素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🌟 日本の 異常な世界 🌟

2022年09月14日 | 出来事

最近、あらゆるものの動きが正常でない様に思われ、不安に感じています。

海水温が高いということでテレビで天気予報を見ていると、台風が12号、13号、14号と急に3つも発生しました。  ビックリです。

水蒸気を沢山含んでいるので、降る雨の量も極端に多くなっています。                         沢山の積乱雲が集まって同一ヵ所に雨を沢山降らせる「線状降水帯」などと言う言葉も良く聞くようになりました。

地球全体に目を向けてみますと、雨が降らず干ばつが酷い地域、雨が降り過ぎて国土が水没した地域、余りの高温により自然の山火事が発生している地域、地球を覆っている多くのプレートのズレや火山の噴火によって発生する地震、今迄はあまり騒がれなかったが氷河や永久凍土が徐々に融け始めていることなどにより地球が変わり始めているようです。

 

これも人類が誕生し火を使い始めたことによる積年の結果が『地球温暖化』

災害発生時のテレビニュースで良く耳にする言葉に「今迄こんなことはなかった。」・「想定外」などが聞かれます。

 

政治家が良く言う言葉に「仮定のことについてはお答えできません。」という常套句。

ですから未来、将来、先のことを見通すことが出来ないようです

地球温暖化が大きく取り上げられる時もありますが、ノド元過ぎればで高齢の政治家の先生方は耳も遠いし、忘れた?とか、記憶にありません?という言葉が良く聞かれます。

自分が生きているのは、そう長くないので今から地球温暖化対策なんて、そんな費用の掛かることは考える必要はないと思われているのだと考えます。

7月の参議院議員通常選挙の応援演説中に日本では考えられない事故が奈良で発生しました。

銃社会でない日本で銃撃事件です。

でもこれで『パンドラの箱』が開いたのです。

旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の存在を知らなかった人はビックリ、その存在に苦しめられて来た人々は、こんな酷い宗教が有るんだ と世に問いかけました。

それ以上に驚いたことは、日本を依り住みやすい国にする国民に選ばれた『政治家』が、この旧統一教会に与党のトップからドップリつかりウインウインの関係にあったことです。

旧統一教会と自民党の密接な信頼関係は一朝一夕に発生した簡単な話ではないようです。

安倍晋三元首相の祖父『岸信介元首相』と父である『安倍晋太郎元外相』の親子三代の長いお付き合いにより育まれてきた歴史があります。

祖父である『岸信介』(1896~1987)は太平洋戦争のA級戦犯容疑で『笹川良一』、『児玉誉士夫』等と共に逮捕されています。

戦犯のA級とは「侵略戦争を計画し、あるいは指導した者、並びに戦争を防止しなかった者」ということのようです。

同じA級戦犯であった『東条英機』(1884~1948)は太平洋戦争を起こし、参謀総長であり敗戦後 絞首刑となっています。                                    この時、岸信介元首相は何故か?死刑を免れています。

その様に安倍家は親子三代にわたり鷹派の家系で、相手と妥協せずに強硬に事を対処する考えを持っていました。

7年以上もの長きに亘り政権運営をされてきたことは、素晴らしいことであると感じています。

でも、振り返りますと法律の解釈を変えたり、ご自分の意見に逆らう者は外したりと強硬な姿勢が見られ『忖度』などと言う言葉が良く使われるようになりました。

鷹派には旧統一教会(世界平和統一家庭連合)という宗教法人の選挙支援はとても都合の良い団体であり、政治家の多くが利用しお互いにウインウインの関係となりました。

政治家は国民の代表であり有権者の意見を聞き政策に反映させる。ことであると思うのですが、それを無視して選挙の時に無償の支援や票がもらえればと、まず我が身のことを優先に考える政治家の多いことに驚きです。

教団のカルト集団的な教えによる強制的な寄付行為や霊感商法により苦しんでいる若い二世世代や三世世代の存在には目を向けない日本の政治家、教義の中に「日本は韓国を助けなくてはいけない。」や「日本は献金を作り出す経済部隊」と言われても変だ と感じない政治家。

 

韓国に夢の様な教団の御殿が建てられています。

この様に嘘は平然として言い捨て、ばれたら再び嘘の上塗り、正規な仕事をしていれば実績として後々のために文書で残すのは当然のことと思うのですが、年度が替わったら文書は処分したのでわかりません。

「忘れた。」「1年前のことも記憶にない。」こんな保身意識だけは高い政治家が「先生」・「先生」と呼ばれ偉そうな態度でいる以上、将来が明るいと思えない若者が増えていることが理解できます。

当分無理と思いますが、一日も早く昔の様な『先進国日本』に戻ればと願います。

 

 

     ※ 訪問感謝いたします。

 

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(*_*) 想定外 (*_*)

2022年07月05日 | 出来事

平和な生活が一瞬にして崩れ去る。

2011年3月 11日 14時 46分、三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東 130Km付近で、深さ約 24Kmを震源とするマグニチュード 9.0 の地震が発生しました。

東北地方は過去に幾度となく地震や津波の被害を受けた歴史があり、先人より津波警報が出たら直ぐ高台へ避難するようにとの聞き伝えがあり、地域の人々全員が助かった地区があります。

自然災害は、いつどこで何がどの様に起こるか? 図り知ることは出来ません。

でも、過去に発生した事例の対処法は前記の「聞き伝え」を含め色々研究されています。

 

その地震による津波の影響で東京電力福島第一原子力発電所が水素爆発を起こし、強制避難を強いられた被災者の皆さんが国に対して損害賠償を求めた集団訴訟をし、11年越しの被災者皆さんの願いは届いたのでしょうか?

 

2022年6月17日、福島第一原発事故で被害を受けた住民の方々が国に損害賠償を求めた『避難者集団訴訟』で最高裁の判決が出されました。

 

     🌟 国の責任は認めず 🌟

 

原子力発電所事業は『国策民営』で過酷事故など一切起こらない ❝安全神話❞ のみが強調され進められてきました。

      

確かに既存の原発の発電費用は比較的安い、温室効果ガスが出ないといった利点はあるが、ひとたび事故が起きた時の被害や原発から出る『核のゴミ』の処理方法で、それぞれ原発を抱えた地域ともめています。

 

四国の愛媛県西宇和郡伊方町にある伊方原発は中央構造線という大きな断層の上にあり、1992年、四国電力伊方原発は、非常用発電機が動かなかったり、燃料切れが起これば、福島と同様の事故となるため、最高裁では「深刻な災害が万が一にも起こらない様に」と 2002年に判決を出し、現在は操業停止中の様であります。

その判決が出されてから、9年もの時間があったにもかかわらず①津波が弱点であること。②炉心溶融になる可能性がある。ことが議論されていたにもかかわらず、東京電力も国も動かなかった。

1999年9月 茨城県東海村にあった核燃料会社のウラン加工工場で起きた臨界死亡事故でも、国の初動対応は遅く、非常に適切な避難要請は、村長の判断で行われたとのことです。

                        

2011年に福島第一原発から5Kmの場所に現地対策本部が設置され、経済産業省や自衛隊、東電などから150人が集められたそうです。それでも、深刻な原発事故は想定しなかった。

その後、原発が水素爆発すると、対策本部のセンター内の放射線量が急上昇し、事故の4日後に全員が撤退を始めたとのことです。

 

近くの双葉病院にいた患者さんは置き去りにされ、1ヶ月で約50名の患者さんが亡くなられています。

強制避難を命じられた10万人近い住民の誘導も行わず、自治体任せであったとのことです。

事故が起きたのも、事故後の被害が拡大し長引いたのも、安全への配慮、責任が放棄されたためではないのか?

 

人の生命・身体は勿論、環境にも取り返しのつかない危害を及ぼす原発災害を、万が一にも起こしてはならない。

 

この様な思いがあればこそ、今回の様な結論(判決)には至らなかったように思います。

現在は音頭をとる人間はアチコチに居るようですが、全てのことに対して曖昧さを前面に出し責任者不在の状態。

東京五輪の経費の問題、森友・加計問題、桜を見る会、コロナ感染防止対策、財務省の公文書改ざんなど、責任の曖昧さが大手を振って歩き回る時代、何か可笑しいですね。

 

この原発事故の『避難者集団訴訟』の最高裁判決なんですが、裁判官4人のうち3人の多数意見で決まった。                                   裁判官は国家公務員で司法も国の関連会社化し、一般の会社ではありえないと思います。

この判決で政府も電力不足を理由に原発再稼働を堂々と進めるべく、政策運営の柱となる骨太の方針に『原発の最大限活用』を加えたようです。

 

ただ1人、反対意見を主張して下さった三浦 守裁判官がいました。               ❝ 水密化措置は十分可能であったと述べられ、実効ある対策をとらない東電を容認した国の責任を厳しく指摘した。津波予測をもとに国と東電が法令に従って真摯な検討を行っていれば、事故は回避できた可能性が高いとし、「想定外」という言葉で免責することは許されないとの立場をとられた。❞

御立派な裁判官でありエールを送りますが、国に逆らう人はきっと日向から消されてしまうのでしょうね。

この様に国は被災者に対して『起きてしまったことは仕方ない。後は自らで対応して下さい。』と言っています。

 

現在、国内で稼働中の原子力発電所は 54基あるようです。建設中もあるそうです。     その地域の自治体は国からアメをもらっているので仕方ないのかもしれませんが、地震大国であり、異常気象による被害の想定外が増加しています。

今回の最高裁の判決を見ると、今後どんな大きな事故が発生するのか分からない仮定のことについては一切考えないことを基本とした国で、今後はどこの地域の人々が泣くのかな?    なんて余計なことを考えてしまいます。

もう直ぐ参議院議員選挙の投票日です。

以前国会で 118回も虚偽答弁をした人がいますが、普通の人間であれば恥ずかしくて人前に出られないと思いますが、平然として今回の参議院選挙の応援演説をしている。    

きっと、応援演説も口から出まかせなんでしょうね。                          どうせ国民なんか、すぐ忘れるから・・・・・。

皆さん、7月10日は参議院議員選挙です。忘れずに投票に行きましょう!

 

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

         

 

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😢 胸が塞がる想い 😢

2022年03月19日 | 出来事

毎日、砲火の中を逃げ惑う女性や子供たちの姿を、テレビを通じて目にしています。

たった1人の気の狂った独裁者(ウラジーミル・プーチン)のプライドを満足させるために、もう1ヵ月になろうとしています。

2月 24日、ロシア軍がウクライナへの侵攻を始めました。

その後の2~3週間後に見えてきたのは、ウクライナ軍の抵抗にロシア軍が苦戦する姿です。  そんな事からロシア軍は態勢や戦略の見直しを行い、使用兵器も徐々に大型で強力なものへと変わりつつあります。

この様な状況下での攻撃については過去の歴史が物語っているように思います。          太平洋戦争で米軍は日本本土を爆撃しましたが、当初は主に軍事関連施設を狙っていました。 所がその爆撃に成果が見られないと、その後に推し進められたのが市街地への無差別爆撃であります。

当初は短期間でウクライナを制圧できると考えていたものが、長期戦となりイラつきが見えるようになって来ました。                                     高齢の人々はプーチン支持者が多いようですが、ネット社会であり多くの人がスマホを所持する時代で、どこからでも最新情報が得られ「ロシアは可笑しい」と思う人が声をあげています。

ですが反戦集会やデモも激しい弾圧にさらされ、3月半ばまでに反戦集会への参加などで約15千人以上が拘束されました。

また、ロシア軍の活動について政権側が「フェイク(虚偽)」と見なした情報を流した記者らに、最長15年の禁錮刑を科す法改正が行われました。                    3月 14日には、プーチン政権の支配下にあるロシア国営テレビで、生放送中に女性職員が戦争反対と手書きの紙をかざした。                                そのスタジオで拘束され警察署に連行、その後罰金刑で済んだようでホッとしました。    ロシア国営放送の職員の中にもフェイクニュースを流すことに心を痛める方がいたことにロシア=プーチンでなく、フェイクニュースしか見ることのできないロシア国民が不幸に思います。

ウラジーミル・プーチンが大統領に就任した2000年以降、ロシアの言論環境は悪化の一途をたどって来ているとのことです。

でも、ロシアのウクライナ侵攻は現在も進行中で、爆撃は学校、幼稚園、産婦人科病院、集合住宅など無差別です。

一日も早くロシア国内の政治家、知識人、国民などから「戦争反対」の声が大きくなっていくことに夢と希望を託したい。

 

             ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

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🔶 長いトンネルの出口かも? 🔶

2021年09月27日 | 出来事

新型コロナウイルスが現れてから1年9ヵ月、第一波から第五波までの山を越え、ようやく感染者数の減少傾向が見られるようになって来ました。

でもまだ、専門家の先生方のお話では、これから冬に向かい第六波も来そうな話をされており、気を緩めるのは早計かもしれません。

冬に入る前に、感染対策の更なる準備を進めたり、政府の楽観的なコロナ対策で招かれた医療崩壊など再び同じ道を歩むことのない様にして頂きたい。

最近では、在宅医療で薬や酸素を投与できたことで救えた命が有ったと報道がありました。

テレビでは「ホテル療養より体育館の様な広い場所を宿泊療養施設、臨時医療施設(野戦病院)の様な、自宅と病院の中間施設を充実させ、そこに患者を集めた方が医療者の目が届き易くより安全に療養できる。」と医療専門家の意見を伝えています。

先般、菅総理が「軽症者や中等症の人は自宅療養とする。」と発言されてから、都内では7月下旬から感染が急拡大し、病床が逼迫して中等症以上でも入院できない患者さんが続出し、自宅療養者はピーク時の8月21日には2万6千人に達した。との報道がありました。                     でも現在は、感染者数の減少に伴い自宅療養者数も4千人以下に減っているそうです。

今でこそ感染者数は減少しているものの、自宅療養中に容体が急変して亡くなった方が続出しています。                                           特に肥満の方や糖尿病などを抱えている方々は、より注意が必要とのことです。       また、基礎疾患のない40代女性が亡くなったとの報道もありました。                     リスク要因のある方々は、若い人でも症状が悪化し易いので注意が必要とのことです。

 

国民は、                                            自宅で見殺しにされようとしている。                                       今も、ひとりで亡くなっている人がいる。              新型コロナ                              涙がでる。                                               怒りと悲しみでいっぱいになる。                                  この国はいつから、こんなことになってしまったのか。                           命は自分で守るしかないのか。                    宝島社 

 

急増する自宅療養者は「自宅放置」とも表現され8月中に東京都で44人が自宅で亡くなったと発表されました。9月に入っても5人が亡くなられています。(9月23日現在)

この現実を見て見ぬふり、国会も開かず「コロナ対応に専念するため」と空々しい言い訳をして去る菅総理。一時は記者の質問に対して「時期が来たら当然、総裁選に出馬します。」と怒り顔で言い、延命策を色々講じたが全て失敗、退陣に追いやられた。                      現在は外遊中(卒業旅行)ですが、コロナ対応として目の前の苦境を脱するような施策に取り組んでほしいと思います。

今、総裁選真っ盛りで総裁候補4名の方々が「私ならこうします。」と競い合われていますが、菅総理が官房長官時代から口癖のように語られていた「仮定のことについてはお答えできません。」これが現政権の後手後手政策であったように思います。                      そんなことで新型コロナウイルスが1年9ヵ月も長期に亘りはびこり、多くの方々が苦境に追いやられているように思います。

新総理には前長期政権を顧みて現職国会議員が逮捕された場合の「任命責任」そして不正を疑われるような事象が発生した場合の国民に対する「説明責任」をハッキリと取って頂きたい。

それに説明する際には虚偽答弁は行わない。これは人として当然のことであり、国家公務員、地方公務員等の中には皆無であると思っています。

コロナ禍を歩き始めて1年9ヵ月、ウイルスの感染について海外から色々な研究成果が報告されています。                                        そんな中ですが、皆さんもきっと感じられているのではないかと思います。        『危機に弱い日本』

コロナがウイルス戦争であったとしたら、PCR 検査数やワクチン接種のスピードが先進国といわれる中で、日本は最下位だったようです。 これでは?

最近、地震も増えています。噂される南海トラフ地震、首都直下型地震などが発生した時に、今の日本政府はどこまで国民を守ってくれるのでしょうか?

先日のタリバンが制圧したアフガニスタンの首都カブールの空港からの脱出騒動のように大使館員(日本政府)は早々に退避し、邦人や関係者(国民)は取り残される。そんな感じがしてなりません。

想定(仮定)はしづらい事態であっても想定しておかなければならないと思うのです。    新総理には従来の「根拠なき楽観論」でなく、先を読み危機に強い日本政府を目指してほしいと心から願っています。

ワクチン接種を2回済まされても、コロナ感染防止は万全ではないとのことであり、これからどこまで続くのか分かりませんが、十分に注意していきたいと思います。

 

 

   ※ ご訪問、ありがとうございます。                                  

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🔶長いトンネルを抜けたい !🔶

2021年05月15日 | 出来事

長いトンネルに入り1年半を過ぎた。どこに向かって、どこに出るのだろう

表題の様な緑豊かな、澄んだきれいな空気の中で、思い切り深呼吸のできる出口を期待したい。

大阪の医師は現状を保つのが厳しい。 看護師さんは、もうメチャクチャと嘆いていられる。他県でも、その様な声は聞かれます。

新聞 を読んだり、テレビ 放送を見ていて、合羽の様な防護服を着て病院内を走り回り、いつか自分もコロナウイルスに侵されるのではないか、と思いながらも看護に当たられる姿には頭が下がります。

今年に入り、大阪では東京を上回る勢いで変異型ウイルスが猛威を振るい、若年層から高齢者までと幅広い層で感染拡大し、年齢の高い方は入院の優先順位を下げざるを得ない状況となっているようです。

海外で実施されました『命の選別』です。

東京のある病院では2~3階の窓に「医療は限界、五輪やめて」・「もうカンベン、オリンピックむり 」と貼り出し、厳しい現状を伝えています。

その様な医療状況を知ってか知らずか、五輪の大会組織委員会は看護師500人を派遣するよう日本看護協会に要請をしたとのことです。

菅総理は五輪開催を推進すべく、高齢者向けの新型コロナワクチンの接種を7月末までに完了させると語ったが、当初のワクチン接種優先順位は 医療従事者となっていたのに接種対象の医療関係者480万人のうち5月7日までに2回接種が終了した人は約115万人(23.9%)にとどまっています。

医療関係者からは『既に医療崩壊は始まっている。』との発言があります。

なのに菅総理は東京五輪・パラリンピックについて「国民の生命と健康を守り、安全・安心の大会が実現できるように全力を尽くすことが私の責務だ。」と何度も申しております。

新聞では、首相は『どうして根拠なき楽観論に立てるのか?』

ワクチンもない。 クスリもない。     竹やりのTwitterイラスト検索結果。                                  タケヤリで戦えというのか。                                    このままじゃ、政治に殺される。

私たちは騙されている。                                             この一年は、いったい何だったのか。                                     いつまで自粛をすればいいのか。                                    我慢大会は、もう終わりにして欲しい。                                     ごちゃごちゃ言い訳するな。                                            無理を強いるだけで、なにひとつ変わらないではないか。                              今こそ、怒りの声をあげるべきだ。                    宝島社

全国の自治体1700のうち700の自治体は「7月末までにワクチン接種はできない。」と回答しています。(2021.5.10現在)                                                その最大の課題の一つが医師・看護師の不足で「打ち手」の確保ができない。とのことです。

日本は島国であり水際対策をしっかり管理すれば良いところ、まだ空港・港湾関係は解放され、政府がコロナウイルス対策として外国からの入国者に求めている位置情報の報告では、指示に従わない人が1日最大約300人に上るそうです。                                 その約300人に連絡が取れず、その人が体調悪化したのか?、感染したのか? ザル対策のため把握できていないようです。

こんな状況下で五輪はともかく、国民の生命と健康を守ることは可能なのでしょうか 

一日も早く、医療関係・保健所・役所・介護施設等の皆様が、マスクなしで綺麗な森の中をノンビリ歩ける日が来ることを祈っています。

また、1年以上もの長きにわたり、真綿で首を絞める様な休業要請や時短営業、それと似たような業種で営業可、不可など理由のハッキリしない差別で大打撃を受けている事業主の皆様に早くすっきりとした五月晴れの日が来ることを祈っております。

 

 

   ※ 訪問、ありがとうございます。

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◎ 忘れない:3・11 ◎    

2018年03月25日 | 出来事

平成 23年 3月 11日(金)14時 46分                                                                               三陸沖 深さ 24Km マグニチュード 9.0 東日本大震災発生。                                    神奈川県でもビックリする様な揺れに身の危険を感じました。            当初「地震だ」と思いましたが、その後に徐々に流されるテレビ報道で、この世のものかと思われる悲惨な状況を目の当たりにして「エッ 嘘だろ~ 」と涙があふれました。

震災から 7年、復興の町で地元の方々と触れ合い、まだまだ復興の最中ですが地元の方に迷惑が掛からないよう「二宮町災害ボランティアネットワーク」の皆さんと宮城県(南三陸町・女川町・石巻市・名取市)を歩いて来ました。

現在幾つかの震災遺構として残されていますが、これに対しても地元の方々には「家族を亡くし二度と思い出したくない。」から撤去して欲しいとか「危険だ。」などといった意見に、これは「教訓として残すべきだ。」など地元の方々の葛藤の末に処分するのは簡単だが、震災の有ったことも忘れ去られてしまうから、決して忘れないために残すという決断をされました。

あれだけの規模で大震災の痕跡をとどめた震災遺構を、保存し伝承していこうと決まり立地条件を考慮し幾つかの建物が保存されるようになりました。                             それを基に想定外では済まされず、少しでも災害を最小限に抑えられるよう、この地震を教訓とすることが、残された者に与えられた宿題であります。

東北自動車道から三陸 自動車道に入り志津川 ICを 13時 50分に降り、南三陸さんさん商店街に立ち寄りました。                                                                                             飲食、鮮魚、雑貨など 28店舗が軒を連ねる商店街。

その中に佐良(さりょう)スタジオという写真屋さんで「南三陸の記憶」のテーマで写真展示があり、ご自分で撮影された佐藤信一様に震災当時から、これまでの歩みを解説して頂きました。 

また、「高台に避難して下さい」と南三陸町防災対策庁舎から町民に何度も呼び掛けた町職員「遠藤未希」さんは防災無線で 30分ほど呼びかけ、もう危険という所で屋上に避難したが、津波の去った後には遠藤さんの姿はなかった。

16時、商店街から 10分ほどの高台に建つ南三陸町志津川中学校に登り、復興風景を俯瞰しました。

                                            以前の地盤に 10mの土盛りをし、町が再開発されていますが一般住宅は右手の高台に住宅街が作られていました。                                                                                            漁師さんも住まいは山手です。

                                              町の区画や道路も新しくカーナビは使えず、移動に苦慮しました。

16時 35分、南三陸「ホテル観洋」に向かいホテルの語り部バスに乗り換え、ガイドの阿部様に案内して頂きました。                                          こちらのホテルも津波に襲われましたが倒壊はせず、震災直後から電気・水・道路などライフラインが絶たれ孤立状態の中、二次避難所として 600名の地元の皆さんとコミュニティーを作った活動をされました。

16時 45分、戸倉(とぐら)公民館へ。

                                            ここは元、戸倉中学校で建物に大きな被害はありませんでしたが建物に津波の襲った高さ 22.6mの表示に驚きました。                                                                                              ガラスに張られた赤の線が津波到達ラインとのことです。

                                            高台なので見下ろすと海面は遠くはるか低いのです。

                                               こちらでは先生も生徒も祖父・祖母から明治 29年 6月 15日の「明治三陸大津波」の話を聞きいており「津波が来たら山へ逃げろ」と生徒・先生・地元の皆さん全員が助かりました。                                   海に近く、地震発生の3分後に津波に襲われ、時計は 14時 49分で止まったままです。         3分で皆さんが避難できたのは、日頃の避難訓練の賜物です。

                                                間違えない人間はいません。でも人間は反省をします。

                                            想定外の発生事象の反省点は後世に伝えなくてはならない重要さを勉強させて頂きました。

17時 15分、残された防災対策庁舎に一番近い献花台の場所に立ちました。

                                            整備される前は建物の近くまで行けたようですが 10mの土盛りが進み、ここまで来ないと建物全容を見ることはできません。 

                                            沢山の方々が献花されていました。

17時半、民間震災遺構である高野会館へ。

                                            こちらは JR 志津川駅に近く、南三陸町の冠婚葬祭用として利用された建物です。       海岸より 200m、3月11日には高齢者芸能発表会が開催されていましたが、「津波が来るぞ」と出席者の皆さんを屋上へ避難させ、一部 4階の建物に約 40分後、高さ 15mの津波が直撃。                                                                                屋上が約 30cm浸水したが 327人と犬 2匹が助かったそうです。

                                                  建物所有者である(株)阿部長商店では、震災の風化を防ぐことと津波の経験や教訓を語り継ぐ場として保存を決められました。

テレビ画面で見た恐ろしい映像が再燃し、平穏でその場にいながら津波に飲まれる自分を想像した。                                                                                                                             この様に残して頂き、見たこと、聞いたことから自分なりに対策をしておくことの重要さを改めて感じました。

 

 

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🐾 東日本大震災・復興7年目 🐾

2018年03月23日 | 出来事

5時 40分、太平洋から上がる朝日 を拝み、南三陸町のホテル観洋を 8時に出発。

                                            東日本大震災・災害復興視察ツアーであり、震災での教訓を自分の地域で 発生した時に生かすことを目的とした、《二宮町災害ボランティアネットワーク》の主催であり、代表の方や町長ほか皆さんと、わが町ではどの様な対策を取るべきか                        勉強 をして来ました。

2日目は将来の宝である❝子供たち❞を守るにはどうすべきか                                     南三陸町・女川町・石巻市・名取市の小学校・中学校を見て回りました。                                一般の犠牲者は含まれておりませんが、宮城県内の小学生犠牲者は 186人。 そのうち実に 74名が大川小学校の生徒で、県内の実に 4割が 1つの学校での犠牲者数です。

その様な現実を踏まえ「なぜ 」についての真実を少しでも共有できたらと大川小学校に向かいました。9時 到着。 乗用車が数台と観光バス 3台が止まっていました。

駐車場の前で待機して頂いたガイドの高橋様と合流し、1時間にわたりご説明頂きました。

                                                                                                                                     前例のない大惨事 の後には、前例のない悲しみ、前例のない事後対応が続いています。                                                                                                                     ですから、大川小学校は前例のない震災遺構となっています。                                           特に誰が PRしている訳ではありませんが、国内外から大川小を訪れる人がどんどん増えているそうです。                                                                今でこそ解説版が設置されていますが、5年前は表示板もガイドブックも何も無いにもかかわらず、年間数万人の方々がこの地に立っています。

                                                   現在でも石巻教育委員会と遺族との対話が、今の国会答弁の様に二転三転し、検証委員会でも進展がないため、ガイドさんも中立な立場での解説をされていました。                       平成 30年 4月 27日に裁判での判決が下されるとのことです。

以下は『小さな命の意味を考える会』の冊子より抜粋したものです。

震度 6強というそれまでに体験したことの無い強い揺れが 3分も続いた後、大津波警報が発令され、防災無線やラジオ、市の広報車が盛んに避難を呼びかけていました。                   その情報は校庭にも伝わっていて、子供達も聞いていました

体育館裏の山は緩やかな傾斜で、椎茸栽培の体験学習も行われていた場所です。            迎えに行った保護者も「ラジオで津波が来ると言っている。あの山に逃げて」と、進言しています。                                                                                                スクールバスも待機していました。そして「山に逃げっぺ」と訴える子供たち。

校庭で動かずにいる間に、津波は川を約 4Km遡り、堤防を超えて大川小を飲み込みました。                                                                                                                                   15時 37分、地震発生から 51分、警報発令からでも 45分の時間がありました。

子供たちが移動を開始したのはその 1分前、移動した距離は先頭の子供で 150mほどのようです。 なぜか山ではなく、川に向かっています。                              ルートも狭い民家の裏を通っており、しかも行き止まりの道でした。                            時間的に、最初の波で堤防から水があふれた後の移動開始です。                                  津波が来たのでパニックになったと考えられています。

その行動に対して「過去に津波が来襲した記録がないことに加え、大川小学校がハザードマップの予想浸水区域外になっており、津波災害時の指定避難場所になっている」このことが先生方の判断に影響を与えたのではと推定されています。

 

皆、分かっていた・・・・・?

大津波警報は 聞こえていました。                                   ラジオもありました。                                        迎えに来た保護者は「津波が来るから逃げてと叫んでいました。                    広報車も、防災無線も、津波 の危険を伝えていました。

スクール バスも待機していました。                                 11人もの教員が揃っていました。                                     走れば 1、2分の場所には、簡単に登れる裏山 がありました。

                                                                             そして子供たちは「山 へ逃げよう」・「ここにいたら死ぬ」と口にしていました。                                      自分から山に登った何人かは、先生に連れ戻されていました。                        そのまま 51分校庭に留まり、78人が黒い 波に呑まれました。

「なぜ」・「どうして」・・・この言葉ばかりが、この言葉だけが浮かびます。

 

 逃げることをしなかった大川小だけの理由とは・・・・・

校長は不在だった。                                       しかし教頭、教務主任はいたので、普通に考えれば「逃げる」という簡単な判断はできたはずです。                                                                                                                        その判断をも失くす、普通ではない要因が潜んでいたのではないか・・・・         たった一人の判断行為                                     何かあったらどうするのか?                                       先生は絶対的存在

 

これからの教訓とするために

子供 たちは必死になっていた。                                                                                       生きようとしていた。これこそ人の持つ最も大切な「学び」です。                               しかし、残念ながらそれを教える側の先生には「学び」が無かった。                    それでこんな大変なことが起きてしまった。                                しかし、先生だって、生きようとしていたはずなのに。

生きる力はどうやって学ぶのでしょう。                               先生は誰から教わるのでしょうか 

子供 たちは守られなかった・・・。                                     子供を守るには、どうしたら良いのでしょう。                                  家庭なら、親がその役目です。                                    でもその親が世間から守られていなかったら・・・虐待がこれです。                   守る立場の人もまた、守られる必要があるのです。

先生に当てはめて考えます。                                      先生を守るのは、校長・教頭といった上司や、教育委員会という組織が第一。         それに保護者を含めた地域もそうです。 これらは❝大人❞と括れそうです。                   先生も大人ですが、広義でのオトナです。                                 果たして私たちオトナは先生を守っているでしょうか? 自分自身にも問答します。

このオトナを突き詰めると、どうやら国家に行き着きます。                          この国は国民を守ってくれているのでしょうか?                               大川小を考える時、つい国づくりを考えてしまいます。 子供たちは『未来』なのですから。                                                                                                                             その未来が「なぜ」・「どうして」のままで失われて良いはずがないのです。          私たちはオトナとして、子供 だけでなく、大人も守っていかなくてはならない。        親も先生も国会議員も、みんなオトナにならなくちゃいけない。                     まずはこちらから守ってあげなければ、守ることはできない。                               最近それを忘れがちなのかもしれない、と感じます。                                              2015.3 鈴木宏輝 (高崎市学童保育連絡協議会)

約 1時間の解説を頂き、皆さん沈痛な 思いで大川小学校を後にしました。

                        

 追記                                                 平成 30年 4月 26日(木)宮城県石巻市立大川小学校の津波訴訟で、仙台高裁は校長や市教育委員会による防災体制の不備を厳しく指摘し、組織的な過失を認めた。                   大切な 子供さんを先生の指示に従いながら亡くされたご遺族の方々の強い気持ちが子供さんに届いたように感じました。                                          司法制度も国よりであり、校内イジメでも調査もせず平気で「当校にはイジメはありません」と言い張るのが当然の様で、子供を守るよりも自分方を守る方が優先。               こんな世の中であり、司法に対しても不安視していましたが、ご遺族の訴えが認められ本当に良かったと感じています。                                       この様に声を上げなくては、校長や教育委員会という組織は何も変わりせん。           子供たちの死を無駄にすることなく、責任をハッキリさせ今後の学校防災改善に生かしていく事が亡くなった子供たちに伝える、残された者の責任だと思います。                  

                                                    

その後、震災から 4年を経て、平成 27年 3月 21日に全線開通したJR石巻線の女川駅に向かいました。

                                                                                                                                                  綺麗に整備され生まれ変わった女川町をぶらり散策しました。                上記、写真の女川駅正面レンガ遊歩道を海に向かって進むと『シーパルピア女川』と命名された女川駅前商店街があります。                                                                             両側には土産物店・食事処・カフェなどが並んでいます。

45分間ノンビリし 11時 55分、石巻市へ移動。

石巻市の「いしのまき元気いちば」に 12時 40分 到着。                        復興まちづくり情報交流館の中央館に立ち寄りました。                         三陸復興国立公園のリアス式海岸は東側が太平洋に面し、明治 29年 6月 15日「明治三陸大津波」、昭和 8年 3月 3日「昭和三陸大津波」に続き東日本大震災の津波 に遭遇しました。

ところが石巻湾は相模湾と同様に南側が海に面し、今までに津波 の経験がなく、また今から約 400年前の 1613年(慶長18年)仙台藩主「伊達 政宗」が、仙台領内でのキリスト教派遣容認と引き換えに、ノビスパニア(メキシコ)との貿易交渉を求めて、イスパニア(スペイン)国王及びローマ教皇のもとに慶長遣欧使節という外交使節を派遣しました。                                                                                       伊達 政宗の命を受けた「支倉 常長」ら慶長使節は、現石巻市で建造されたガレオン船「サン・ファン・バウティスタ」で太平洋を往復しました。

この様に石巻港は江戸時代から歴史的貿易港であったため堤防など考えてもいなかったようです。                                                                                                                         そのため、このマグニチュード 9.0の東日本大震災では大きな被害を被ってしまいました。

             

 

 

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