昨日(5月20日)の17時半に宿に到着。 部屋から越前大野城が望め最高の景色に恵まれた。 夕食後、部屋に戻り明日の登山の準備をしたり、テレビを見たりとノンビリし、21時ころ何気なく外を見たら大野城がライトアップされておりビックリ。
三脚はないが、急いでカメラを持ち出し窓から狙ってみた。 何回か取り直し、 やっとこの程度のものが撮れました。
今日は朝食前に城下町を散策しようと宿の前に全員6時集合し、朝の清々しい空気の中、ブラブラしました。 大野は古くから、越前・美濃両国を結ぶ交通の要所として栄えてきたとのことです。
越前大野城は、大野盆地の西側に位置する標高約250mの亀山と、その東側に縄張りを持つ平山城です。 織田 信長の武将「金森 長近」(かなもりながちか)により天正年間(1573~1593)の前半に築城されました。
越前大野城は亀山を利用し、外堀・内堀をめぐらし石垣は、加工しない自然石をそのまま積み上げた野面積み(のづらづみ)という大変堅固な工法で作られ、天守を構えるという中世の山城にはみられなかった新しい形式の城だそうです。 金森家の家紋「裏梅鉢」が見えます。
現在の天守は、昭和43年(1968)に絵図や同時代の城を参考に再建されたもので、内部には歴代城主の金森氏・土井 利忠氏などの遺品が数多く展示されています。
金森 長近は越前大野城の築城と並行し、京都に似た碁盤目状の城下町の建設に着手。 大野が「北陸の小京都」と呼ばれる所以となります。 これが現市街地の起源となり、以後約430年間、大野は奥越前の中心地として栄えてきました。
大野市には名水百選「御清水」(おしょうず)、平成の名水百選「本願清水」などの湧水地が多く点在します。 また水の郷百選にも選ばれるなど、古くから豊かな水に恵まれた場所です。
まちなかの観光拠点である 越前おおの結(ゆい)ステーションから見た越前大野城。
400年以上も続く大野の名物「七間朝市」が開催される七間通り。 江戸時代、越前と美濃を結ぶ「美濃街道」にあたり、多くの店が軒を連ねていました。 現在も往時を偲ばせる老舗が立ち並びます。
散歩していて観光客だと分かっても、大野市の皆さんは「おはようございます。」と挨拶して下さり、とても気持ちの良い旅の思い出になりました。 道路も広く歴史ある街を感じさせない、とても綺麗な街です。
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