「謝れよ」「そっちこそ謝れよ」
時々、電車の中で双方がヒートアップした言い争いを見かけることがあります。事の発端は一方の体が触れたとか、触れていないなど些細なことだったはずなのに、丁々発止となり、挙句の果てに手を上げる事態にまで発展してしまうこともあります。
謝らなかった方が悪いのか、もしくは必要以上に反応してしまう方が悪いのか、一部始終を見ているわけではないのでよくわかりませんが、見ていて決して気持ちの良いものではなく、正直「やれやれ」と思います。
先日このような場面に遭遇した私の友人は、いつまでたってもやりとりが終わらないので、思い余って「やめてください」と声を発したと言っていました。
ところで、今朝のNHKの「あさイチ」では「謝罪」を取り上げていました。興味のあるテーマでしたので、録画予約をしてから出勤し先ほど帰宅してから内容を見たのですが、それによると現代では謝罪の気持ちはあっても伝え方がわからないという人が増えているそうで、何と謝れない人に代わって謝る、謝罪の代行ビジネスでまであるのだそうです。
個人的には当人ではなく代理人に謝罪をされても、まず謝罪の気持ちが伝わらないのではないかと思いますが、ビジネスとして成立しているわけですから、それなりに需要があるということなのでしょう。
番組では謝罪のハウツー、例えば謝罪時に持参する菓子折りの金額は平均(5千円から1万円程度)より少し上にするとよいなどの方法も、いくつか紹介されていました。
そうした中で最も興味深かったのは、謝罪を受け入れてもらうためには、相手の姿勢が前のめりになっている時よりも、仰向けの時の方がよいというものです。
その理由は、仰向けの方がリラックスしているので攻撃性が弱まり、脳が謝罪を受け入れやすいということなのだそうです。相手の姿勢によって謝罪の受け入れ具合が異なるというのは、これまでの経験でも何となくわかるような気がします。
他には、あまりに「すみません」を連発すると、謝罪というよりはむしろ馬鹿にされているような気持ちがするという視聴者からの体験談も紹介されていました。
これらの話を見聞きして、謝罪する場合は結局のところ、相手の不快感や怒りの気持ちをきちんと理解していますというメッセージを伝え、心から「申し訳ない」と思っていることを素直に伝えるしかないのだと、当たり前のようではありますが、あらためて感じました。
ところで、冒頭で紹介した電車の中で言い争いを続けている人たちに「やめてください」と言った友人の話は、その一言が効いたのか言い争いはそこで終り、一方が下車する時に友人に「すみませんでした」と謝罪をしていったそうです。
多分、友人の上から目線ではない落ち着いた言い方で発した「やめてください」が彼らの心に届いたのだと思います。
謝罪はやはりテクニックではなく、気持ちなのだと思います。
(人材育成社)