」に近いものを感じます。つまり、客観性が担保されているのかどうか・・・です。

絶対的(客観的)な悪は裁かれて当然かと思いますが、単に「多数」側の論理のみでことを判断するのであれば、時として「私刑」に等しいような状況に陥るのではないでしょうか。

多種多様な意見や考えが存在する場合は、ウェストミンスター型の行政府のあり方は、「多数者による暴政」に陥る懸念もあるとされています。 

こうしたことを思い浮かべると、3~4割の得票数の政党が政権を握り、ウェストミンスター型のように、全閣僚を政権側が占めるような形態は、権力の集中化を呼ぶことにつながって、大多数ではない多数者による暴政に陥って行く懸念が生じる可能性があります。(いや、生じています。)

これも、河川敷で繰り広げられたリンチ( lynch )と類似性を感じてしまいます。



さて、冒頭に触れたことに戻りますが、「 Lynch 」は、アイルランドのゴルウェイ( Galway )やコーク( Cork )地方に多い一族の名字でもあり、様々な歴史的な変遷を経てきていることでしょうが、「 lynch (動詞)」(私刑によって殺す意)と言う単語になってしまったことは、「意に反する」ことかも知れませんね。


*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。




***