素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

⛰ 三峰口から雲取山へ ⛰

2016年10月26日 | 日本百名山

以前から登ってみたいと思いながらも中々実施できず、今月の計画にあったので参加した。                                                                                               丹沢山塊を背にした神奈川県でも2000mを越えた山がないのに、エッ東京に2000mを越える山があるの   驚きです。                                                         それが登山者憧れの「雲取山」なんです。                                          日本百名山であり、東京都の最高峰、標高2017mであります。

山梨市から国道140号線で雁坂トンネルを抜け、秩父湖の二瀬ダムを渡り、三峯神社を目指した。                                      神社の駐車場に 10時20分到着。15分で準備を整え10時35分出発した。

山頂への登山道は3本でありますが、そこへ行くまでに幾つもの枝道があり、どのコースもアプローチが長いのです。                                                                                             相当の健脚者でないと日帰りは無理であります。

アプローチが長いだけあって、ほとんどが緩い登りなので楽な登山で、隊列が乱れることなく順調に進んだ。 炭焼平通過、11時半。

ところが地蔵峠手前で急用が発生し、私が三峯神社近くまで戻ることになり、1人のスタッフに皆さんをお願いし、下りはノンビリで用事の終了後は、お結びを手に持ち緩い道は駈けるようにして仲間を追った。二度目の炭焼平通過は1時間遅れであった。                                      状況を下界で待つスタッフに連絡、スマホで駄目と思いながらも連絡したらつながった    さすが東京の山は便利である。

地蔵峠通過、12時50分。                            小さな祠の中に石のお地蔵様が待っていて下さり、全員の安全登山をお願いし先を急いだ。

岩壁に昭和 8年にこの山を登山された秩父宮様のレリーフが見られました。           通過13時。

そこから少し進んだ所の、霧藻ヶ峰休憩所を13時02分に通過。

小さなピークを頑張って越えたら、広く歩き易い登山道となり「お清平」・「お経平」の標示板が見えた。 通過、13時30分。                                                                                 ここの地名には二説の由来があるとのことです。一つは炭焼小屋の美しい娘「お清」の悲しい恋の伝説と二つ目は修験者が「お経」 をこの地に埋めたと言われています。

上の方で人の 声 が聞こえ頑張ったら、前白岩の肩で休憩している仲間でした。      13時40分合流。 皆さんに「お疲れさま」と迎えられホッとした。                                 小雨が落ちてきたので合羽を着用されていた。

前白岩山(1776m)通過、14時04分。

なだらかな登山道が続き、白岩小屋着14時20分。 5分の休憩を取った。

小屋を過ぎてから少しキツイ登りとなり、山頂の広い白岩山(1921m)に出た。  14時50分。5分休憩。 白岩山の山頂標示板は登山道から外れた奥に見えた。

で体が冷えてきたり、日が短くなっているので、先頭のスタッフが元気な声を掛けたり、時間を気にしながら上手に仲間を引っ張ってくれた。                 芋ノ木ドッケ通過、15時。

その先は尾根を外れ、山を巻くように進みアップダウン道が続いた。

大ダワ着、15時45分。5分休憩。                              ようやく今日の宿「雲取山荘」が射程距離に入ってきた。

                                                      歩き始めて約 5時間。大分疲れも出てきた所なので、この先男坂と女坂があり、皆さんの様子を見て歩き易い女坂を先頭スタッフに引っ張って頂いた。

昭和 3年開業の雲取山荘到着、16時20分。 お疲れ様でした。

                                                       離れの乾燥室に合羽とザックカバーを置き、順次山荘にはいった。

                                                 各部屋は個室で4名づつ入室、ログハウス的な室内に炬燵が用意されホッとできた。    屋根に当たる雨音が異常に大きく聞こえた。明日は  

 

 


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⛰ 雲取山から鴨沢へ下る ⛰

2016年10月26日 | 日本百名山

山荘は消灯が8時半、山小屋の長い夜が始まった。                   雲取山荘のトイレは外であり、懐中電灯を用意した。目覚めて、時間を確認したら 10時25分。                                                                                                                                   大分寝たつもりなのに「エッまだ10時 」外に出たら本振りの雨は止んでいた。                                                   二度目は 2時半にトイレに向かった。外に出てビックリ。                                                  下弦の月と沢山の星がまばゆく輝いていた。  これなら今日の天気は最高だ

智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山《雲取山》の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。

『智恵子抄』より、あどけない話  高村 光太郎

朝食5時、宿泊者全員が 1度で食事をすませた。                                                                 山荘の部屋から日の出を拝むことができた。                                        最高の天気となり、昨日の雨は許せると皆さんが声を揃えていた。                        自分も納得である。

お世話になった雲取山荘を 6時出発。  全員快調である。

目指す雲取山山頂までは樹林帯の中の登高であり、薄暗くまだ冷え込んでいた。                   6時 40分、急に青空が開けた、雲取山山頂である。                                                         360度の展望で皆さんから歓声が上がった。

本当に嬉しくて登山者の皆さんハイテンション、山頂標示の石塔と共に相互に写真を撮りあっていた。

何て言ったって、ここは東京の最高地点。                                       山頂からは都内どころか関東平野一望で、周りの山々の眺望は抜群である。

昨日の雨で富士山は雪化粧をし、秀麗な山姿を見せてくれた。

雲から飛び出たスカイツリー(634m)が見え、

 

新宿当たりのビル群だろうか    7~8棟が連なって見えた。              昨日の雨が空気中のゴミを洗い流してくれたので遠望が効いたのだろう。

今日は小雲取山から七ッ石山経由で奥多摩湖の鴨沢に下る。                               快晴で展望の開けた尾根歩きは気持ちが良いし、常にこうある訳ではないだけに最高であります。

雲取山(2017m)山頂からの景色を十分堪能し 、7時下山開始。                             天気が良いので皆さんに最高の景色を楽しんで頂き、下山時間も十分ありノンビリ下山とした。    雲取山頂避難小屋通過、7時05分。

下山時は右手にずっと雪化粧をした富士山が見守ってくれた。登山道も広くお散歩気分。

10月も下旬であるのに、カラマツの紅葉(黄葉)が素晴らしかった。

雲取山荘への巻き道分岐通過、8時15分。 カラマツ林の下りである。

ヘリポート通過、8時23分。

ブナ坂を 8時 51分に通過し、七ツ石山への登高が始まる。ずっと下り続けていただけに辛い登り。    

 

七ツ石山(1757m)山頂着、9時10分。                           三等三角点のある広く眺望の良い山頂である。 

9時20分、下山開始。徐々に樹林帯が近づく。

七ツ石小屋通過、9時40分。 天気が良いので小屋の方が布団干し作業をされていた。

10時半位から杉の樹林帯に入り、杉の影による薄暗い登山道を延々と下り、奥多摩湖側の登山口「鴨沢」に 12時、全員無事下山しました。

                                                      色々あった楽しい山行、ありがとうございました。 

 

 


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▲秋の信越トレイル▲

2016年10月24日 | 日本の四季

心と体がよろこぶ山歩きの旅 信越トレイルを歩いて来ました。                           長野・新潟の県境をなす関田(せきだ)山脈は、斑尾山、袴岳、黒岩岳、鍋倉山など、いずれもブナ林をはじめとする豊かな自然に覆われ、山麓の集落に暮らす人々の生活文化と深い関わりを持ってきた里山です。

いくつもの里と山をめぐり、尾根をたどる「歩く」道。                                  豊かな自然と歴史につちかわれた、人々の暮らしや文化が共存する幾多の里と山を結ぶ信越トレイル

                                                         県境をたどりながら「歩くこと」そのものを楽しむことのできる、総延長 80Kmの日本でも類を見ないロングトレイルであります。

総延長 80Kmの信越トレイルは平均 6~7時間で歩けるように 6区間に分けられており、体力に応じた区間を歩きます。                               私たちは今回セクション 5と 6を踏破しました。

セクション5は関田(せきだ)峠から伏野(ぶすの)峠へ至るコース。                             関田峠(9時出発)からまず尾根に向けて登り、牧峠から伏野峠間は小さなアップダウンの連続でした。

                                                      このセクションには、雪の重みで湾曲した若いブナの木が多く、途中にはナベクラザゼンソウの自生地があり春先に見られるとのことであります。

牧峠(11時20分着)からは天気が良いと日本海、遠くは佐渡島まで見渡すことができるようですが、この日は雲があり見えませんでした。                 また、ここではイヌワシが見られるとのことで沢山のカメラマンが大きなレンズのカメラを構えていました。寒いのにご苦労様です。

宇津ノ俣峠を過ぎ、しばらく歩くと幻の池に14時、到着。

                                                 ブナの天然林に囲まれた周囲300mの池で、6月下旬頃にはモリアオガエルとクロサンショウウオの卵塊が見事にみられるそうですが、沢山のカエルの卵は見たくないですね。

伏野峠が近づくと、新潟側のランドマークである菱ヶ岳のどっしりした山容が望めました。 

標高約 1,000m前後のこの山脈は、冬には積雪 8mを超える豪雪地帯であり、様々な歴史と手つかずの自然が今もなお残されています。                     特にブナ林の紅葉は素晴らしく感動しました。

初日の宿では、信越トレイルクラブのガイドさんにより豪雪地帯の冬の生活について、色々お話を聞かせて頂き、楽しいひと時を過ごすことができました。

セクション 6は伏野峠(8時50分出発)から北の基点である天水山(あまみずやま)を目指す、細かなアップダウンが連続するハードなコース。(2日目は雨)

深坂峠から先は新潟側が急斜面となり、雨の日などは注意しなくてはいけない道です。

                           

トレイルコースには、歴史を物語る 16の峠が連なっており、すべては、かつて信越を結ぶ重要な物資輸送ルートであったとのことです。

                                               また、戦国時代には越後の武将「上杉 謙信」が信濃攻略の兵を行軍させた軍用道路でもありました。

天水山に向け歩を進めるにつれ、雨が段々強くなりガスも濃くなってきた。                天水山山頂前後のブナ林にもガスが入り込み、晴れた日には見られない幻想的なブナ林を見ることができました。    天水山山頂到着、14時10分。

ブナの寿命は 400~500年といわれています。                                                                 6~7年に一度、雪が花粉で黄色くなるほど沢山の花を咲かせ、大量の実を落とすそうです。                                             そして次の春、地面を埋め尽くすほど一斉に芽を出し、開花までは最低でも 40~50年、結実するようになるのは最低でも 60~80年かかるそうです。

長野・新潟両県の 9市町村地域では、昔から「ブナの木 1本で一反の田んぼの水をまかなう」と伝えられ、ブナの持つ保水力を良く理解されていたようです。

《※一反(=10a)は大人 1人が 1年で食べる分のお米が収穫できる面積と考えられていました。》

ブナに限らず、樹木の張る根は意外に浅く、根回りが踏み固められることは衰弱を早める原因だそうです。                                  また、根を張る範囲も広く、伸ばした枝先と同じ位置まで根が張っているとのことです。

保水力のあるブナを皆さんで守りましょう。 ブナの紅葉が鮮やかに森を染めてくれるように 

 

 


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🐡 モネの池 🐡

2016年10月17日 | 名勝:自然の風景

テレビを見て「エッ、あれ絵じゃないの 」と驚いた“名もなき池”「モネの池」を見て来ました。

と言っても、どこにあるのか? 全然分からない。 どうしよう?

ひと昔前に比べると便利な世の中になりました。 ネットで何でも調べられますからね。

そこで岐阜県のブロガーさん、タイトル「私のなんでも日記」を参考にさせて頂きました。

インターを出てからの道の案内、飲食店・喫茶店、近くの名所案内と、とても詳しく解説して下さっています。お陰様で順調に現地に到着できました。

岐阜県関市板取396番地 根道神社の境内にある“名もなき池”であります。                    8時 10分に到着。 既に 5名ほどカメラマンが三脚を立てていました。                         晴れであれば最高の条件でありましたが、明るい曇り空でテレビで見るような感動には、いまいち達しませんでした。

ただ池のが綺麗なことに驚いたことと、鯉は流れのない泥沼の川や池を好むと思っていましたが、根道神社の池にいる鯉は綺麗好きのようで、特に錦鯉は美しい模様を見せのんびりと泳ぐ姿は、とても優雅に見えました。

 

 


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◎寂光院◎

2016年10月17日 | 古寺巡礼

寺の伝承によれば、寂光院の歴史 は京都に数ある寺のうちでも、指折りといえるくらいに古いそうです。                              創建は実に推古 2年(594)といわれ、聖徳太子が御父・用明天皇の菩提を弔うために作られた、天台宗の尼寺であります。

所在地は洛北の左京区大原草生町であり、大原の代表寺院「三千院」界隈と比すれば、更に静かな山あいにあり寺に向かう道も人影まばらで、門も境内もこぢんまりとしています。

そのたたずまいは「ひっそりと余生を送った」といわれる舞台にいかにもふさわしく感じられました。

御本尊は聖徳太子作と伝えられる「六万体地蔵尊」だそうです。                       平成 12年(2000)5月 9日の火災で損傷(現在も重要文化財指定)、新たに復元された本尊が本堂に安置されています。(火災の原因は不明だそうです。)

平安時代末期、源平合戦の末に、平家が壇ノ浦の戦いで滅亡すると、平 清盛の娘で安徳天皇の母であった建礼門院は、壇ノ浦で入水したが源氏に助けられ京都に送られた。                                    その後出家し、わずかな女官だけをつれて大原の寂光院に入り、平家一門の菩提を弔いながら生涯を送ったといわれています。

大原の一帯は冬は雪が深く寒さが厳しい。                  小浜街道(鯖街道)は、冬になると行き来が途絶えて食糧も手に入りにくくなる。   そのため大原の里人たちは、夏の間に取れた野菜を特産の赤シソで漬け込んで保存食として冬に備えた。

                                                当時、大原の里は深い山の中で人も訪れない寂しい地であった。                           建礼門院にとっても、この地での暮らしはわびしいものであり、村人たちは建礼門院を慰めるために、得意の漬物を献上されたとのことであります。

                                               村人たちの温かな思いやりと鮮やかな赤紫色の漬物を、建礼門院は非常に喜ばれて、この漬物に「むらさきはづけ(紫葉漬け)」という名を付けたそうです。                               そこで、この漬物の名が「柴漬け」と呼ばれ、すぐき、千枚漬けと並んで「京都三大漬物」と呼ばれるようになりました。

また、寂光院の御本尊である地蔵菩薩よりも良く知られているのが、その脇にある建礼門院像と阿波内侍(あわのないし)像。

                                               大原には、昔からこの里でとれた薪炭や食糧を頭に乗せ、独特の着物姿で京の都まで売りに歩いた「大原女」という女性行商人がいたことで知られるが、実は建礼門院に従ってきたわずかな女官(阿波内侍)たちが、この大原女のモデルになったといわれています。

                                                      現在では観光用の衣装として見る以外に、あまり見られなくなってしまったようです。

 

 


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◎鞍馬寺◎

2016年10月17日 | 古寺巡礼

洛北の山深い鞍馬寺を参拝して来ました。

                                               標高 570m。                                      太古から護法魔王尊(活力)のエネルギー(元気)に満ちた鞍馬山には、その気をうけて多種多様な「いのち」が安らぎ、豊かな自然が育まれてきました。                                この地に奈良時代末に毘沙門天(光明)が、平安時代初めに千手観音菩薩(慈愛)が祀られて寺院の形が整い、多くの人々が真摯な祈りを捧げ続けています。

そんなこともあり、最近 鞍馬山はパワースポットとして、人気を集めています。                   霊山として、密教系の宗教による山岳修験の場であったようです。          霊山とは、山そのものが神様で信仰の対象。そして山伏がその修行者でした。

歴史的には、鑑真和上の高弟である鑑禎(がんてい)上人が、宝亀元年(770)にこの地に草庵をつくり、毘沙門天を安置したのが、鞍馬寺の始まりとのことです。        その後、真言宗、十二世紀から天台宗に改宗。                     以来ずっと続いたようですが、第二次世界大戦後、当時の住職が鞍馬弘教(こうきょう)を開き、天台宗から独立したとのことです。                                        そんな訳で、現在は単立寺院、鞍馬弘教の総本山。                        古刹ですが、新興宗教というようです。

鞍馬寺の栞(しおり)では、この三尊を三身一体の尊天(宇宙エネルギー)として尊崇しています。                                    縁あるすべてがお山の元気を頂いて、自らの心華〔しんげ〕(純粋無垢な心)に目覚め「いのち」を輝かせることのできる和楽の世界の到来を願っているとのことです。

御本尊(三身一体)のひとつ、魔王尊は 650万年前、金星から降り立った、人間とは異なる元素を持つ、永遠の 16歳なのだそうです。                       宇宙人の神様ということでしょうか                          あとの二つの御本尊は、毘沙門天と千手観世音であり、鞍馬弘教って不思議な宗教ですね。

なんか難しい栞の内容ですが、私たちの知っているのは牛若丸が修行したのが鞍馬山で、その牛若丸に剣術を教えたのが鞍馬天狗ということくらいです。

                                                 知らなかったんですが、天狗というのは、もともとは山の精霊のことを指すようです。

 


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◎京都鉄道博物館◎

2016年10月17日 | 史跡・名勝探訪

以前の梅小路蒸気機関車館の時には何度か見学に寄ってみましたが、今年の平成 28年 4月 29日に鉄道の歴史を通して日本の近代化の歩みを体感できるとして新たにオープンした「京都鉄道博物館」を訪問しました。

歴史と伝統を重んじながらも常に革新を続ける京都の地に開業されていることが素晴らしいと思います。

博物館の基本コンセプトは「地域と歩む鉄道文化拠点」ということだそうです。                  「鉄道を基軸とした事業活動を通じた地域の活性化に貢献する。」という基本ミッションを掲げ地域との共生を目指し、また 学校教育、周辺施設など、地域との連携を図り、地域の活性化に寄与するとともに、広く皆様に受け入れられる「憩いの場」となると共に、「見る、さわる、体験する」ことで誰もが楽しむことができる「学びの場」となることも目指しています。

 

大人から子供まで多くの方々が楽しめる施設として、特に好奇心旺盛な子供たちも車両の構造や動力の仕組みを装置に触れながら学ぶことができ、あれもこれもと広い館内を走り回っていました。

大人でも昭和3~40年頃であろうか  駅の改札や   

                                                                                                                                                客車内の雰囲気が再現され、自分の歳を感じさせられました。

また、丸いブラウン管テレビ、赤い公衆電話、店外で見られたアイスクリームの冷凍庫、

                                                                                                                                        それにダイハツの三輪ミゼットが展示されているのには感激というか 、とても懐かしく感じました。興奮です。

職員の方が付いて下さり、足で自転車の様にして乗り、線路の点検作業の体験もできました。

ジオラマで昼と夜の鉄道の動きを見学したり

車両の運転席に座り、運転手さんの雰囲気を味わったり、鉄道の大切なダイヤグラム(列車運行表)の簡単な作成体験など興味津々取り組んでいました。

大きく広い館内には駅のプラットホームを模したスペースに、C 62形蒸気機関車や 80系電車、0系新幹線電車など所狭しと、蒸気機関車から新幹線まで本物車両の貴重な 53両と鉄道施設、工夫を凝らした展示の数々。

                                                  扇形車庫には 20両のSLが勢ぞろいしています。

そして本物の蒸気機関車が牽引する客車に乗車することができます。                これは梅小路蒸気機関車館の頃から大人気でSLスチーム号が往復 1Kmを約 10分間で走ってくれ、束の間の蒸気機関車での旅気分が味わえました。

 


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◎方広寺大仏と豊国神社◎

2016年10月17日 | 古寺巡礼

修学旅行や個人的な旅行で、京都は誰しもが京都情緒を味わいに訪問をされていると思います。                                  ガイドブック 片手に四季折々の京都を感じさせてくれる寺社仏閣。                            巽橋付近の新橋通りや白川南通り、新門前通りなど風情満点の通りをそぞろ歩きするのも楽しい。

名だたる寺社仏閣はほとんどの方が参拝されていると思いますが、方広寺とか豊国神社は行かれたことがあるでしょうか                          歴史的には有名な所ですが参拝者が少なく、のんびりと参拝できます。

                                                      でも今年の9月23日にタモリさんの「ブラタモリ」で放映されたせいか、1 度目の時よりも参拝者は沢山見られました。 テレビの影響は凄いですね。

方広寺のある一帯は、秀吉ゆかりの史跡が沢山あります。                          方広寺と境内を並べるのは、豊臣秀吉を祀る豊国(とよくに)神社。別名「ほうこくさん」。                                      伏見城の遺構を移した立派な唐門と、遺宝を守る宝物殿。

                                                   太閤さんにちなんで絵馬はひょうたんの形をしており、鈴なりにぶら下げられた絵馬は、まさに千なりびょうたんといったところ。

一般に大仏と聞けば、まず思い浮かぶのは、奈良にある東大寺の大仏だと思います。                                        奈良の大仏は、世界最大級の木造建造物として国宝にも指定されている金堂(大仏殿)に鎮座する本尊の廬舎那仏坐像で、像高は 14.98mもあります。 

ところが、京都にはかつて奈良の大仏をしのぐ巨大な大仏が存在していた。           それが方広寺の大仏であります。

                                               天正13年(1585)、関白に就任した豊臣秀吉は翌14年、奈良東大寺にならって大仏の造立を発願し、東山東福寺の近傍でその工事を始めました。              がほどなくこの工事は中止され、六波羅のこの地に寺地を変更して再開、文禄4年(1595)に大仏殿がほぼ完成すると、高さ 18mの木製金漆塗の大仏坐像が安置されました。

                                                       ところが翌年の大地震で大仏が大破し、慶長3年(1598)には秀吉もこの世を去ってしまいます。                                  その後、子である秀頼が金銅に変えて大仏の復興を行い、途中 鋳造中の大仏から出火して大仏殿もろとも炎上するという困難を乗り越え、慶長17年(1612)に大仏を事実上完成させました。                                   しかしその後 鋳造された梵鐘の銘文《国 君臣豊楽》が徳川家を呪詛(じゅそ)するものであるとして徳川家康が異議を唱え、大坂の陣が起こり、豊臣氏が滅亡してしまったことは歴史上大変に有名であります。

現在は大仏も大仏殿もなく大寺の面影はないが、国の重要文化財に指定された因縁の梵鐘は存在しています。

その後の徳川政権下でも大仏殿は維持され、寛政10年(1798)に落雷で炎上するまで「京の大仏つぁん」として都の人々に親しまれました。

巨大な石塁(国史跡)で囲まれた伽藍は西向きに作られ、規模は南北約 260m、東西約 210mと推定されています。

                                                 大仏殿は回廊で囲まれ、西側正面に仁王門、三十三間堂に向かう南側には南門が開いていたようです。                                                                                                                      仁王門跡から西へのびる道が正面通りと呼ばれることも方広寺に由来しています。            正面通りはとても広く、交通量が少ないので沢山のタクシーが、お客さんを待っています。                                                                                                                                        また、西側の十字路を右折すると「京都大仏前郵便局」と大仏の名をとどめております。

なお、方広寺の名称は、東大寺の重要な法会(ほうえ)である方広寺(ほごえ)にちなむと言われています。

現在の大仏殿跡緑地 は 2000年に遺構の状態を確認するための部分的な発掘調査が実施されました。                                    調査の結果、大仏殿の正確な位置が判明し、その規模も南北約 90m、東西約 55mという、現在の東大寺大仏殿をしのぐ壮大さであったことが、改めて確認されました。

三十三間堂前の七条通りと大和大路通りの角には京都府東山警察署「大仏前交番」があります。

 

 


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🐾 白神山地散策 🐾

2016年10月11日 | 世界遺産

東北新幹線を利用して青森県の山を歩いて来ました。                                   東京駅発 7時36分のはやぶさ 3号に乗車、ほぼ 3時間半の 11時に新青森駅に到着。  車人間の私には、速過ぎてビックリです。

新幹線は 2階のホームへ滑りこみ、1階の改札へ向かっていたら、下で何やら お祭りでもあるかのように賑やかな 笛や太鼓 の音が聞こえた。                                         新幹線が到着すると歓迎のお出迎えであります。

幼稚園生、小中高の皆さんに駅長さんも混じって絵葉書や抗菌・防虫・消臭効果のあるという青森県産の「青森ひば」袋詰めを到着されたお客様に配布されていました。  ちょっとオリンピックメダル獲得選手の凱旋風景が感じられました。                           こんなにして頂けると、とても嬉しいですね。

新青森駅を出ると小雨がパラついていた。                                     これからは青森県内を車移動で巡り、まず遠方の白神山地の深浦エリアに向かいました。                                      北海道のような延々と真っ直ぐな道路を快適に走り、車窓からは赤い大きな実をたわわに付けた林檎畑を横目に「美味しそう」・「落ちてるのもったいないね 」などと賑やかな声が飛び交っていた。

五能線と並行して走ってきた国道 101号線から深浦町の JR十二湖駅より県道 280号線に入り、奥十二湖の森の物産館「キョロロ」に 15時半到着。                                                途中では晴れ間も見えましたが、ここは雨。

15時35分、傘を持ちブナ林の中に点在する十二湖への散策に出発。

ブナ林の中に 33の湖沼が点在し、森の澄んだ空気と美しい景色が広がる十二湖。

                                                     「さあ登山だ。」と気負うことなく気軽に歩けるコースです。              一度見たら忘れられないほどの鮮やかなコバルトブルーの透き通った青池は、訪れる季節や時間によって少しずつ表情が異なり、趣の深い池であります。

この日は雨でしたが、晴れた日の青池を見たことがあるので今日は残念でした。でもコバルトブルーに見えるだろうという雰囲気は判りました。

白神山地とは、青森県と秋田県にまたがる広大な山地の総称。 原生的なブナ林が広がる世界最大級の森。

美しい四季の中で多種多様な植物が織りなす生態系が世界的に認められた場所。

                                                    色々な命が棲みつづける場所。「ようやく、来たか そんなふうに、太古の自然からのささやきが不思議と聞こえてきそうな場所。

                                                宮崎 駿監督の映画「もののけ姫」の舞台のモデルともなった場所。

 

 


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◎わさお君のお住まい訪問◎

2016年10月11日 | 

愛犬家の方々の中では知らない人はいないと思われる、青森県・鯵ヶ沢町の有名な「わさお」君に会って来ました。

                                                      人気者のわさお君は 2010年に鯵ヶ沢町の特別観光大使に、翌年には日本ユネスコ協会連盟の「世界遺産活動特別大使犬(ワンバサダー)」に任命され、更には映画「わさお」で主演を務めたそうです。                                                                                    左側が「わさお」君、 右側がお嫁さんの「つばき」さん

わさお君はブサかわの秋田犬、どっしりとした風格に優しい犬という雰囲気が寝顔から感じられました。                                                                                                                                                     もとは迷い犬だったそうですが、きくや商店のお母さん(節子さん)に拾われ現在にいたっているとのことです。

そのお母さんのお店「きくや商店」は焼きイカ屋さんで、私たちが訪問した時もイカ焼きの最中で店内は美味しそうなイカの香りが漂っていました。                  また、店内所狭しとわさお君の写真やわさお君関連グッズに、きくや商店さんを訪れた著名人のサインが沢山見られました。

わさお君にはお嫁さんも娘さんもいました。                          そのお嫁さんは 2014年にテレビ番組の「天才!志村どうぶつ園」の企画でお嫁さん探しが行われ現在に至っているようです。                           お嫁さんはわさお君と同じ秋田犬、名前は「つばき」ちゃんです。                                      秋田美人(犬)のお嫁さんをめとり、わさお君の寝顔はとても幸せそうでした。

きくや商店さんの裏は日本海が広がり、カモメが羽を休めていました。

また道路を挟んで前側には、のどかなローカル線「五能線」が走っていました。

紺碧の日本海、自然の中をゆったり、ノンビリ走る五能線。                                 クルージング トレイン。

『わさお』くん大往生     2020(令和 2)年6月8日                            不細工でもかわいい「ブサかわ犬」として人気を集めた青森県鰺ヶ沢町の秋田犬「わさお」君が、8日午後5時54分、多臓器不全で亡くなりました。                             推定13歳だったようです。人間にたとえると90歳以上だそうです。                        テレビ番組の「志村どうぶつ園」園長「志村けん」さんも「わさお」君に会っています。                                                                                                                    その志村けんさんも今年(2020)の3月に新型コロナにより、お亡くなりになられ、わさお君が後を追ったようです。                                                   秋田犬の長毛種で、ふさふさの毛がトレードマーク。                  2007年、イカ焼き店を営む故菊谷節子さんに引き取られ、目や口がぎゅっと顔の真ん中に寄った愛くるしい表情で多くの人に愛されました。                (※菊谷節子さんは2017年に73歳で他界されたとの事です。)                   ご冥福を、お祈り致します。


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