浦和踊りで“よろよろ”踊る
どういう風の吹き回しか、12年7月15日(日)の浦和踊りで踊るハメになった。
はげ頭。白髪が脇にだけは生えている。はげ隠しの帽子は必需品で、室内でもかぶっていることが多い。背は低く、手はかがんでも地に着かないほど短く、足はさらに短い。お腹だけは出ている。
こんなメガネの後期高齢老人が、36回もの歴史ある踊りの列に加わってもいいものだろうか。
密かに待っていた「梅雨の最後雨」も降らなかったので、実際に踊ったのだから驚きだ。猛暑の予想を裏切って、午後5時過ぎ、踊る時間には快い風さえ吹き、最高の踊り日和になった。
わがさいたま市のシニアユニバーシティ北浦和校第10期10班は、今や男性3、女性4のわずか7人ながら、大学院卒業生でつくる校友会の男女の副会長が二人もいる“大班”だ。
女性の副会長さんは、楽譜も読める経験の持ち主。浦和踊りなど朝飯前。各班二人の割り当てだから、「男性も一人」と物好きな私にお鉢が回ってきたのだろう。
6月22日、初めて皆が集まった。校友会の踊り手は第3期から第11期(まだ大学院)までの105人。第10期からは踊り手は男女合わせて14人。
女性が多いのは当然ながら、男性も4人。北浦和10期の校友会の会長さん、各班の班長さんと肩書きで無理やり“人身御供”にされたような方が多い。「無役御免」は私だけ。
男性連は踊りなどほとんど初めて。それは私も同じだ。
愚妻方の三姉妹の、存命の二賢夫も同じ酒好き。一年に一度車好きの義弟の運転で全国各地を車や時にはレンタカーで回る。一夜の座興でお座敷で「安来節」も「阿波踊り」も習った。
ハンドルさばきが玄人はだしの義弟の踊りのうまさに比べ、「よろよろ」「ゆらゆら」とついていく運動神経皆無の私の下手振りー。その対照がおかしいと、いつも爆笑、という酒の最高の肴になる。
この浦和踊りの男性軍、最初は愚痴が多かったのに、やがて皆が豹変し始めた。
著しいのは会長さんである。練習の打ち上げ会で聞くと、会社時代、全国大会にも出場した合唱団で奥さんにめぐり合ったとのこと。もともと音感がある人なのだろう。
全6回の練習を待たず、あっという間に上達された。聞けば、寝ていてフトンの中でも手足を動かし、夢にまで踊りを見たとか。「ハマッテしまった」のだ。
あまりにも楽しそうに踊られるので、後ろのほうでピノキオよろしく、ぎこちなく動いている私にはまばゆいばかりの存在だった。
すっかり浦和踊りのファンになられた会長さんは、「校友会の例会では、皆で浦和踊りをやろう」と提唱されている。
ご承知のとおり浦和踊りは、都はるみが歌っている。美空ひばりなき後の演歌歌手の中で、私が一番好きな「はるみチャーン」なのだ。曲は、はるみを世に出したあの市川昭介である。
クラッシク以外で、演歌をわざわざ会場に聞きに行ったのはこの人だけだ。
カラオケもない深夜の暗い酒場ではるみの歌を、何度歌ったことだろう。一緒に歌った何人かはすでに他界した。
この踊り、わずか400mを、4、50分で踊るのだからと、タカをくくっていた。ところが、半分ぐらい過ぎると疲れて足ももつれ、「よろよろ」してくる。
後ろの女性の厳しい叱咤の声も何度も聞こえ、まるで針のむしろだ。
それでも倒れもせず、完歩ならぬ“完踊”したのだから、後でみんなで飲んだ酒は実にうまかった。
恥を覚悟はるみを踊るよき日かな
立っているの踊っているのと孫が聞く 柳三
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