素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

◎ 銚子ジオパーク ◎

2016年03月31日 | ジオパーク

最近、地震や火山噴火などによる天災が国内に限らず、地球上で発生しています。                                            地球の表面には、厚さ約100Kmの岩の板(プレート)、十数枚で覆われており、年間に数cmずつ移動しています。

貴重な地質や地形遺産を保全し、千葉県で初めて認定された銚子ジオパークに行って来ました。                                                     この地球の丸く見える丘展望館(愛宕山)は恐竜のいた約1億五千万年前にできた岩石の上にあり、犬岩や千騎ヶ岩(せんがいわ)も同じ岩石で形成されているようです。

                                                      この周辺では銚子だけに1億年以上前の古い時代の地層が顔を出していることは、局所的に隆起したためと考えられています。

この隆起のおかげで、三方を水域に囲まれた半島地形が形成されたとのことです。          そのため銚子沖の海は、北から流れてくる親潮と南から流れてくる黒潮がぶつかる所で大量にプランクトンが発生し、それを餌とするイワシなどの小魚、更に小魚を食べるサバ、カツオなど漁獲量が高いようです。

利根川河口は内部の川幅が広く、河口付近の形状が極端に狭くなっているところが、酒器の銚子の口元に似ているということで《銚子》という地名になったと言われています。

                         

江戸時代後期の測量家伊能忠敬も高台から見ると360度のうち、330度が水平線という見通しの良い、ここ銚子に滞在し自身の測量の正確さを確認されました。

伊能忠敬測量隊は、享和元年(1801)7月18日から9日間、太平洋に突き出た東端の地で富士山・筑波山・日光の山々が目視できる場所からの富士山の方位測定は測量の正確さを知るうえで重要でした。

7月26日の測量日記に「晴天、此早朝日出に犬若岬に於て(中略)富士山を測り得たり其の悦知るへし(下略)」と記し、此の地で測量の精度を確認し自信を深めました。

伊能測量隊の方位角:申十九分二五秒(259度25分相当)                              現在の方位角:(259度36分32秒)、富士山までの距離196Km

                         

犬吠埼のある東側の海岸は、1億三千万年前から1億一千万年前の恐竜がいた頃に、海にたまった砂や泥が堆積してできた地層を見ることができます。 

そのため犬吠埼は貴重な地質なので、国の天然記念物に指定されています。

                                                   銚子というか日本列島が約2500万年前から1500万年前にかけて、大陸(中国)の端が徐々に離れて、日本列島と日本海が誕生し、はるか南にあった銚子の大地は、逆くの字型になり数千キロ北に移動したとのことです。

展望館から見えた、銚子半島の南側に延々と続く約10Kmの断崖は屏風ヶ浦と言います。

                                                   約300百年前に海の中で降り積もった堆積物が何層にも重なって隆起し、綺麗な縞模様を見せてくれています。

屏風のような断崖は激しい波浪の作用で台地が削られてでき、綺麗な縞模様の地層となっているので、断層もはっきり確認できます。                                                                                                                                         現在は、波による浸食を受けないよう堤防が作られています。

 


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▲ 表参道より宿坊「敬慎院」へ ▲

2016年03月22日 | 古寺巡礼

以前に山仲間の方より、「七面山の敬慎院遥拝場からの富士山は素晴らしい」と聞いてはいましたが、中々行く機会がなく、今年の春分の日を迎えたお彼岸にやっと登拝することができました。                                   国道52号線の上沢交差点より地方道37号線を早川沿いに進み、角瀬地区から赤沢宿を経由し一番奥の羽衣地区まで入りました。

ここが法華経信仰の聖地七面山への表参道入口になります。                       当グループも女性の方が多いので、登山口近くにある白糸の滝で女人禁制を解くために7日間身を清めた、徳川家康の側室であるお萬の方を詣でました。

                                                      法華経の熱心な信徒で、法華経の女人成仏(古来より地位が低く見られてきた女性も仏になれると説いた教え)が説かれる法華経を守護する七面山への登詣を強く願い、女性として初めて登頂を果たされました。

羽衣登山口出発、10時20分。

七面山への登詣は、険しい山坂を越えて行くもので大変な苦行を伴いますが、その道程が修行の道であり、祈りの道です。                                麓から山頂に行くには、表参道と裏参道のいずれかを利用しなければ登って行くことはできないようです。

道中では本格的な信者の方々と沢山 出会いました。

13丁目の肝心坊着、11時25分。

                                               昼食とし30分の休憩。

17丁目通過、12時02分。

23丁目 中適坊着、12時25分。 5分休憩。

                                                休憩所は大きく、信仰の山であることが実感できます。                        千社札の多いのに驚いた中、力士名や芸能人の方の名前も見られました。

31丁目通過、13時13分。

36丁目 晴雲坊着、13時30分。 15分休憩。

                                                   周りは雪でしんしんと冷え込んだ中、優しい顔をした愚痴聞き地蔵様が待っていて下さいました。

39丁目通過、13時55分。 この丁目石は江戸時代のものだそうです。

46丁目の和光門通過、14時30分。

                                               ここから石燈籠の並んだ急坂の参道を登り、富士山の遥拝場広場に出た。

 

49丁目 随身門着、14時40分。 富士山は見えず、

                                                  随身門を通り急階段の下に見える七面山本社に向かった。

50丁目 敬慎院に到着、14時50分。 

                                                      沢山の僧侶さんがお出迎えして下さり、非常に恐縮しました。

                                               直ぐに部屋に案内され、綺麗な部屋で大きなストーブがたかれ、皆さんでストーブを囲み暖を取りました。

17時半頃から、青空が見え出し明日の御来光が拝めそうで嬉しかった。          体もだいぶ温まり、防寒対策を万全にして夕陽の富士を見に、急な階段を登り遥拝場に立った。

赤富士を想像していたが、ピンクで終わってしまった。

                                                   日によっては見られない人も居るのだから、そんな贅沢は言えない。

 

 


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▲ 山岳信仰の七面山 ▲

2016年03月22日 | 古寺巡礼

昨日は七面山の麓、羽衣地区から表参道を登詣し、一夜を宿坊「敬慎院」にお世話になりました。

                                               その敬慎院には名物というのか 院らしいというのか とても長い敷布団があり、宿泊者はその布団に並んで寝ます。                              宿坊の方が5時半に片付けにくると、長い布団をロール状に丸めて収納するのです。   多くの参詣者を待たせることなく、休んで頂くための工夫から生まれた布団とのことであります。                                          長い布団が敷かれた大広間なので修学旅行を思い出し、枕投げをやりたい気分でしたが信仰の山であり、宿坊というところでもあり、控えました。

布団には湯たんぽが用意されていましたが、山上の宿であり持参した衣類は全て着用したが寒かった。

宿坊では1日の予定が時間ごとに表示され、6時半より朝のお勤めがあり本堂に御参集下さいとありましたが、僧侶さんのご配慮により「お彼岸の御来光であり、そちらを優先して頂いて結構です。」とのお言葉を頂き、5時55分随身門への石段を登り御来光遥拝場へ向かいました。

七面山本社は東向きに富士山に向かって建てられており、七面造りといわれる独特の様式で、周囲を圧するような堂々とした建物であります。

春分の日を迎え、長く続いた冬もようやく力を弱め動きやすくなりました。    摩尼珠の峰「七面山」でも日増しに早くなる御来光の時間に春の訪れを感じ、年間でも特別な信仰の日となっております。

お彼岸の中日の御来光は、千葉一ノ宮「玉前神社」より出でて、霊峰富士山頂より随身門を通り本殿までに至ります。                                     そのお姿は「ダイヤモンド富士」とも呼ばれ、琵琶湖さらには出雲大社を照らしながら通り、遍くその御威光を届けて下さるのです。

このように特別な場所(聖地)が一直線に並ぶ現象はレイラインと呼ばれ、貴重なパワースポットとして崇められています。

私たちは混雑を避け22日の参拝であり、2日の違いで富士山頂からの御来光は微妙に左側寄りとなっていました。                                   たった2日で山頂から大分ズレてしまうのに驚きました。 

                                                 でも中日は曇天で御来光は拝めなかったようで、それを思えば最高な御来光が拝めました。

中日が好天であれば、僧侶の方々も普段より お勤めを早く済ませ、御信徒や登拝者と共に遥拝場に立ち、大勢の皆様方と共に唱題修行をするとのことです。

春分の日と秋分の日には富士山頂から太陽が昇る。                      その御来光が随身門を通り本殿内の御本尊様の お顔に届く。                      天文学や測量技術の無かった時代に作られたことに驚くばかりです。   

 

 

 


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▲七面山から裏参道を下る▲

2016年03月22日 | 日本二百名山

6時、御来光を拝み、本堂へ差し込む様子も確認でき感動いたしました。                        6時40分宿坊「敬慎院」に戻り、お寺の質素な朝食を頂き、7時10分 沢山の僧侶さんに見送られ七面山(1,989m)に向かいました。

法華経の聖地として名高い七面山は、南アルプスをめぐる山々のひとつで山梨県南巨摩郡にある山岳信仰の対象となった自然の美しい山です。

頂上付近の南東側には、身延山「久遠寺」境内からも見ることのできる大崩崖があり、

                                                     そのことから日蓮大聖人は「なないた(七面)がれのたけ」とも言い表しています。

標高1,700mにある敬慎院から七面山に向けては、ほぼ雪山状態で山頂付近の急登箇所は下部の雪が凍結し非常に滑り易く、安全を期し皆さんにアイゼンを装着して頂いた。

                                                  七面山登頂(8:25~8:40)山頂は広いが木々に囲まれ展望は良くなかったが、上空は雲1つない青空でとても気持ち良かった。

登路を戻り、随身門通過、9時15分。                            再び敬慎院により(9:20~9:30)僧侶の皆さんに挨拶してから下山路である裏参道に進んだ。                                       私達の姿が見えなくなるまで、院の外で見送って下さり恐縮致しました。      大変、お世話になりました。

                                                   一之池は本社正面右側に続く回廊をくぐりますと、高山には珍しい大きな池が見渡せます。                                       その昔、日朗上人が登山して この池のほとりに立ったところ、池に七面大明神が龍の姿で現れたと伝えられています。

下山路に取り付いてから山頂での青空が嘘のように消え去り、ガスの中に入ったうえ雪道のため非常に寒かった。

                                               二の池通過、9時40分。                            一の池に比べると規模は小さくツガやカラマツなどの木々がそびえ立ち、霧草が垂れ下がり薄暗く怖い感じがした。

奥之院到着、9時50分。

                                               鳥居の手前には大きな影(よう)ごう石が鎮座していた。                     しめ縄をはった巨大な石で、この石の所に七面大明神が現れたと伝えられています。

                                                   石の周りを7度 唱題しながら回ると御利益があると言われています。

明浄坊(30丁目)着10時半。 もう営業はしてなく、トイレ休憩のみで通過。             安住坊着11時15分。

                                               ここも営業はしていなかったが、日朗上人のお手植えといわれる大きな栃の木(山梨県指定天然記念物)があり見学を兼ね小休止。

以後も丁目石を数えながらきつい斜度を慎重に下った。 裏参道の最後の赤い鳥居を13時通過。

                                                      ここまで来たら気持ち良い快晴となっていた。

                                                  神通坊の本堂に礼拝し、 全員無事、角瀬地区に下山した。

                                                       1989mの七面山山頂から一気に下ったので、膝が笑い出す人もいたが、七面大明神のお力を頂き、皆さん表参道から裏参道への周回コースを完歩されました。          お疲れ様でした。

 

 


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▲百合山新四国八十八ヵ所巡り▲

2016年03月16日 | 古寺巡礼

JR西日本の「駅から歩くハイキングコース」として紹介され、山頂展望所付近からの眺望が抜群に良いことから人気のコースであり、のんびり散策して来ました。

本来はJR和歌山線打田駅から歩くコースでありましたが、バスが案内板のある百合山(最初ヵ峰)遊歩道入口まで入ってくれたので、そこからテクテク始めました。

四国霊場八十八ヵ所は、弘仁6年(815年)弘法大師が42歳の時に四国に仏道修行の場として、また人々の厄難を取り除く場所として創設されたと言われています。                                江戸時代後半には西国三十三ヵ所、四国八十八ヵ所、伊勢神宮など霊場を参拝する人が増加し、霊場は大変な賑わいとなったようです。

                                                   しかし、これらの巡礼は日数と経費が掛かり、そのうえ危険も伴い並大抵のことではありませんでした。 そこで近くに手軽に参拝できる霊場が数多く作られました。                                   百合山新四国八十八ヵ所もその一つで、安政4年(1857年)に開設されました。    当時は参拝する人も多く、大変賑わっていたようです。

                                               その後、戦乱、戦後の時代を経て、荒廃していた八十八ヵ所を昭和59年に有志数名で現地調査を繰り返し「百合山の自然と遺跡を生かす会」が発足し、その後に札所の整備、遍路道の改修、展望所の設置、植林等を継続し、ここにようやく「歴史の古道」が蘇りました。

この遊歩道は比較的平らな中腹の自然林の中に整備されており、のんびりと散策できるのが良い。

                                                 憩いの広場は、「和歌山の朝日・夕陽100選」に選ばれている景勝地であり、芝が植えられベンチも用意され、眼下に桃山町の桃源郷や紀ノ川の優雅な流れを眺められ見飽きることがない。

憩いの広場からキツイ階段を登ると

                                                 素晴らしい見晴らしの山頂に着く。

                                                  山のアチコチに桜の木が植えられ、3月下旬から4月上旬の最初ガ峰の桜と眼下の桃の花が満開の頃は、この地一帯がピンクに染まり、桃の香りがあふれるようです。

 

 


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⛩ 丹生都比売神社参拝 ⛩

2016年03月09日 | 世界遺産

高野山参詣のため、まず丹生都比売(にうつひめ)神社を参拝いたしました。                       紀ノ川より紀伊山地に入り標高450mの盆地「 天野」に当社が創建されたのは『日本書紀』に「天野の祝」として当社の宮司についての記載があることから、今から1700年以上前のことと伝えられています。

天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞 にうだいみょうじんのりと』によれば、「丹生都比売大神 にうつひめのおおかみ」は「天照大御神 あまてらすおおみかみ」の御妹神さまで「稚日女命 わかひるめのみこと」と申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。

『播磨国風土記』によれば、「神功皇后 じんぐうこうごう」の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、これに感謝して応神天皇が社殿と紀伊山地の北西部一帯の土地を神領として寄進されたとあります。

御祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、『魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。

                                                    丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。                                       全国にある丹生神社は八十八社、丹生都比売大神を祀る神社は百八社、摂末社を入れると百八十社余を数え、当社は、その総本社であります。

今から1200年前「丹生都比売大神」の御子、「高野御子大神 たかのみこのおおかみ」は、真言密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。

                                               弘法大師は丹生都比売大神の御神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。                                 これ以降、古くから日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。  中世には、当社の周囲にも数多くの堂塔が建てられ、明治の神仏分離まで五十六人の神職と僧侶で守られてきました。

高野山参詣には町石道(ちょういしみち)を登り当社に参拝した後、高野山に登ることが習慣であったようです。                                             現在の本殿は、室町時代に復興され、朱塗りに彫刻と彩色を施した壮観なもので、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門と共に重要文化財に指定されています。    なお、平成16年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産に登録されました。

                       (丹生都比売神社パンフレットより)

 

 


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☆ 霊場への参詣道「高野山町石道」☆    

2016年03月09日 | 世界遺産

南海高野線 九度山駅に近い慈尊院の、町石道(ちょういしみち)の起点180町石から卒塔婆石をひとつひとつ数えながら高野山山上までの祈りの道(約23.5km)を歩いて来ました。                                         弘法大師入定以来、高野浄土信仰の広まりと共に人々の参拝が盛んになり、参拝者が巡った高野への道で、主な七つの道が高野七口(高野山町石道有田・龍神道、相ノ浦道、熊野古道小辺路、大峰道、黒河道、高野街道)と呼ばれていました。

その七つの道の中で、九度山の慈尊院から山上西口の大門へ通じる表参道を特に高野山町石道と言い、弘法大師が開山の折は、木造の卒塔婆でしたが、文永2年(1265)遍照光院の覚きょう上人が石造卒塔婆の建立を発願し、弘安8年(1285)20年を費やし完成。                                                                                                                                           当時の石柱150本が現在も残っており、平成16年7月には『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に登録されました。

また、高野山は女人禁制であったため、女性は山内に入れず七口の各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、女人信者は御廟を拝みたいと八葉蓮華の峰々をめぐる女人道を巡ったと言われています。

和歌山県伊都郡かつらぎ町のかつらぎ温泉八風(はっぷう)の湯を8時10分出発。 

                                                慈尊院着8時40分。  門をくぐると丹生官省符神社への長い階段が見え、慈尊院本堂を参拝して、その階段を登る途中右手に町石道の最初の町石180町石がありました。

                                               これが、これから進む町石道の道しるべとして私たちを誘導してくれます。                 高さ3mを超す五輪塔形の石柱が、根本大塔の起点1町石まで逆算に数えて進みます。(1町は約109m)

階段を登り切り正面の丹生官省符神社 を参拝し、右の脇から外の道に出て直ぐの所に179町石があり、エッもう・・・・・ といった感じで、おしゃべりしていると見過ごしてしまいます。                                    175町石を過ぎた頃から前方が開け雨引山が見え気持ちの良い登りで、日差しがあり暑くてTシャツ姿になった。 

                                              170町石(9時21分通過) 辺りまでは傾斜のきつい柿畑の中をドンドン高度を上げて行き、紀ノ川やこれから向かう高野山の山並みが望め、初めて見る景色に感動でした。

                                              168~166町石までは右側が急傾斜で、もうこんなに登ったか?と高度感があり好天に感謝。

                                                     166町石先のコース外に展望台があったが、一番後ろを歩いていたので通過。                   平坦になり、少し道の広くなった銭壺石(9時55分着)のある所に到着、小休止。

                                                  137町石通過、10時45分。 この辺りは軽い登り下りの繰り返しであった。

                                               六本杉峠到着、10時50分~10時55分。 昔は見事な杉並木があった場所のようです。

                                                    124町石(古峠)通過、11時15分。 平坦で歩き易い道であった。              疲れたら上古沢駅に下れる。

                                                      二ッ鳥居到着、11時20分~11時25分。                      展望台で一休み、丹生都比売神社のある天野の里が一望できる。            石の鳥居が2つ並んだ珍しい光景。                               丹生明神高野明神の鳥居で弘法大師が建立したと伝えられています。

白蛇の岩と鳥居を通過し、ゴルフ場の横を下る。                      古道を歩いているのに異様な感じであった。                       神田地蔵堂到着、11時40分~12時15分。 休憩を兼ね昼食とした。トイレあり。

                                                     この先も紀伊高原CCのゴルフ場サイドを歩くので「ゴルフボールに注意」の看板が多数あり。                                           百町石通過、12時30分。 少し町石道の左手上部にあり、見過ごすところであった。

                                                笠木峠着、12時55分~13時。 左に進むと上古沢駅方面への分岐となっていた。

                                               ここからは少しづつ下りであったが雑木林の道は思いのほか快適であった。      三里石通過、13時25分。 

                                               みまもり地蔵さんに見送られ、国道480号線と交差する矢立(60町石)に到着、13時45分~14時。

                                                ここでバスが待機していてくれたが、コースの残り三分の一を全員頑張るとのことでバスを見送った。                                              矢立茶屋の「やきもち」は花坂名物と聞いたが食べる時間なくパス。      茶屋の左手、町石道に取り付く。

                                               茶屋で休憩したものの、今まで下った分の急な登りが待っていた。                 苦しく鍛えが足りないと感じた。                                袈裟掛石通過、14時13分。 押上石通過、14時17分。言い伝えのある石がアチコチに点在し、いにしえの伝説に、この道の歴史の深さを感じた。

                                                50町石通過、14時25分。 更に登りが続く。

                                                再び国道480号線を横断し、展望台着、14時55分~15時05分。

                                                    鏡石通過、15時25分。                                                12町石から大門の7町石までの急登が始まった。

                                                        最後は急な階段を登って国道に出るが、皆さん黙々と頑張られた。          きっと良い御利益があると思います。                             杉木立の中の薄暗い山道を登り切ると大門が目の前に。 それがまた普通の街中の景色にかわりビックリ。

                                                  そこは和歌山県伊都郡高野町高野山である。16時20分到着。お疲れ様でした。              巨大な重層の楼門「大門」。                            何度か焼失の難に遭い、現在のもので築後約300年。                          両脇の金剛力士像は江戸時代の仏師、康意〔阿形像〕:運長〔吽形像〕作を配し、一山の総門にふさわしい堂々とした門です。

  

                                             大門の前でしばし休憩し、町中の道を壇上伽藍に向け進んだ。                          壇上伽藍の中門手前の柵の中に1町石を発見。 うっかりすると見過ごすところでした。

                                                                                                                                           全員無事、スタートの180町石から歩く祈りの道「高野山町石道」完歩しました。

                                                     壇上伽藍の金堂のみ参拝し、宿坊「上池院」さんに17時到着しました。お疲れ様 

 

 


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☆ 霊場 高野山詣で ☆

2016年03月09日 | 世界遺産

平成27年(2015)弘法大師『空海』が高野山を開創し1200年を迎えました。

                        

6時起床。宿坊と聞くと寒いイメージがありますが、部屋の中はとても暖かく快適に過ごせました。                                                                                                                6時半、宿坊「上池院」本堂にて朝のお勤めに参列し、本堂右手で三鈷(さんこ)を持ち鎮座されます金色大師尊像様にも礼拝してきました。

                                                  その後、7時より朝食となり、8時 地元のガイドさんと共に霊場「高野山参拝巡り」出発しました。

例年は雪が多く、堂宇の軒下には近寄れないとのことで、ロープが張られていましが、暖冬は高野山も同じで、雪はほんの少し見られただけでした。

弘法大師が遥か都を離れ、しかも標高 約900mの山上である、この高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語があります。                                                            (大晦日の「行く年来る年」で聞く大塔の鐘)

                                               それは、弘法大師が2ヵ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷を投げられた。             その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。

                                               弘法大師は この三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時、異様な姿をした一人の猟師にあった。                                                                                                                  手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。                                                        弘法大師は その犬に導かれ、紀ノ川を渡り険しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「私はこの山の主です。あなたに協力致しましょう。」と語られ、更に山中深くに進んでゆくと、そこに忽然と幽邃(ゆうすい)な大地があった。             

                                                     そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけ、この地こそ真言密教にふさわしい地であると判断し この山を開くことを決意されました。             三鈷の松」とは、松葉が三本という珍しい松で、大師がお投げになった三鈷が掛かっていたと伝えられる松。)

高野山は平安時代のはじめに、弘法大師によって開かれた日本仏教の聖地です。

                                                                                  金剛峯寺という名称は、御大師様が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。

                                                  東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え、境内の総坪数は48,295坪の広大さと優雅さを有しているとのことです。

総本山「金剛峯寺」という場合は、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指すようです。

                                                      普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、ここ高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所が お寺の境内地であり、高野山全体が お寺だそうです。

山内に点在する お寺は、塔頭寺院といい、御大師様の徳を慕い、高野山全体を大寺に見立て、山内に建てられた小院を指すようです。                     現在では117ヵ寺が存在し、そのうち52ヵ寺は宿坊として、高野山を訪れる私達のような参詣者に宿を提供して下さっております。

参道入口、一の橋から弘法大師御廟までの約2kmの参道両側には、樹齢数百年の杉の大樹と共に歴史に名を残す諸大名などの20万基を超える墓碑や供養塔が立ち並んでおり、大師信仰の厚さをうかがわせます。

大師御廟や燈籠堂に近い御廟橋からは霊域に入るので、ガイドさんより『服装を正し脱帽、写真撮影は禁止』と聞き、清らかな気持ちで礼拝し御廟を参拝しました。

ここ高野山では弘法大師『空海』が永遠の悟りの世界に入り、今なを高野山 奥の院で生きていると信じられています。                                            ですので、これを「死去」とは言わず「入定」と言うようです。                 この事は高野山の信仰が今も生きている事を意味し、そしてこれは世界的にも珍しい信仰とのことです。                               日本国内だけでなく、世界遺産登録後ヨーロッパからの観光客が増加し続けているのは、こうした独特の精神世界によるものだと言われています。

この世界的にも珍しい高野山へ、是非 御参拝を 

今日、平成28年3月6日(日)午後12時半より高野山春の山開き「高野の火まつり」が開催され、丁度 山伏による霊場開きの行列が始まり、それを見て帰途に着きました。

 

 

コメント (2)
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