素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲青笹山登山▲

2015年12月23日 | 私の見た山・登った山

久し振りに静岡県の山を歩いてみた。                              静岡はお茶はもちろんミカンやメロンなど、沢山の野菜や果物の産地であります。

今回は新東名高速道路の新静岡ICを9時に降り、安部川沿いに県道27号線から29号線へと進み真富士の里を過ぎて、10分も走ると大きな有東木うとうぎ)入口の看板が目に入り、少し細めの道を右手に2kmほど登って行き、大きなカーブの急坂を登ると有東木集落が見えてくる。

集落の入口には地元の方々が運営している、特産品の販売兼食堂「うつろぎ」があった。傾斜地であるが駐車場もあったので登山準備の休憩をした。                 その駐車場の前には大きな石に「わさび栽培発祥の地」と表示されていた。

伊豆でもわさびは有名だが、どうもこちらの有東木から移植されたようである。   集落の中を流れる急流の沢筋には雛壇状にワサビ畑がたくさん見られた。

売店「うつろぎ」から更に先へ進み、葵高原を10時通過。 本来はここに車を止め周回コースを歩くのだが、

                                                   午後から雨模様の予報であり地蔵峠登山口まで車で移動した。10時10分着。

皆さんを降ろしてから、私は車で先ほどの葵高原まで下り、広い路肩に車を止め葵高原から青笹山を目指した、10時半出発。

                                               小雨が来たので傘をさした。                                  わさび畑に向かう林道を登り20分ほど歩くと林道と別れ、わさび畑を横切り

                                                      細島峠と無名の峠分岐点にアミがカーテンの様に行く手をさえぎっており開けて通過、10時52分。 動物除けなのだろうか

その先も狭い沢なのに、結構上部にまでワサビ畑が作られていた。         作業用の小屋もあり、栽培発祥の地と謳っている石碑にも納得した。        登山道は結構斜度がきつく、雑木林の中の全ての岩が綺麗に苔むしていた。

また、昔は炭焼きをしていたのか窯の様に組まれた岩も苔むしていた、11時13分通過。

薄暗い杉林の中で「風穴」と書かれた表示板を発見。 コースから外れていたが寄ってみた。

                                                   表示板を見て岩穴から冷たい風でも出ているのかと思っていたら、城跡の様に幾重にも石垣が見えただけであった。11時25分。

相変わらず登山道の斜度はきついが、意外と足が軽く無名の峠で皆さんと合流しなくてはいけないので、歩き出すと多少早歩きとなり、汗をかかないように歩こうと思いながらも 、汗があふれ出た。

                                                                                                                          杉林の中の薄暗い尾根らしい感じの所に出たが、何の表示もなく11時40分通過。 小雨が降り出し傘を出す、5分ほど進んだら雑木林の中の岩と木の根が張り出した急な狭い登山道となり登るのが辛かった。

ロープがあり滑りそうな道を越えたら、ようやく無名の峠に出た、12時。

                                                                                                                                          皆さんが通過したら棒を立てて置くと約束したが無かったので、皆さんと合流すべく地蔵峠方向に下った。                                   10分ほどで合流でき、皆さんと共に再び戻り、青笹山を目指した。                                             ガスが出ており景色は見えず、足元を見て歩いていたら白いものが飛び跳ねておりカサカサと音も聞こえ、アレ~ッとよく見たら1~2ミリの雹であった。     下界では判らない山の天気です。

再び無名の峠を12時20分通過。山頂に向かう木立の下で短時間の昼食を取った。                 峠から、ひと登りで両脇に青笹が茂る緩やかな尾根に出た。

                                                     ガスで見えなかったが下り出した先に山頂があった。                  笹の中から抜け出すと広い草原の青笹山山頂に出た。12時50分登頂。

本来なら展望も良いようだが、今日は白いカーテンに包まれた中の山頂で、体が冷えない短時間の休憩で山頂を後にした。13時。

で濡れた登山道、岩も木の根も土も全てが滑り易く、落ち着いて慎重に下って頂けるよう声を掛けた。 無名の峠通過、13時20分。                      ここから自分が登って来た道を下るのだが、結構きつい下りで良く登って来たと自分ながら感心した。

ワサビ畑・細島峠分岐通過、14時20分。

車を止めた葵高原に全員無事下山、14時37分。雨の中の登山も風情がありますね。 お疲れ様でした。

帰りに有東木集落で地元の方々が営む売店「うつろぎ」に寄り、わさび栽培発祥の地に来たので皆さんで「ワサビめし」を賞味して来た。                                新鮮と言うか強烈な刺激に目が覚め、涙をふきふき食べた。             ご飯とワサビは別々になっていたのだが、本場の新鮮なワサビだからと思い全部入れてしまったのが失敗だった。                           でも後で思うと「ワサビめし」なので、あの強烈な刺激も味の一部と思った。           是非、お試しあれ    

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲甲相国境・三国山から山伏峠へ▲

2015年12月19日 | 丹沢山塊

静岡・山梨・神奈川の県境にある稜線を歩いてみた。                                                    計画では明神峠から歩く予定であったが、道路状況が良かったのでバスが三国山東登山口まで上がってくれた。     登山口着9時半。

天気は最高であり、少し明神峠よりの高台に上がり、

                                                   南側の小山町と金時山・箱根方面や  

                                               沼津市街から伊豆半島それに愛鷹山も望むことができた。  手前は富士スピードウェイです。

東登山口を9時37分出発。                            背中で日差しを受け、自分の影を眺めながらの陽だまりハイクである。                                                   山頂付近ではブナの巨木を見ることができた。                     この時期は枯れ木状態なので見上げれば真っ青な空が見え、澄んだ空気を思いっきり深呼吸である

一気に山頂まで登り、この程度は皆さんルンルンで快調な歩調である。           三国山(1325m)着10時25分。 山頂はブナ交じりの雑木林の中で眺望なし。

                                                         歩き出すと体が熱くなってくるが、それ以上に外気温の冷たさや尾根線に出ると風も感じ、休んでいるよりも歩いていた方が快適で10分の休憩で三国峠に下った。

北斜面に入ると雪も残り、霜柱も大きい。                            日差しがあるだけ、先日の荒船山の時より寒さを強く感じることは無かった。

                                                三国峠で車道を横断し、次の目的地「鉄砲木の頭」の尾根に取り付く。

今までの三国山とは印象が変わり、背丈以上もあるススキの茂る山である。      お~い

                                                     左手後方に目をやれば見事な富士と山中湖を望むことができ、皆さんからも歓声が飛び交っていた。

鉄砲木の頭(1291m)別名「明神山」とも呼ばれているようです。          到着、11時15分。

                                                       立派な祠がある広い山頂で、富士山と山中湖が一望できる絶景の場所であります。 

                                                    風の当たらないススキの中で昼食とし、その間、甲斐駒や南アルプスの眺望を楽しんだ。 11時53分出発。

日差しのある雑木林の中のコースを、アップダウンを繰り返しながら切通峠に向かう。 

                                                     この尾根は東海自然歩道であり平野から登れるコースがいくつか見られた。              切通峠通過、12時37分。

 

雑木林のコースと思いきや、この付近一帯は「アブラチャン」の純木が群生していた。低山の明るい林内に生える、高さ5mになる落葉樹。(クスノキ科)                  雌雄異株で葉の出る前に黄色花を球状に付けるようです。                根元から細い幹が多数株立ちしますので、判りやすいです。                                  

高指山(1174m)着、13時10分。5分の立ち休憩。                  富士がだんだん遠くなる感じ。 道は変化に乏しく長く感じてきた。

富士岬平通過、13時32分。 ここが富士山の見える最後の地点であった。    この先、山伏峠分岐までは名もない小さなピークをいくつか越えるアップダウンが延々と続き14時20分、山伏峠分岐に到着。 5分の立ち休憩をとった。

                                                山伏峠からの下りは北斜面であり滑るほどではないが雪が残っていた 

山伏トンネル通過、14時45分。 トンネルの先でバスが待機していた。     皆さん、お疲れ様でした。

帰りの途中、花の都公園にに寄り「ダイヤモンド富士」を観賞してきました。

                                                        山中湖の周りには沢山の観賞ポイントがあり、カメラマンがアチコチで三脚を据えて待機しているのに驚きました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎師走の鎌倉、ロマンの洋館巡り◎

2015年12月16日 | 鎌倉カメラスケッチ

鎌倉と聞くと寺社仏閣巡りを思い起こされますが、今回は800年の時を刻んだ鎌倉、そこに残された上流社会の人々がハイカラな建築の別荘を建て始めた頃の大正ロマンを覗いてきました。

明治22年に横須賀線が開通したこともあり、東京で財を成した人々が休息の地(避暑・保養等)として鎌倉に殺到したとのことです。                そこで建築ラッシュが起こり近代化した洋風建築が目立つようになりました。

その頃の鎌倉は、洋風スタイルの紳士淑女が海辺を散策したり、テニスラケットを抱えた若者たちが街角で談笑したりと、古都の景観に新たな表情が加わったようです。しかし、大正12年(1923)の関東大震災により時代の波は消え、現在残る洋館は僅かのようです。

                                        車時代に合わせて設計された町ではないので、町並みは個性的でありますが平坦ではありません。                                    行き着く先の見えない路地があり、懐深い谷戸道があります。                 その歴史の町を今回《逗子ボランタリーガイド倶楽部》の皆さんに案内して頂きました。

10時10分に鎌倉駅西口を出発し、鎌倉市立御成(おなり)小学校向かいました。            昭和8年に明治天皇の御用邸跡地に建てられたことから御成尋常高等小学校という学校名になったとのことです。                             正門の門標は旧校門に掲げられていた高浜虚子の書を引き伸ばして彫ったものだそうです。

                       また、大きな宝形屋根に2つの塔屋をもつ特異な和風デザインの講堂は当時の幅広い識者の知見と鎌倉の施工業者の主力が起用された建物です。

10時40分、市指定景観重要建築物「旧安保小児科医院」                         御成通りに建つこの建物は震災前からのものであり90年以上を経た、鎌倉市の保存指定文化財であります。                                中世紀末のヨーロッパや近世初頭のイギリスではやり、白亜で清潔感あふれ病院にぴったりです。                                    緑の三角屋根をT字型に組んだ構えも力強く、梁や貫の骨組みが壁に露出してアクセントを添えています。

10時50分、旧横浜興銀由比ヶ浜出張所                                    六地蔵の三叉路で唯一時代を感じさせる建物です。                 規模は鉄筋二階建てで間口一間の小さなものですが入口に半円の破風などがあって壁面も凹型を連想させた歯形装飾が飾られていました。

11時、市指定景観重要建築物「寸松堂」(すんしょうどう)                                  笹目のバス停前に建つ鎌倉彫の老舗〈寸松堂〉です。                一階全面は明治時代に流行ったハイカラな店構えで入口はガラスの大戸とショ-ウィンドウが並び、いかにも老舗といった雰囲気です。                   店内はタイル敷きのフロアにガラスケースが並んでいます。             二階は重厚な和風建築、城を思わせる構えであります。銅板屋根を三層に重ね、各層には漆喰塗りの武者窓が並んでいます。                             屋上にそびえる相輪は寺院風で色々な面を見せてくれる建物でした。

11時05分、市指定景観重要建築物「かいひん荘」                             大正13年(1924)に個人住宅として建てられましたが、戦後増改築してホテルとなりました。                                      戦前の洋館住宅は、玄関脇に応接間や書斎を配置するのが一般的でしたが、二階建て二室に洋館を設け、それが独立棟のように見え、市の洋風保存建築物の指定を受けたのがこの部分でした。

                                        洋館の外見は一階がタイル煉瓦張り、二階は白壁、二か所に張り出しで窓が付いています。                                         張り出しで窓の一つは半円形、もう一つは半六角形と外観は変化に富んでいます。

11時15分、市指定景観重要建築物「鎌倉文学館」                            明治23年(1980)加賀百万石の大名前田家が別荘とした場所で当初は和風茅葺の建物でしたが、昭和11年(1936)に洋風に建て替えられました。                 一階は鉄筋コンクリート、三階は塩害に強いチーク材を用いた木造瓦葺切妻屋根に半六角形の張り出し出窓をあしらって変化に富んだ外観を見せています。         昭和58年(1983)十七代当主前田利建氏から三万平米の敷地と共に鎌倉市に寄贈され文学館となりました。 当日は休館日で入れず、残念。

11時半、市指定景観重要建築物「長谷子ども会館」                           明治45年(1912)に建てられたもので、大正10年(1921)山林王と呼ばれた諸戸清六氏の長男清太郎氏の所有となりました。                            バルコニーのある二階建ての木造建築は淡い緑のペンキ塗り、屋根に天然スレートを敷き玄関ドアの額縁や窓枠も手のこんだ装飾をつけて華やかです。              玄関ポーチに立つ柱頭に渦巻き飾りをつけたイオニア式円柱がギリシャ神殿を思わせます。

11時40分、「加賀谷邸」                                           典型的な洋館住宅で、急勾配の三角屋根に薄緑のペンキを塗った下見坂の壁、よろい戸付きの上げ下げ窓もハイカラです。

12時10分、市指定景観重要建築物「ハリス記念鎌倉幼稚園」「日本基督教団鎌倉教会」                                            幼稚園の建物は教会が縦の建物に対し横の感じで、形は二階建て八角形、梅鉢型園舎と呼ばれ中央に広い遊戯室があり、その回りを教室が八方向に囲んでいるとのことです。  平日にて外から見学のみ。

教会は古代ローマ建築に似たゴジック調の塔があり、大正15年(1926)に建てられ緑色の屋根とベージュ色の壁が綺麗に見えました。

                                                 訪問当日わざわざ礼拝堂を解放して下さり、主祭壇上部にあるステンドグラス「十字架と葡萄の葉」を見ることができ、とても感激しました。                  これはステンドグラス工芸家『小川 三知』氏の作品とのことです。

大町会館で昼食を済ませ、午後のコースに向かいました。                              13時40分、比企が谷幼稚園                                        日蓮宗「妙本寺」門前にある旧塔大円坊の古風な八角堂が現在幼稚園であります。   大町一丁目付近は興味を引く洋館の多い地区だそうです。

14時05分、市指定景観重要建築物「聖ミカエル教会堂」                         昭和8年(1933)に建造され、保存洋館の指定を受けた建物です。            一部は増改築されていますが、聖堂部は当時のままで見事な技巧の天井(アーチを基にした石造りや煉瓦またはコンクリート造りの曲面天井)家具・照明器具などが創建当時のまま残されているそうです。

14時15分、市指定景観重要建築物「三河屋本店」                            大正12年(1923)の関東大震災で倒壊した建物に代えて、昭和2年(1927)に建て替えられました。                                   明治33年(1900)以来この場所で酒屋を営んでいた竹内福蔵氏によるもので間口5間(9m)、奥行8間(15m)の二階建ての大規模な出桁造りで鎌倉全体の戦前商店建築を代表する建物です。

母屋の後方に蔵と平屋があり、母屋の北側からこの蔵の南口へとトロッコのレールが東西に30mほど敷かれており現在も使用されているそうです。

14時25分、市指定景観重要建築物「川合邸」                               大正11年(1922)に建てられた本格的洋館。                       車の多い県道沿いであり、歩いていても中々気づきません。              また土塁や屋敷林に囲まれ、門扉越しに玄関ポーチが見える程度でした。        ベイウィンドー、暖炉の煙突、ステンドグラスなど、典型的な戦前の洋館の意匠を保つ建物は、内部に残された棟札や煉瓦造りの基礎からも確認され、関東大震災前に建てられた大変希少な存在とのことです。

14時半、市指定景観重要建築物「石島邸」                                    この建物は映画界に多大な貢献をされた川喜多長政・かしこ夫妻の別邸として使用されたこともある建物です。

                                            外観は玄関ポーチが特徴的で、半円アーチ型の開口部の腰部に手摺子が設けられ、クラッシックな雰囲気を醸し出しています。                            戦前住宅の雰囲気を伝える門垣、広い敷地に点在する大樹、これに見え隠れする建物が鎌倉らしい小路の風景にとけ込んでいます。

15時、古我邸                                          この地はもともと曹洞宗興禅寺(江戸末期に廃寺)の跡地で背後の山も含めると三千坪に及ぶ扇ヶ谷の一つの谷戸全体を敷地とするまれにみる大規模別荘であります。                      大正4年(1915)に三菱財閥の総師岩崎小弥太に売却、翌年重役の荘清次郎がこれを購入し新たに建てたもので、震災にも倒壊することもなく、昭和初期には浜口雄幸や近衛文麿など歴代の総理大臣も別荘に利用され、その後日本で初めてのレーサーである古我氏が購入されたものだそうです。

                                               建物は一国の総裁が住むに相応しい木造二階建てで中央に暖炉の煙突が塔屋風に立ち、両側に半六角形と三角形の出窓の屋根が並びます。                  強烈な印象は外壁が焦げ茶スレートのこけら葺きであることで中世のヨーロッパの教会を思わせる建物で、窓枠の白が重過ぎる印象を軽くしているようです。

 

『逗子ボランタリーガイド倶楽部』の佐野様、三春様、色々ありがとうございました。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲荒船山登山▲

2015年12月06日 | 日本二百名山

長野県佐久市のコスモス街道(R254)を走り群馬県に抜け、ネギやコンニャクで有名な下仁田町へ行った時に、凄い山容の岩山を見かけました。                                                                           山好きの私には、とても気になりましたが遠方からの眺めが切り立つ断崖の山容で諦めていました。                                                                         ところが12月の山行計画に含まれており、「エッあの山に?」と思いましたが皆さんと共に歩いて来ました。

山名は『荒船山(あらふねやま)【1423m】

妙義・荒船・佐久高原国定公園の中心的存在。                                                                 先日の瑞牆山のような岩山、切り立つ断崖にハードな登山道を思わせるが、道はとても良く整備され、案内板も頻繁に立っているので安心して登ることができる。

東名~圏央~関越~上信越と走り、9時37分に下仁田ICを出てR254を進み内山トンネル手前から旧道を登り、10時35分 内山峠に到着。                                         途中、道の駅で準備は済ませておいたので、10時45分出発。

 駐車場の奥に設置された案内板の前から整備された登山道が始まる。 

                                                                               落葉樹が多い山なので、この時期は枯れ木の山と言った感じでした。 10分ほど歩くと正面に艫岩(ともいわ)の絶壁が見える。

                                                                          (とも)とは船の後ろを言い、山容から見て船尾の方から登り、山頂の経塚山へ向かいます。                                                                                                                                        それに荒船山とは全体の山容で呼ばれているようですが、現実の山頂は「経塚山」であります。

今迄、私が感じていたように余りの絶壁な岩肌を目の当たりにすると、本当に登れるのかという気持ちになりますが、ほんの一部に岩場と急な階段があるだけで慎重に登れば、他はとても歩き易い道が続きます。

凍結した滝前の広場に11時40分着。                                                                              小休止をしたが、細い滝も全面凍結しており寒く長居はできなかった。

しばらく細い登山道のアップダウンを繰り返し、水の補給ができる「一杯水」に到着、12時04分。                                                                                                               冷え込みが強く 立ち休憩のみで出発。

「一杯水」から右手に回り込むように進むと、岩場の急登が見えた。          短い岩場であり、足場を良く確認しながら声を掛け合い、皆さん慎重に通過。長い急斜面の木製ハシゴも難なく通過。

丈の低い笹が一面に広がり尾根に出た。                        尾根と言うより熊笹(ミヤコザサ)が茂る台地と言った感じである。

                                                                             登って来た逆側には雪を被った浅間山の雄姿が望め、手前には神津牧場も見えた。

更に10分ほど台地を行くと艫岩の見晴台に着く、12時29分。                手すりは無く、細心の注意をもって覗き込む、眺めは最高です。皆さん、落ちない様に 

 

ただ、雲の多い天気となったことが残念であった。

 

展望台近くには避難小屋があり、そこからも眺望を楽しむことができ、方位盤に360度の山名も表示され、最高の場所であった。                     避難小屋にはトイレが有ったが、この時期と言うか冬場は閉鎖となっていた。

                                                                                                     小屋の温度計は0度であり、風が強かったので、体感温度は更に低かった。     耳は痛く、指先の感覚がなくなって来た。

                                                                     避難小屋にて昼食としたが、余りの寒さなので短時間で済ませ、山頂の「経塚山」に向かった、13時05分。

遠方から見ると岩峰の山なのに、広葉樹の山頂台地は高原を歩くような緩やかな登山道。

                                                                                  ただ山頂手前に急登が待ち構え頑張って15分、荒船山(経塚山)山頂に立つ、13時45分。

                                                                           木々に囲まれ眺望は良くないが、今日は冷え込みが強く枯れ木に霧氷が見られたことがラッキーであった。

                                                                                余りの寒さで13時54分 下山開始。

下りは風下側の斜面となったので、知らぬ間に寒さを忘れ、皆さんのおしゃべりが始まった。  枯葉をカサカサと踏み晩秋の感じでした。

荒船不動尊着、15時。

後30分は歩く予定でいたが、バスが不動尊の駐車場まで入って待機していて下さったので、早めに山を下りることができました。                    15時10分には全員無事バスに乗車でき、下仁田ICに16時40分に入り帰途につきました。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする