素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

👺 大雄山最乗寺参拝 👺 

2023年11月30日 | 古寺巡礼

神奈川県の 紅葉の名所 として知られる、大雄山最乗寺。                              応永年間に了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師により開山され、大本山 ❝ 永平寺 ❞・❝ 総持寺 ❞ につぐ格式を誇る曹洞宗寺院で、全国に四千余りの門流を持っています。

歴史は六百年に及び、釈迦牟尼仏をご本尊に、文殊と普賢の両菩薩を脇持仏として奉安しています。

                       

四季の中でも最も人気の高い紅葉の時期の道了尊(地元での呼称)をご紹介いたします。              11月 20日の参拝時は、まだ少し早かったので 一週間後に再度参拝訪問してみました。           売店があり、大型バス駐車場から参道を登ると、最初に現れる三門。

瑠璃門前の紅葉は素晴らしいです。

光明亭 

本堂と石燈籠 

本堂内部 

お正月の準備に入った結界門。

山々を守護し、人々から畏れ敬われてきた天狗。                                    日本には数々の天狗に関する伝説がありますが、最乗寺と天狗との関係は、開山の歴史に由来しています。

 

 

 

 

 

 

 

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🔷 恵林寺と枯露柿 🔷

2023年11月23日 | 古寺巡礼

11月に山梨県の羅漢寺山を訪問したので、帰りに甲州市にある戦国最強の騎馬軍団を率い 『甲斐の虎』 と恐れられた武田信玄(1521~1573)の菩提寺である ❝ 恵林寺 ❞ を訪ねてみた。

今年は暑い日 が続き紅葉はどうだろうか❓と思っていたが、季節の移ろいはそれなりに進み、参道入口のイチョウの木は、もう散り始めていた。                                   真っ黄色の葉が青空に映えると思っていたが遅かった。

長い参道を進む。                                                    恵林寺の周辺地域では吊るし柿作りが盛んで、参拝した恵林寺でも見ることが出来ました。

四脚門から参道を進むと三門が見えてきます。                                 その三門の両柱には白字で有名な言葉が揮毫されています。

信玄の度々にわたる強い懇願に答え恵林寺の住職に就任した「快川国師」(快川紹喜:かいせんじょうき)の言葉であります。                                               快川国師(1502~1582)は戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の名僧であります。

安禅不必須山水  (安禅は必ずしも山水をもちいず)

滅却心頭火自涼  (心頭を滅却すれば火も自ずから涼し)

この言葉は、炎に包まれて落命する最後の瞬間に国師が唱えたものだと云われています。

                           

とても立派な左手:方丈と正面:庫裡。 

庫裡の前庭にある武田信玄公の訓言。(甲陽軍鑑より)

戦というものは、五分と五分であれば、上々。                                    七分三分で優勢であれば、中程度。                                        十分で圧勝するならば、結果は下だと考えなさい。                                なぜならば、五分五分の互角であれば、次こそはと励みが生まれる。                             しかし、七分の勝ちであれば、油断が生じて怠けが始まる。                         そして、十分の勝利を得ても驕慢や傲りを招くからだ。                             戦で完勝しようとも、驕慢を生じてしまえば、次には必ず負ける。

戦に限らず、世の中のことは、すべてこうだという心がけが肝心である。

厳しい戦乱の世に、国主として領民を護り導かねばならなかった信玄には、負けることは許されませんでした。                                               小さな戦の勝ち負けにこだわり、大局を忘れるならば、必ずその国は滅びることでしょう。  前線での戦闘と同時に、郷土の将来を大きな視野から見据えて戦い続けた武将ならではの、優れた洞察が、この訓言には光っています。                                      そして、生涯の最後には、勝ち負けも、名誉も、栄枯盛衰をも越えたところで、『紅粉を塗らざれども自ら風流』兜も、鎧も、太刀も、知略も、軍配も捨てて、一糸纏わぬ素っ裸になって、生まれてきた生命の根源に帰っていくのです。

過酷な時代の現実のただ中を全力で駆け抜けた傑出した人間の目には、人生のあるいは歴史そのものの、はるか彼方まで向けられていたようです。           (恵林寺の歴史より抜粋)

 

恵林寺付近の枯露柿

武田信玄公の時代に奨励され、美濃国から蜂屋柿を移植して増産を図ったようです。

枯露柿という名は、柿を乾かす時に、まんべんなく陽が 当たるようにコロコロ位置を変える作業をすることによると云われています。

恵林寺に近い松里地区では、気象条件が適していることなどから、甲州百目(百匁)柿を中心に枯露柿づくりが盛んで、11月~12月にかけて民家の軒先に吊るされています。

この様な 「ころ柿のすだれ」 は、甲州を代表する風物詩となっています。

 

 

 

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🐾 昇仙峡の御嶽新道を下る。🐾

2023年11月20日 | 国立公園

秩父山地の金峰山や国師ヶ岳に源をもつ荒川が花崗岩地帯を横切る、標高 680mの仙娥滝から標高 460mの長潭橋までの約 5Kmの区間は、花崗岩が浸食され覚円峰、天狗岩、人面岩、登竜岩、猿岩などの奇岩、怪石を見ることが出来ます。

荒川(笛吹川の支流)の流れには、滝や瀬、あるいは瀞(とろ)渓流の変化も多く、新緑 や紅葉 は見事であり、昭和 25年(1950)毎日新聞社の全国名勝地百選で渓谷の部の第一位に入選 し、広くその名が知られるようになりました。

                        

12時15分、昇仙峡ロープウェイで麓の仙ガ滝駅に到着。                               ゴンドラを降りて、まず目に飛び込んできたのが黄金池の金色の鯉、沢山いるのにビックリしました。

沢山の観光客の流れと共に、両側にお土産屋さんが並ぶ道を仙娥滝に向かう。                荒川というが、見るからに花崗岩が削られた渓谷で、上流から下流に向かうので足取りは軽い。

右岸に遊歩道があり下っていると左手に綺麗な虹が見えた。

仙娥滝到着、12時 30分。 落差 30mの滝です。

巨大な花崗岩に囲まれた石門(天然アーチ)は先端がわずかに離れスリリングな不安定さを満喫できます。 石門通過、12時 35分。

荒川の流れに沿って遊歩道が整備されており、のんびり散策ができるので安心です。          昔はここを遊覧馬車がお客さんを乗せて走っていた、長閑な時を思い出しました。

仙ガ滝駅から30分ほど下って来た辺りが一番 紅葉 が綺麗に見えました。

御嶽昇仙峡のシンボルともなっている巨岩 『覚円峰』。国指定特別名勝。

覚円峰の上で覚円禅師が修行をされたと云われています。その対岸の岩は天狗岩。

途中、渓谷の瀞(とろ)で遊ぶマガモを見かけました。

渓谷沿いは色々な名前が付いた巨岩や奇石が次々と現れ標示板があるので、それを見ては 「似てるかな~ッ❓」などと岩を眺め、楽しく歩けました。

また、ゆったり流れる場所では紅葉した木々が水面に映るのが綺麗でした。

荒川沿いの遊歩道は仙娥滝付近が一番混雑していましたが、そこを過ぎたら渓谷の水音を聞きながらノンビリ歩くことが出来ました。

天神森市営駐車場到着、13時 55分。

朝、8時半の出発時には 10台ほどの車でしたが、戻った時は好天のせいもあり紅葉狩りに多くの方々が見えられていました。

 

 

 

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▲ 長潭道から羅漢寺山へ ▲

2023年11月15日 | 国立公園

羅漢寺山は御嶽昇仙峡の象徴、覚円峰を配下に従え、その最高峰の 弥三郎岳(標高 1058m)山頂は半球状の巨岩花崗岩で360度の展望とスリルが楽しめます。

登山道の一部は、かつて金峰山信仰の修験者たちが歩いた古道 『御嶽道』と重なる歴史の道を歩いて来ました。

昇仙峡天神森市営駐車場に8時 10分到着。 外気温 3.0℃ 立派な トイレあり。                   20分で登山準備を済ませ、8時半 出発。

市営駐車場の近くには、山梨交通の天神森バス停と天神様が迎えてくれました。

市営駐車場からは長潭橋(ながとろばし)を渡って羅漢寺山登山口へ。                       こちらの長潭橋なんですが、大正 14年(1925)に竣工したアーチ橋で、建築雑誌に取り上げられたことがあり昇仙峡玄関口として親しまれている、歴史的に有名な山梨県最古の橋だそうです。 でも、その横には新しい橋の工事が行われていました。

百年近くも、本当にお疲れ様でした。

                                  

長潭橋の周りを見学した後、羅漢寺山登山口へ8時 43分通過。 獣除けの柵を越えて行く。

羅漢寺山登山口を 10分ほど登ると舗装された車道に出て、それを更に 10分ほど進むと羅漢寺山(パノラマ台)への登山道に取り付く。

外道分岐通過、9時 33分。 ここまでが長潭道で、この先から御嶽古道となるらしい。

歌川広重(江戸末期の浮世絵師)も歩いたという静かな古道で往時に想いを馳せる。

樹林帯の道には金櫻神社を参詣した折に、歌川広重が描いたという奇岩や炭焼窯跡などが残り、歴史を感じさせてくれます。

この辺りが広重が描いた外道ノ原。 通過、9時 43分。                                   天保 12年(1841)御嶽古道を歩いて、この付近の景色を描いた場所のようです。

虫喰い岩通過、9時 54分。

太刀の抜き岩到着、10時丁度。 5分休憩。                                          登山道から道標に沿って入ると今迄の樹林の中から風景が一変し、天に向かってそそり立つ太刀の抜き岩と富士山が目に飛び込んできます。

こちらも進む尾根から少し外れた白山展望台 (標高 900m)へ向かう。                             到着、10時 16分。 5分休憩。 南アルプス遠望。

太刀の抜き岩辺りから花崗岩の風化した 白い砂が、幻想的な風景を見せてくれる絶景ポイントが次々と現れます。                                                    金峰山付近に発達した花崗岩帯は、昇仙峡の仙娥滝の上から現われ昇仙峡の両岸を南方に延びています。                                            これらの花崗岩は粗粒の黒雲母花崗岩で時にペグマタイト(巨大な結晶をした花崗岩で鬼御影ともいう)や細粒の花崗岩を含んでいる場合もある。                                しかし一般に粗粒であるため風化しやすくパノラマ台やここの白砂利は、そのような風化によってできたものです。

                                         

またこちらも尾根から外れた白砂山(標高 986m)に向かう。                           到着、10時 50分。 5分休憩。                                            白砂山から羅漢寺山(パノラマ台)方面を望む。

この大岩が最後であった。 通過、11時 07分。

パノラマ台の一角に出た。到着、11時 20分。                                           ここまで来るとロープウェイで上がって来られた観光客が多くて、登山の格好をしているのが可笑しく見えた。

パノラマ台にある八王子山八雲神社に参拝してからロープウェイのパノラマ台駅前を抜け、主峰の弥三郎岳(標高 1058m)に向かう。

弥三郎岳への案内板。

昇仙峡の覚円峰が背負う山『弥三郎岳』へ向かう。

手摺りの無い花崗岩の上を落ちないように山頂へ。

山頂直下に鎮座する弥三郎権現。

半球状の花崗岩の上が目指して来た弥三郎岳の山頂でした。 登頂、11時 40分。                       手摺りがないのに動き回る人がおりビックリ、スリルは感じますが私は首だけ回して、あまり人が来ないうちに下山しました。                                   左に富士山、中央に広がる街並みは甲府市街です。

羅漢寺山はパノラマ台、展望台、弥三郎岳を総称した呼び名のためパノラマ台にも羅漢寺山の標識が備えられています。 

12時10分発の昇仙峡ロープウェイで麓の仙ガ滝駅に下り、秋の昇仙峡を散策しながら天神森市営駐車場に戻ります。

 

 

 

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⛩ 伊勢国一の宮 猿田彦大本宮 椿大神社 ⛩

2023年11月02日 | 日本の歴史

椿大神社(つばきおおかみやしろ)の参拝者数は、三重県では 伊勢神宮 二見興玉神社に次いで 番目に多く、三重のパワースポットとして参拝される人が多いそうです。

                                           伊勢国 鈴鹿山系の中央山麓に鎮座する椿大神社は 『椿さん』 の愛称で皆様に親しまれ、二千年の歴史を持つ日本最古の神社であるとのことです。

全国でお祀りする猿田彦大神の総本宮として信仰されています。 

 

鎮座地   三重県鈴鹿市山本町御旅

御神徳 猿田彦大神さまは天照大神さまとの幽契によって、国つ神の根本の神として、皇孫を

     先達啓行され、皇大神宮の永久御鎮座の大宮所をもお定めになられた事跡により、地

     上に生きとし生けるものの平安と幸福を招く『みちびきの祖神(おやがみ)さま』とのこ   

     とであります。    

     

朝は正面の御拝殿 に御神体山に鎮座する奥の宮を訪ね参拝する旨の御挨拶をしましたが、13時50分に無事下山をしたので着替えを済ませ、無事下山報告など改めて参拝させて頂きました。

椿大神社は車道から参道は真っ直ぐなのですが、参道の正面に社名の石塔が建っているので、右手の鳥居から参道へと進みます。

獅子堂                                                      聖武天皇の勅願により奉納された獅子頭に由来して「獅子堂」と名付けられたとのことです。 三年毎に斎行される獅子神 御祈祷神事では魔を祓い平安を祈ります。                    平時は交通安全・車輌の清め祓いの祈祷が行われています。

御船磐座(みふねのいわくら)                                           室町時代の謡曲「鈿女(うずめ)」に謡い込まれている神代の神跡。                  天孫 瓊々杵尊(ににぎのみこと)一行の御船がここに御到着された場所と言われ、この地より九州に御先導されたと伝えられています。

高山土公神陵                                                    参道 中ほどにある前方後円墳は、高山土公神陵と呼ばれ、猿田彦大神の御陵であります。

拝殿正面                                                   幽玄なたたずまいをみせる地祇(ちぎ) 猿田彦大本宮 正面拝殿。                            みちびきの祖神・猿田彦大神をはじめ三十二神が祀られています。

鈿女本宮 椿岸神社                                       猿田彦大神の妻神で夫婦円満・芸能上達・縁結びの神として崇敬される天之鈿女命(あめのうずめのみこと)を主神とし、古来より信仰されています。                                 敷地内には古扇を納める扇塚やかなえ滝がありました。

芸能の祖神ということで、テレビで見る芸能人の沢山の方々も参拝されていることを知りました。

 松下幸之助社                                                   生前から『経営の神様』と神格化されるまでに経営手腕を称賛された松下電器産業株式会社の創始者:松下幸之助翁は、こちらの椿大神社に昭和 41年から幾度も参拝され、深く崇敬されていたとのことです。

 

松下翁は幼少の頃より苦労を重ねられる中で、持ち前の忍耐・努力・卓抜な発想・着想を以て身を起こし、一代にして成功を遂げられた立志伝中の人。                           それは延いては我が国の戦後復興・経済発展、また国民生活の向上に大きく寄与することとなりました。

                              

茶室  鈴松庵                                                        昭和 41年4月より開始された椿大神社の「昭和の大造営」において巨額の造営資金を寄付され、大造営完遂の牽引力となるとともに、『鈴松(れいしょう)庵』と名付けられた茶室をも寄進されたとのことです。

松下幸之助氏が日本の心をこよなく愛する情から茶道の発展を祈念し、庭園と共に寄進された茶室。                                                 鈴鹿の 「鈴」、松下幸之助の 「松」をもって『鈴松庵』と名付けられたそうです。           この茶室は一流一派に偏らず広く一般に開放されているようです。

                             

椿自彊館(つばきじきょうかん)                                                     私の参拝時に学生さんが真剣に練習されており、武道の素晴らしさに見入ってしまいました。

(写真は椿大神社のホームページよりお借りしました。)

古代、弓矢は狩りや漁など、日々の糧を得るための霊力を持つ狩猟具として使用されていました。                                                    そこから、祈祷や占いに用いられ、神話にも記述されているとのことです。

椿大神社では、平成 22年9月に弓道場 『椿自彊館』 を開き、自己の改革や精神修行の場として、多くの方々(特に高校生、大学生)にご利用頂けるよう開放されています。

 

 

 

 

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