素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

❄ 凍てる夕日の滝 ❄

2023年01月29日 | 冬の風景

久し振りに凍結した『夕日の滝』。

金時山 の東斜面より発する酒匂川の支流「内川」の上流部に掛かる滝であります。

一般的に滝のできる成因には、大きく分けて2つあります。

 異なる2つの地質が接する場合                                 浸食され難い硬い地質と浸食され易い柔らかい地質が接した場合、柔らかい地質が一方的に削られてしまい、そこに滝ができます。

 断層によって生じた崖が滝になる場合 

所が、こちらの滝は両方の成因で出来上がった面白い滝なのです。

地殻変動で断層が動き、何と内川の下流が隆起し 上流が沈降したのです。

この滝付近の地層は海底 に溜まった足柄層群と呼ばれる軟らかい砂岩や泥岩であり、その上に箱根火山で最も古い約 40万年前の狩川溶岩グループの噴出物が覆っていました。

隆起した狩川溶岩は、長い期間を掛けて内川を流れる水流に削られ、柔らかい地層である足柄層群が顔を出し、火山噴出物に比べて浸食に弱いため著しく削られ、そこに夕日の滝が誕生しました。

夕日の滝付近には金時山もあり元気な金太郎が、この一帯を自分の庭のように動物たちと遊びまわったり、滝の水を産湯としたという伝説がある金太郎の生誕地であります。

 

 

                 ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

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🔥 大磯の左義長 🔥

2023年01月18日 | 伝統行事

大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエドンドヤキとも呼ばれており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

その始まりは 400余年前、江戸幕府初期の頃とされており、江戸時代、明治、大正、昭和、平成、令和と時代の移ろいと共に、親から子、子から孫へと引き継がれてきた伝統行事です。

「道祖神のお祭り」というと正月飾りの後始末的な行事と捉えられていますが、大磯左義長の根底には『子供たちの 健やかな成長を願う』という想いがあるのだそうです。         「下町」と呼ばれる大磯港周辺の地区には、かつて多くの漁業関係者が住んでいて子供も多く、この行事が盛んに行われていました。

しかし、近年は社会動向の変化に伴って次第に下町地区から漁業関係者が 離れ、人手も不足してきています。                                                  大変ありがたいことに下町以外の皆様にも御支援頂きながら令和の時代まで引き継いで来ることができました。                                                     ただ、かつての賑わいを取り戻すまでには至っておらず、徐々に衰退の一途をたどっているのが現状とのことです。

 

 

歴史上または芸術上価値の高いものを、特に重要なものとして重要無形文化財として国が指定していますが、人口減少や都市以外の過疎化が進みつつある現在、『祖先から受け継いできた思いを風化させず、また次の世代へ引き継ぎたい』という気持ちで活動される大磯町左義長保存会の皆様のご努力に心から感謝申し上げます。

勝山 左義長祭

明るいうちに会場を見学していたので、暗くなっても 様子が判っていたので良かったですが、やはり「道祖神の火祭り」であり夜の迫力が最高です。

北浜海岸に立てられた9基のサイトに、その年の恵方の方角が火の点け口となり 18時30分に一斉に点火されます。

その時間を目安に沢山の方々が竹の竿に取り付けた針金に挿したお団子を持ってやって来ます。

夜になってからの浜風は 冷たく、山用の準備が有ったので寒さは大丈夫でしたが、次々に押し寄せる人の波に驚きました。

それぞれの地区のサイトは色々特徴があるので、砂浜をグルグル歩き廻りました。

暗くて良く見えないし、歩き回ってハアハアしてメガネは曇るし、砂浜で歩きにくく三脚どころでなく、普段でも上手くない写真がボロボロでした。                              ただ、何となく雰囲気が判って頂けたら嬉しいです。

サイトの燃え上がった炎がオンベ竹に届き始めると、四方に張られたオンベ綱が外され、恵方の方位に倒されます。

                                              その頃になると山王町、大北、長者町の3ヵ所のサイトの西湘バイパス側では褌姿(ふんどしすがた)の若い衆が伊勢音頭(左義長音頭)を唄いながら火の回りに集まります。

晩年を大磯で過ごされた島崎藤村 は、大磯に伝承されてきた民俗行事の大磯左義長に心動かされ、日ごろ敬慕する西行法師の面影を伝える鴫立庵や茶室如庵(のちに犬山市へ移された)など、数々の好条件に心引きつけられて大磯に移り住みました。

島崎藤村のお墓は、大磯駅に近い『地福寺』にあります。

上の絵は、左義長が盛んであった頃のものです。

 

          ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

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🔥 セエトバレエ(左義長)の準備 🔥

2023年01月15日 | 伝統行事

会場は JR 東海道線の大磯駅から 10分ほど南東に進んだ大磯北浜海岸で行われました。

普段はサーフィンを楽しまれる人たちの会場のようで、海岸にはトイレ やシャワー施設も用意され、左義長用には大磯港よりに観覧台が用意されていました。                この日も沢山のサーファーの方々が、サーフィン を楽しまれていました。

祭りの当日は、町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、集められたお飾りや縁起物を浜辺に運んで9つの大きな円錐形のサイトが作られます。

尖端から大穂竹(おんべ竹)が突き出し、その穂先に書初めや輪飾り、極彩色の色々な物が浜風に音をたてて なびき、周囲には御用済みのだるまや神社のお札などが差し込まれて、まさに奇観です。

セエトバレエの準備は前年の事八日といわれる 12月8日の「一番息子」という行事から始まります。

セエノカミサン(道祖神)の祠に置かれているゴロ石と呼ばれる真ん中がくびれた石に縄をつけ、子供たちが家々を巡り「○○さんに良いお嫁さんが来ますように、いちば~んむすこ」などと家人に頼まれた願いを唱えながら玄関先で石を地面にドンドンと打ち付け、賽銭をもらいます。この賽銭で子供達は風邪をひかないよう豆腐を食べるという厄災招福の行事とのことです。

地元では、これが正月行事の始まりだといわれています。

かつては、松の内(1月7日)が過ぎると子供たちは正月のお飾りを集めに歩き回り、8日に下町通りに木造の組立式のセエノカミサンのお仮屋 が作られ、子供たちが籠ります。

あげられたお賽銭は子供たちのお小遣いになったようです。

                                    

北浜海岸に藁(わら)や各地区から集まった正月飾りなどを積み上げて、高さ8メートルほどのサイトが9基作られた風景。

各サイトには御用済みのだるまや神社のお札が差し込まれており、待っている間にも家から持って来られたお札などを差し込んでる方々を見掛けました。                                             

地元の人たちはセエノカミサンにお参りして歩き、特に七ヶ所に参ることを七所参り(ななとこまいり)と言っていたようです。

小正月の1月 15日前後に行われる火祭りが『左義長』で「どんど焼き」・「どんど祭り」とも呼ばれ、各地でも行われますが色々な風習の形が見られて楽しいですね。

昔は、ほとんどの家で門松を立てたので、サイトの材料に困ることは無く、藁(わら)が燃えた後にはお飾りが顔を出したりしたようですが、今は材料集めに大変苦労しているとのことです。

どこでも聞かれる話には、燃やした書初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃え炭を屋根に載せておくと 「火災除けのまじない」 になるといわれ持ち帰った。というお話があります。

 

 

        ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

 

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🌄 氏神様:足柄神社 詣で🌄

2023年01月10日 | 古寺巡礼

自分が住み、自分たちの生活に密着した氏神様に詣でて来ました。

もう皆さまは、初詣を済まされたことと思います。

元旦 お正月 は、各地の有名社寺に出掛けてお参りすることが多く、どこも大変混雑をしています。

年の初めにお参りすると 「めでたさ」 が倍加するということで、お正月に社寺に行くこと自体が特別なイベントの様になっています。

 

ただ余り報道されなくなっていますが、コロナが終息した訳ではなく再び増加傾向にあります。全国の感染者数、死者数の増加には驚きを隠せません。                    この様な状況下、あえて人混みの中に入ることは出来ず「松の内」を外しました。      経済を動かさなくてはならないということで、政府も各自治体もコロナのことは口にしなくなった以上、我が身はそれぞれが守るしかありません。

今まで以上に感染対策に対する注意が必要です。

 

                        

 

私の住む所の氏神様は小高い山の尾根上にあり、急坂を頑張って登ります。

登り切る手前左手に観音堂(本地堂)に参拝です。                               こちらは足柄明神の本地 仏聖(ぶっしょう)観世音菩薩像を祀ったお堂です。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んであった本地垂迹(すいじゃく)説(仏が人々を救うために神に姿を変えて現れたとする神仏同体の考え)によって建てられたお堂とのことです。

 

観音堂から更に階段を上がった鎮守の杜の中にひっそりと佇む足柄神社社殿。

足柄神社は、かつて坂の神として足柄峠に祀られたとする足柄明神が矢倉岳、更に現在の苅野に遷座し、矢倉明神社と呼ばれていました。                                昭和 14年(1939)に足柄神社に改称されて、今も南足柄の総鎮守として信仰を集めています。

平成 20年(2008)に社殿の調査が行われ、幾つかの特徴的なことが判ったようです。

本殿は三間社 入母屋造りで、桁行 15.5尺、梁行 11.7尺あり、県内でも数少ない大型社殿で、唐破風下の各所には獅子や龍など良質で細部にわたる彫刻や陽刻による装飾が施されています。

また、建築年代は、境内の由緒碑によれば慶応2年(1866)3月と記されています。

材質は欅の素木(しらき)仕上げで堅固さと優美さを備えています。

現在の社殿は、本殿と拝殿、幣殿とを廊下でつないでいますが、もとは独立して建っていたそうです。

昔の初詣は1年のケジメとして、一家の家長は、大晦日の夜から神社に出掛けて、寝ないで新年を迎えるのが習わしで、家族は主として自分たちが住んでいる地域の氏神を祀っている神社にお                                    参りをしていたとのことです。

昔の日本人にとって、神社参拝はごくごく日常的で、毎日詣でるものであったようであります。いつも詣でているからこそ、新年最初の神社詣でをわざわざ『初詣』と区別するようになりました。

大家族であった昔の風習を知り、現在と違って来た流れを知ることも良いのかと思います。

 

 

              ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

         本年も、皆様にとりまして最良の年でありますようお祈り致します。

 

 

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▲ 2023 卯の年 ▲

2023年01月01日 | 伝統行事

 謹んで新春のお祝いを申し上げます。

今年は天下泰平で 楽しい年でありますように      

 

本年も、どうぞ よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

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