素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 山北から高杉コースで薫る野牧場へ ▲

2024年01月27日 | 丹沢山塊

国指定重要無形民俗文化財であり、2022年には盆踊りや念仏踊りなどの民俗芸能『風流踊(ふりゅうおどり)』をユネスコの無形文化遺産に 24都府県の 41件が登録されることになり、その中に神奈川県の 《山北のお峰入り》 が入りました。

お峰入りの演技は8種類11演目あり、大野山から高杉の神明社に「道行き(演目の一つ)」が行われます。

今回は「道行き」のコースを逆に神明社から大野山に向けて歩いてみました。

山北町の観光客用臨時駐車場を 8時 10分出発。

高杉集落にある神明社へは市間橋まで皆瀬川に沿った県道 725号を北上します。

この皆瀬川なのですが、元禄16年(1703)の大地震と宝永4年(1707)の富士山大噴火により、これまで山北の町中を東に流れ向原で酒匂川に合流していたとのことです。                                  ですが土砂降灰で氾濫を繰り返したため、この地を堀割って現在の南への流れとし樋口橋の下を流れ酒匂川に合流しています。

そのために新しく用水堰を造る必要に迫られ享保 19年(1734)時の名主 湯山弥五右衛門父子を中心に山北・向原の村民によって山裾を東へ向原に至る用水路が造られ、これを『川入堰』と呼んでいます。

この堰の完成を記念して建立されたのがこの石碑とのことです。 通過、8時 20分。

現在の皆瀬川を北上すると、物流の大動脈である東名高速道路とその横に新東名高速道路の工事が急ピッチで進められています。

新東名高速道路は秦野 IC から御殿場 IC 間の約 25Kmが難工事 となっており、完成は 2027年のようです。

8時 45分、県道725号の市間橋を渡り、ここから高杉集落の神明社に向けて左の車道(高杉コース)を登り始める。                                                  鉄塔 № 363通過、9時 15分。

皆瀬川沿いの県道歩きは山間の日陰で酷く 寒かったが、高度を上げ陽射しの暖かさは有難い。 梅の開花が見られた。

市間集落の辺りでは茶畑が広がっていた。

市間集落の道路沿いで石仏群を発見。 通過、9時 25分。                                        その中の右から二つ目に「私はサンゴ石灰岩」という解説版がありました。                  丹沢山地のふるさとは南洋の海底です。                               熱帯のサンゴ礁の海底で生きていたサンゴや石灰藻が集まってできた岩石です。                 その岩石をルーペで良く観察すると一個体が3mmくらいで6枚の花びら 模様のショウガサンゴ化石が沢山見えます。                                              皆瀬川の上流には海底火山が起源の地層が分布しており、この岩石は下流まで流されていたものを昔の集落の人たちが、ここに運び設置されたとのことです。

高杉のウラジロガシ通過、9時 45分。                                        平成4年(1992)指定、神奈川県指定天然記念物。                                山麓部など比較的土壌の浅い立地で生育しウラジロガシ林を形成するようですが、こちらのは単木で樹高 約 21m、根回りの樹幹周囲 約5m、推定樹齢 約 300年とされ、更に樹冠が南北 20m、東西 17mに達し、まだ樹勢も衰えておらず元気なので保護しているようです。

10時 05分、お峰入りの舞台である神明社に到着。

山北の  お峰入り とは、山北町共和地区に古くから伝わる民族芸能であり、山中で修行を行うことを意味し、修験道の儀礼が芸能化したものと考えられています。              また、南北朝時代に宗良親王が河村城に難を逃れた時から始まったという伝承もあり、笛・太鼓の調べや歌詞は万葉の時代を感じさせます。

公演の日は境内広場が 鮮やかな衣装の演者と見学の人々であふれかえります。

演技は8種類11演目あり、天狗、獅子、おかめ、山伏、太鼓、笛などの役を80名の男性が演じます。                                          歌や踊りは全て口伝えで伝承されており、近年では概ね5年ごとに公演されております。

2023年に公演があり、次は2028年ですが、今年(2024)の2月11日(日)に特別公演が小田急小田原線の海老名市で開催されます。  是非

神明社から大野山間を演者一同が演目「道行き」で歩く。

10時 35分、薫る野牧場に出る。

大野山山頂より演目の「道行き」をお峰入り出演者一同が行列を組み、笛や太鼓のお囃子に合わせて、この道を賑やかに練り歩き神明社に向かいます。

この日は大した風もなく、薫る野牧場の牛さんも美味しそうに食事をしていました。

遠く相模湾と、その遠方に伊豆大島を望むこともできました。

最高の天気でカヤトの尾根歩きは、何とも言えない爽快感を味わうことが出来ました。

山の上空にはトビが群れを成して優雅に飛び回っていました。

 

 

 

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▲ 石丸峠から大菩薩峠、上日川峠経由で戻る。▲

2024年01月17日 | 私の見た山・登った山

石丸峠(標高 1933m)から大菩薩峠(標高 1897m)への稜線沿いは酷く風が 強かった。   大菩薩峠から大菩薩嶺(標高 2057m)迄は見晴らし 最高なので風のない時に沢山の方々に歩いて頂きたいお勧めのコースです。                                      夏には沢山の花々が咲き競います。

景色が良いので時間的にお弁当 にしようかと考えたが、余りに風が 強いので5分の休憩で12時 20分先に進んだ。

石丸峠から、これから向かう北西側の熊沢山 (標高 1978m)を越え大菩薩峠に向かう。

風に押されないよう、しっかり足を踏ん張りながら取り付いた。                   熊沢山は樹林帯の中を抜け 、下りに入ると岩と木の根が張り付き、歩き難く薄暗く山深い感じを受けるが介山荘の所で途切れる。

12時 50分、介山荘の南側に設置された休憩所に到着。                                風が強いせいか他の登山者とは1人も合うことはなく、休憩所も貸し切りでノンビリお弁当にした。

お腹を満たし防寒対策万全にして、介山荘と売店の間を抜け大菩薩峠の標示板のある所に向かう。                                                    こちらの介山荘は、長編小説 『大菩薩峠』 の著者である中里介山も泊まった山小屋だそうです。

介山荘の横に立つ可愛い案内板。

ここが大菩薩峠のガイドブックに必ず見られる 定番の撮影ポイントです。                雲一つない登山日和の様に見えますが、冷たい 強風が吹き抜けカメラなど岩陰や建物の陰に置かないと飛ばされそうでした。

少し賽の河原寄りから遠望した富士と大菩薩湖です。

中里介山 記念石塔。

《大菩薩峠 甲源一刀流の巻》                          

大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。                          標高 六千四百尺、昔、貴き聖(ひじり)が、この嶺(みね)の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿(うる)おし田を実らすと申し伝えられてあります。・・・・・ 

北側から介山荘を望んだ所です。                                 岩がゴロゴロした、 この広場は麓の裂石(さけいし)から走り上がる 『大菩薩峠登山競争 のゴール地点です。                                      私も何回か出場しましたが、最高記録が 2時間 00分 39秒で2時間を切ることはできませんでした。                                           でも汗びっしょりで走ってくると頭から水を掛けてくれたり、沢で冷やされた大きな桃がコース上のテーブルに並べられ、両手に持ってかじりながら口の回りや手をベトベトにして走った楽しい大会でした。                                               今思うと食い意地を張らずに走りに専念すれば2時間は切れたのかな?と思いました。    でも暑くて苦しい時に、美味しそうな桃を見て通過していく選手は1人もいませんでした。

ここ大菩薩峠は自分にとって、苦しくも楽しかった思い出の地なのです。            そんなことで、誰もいない峠で強風と戦いながら、35分もブラブラ歩き廻っていました。

当初は、この尾根 を登り大菩薩嶺(標高 2057m)を目指す予定でしたが、

日の短い時には無理をせず 13時 25分、下山を開始した。                           この時期の日没は 16時 50分位なので、常緑樹の山では麓の方に来ると真っ暗になってしまうため安全を第一とした。

13時 50分、勝縁荘通過。 道は広いので順調に下れた。

福ちゃん荘前通過、13時 57分。綺麗な公衆トイレが設置されていた。

福ちゃん荘からは車道と登山道があり、近道となる登山道を下る。

ロッヂ長兵衛の所で車道と登山道が再び合流する。

ロッヂ長兵衛前通過、14時 17分。

ロッヂを過ぎて間もなくの所に、再び車道より近道となる足場の悪い登山道を下る。

堀の深くなった道には沢山の 落ち葉が堆積し、深い所では膝下位までが埋まってしまい時折そこに石や木の根が隠れており「危な」と思うことが何度かあり、慌てず慎重に下りました。

下りは勢いが付きやすく不用意に石などを踏み外したりし捻挫をし易いので、単独登山では下りに一番気を使います。

15時 15分、林道に出た。

15時 20分、千石茶屋が見えた。  駐車場まであと僅かなのでホッとしました。

15時 25分、 丸川峠入口駐車場に無事下山しました。

 

 

 

 


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▲ 丸川峠入口から石丸峠を目指す ▲

2024年01月13日 | 私の見た山・登った山

草原や笹原の尾根、富士山や南アルプスの展望、そして対照的に静かな針葉樹林の中を歩いて来ました。

穏やかな 2024年 を迎え『何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し。』石川啄木の詩がピッタリと思っていた矢先の夕方、能登地方に大地震そして2日には羽田空港での航空機事故、年明け早々にどうして❓ と思ってしまいました。

能登地震は日を追うごとに被害の甚大さが報道され、東日本大震災の再来です。

火山大国である日本の背負う運命でもあり、関東の南側には北アメリカプレート、フィリピン海プレートそしてユーラシアプレートの3つが接する場所があり、首都直下型地震、南海トラフ地震、神奈川の国府津~松田断層などいつ地震が発生しても可笑しくない状況です。

でも、災害が発生した時には皆さんで助け合う心が日本人には有り、唯一の心の支えとなっております。                                                  能登地震で被災されました地域の皆様の一日も早い平穏が訪れますようお祈り致します。

                                         

新年初の山歩きは大菩薩峠を目指してみました。                               当初の山行計画では、上日川峠~石丸峠~大菩薩峠~雷岩~大菩薩嶺~雷岩~福ちゃん荘~上日川峠の周回コースを計画しました。

ところが冬期 は丸川峠入口から上日川峠への林道が全面通行止め となっており、車は丸川峠入口駐車場に停め、歩きで 昔ながらの大菩薩道を登りました。

計画変更で日も短くなっていることから、当初予定の大菩薩嶺(標高 2057m)登頂は諦め、介山荘のある大菩薩峠から福ちゃん荘~上日川峠へと下りました。

                                  

丸川峠入口駐車場到着、8時丁度。 30分で準備を済ませ出発。

通行止め を抜けて林道を登り、次の左折点で林道と別れて近道 となる登山道を登る。

 

15分ほど登ると芦倉沢に架かる橋の先に千石茶屋が見え、 そちらに進む。通過、8時 45分。

上日川峠まで車で行けるようになった現在、裂石から昔の大菩薩道を歩く人は少なくなりましたが、今回は昔の人の思いを 噛みしめながら急登に取り付きました。

所々に深く窪んだ溝は、長年にわたる人の往来によって侵食された結果で、歴史が感じられます。

遠く迂回していた林道のガードレールが頭上に見え林道に合流。 9時 53分。

わずかに林道を登ったら、再び登山道に入る。

2度目のガードレールが見え林道に出たら、目の前にロッヂ長兵衛前の上日川第一駐車場が見えた。                                          当初の予定では、ここまで車で来る予定でした。                                                    寒さでレンズの一部に結露が発生し、気付かずボケが出た。

広々したロッヂの前に人影はなし。                                   道路を挟んだロッヂ西側のキャンプ場でソロキャンプをされている方にお会いし挨拶を交わした。今回の山行で初めてお会いした唯一の人でした。

上日川峠は大菩薩連嶺への表玄関ともいうべきところで、大菩薩峠へは車道の左側につけられた登山道に取り付く。

私は通常のコースとは変えて石丸峠へと進路を取り、南東方向に下る。

緩く上り下りしている登山道を進むと沢を2 ~3回、横切る。

小さな沢でキラキラ輝く宝石の様な氷を発見、撮影して「アレ?」と結露に気付いた。     慌ててフィルターを外し、レンズの清掃をした。

笹に囲まれた登山道を越え 

カラマツ林の明るい道を進み 

徐々に登りが続くようになってくると、石丸峠入口のバス停のある車道に出た。      通過、10時 53分。

車道を横断して、再び笹に覆われた登山道を登るが、この登りが予想外に厳しかった。

二度目の車道に出て、右手に進む。 通過、11時 17分。

二度目の車道に出たら東に進み、石丸峠に向かう最後の登山道に取り付く。

最後の登山道は尾根状の所に出るまでが、なかなか厳しい。

後方が開けて、とても気持ちの良い尾根で、綺麗な富士が顔を出した。

  

急登も一段落すると、山腹を絡んで登って行く。

そしてカラマツ林を抜けると前方の稜線上に笹原の尾根が見えてきた。

明るく開けた笹原の道は、歩いて いて最高に気持ち良い。

12時 15分、展望最高の石丸峠に到着しました。

上日川峠から石丸峠のコースは2度目となりますが、前回は曇天で素晴らしい景色を目にすることがなく、今回は好天の中をノンビリ歩くことができ最高でした。 

 

 

 

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🌄 2024 迎春 🌄

2024年01月01日 | 伝統行事

良き新年をお迎えのことと お慶び申し上げます。

 

 

                    

本年も どうぞ よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

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