週末の福岡出張帰り、実家に立ち寄よりました。
相変わらず、きれいな畑です。
親父が老後の趣味の延長で始めた野菜作りでしたが、
とても85歳の後期高齢者とは思えない仕事振りです。
ミニトマトとキュウリの収穫を手伝いました。
鶏舎の鶏(ニワトリ)も、元気です。
約60~70羽を平飼いして鶏卵を近所の道の駅に出荷しているようですが、
来週、雛鳥が更に40羽程、増えるのだとか・・・。
産みたての朝採り卵を頂いて帰ります。
実家から最寄り駅までを久々に歩いてみましたが、
川伝いに、散策路が出来ています。
この町は、漂泊の俳人、種田山頭火とゆかりがあり、
その当時の風情を句にした、山頭火の碑が、其処ここにおかれています。
「香春岳にはいつも心をひかれる。 一の岳、ニの岳、三の岳、
それがくっきりと特殊な色彩と形態とをもって峙えている。
よい山である、忘れられない山である。」 (昭和七年四月二十九日 山頭火日記より)
香春岳といえば、五木寛之 の小説「青春の門 」筑豊編の第1章の冒頭にも、
以下のような、この山の描写が書き記されています。
******************************************************************
「香春岳は異様な山である。決して高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。
・・・(中略)・・・一の岳は、その中腹から上が、醜く切りとられて、
牡蠣色の地肌が残酷な感じで露出している。
山麓のセメント工場が、原石をとるために数十年にわたって休まずに削り続けた結果である。
・・・(中略)・・・それは・・・目をそむけたくなるような無気味なものと、
いやでも振り返ってみずにはいられないような何かがからみあって、
香春岳のその異様な印象を合成しているのかもしれない。・・・」
******************************************************************
この一の岳も、今は当時の半分以下の高さとなり、そのセメント工場も閉鎖され、
多くの関係者がこの町を離れていきました。
時のうつろいを感じてしまいす。
酒と、行乞と、句作の日々を送った放浪の俳人、種田山頭火が見ていたであろう当時の山河と今とでは、
その様相も大きくかわっている事でしょうが、
それでも、自分達が生まれ育った故郷である事は、いつまでもかわりません。
帰るべき故郷があるという事は、本当にありがたいものです。