素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 石段参道を登り鳳来寺本堂へ ▲

2024年04月27日 | 国定公園

愛知県新城(しんしろ)市北部にある標高 695mの 山。                        古くから山岳信仰の対象とされ、修験者の聖地であった。                 鏡岩と呼ばれる絶壁の横には 703年(大宝 3)の開創と伝える古刹 『鳳来寺』 の本堂が建ち、天竜奥三河国定公園に含まれています。                              国の名勝・国指定天然記念物であります《鳳来寺山》を 歩いて来ました。

鳳来寺山の紹介は標高 695mの山とありますが、鳳来寺山山頂の標高は 684mで、そこから直ぐ北にある瑠璃山が標高 695mとなっており、近いので標高は 695mと表示しているのでは ❓ と思います。

鳳来寺山は麓からの比高差は約 475mあります。                                   また、鳳来寺本堂は標高 450m地点に所在し、山麓から延びる 1425段の石段は全国有数の規模を有しているとのことです。                                            今から約 1400万年前に起こった火山 噴火とその後の浸食作用によって今の山の形となりました。                                                                                             そのため、ここの地質は火山活動によって溶けて冷え固まった岩石や火山灰で成り立っていることに特徴があります。                                            鏡岩に代表される切り立った岩壁などの特異な景観は神秘的なものとして古くから人々を惹きつけ、大宝3年(703)に鳳来寺がこの山に開かれました。

                                 

新東名の新城インターから 25分で鳳来寺門前集落「門谷」の入口に7時、到着。                   入口には火の見櫓の様な高い建物が道路を挟んで左右に立ち、江戸時代に鳳来寺本尊である薬師如来への多くの人々の信仰により最盛期を迎えていたという往時が偲ばれました。

櫓から集落に入り直ぐ右手の新城市の市営笠川駐車場に駐車、トイレも完備されていました。   登山準備を済ませ、7時半出発。古い民家の中を進む。                              道路脇には 100m毎に十二支 像の石碑が、鳳来寺への石段まで続いています。

また、歩き出して間もなく街路樹の様に満開のホソバシャクナゲが迎えてくれ士気高揚。   早朝でもあり、とても静かで綺麗な集落にビックリしました。

7時 35分、木戸跡を通過。                                         この木戸は、門前町に出入りする人を監視する見張り所とのことです。                   ここからが門前町で、60軒もの宿屋と2軒の芝居小屋があり、とても賑わっていたようです。

早朝の静かな集落、建物は宿場町で見かけるような立派な建物が並んでいました。

種田山頭火の歌碑。                                         山口県生まれの俳人で、萩原井泉水に師事。のちに出家して諸国を巡り、自由律句の作に特徴があります。

上浦橋通過、 もうそろそろ、あの長い石段が始まる。

7時 50分、十二支の亥の石碑を通過。直ぐ近くに山頭火の歌碑。

伝説の利修仙人。                                                  鳳来寺山はもと桐生山といって、高さが 150mもある桐の大木が生えていました。         古い木なので洞があり、龍や鳳凰という美しい大きな鳥が住みついていました。                1400年ほど前、仙術という超能力を身につけた利修仙人がこの山へ来て修行をはじめ、鳳凰を操って空を飛んだりしていました。

1300年ほど前のことです。                                          文武天皇が病気になって中々治らないので、霊力を持つという噂の高い利修仙人に御祈祷してもらおうということになりました。                                      そして、草鹿砥公宜(くさかどきんのぶ)という人が天皇の使いとして、利修仙人に頼みに来ました。仙人は鳳凰に乗って都へ行き、一心にお祈りをして天皇の病気を治しました。              病気の全快を喜んだ天皇は、利修仙人を開山として、桐生山に立派なお寺を立てました。   そして、鳳来寺と名付けました。                             そこから鳳凰が来たという意味で、その後は桐生山を鳳来寺山と呼ぶようになったということです。

 

7時 55分 、鳳来寺への石段参道前に到着。 ここから 1425段の階段に挑戦です。

初めての挑戦で焦っても仕方なく、昨日の雨で石段が濡れていることもあり滑って捻挫でもしたら笑えないので、無理せず慎重に歩を進めました。                                谷間にある参道で陽の差し込むこともなく、また杉の大木の中であり正に深山幽谷といった雰囲気の中を神聖な気持ちで歩きました。

8時 02分、鳳来寺仁王門通過。                                             昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定された「鳳来寺の仁王門」は、慶安4年(1651)の東照宮の造営と共に三代将軍 徳川家光によって建立されました。

この門の正面に掲げられる「鳳来寺」 の扁額は光明皇后の筆によるものと伝承されています。

仁王門を通過して間もなくの所に、杉の大木である「傘すぎ」に驚き                          樹齢 800年、樹高 60m、根回り 7.5m  

結構登った感じはしたが、松高院前に 594段目の表示あり。まだまだ半分も来ていない。

医王院手前を登る。8時半。 段々階段の斜度が増し、足元に注意する。

少し平坦になったと思った先にも階段が見える。左手には石仏様が元気を下さった。

私は、初めての鳳来寺訪問であり様子が何も分からなかったので、石段がどこまで続くのか❓ 興味があった。                                               急な階段を登り切ったら、左手に 1316段目と書かれた標示板が見え、広場に出た。

谷間から陽当たりの良い気持ちの良い広場に出た。                                 8時 50分、標高 450mの鳳来寺本堂に到着。

南側には展望休憩所があり、太平洋側の遠州灘方面が見えた。

鳳来寺本堂の左手には、切り立った岩壁の鏡岩が望めた。

まだまだ石段は続くが鳳来寺山山頂を目指して頑張る。

 

 

 

 

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▲ 茅ヶ岳から金ヶ岳をピストンし尾根道を下る。▲

2024年04月17日 | 私の見た山・登った山

尾根に出てからの天気は申し分なかったが、欲を言うと雲が多いのが残念だった。   10時に茅ヶ岳(標高 1704m)に到着。                                 北には標高 1764mの金ヶ岳が見え 、時間的にも早いので 20分ほど休憩し、金ヶ岳に向かう。

疎林の中を北に向かって急降下する。                              鞍部の先の巨岩の間をすり抜け、登山道が石門と言われる大岩を抜け、金ヶ岳に向け登り返す。                                                         石門通過、10時 35分。

茅ヶ岳と金ヶ岳間は大岩が沢山あり、頭をぶつけない様に 通り抜けたり、バランスを崩さない様に脇を通過しながらアップダウンを繰り返す。                       傾いた巨岩の脇から、先ほどの茅ヶ岳のピークを望む。

傾いた巨岩から登り返し、11時 15分 金ヶ岳南峰に着いた。                     観音峠へは、ここから東方向へと下って行く。

北峰に向かう途中の開けた所から、南西方向の韮崎市街と鳳凰三山や甲斐駒を望む。  稜線付近の雲が無ければ地蔵岳のシンボルであるオベリスクが見えたのに残念❓

11時 20分、金ヶ岳北峰到着。                                 山頂には目立つ山名表示はなく、茅ヶ岳同様岩がゴロゴロして狭い。

開けているのは南方向のみ。                                      雲が多く余り遠望が利かず木の間から茅ヶ岳を望む。 20分休憩し11時 40分下山開始。

金ヶ岳への行きは南西側が切れ落ちていたり、大岩の登りが厳しく感じたが、帰りは意外と順調に進んだ。                                            南峰通過、11時 52分。

石門通貨、12時 10分。

金ヶ岳に向かう時には気付かなかったが、帰りの茅ヶ岳の登りで花芽の無いイワカガミの艶のある紫紅色の葉が沢山見られた。今後が楽しみです。

12時 40分、再び茅ヶ岳に戻りましたが、青空で気持ち良い。                       暖かくて 360度の景色を楽しみながら、ノンビリ お弁当を広げました。

40分もノンビリし過ぎて 13時20分、尾根道経由で下山開始。

この山全体が岩のゴロゴロした山で、急降下の下山道であり慌てずに慎重に下りました。                                                  下り出して直ぐに千本桜分岐を通過、 13時 24分。

山頂でお会いした方が千本桜から登って来られ、まだ二分咲き(4/12 現在)程度でしたと残念がっていました。

今回は、歩き始めの山桜とこのリンドウの二種の花しか見られませんでした。

尾根道は平坦地が無く、延々とした急勾配の下りが続き 40分ほど下った頃、膝が笑い出し怪我をしたら 笑えないので、休み休み下った。

下り出して1時間の 14時 23分、防火帯の道に入った。                        茅ヶ岳山頂から尾根道経由で駐車場までの下りが1時間半であったが、それ以上に長く感じた。 

防火帯の道を下り切ったら、前山大明神林道に出た。

14時 45分、深田記念公園に戻る。 休憩所と解説板あり。

14時 50分、深田公園駐車場に無事戻りました。

朝の出発時には気付きませんでしたが、戻ったら桜がほぼ満開でした。 気温 19.0℃

 

 

 

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🌸 實相寺の山高神代ザクラ 🌸

2024年04月15日 | 春景色

大津山 實相寺は永和年中、波木井伊豆守が出家され、實相院日応と号して宗を改め開いた日蓮宗のお寺であります。

山門  

 

神代桜 は、山梨県北杜市武川町山高の實相寺境内にあるエドヒガンザクラの古木であります。                                       境内には沢山の桜が見られますが、神代桜は開花が早かった様で周りの満開の桜が目立ちました。 

樹齢 2000年ともいわれ、 日本五大桜または三大巨桜(福島県の三春滝桜・岐阜県の根尾谷薄墨桜)の一つであり、1922(大正11)年10月12日に国の天然記念物第一号に、1990(平成2)年6月には新日本名木百選にも指定されています。

 
ところが近年の環境の変化により樹勢が急激に衰えてしまい、2001(平成13)年には樹勢の回復を図るべく、根や病気の調査を行いました。
翌年からの工事では、弱った根に活力を取り戻すための養分と有用な土壌微生物に富んだ土に入れ替え、更に主幹からの新たな発根を促すため屋根付きの櫓を撤去しました
 
樹齢 2000年の古木と云われるだけに、根元幹周が 1922(大正11)年は 13.5mありましたが、2006(平成18)年には 11.8mにやせ細り、今回拝見した時も痛々しさを感じました。                                      今迄に実施されました樹勢回復工事の成果が現われ、一日も早く今まで以上の元気な姿を見せて欲しいと願っています。
 
 
これらの工事は4年間かけて行われ、2006(平成18)年3月に終了いたしました。
 
                               
 
山門から境内に入り参道を進みます。 
 
参道左手には一面に水仙が咲き、満開の桜並木とその背景には南アルプスの雄姿が聳えています。                                      足元にはおよそ8万株のラッパ水仙も咲き、黄色、白、ピンクと色鮮やかさが引き立っています。
 
 
本堂左手には桜に囲まれ日蓮聖人立像 が見られました。                     13世紀頃、日蓮聖人がこの木の衰えを見て回復を祈ったところ再生したため、『妙法桜』とも言われています。
 
 
実相寺の境内には神代桜の他にソメイヨシノが 30本、スペースシャトルに乗って宇宙に旅立った神代桜の種子が地球に戻り発芽した 「神代桜の宇宙桜」 も公開されています。
 
三春滝桜の子桜                                          平成 12年に福島県三春町より譲り受けて植栽した「滝桜」の子桜だそうです。
 
 
臥竜(がりゅう)桜の子桜                                  平成14年4月に岐阜県高山市より譲り受け植栽されたそうです。
 
 
 
庫裡の前に咲くソメイヨシノ     
 
 
鐘楼を囲む桜                                          鐘楼に架かる梵鐘は総高 145cm、鐘身 105cm、口径 79cm。               技法的に江戸初期の特色が良く表現されているという美しい梵鐘です。
 
 
第二次世界大戦中、すべての金物が供出させられた中で、由緒ある文化遺産として供出を免れたものだそうです。
 
 
 合掌で光を 
本尊に合掌すれば 信心となり
父母に合掌すれば 孝養となり
長上に合掌すれば 敬慕となり
事物に合掌すれば 慈愛となり
自分に合掌すれば 修養となり
お互いに合掌すれば 幸福となる  
 
 
日本一の桜が生きる『實相寺』でした。

 

 
 
 
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▲ 深田記念公園から茅ヶ岳へ ▲

2024年04月13日 | 私の見た山・登った山

山名はススキが山麓を広く覆っていたところから『茅ヶ岳』と呼ばれたようです。                                 茅ヶ岳は甲府盆地の北、御岳昇仙峡の奥に位置した古い火山で、長く裾野をひいた優美な姿は、よく八ヶ岳と間違われ、『ニセ八ツ』とも呼ばれ親しまれています。

1971(昭和46)年3月21日、『日本百名山』の著者であります深田久弥氏が、この山を登山中に亡くなられたことで知られ、多くの登山者が訪れる様になりました。

毎年4月の第3日曜日には 「深田祭」 が開催され、記念登山や式典が行われ、全国から沢山のファンが集まるようです。       

今年は、4月21日(日)に開催されます。

深田記念公園駐車場に7時 15分到着。 15分で準備を済ませ7時半出発。

登り始めは赤松林から雑木林へと傾斜の少ない林道を緩やかに登って行く。

駐車場の標高が 940mであり、まだ若葉も見えず殺風景な登山道であるが、唯一山桜が出迎えてくれた。

8時 07分、前山大明神林道を横切る。

登山道は大岩がゴロゴロした涸れ沢(女沢)を登って行く。

両側の尾根が迫ってくると、行く手に女岩(奥に見える黒い大岩)が立ちふさがる。  通過、8時 45分。

かつてはコース中唯一の水場であったが、近年崩壊の危険ありとのことで女岩手前に立ち入り禁止のイエローテープが張られ右手にある巻き道に誘導される。

涸れ沢の一寸広い登山道はここまでで、ここからが急斜面でクヌギやナラの樹林帯をジグザグに頑張って登る。

片側が崩れていたり、落ち葉が深く積もり足を取られたりと緊張する箇所が多かった。 慎重に登り女岩の上部を通過。

茅ヶ岳と大明神岳を結ぶ稜線に近づいて来ると登山道は枯葉に覆われていた。

9時半、稜線に立つ道標が見えた。

稜線の鞍部に出て茅ヶ岳へは尾根を左に進むのだが、右手に見える岩峰に立つと金峰山や瑞牆山を望むことが出来た。

10分ほど展望を楽しみ茅ヶ岳を目指す。

茅ヶ岳に向けて登り出し、5分ほどしたら深田久弥氏が亡くなられた場所に石碑が建ち、お花が添えられていました。 通過、9時 45分。                                死因:脳卒中だったそうです。 享年:68歳  

急坂で岩場の多い登山道を慎重に登る。

10時 05分、茅ヶ岳(標高 1704m)登頂。                                     右手が金ヶ岳(標高 1764m)と中央の白い稜線は八ヶ岳連峰。

展望は 360度良好でありましたが、雲が多く富士山は五合目から上は見えず、南アルプスでも八ヶ岳は見えましたが甲斐駒や鳳凰三山の上部は見えず残念であった。

20分ほど休憩し、10時 25分、金ヶ岳に向け出発。

 

 

 

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