「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

ザッケローニ監督の残した遺産Part.2

2014年12月04日 21時05分40秒 | サッカー日本代表
しばらく書き込みを休みました。
これまで、OCNの「ブログ人」というツールを利用していましたが、夏に連絡があり「11月末でサービス終了です。gooブログに引越しされるなら『簡単引越しツール』で出来ます」と言われ、とりあえず引越しだけ済ませ、しばらく書き込む気になりませんでした。

12月に入って、ブログ人のほうは「サービス終了」の張り紙が出ていて、ダイレクトジャンプ設定をしていただければ、gooブログにジャンプしますとのこと。

とにかく、気を取り直して、また書き込みを続けたいと思います。

前回の書き込みタイトルは10月6日付け「ザッケローニ監督の残した遺産」でした。

そうしたら、スポーツグラフィック「ナンバー」誌866号の特集が「ザックジャパンの遺産」
サブタイトルは「通訳日記」で読み解く14の教訓とのこと。

ザッケローニ監督の通訳を務めてきた矢野大輔氏が上梓した「通訳日記」による遺産の再検証と教訓の提示となっている。

その「通訳日記」は、今日現在まだ読んでいないが、ナンバー誌によれば、ザッケローニ監督がW杯に敗れてなお選手たちに慕われ信頼される存在になれたかを、組織マネジメントの観点から読み解くと明らかになると検証している。

前回のブログでも書いた本田圭祐、岡崎慎二、香川真司選手らの生き生きといた戦いぶりに加え、ナンバー誌では、長谷部誠選手と内田篤人選手がザッケローニ監督が離日する日に空港に見送りに出たことを取り上げていた。

そして「こうした姿は、ザッケローニ監督が日本代表監督という立場にありながら、選手個々人の価値向上のためにアドバイスを与え続けたリーダーだった。日記を読む限り、個人の成長を促すコミュニケーションは、サッカーの戦術論を唱えるのと同等かそれ以上に頻繁に交わされていたようにさえ思える。」と分析している。

私は2年ぐらい前から、ワールドカップ本大会を戦う監督の資質としては不満を抱いていたし、ナンバー誌もその点は「適任だったかどうか再考の余地がある」としているが、選手に残した遺産なども含めた長期的な遺産という観点も加味すれば、負けたのだから全て「×」と烙印を押すものではないと考え直している。

後任のアギーレ監督には、ここにきてスペインリーグ監督時代の疑惑が投げかけられ、思いもよらない状況が生じている。

日本代表監督とは、かくも難しい立場といえる。

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