京都駅に近い烏丸通東側の飛地境内にある東本願寺別邸の渉成園を散策して来ました。
風雅な建物が点在する池泉回遊式庭園であり、年間を通して花木を楽しむ事が出来ます。京都駅からノンビリ歩いて15分程です。
昔は周囲に枳殻(からたち)が植えられていたため、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。
はじまりは、徳川家康から教如(きょうにょ)上人(東本願寺十二代)に烏丸六条の地が寄進されて現在の場所に東本願寺が分派したのち、1641(寛永十八)年には、徳川家光から宣如(せんにょ)上人(東本願寺十三代)にその東方の地が重ねて寄進されました。
これが渉成園の始まりであり、中国の詩人「陶 淵明」(とうえんめい)の『帰去来辞』の一節「園日渉而以成趣」(園、日に渉って以って趣を成す)より名づけられました。
宣如上人は、ここに屋敷を造営して1653(承応二)年に隠居し、亡くなられるまでの5年間に文雅の著名人で詩仙堂などで有名な石川丈山(いしかわじょうざん)の趣向をいれた作庭を行いました。
建物に関しては、1858(安政五)年の火災、1864(元治元)年の蛤御門(はまぐりごもん)の変で焼失し、現存のものは全て明治以降に再興されたものだそうです。
一方、庭園については、ほぼ当初の作庭状態を伝えており、極めて貴重な庭園遺構文化財となっています。
庭園内には「渉成園十三景」と称される樹石と建物の風雅が各所にほどこされており、それは1827(文政十)年作の頼山陽(らいさんよう)の『渉成園記』に紹介され高い評価がなされています。
印月池の南西に位置し、水上に乗り出すように建てられた『漱枕居』 (そうちんきょ)。四畳半に三畳敷きの続く座敷と土間からなり、三畳の東には左右に手摺付の縁があります。
「漱枕居」の名は、旅路にあることを意味する「漱流枕石」の語から採られています。