素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

👧 天王森泉館の吊るし雛展 👧

2016年02月22日 | 伝統行事

今回、横浜市営地下鉄下飯田駅からJR戸塚駅までの約9Km、鎌倉道を歩いてきました。                                                                                                        中世において鎌倉から関東の諸国を通り信濃や越後、そして陸奥などの地方を結ぶ交通路で、いわゆる鎌倉幕府の御家人が「いざ鎌倉」と馳せ参じた道であり、鎌倉時代から戦国時代までの関東武士の栄枯盛衰の歴史を物語る道です。

12世紀末、源 頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、鎌倉に通ずる道は多くあったようですが、今回は鎌倉道を歩いて、この時期に丁度良いと思った「天王森泉公園」の《吊るし雛展》をご紹介いたします。

場所は横浜市泉区和泉町というところですが、和泉川沿いに広がる水田、それを縁取る斜面緑地が昔懐かしい農村の面影を今に伝える、静かな所です。

台地の崖線から湧く豊富な湧水をいかして、流域には20に上る製糸場が営まれていたという歴史を持っています。                                                                                                  平成9年に公園整備に際して、製糸場本館当時の姿を再現し、「天王森泉館」と名付け活用されているようです。

この建物は、明治44年(1911)5月に清水一三氏によって興された清水製糸場で、大正7年には釜数128を誇り、神奈川県下45社の中で5番目の規模の製糸場であったとのことです。

しかし、大正時代にピークを迎えた製糸産業は関東大震災(1923)や大恐慌(1929)で打撃を受け、ナイロンの開発も重なり、その勢いは急速に衰えました。

建物の一階の間取りは明治期の横浜近在の農家に見られた四ッ間取りの流れをくんでいますが、玄関を入った所にある帳場が商いの場として特徴的です。

                                               当時はこのような本二階建てが好まれ、二階には接客の場として使われた三ッ間続きの座敷があり、総掃き出しの開放的な作りです。                                                                       晴れた日には富士山も望めるとのことです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⛩ 大神(おおみわ)神社参拝 2016 ⛩

2016年02月15日 | 宮詣で

国のまほろば大和盆地の東南に位置する三輪山は、高さ467m・周囲16km・面積350ha、全山松・杉・桧等に覆われ、古来より神の鎮まりますお山《神奈備(かんなび)山・三諸(みもろ)山》として仰がれ、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通しお山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられている、我国最古の神社です。

遠い神代の昔、大己貴(おおなむち)神(大国主神)が自らの幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)(にぎみたま)を三輪山に鎮められ、大物主大神(詳しくは 倭大物主櫛𤭖魂命〔やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと〕)の御名を以て、お祀りされたのがはじまりです。

大三輪の神は国造りの神様として、また医薬・酒造・方除等 人間生活全般の守護神として、大和国一ノ宮・三輪明神と親しまれ、広くその御神威を仰がれております。

大鳥居から参道を進み、二の鳥居を通り拝殿へ向かいました。            二の鳥居からは厳粛な雰囲気が漂い、我が国最古の神社であることが、こういうことかと感じられました。

正面の拝殿を参拝し、この神社の有名な三輪鳥居(三ツ鳥居)を通してお山を拝みたいと思いましたが都合できませんでしたが、次回は必ず見てみたい。                                     鳥居には沢山の種類があるようですが、三ツ鳥居とは明神型という鳥居三つを一つに組み合わせた鳥居ということのようです。                          その鳥居が、神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立ち、本殿にかわるものとして神聖視されています。

                                               拝観は参集殿で申し込みを 

平成9年に竣工した檜を用いた木造の社殿、祈祷殿を参拝。                      大きな素晴らしい建物で紅梅が色を添えていました。

くすり道を通り、薬の神様・狭井(さい)神社へ。

                                                三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。                               力強い御神威から病気平癒の神様として信仰が篤いです。

社殿横には薬井戸があり、万病に効くという薬水が湧き出る井戸があります。   「ご神水」として水を汲みに来る方があとを絶たないようです。

                                                   また、狭井神社の右手からは、ご神体である三輪山へ登拝ができます。            神社に申込みをし、許可を頂いてから敬虔な心で登拝したい。

 

幸魂(さきみたま)とは、ズバリそれを拡大してゆく力。和を幸せに導くということだそうです。                                         奇魂(くしみたま)とは、無から有を生む力。それは努力の証しとされたり、奇跡をさすようです。                                         和魂(にぎみたま)とは、物事を包んで和合させる力で優しく何事にもこだわらず、それら全てをまとめ上げてゆこうとする力とのことです。                                荒魂(あらみたま)とは、現実界に幸魂、奇魂、和魂を行使させる力をいう。つまり全ての現実のために、多少困難な考えや荒い心を持って発露させてゆこうとする現実へのパワーだそうです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⛩ 談山神社参拝 ⛩

2016年02月15日 | 宮詣で

と紅葉の名所である談山(たんざん)神社を参拝して来ました。                               飛鳥の東方にそびえる多武峰(とうのみね)の山中にたたずむ談山神社には中臣 鎌足公が主祭神として祀られています。                                  神仏分離以前は寺院であり、多武峰妙楽寺といっていたようです。

                                                     ここは大化の改新でお馴染みの中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣 鎌足(後の藤原鎌足公)が日本の将来について、西暦645年5月に語り合った(国家改新の密談)ことから「談い(かたらい)山」と呼ばれ神社社号の起こりとなっています。                     「談い山」(566m)は本殿の裏山で山頂には大化の改新 談合の碑が立っています。

「談い山」での談合とは、どんな内容                                    蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力が極まり、国の政治をほしいままにしていた頃、中臣 鎌足(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。                                   その時、飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)での蹴鞠会(けまりえ)中大兄皇子に初めてまみえることができた鎌足公は、志を語り意見が一致し、多武峰の山中で「大化改新」の談合を行なったということです。

そんなことで、中大兄皇子と藤原 鎌足公が初めてお会いでき「大化改新」に至った発端は飛鳥法興寺の蹴鞠会であったことから、談山神社でも毎年4月29日と11月3日に「けまり祭」が行われています。                                  飛鳥時代の雅びが感じられるお祭りとのことです。見てみたいですね。

蹴鞠の庭から見た神廟拝所と十三重塔です。

授与所で御朱印を頂き、拝殿に移り歴史絵巻を拝観したり、幼稚園児の絵画が飾られ、格式ある神社にとても暖かいものを感じました。                        これは長岡千尋宮司のお考えによるものだろうと推察致しました。

それは談山神社発行の『談(かたらい)2016年1月 通刊85号に、こうありました。                  平成27年12月に神社の平成の大修理事業であった奈良県指定文化財「東大門」の修理が足かけ10年を掛けて竣工した「御礼の言葉」の中であります。

この度の修理事業は、申すまでもなく氏子・崇敬者の皆様の御支援がなければ成し得ないことでした。                                        皆様の崇敬の真心が一つに集まって、これを成し遂げたのです。ここに重ねて御礼、感謝の言葉を申し上げます。                                               談山神社の1300年の歴史と文化はもとより、数々の貴重な建造物は次世代へ継承されることになりました。 古来、日本は神国である。という言葉があります。             一つのイデオロギーからの見方という考えもありましょう。・・・                                                   しかしこれを実際に地理的に見てみますと、北海道から沖縄まで日本列島には、点として都会の大社から地方の各村々の氏神まで合わせて八万余社が鎮座しています。     これを線として結び付けると、ほぼ列島の形を描くことができるのではないでしょうか。神国たるゆえんです。                              神社は人々の暮らしと共にあります。神社の森は人々の憩いの場であり、子供の遊び場です。                                            祭りの時は、そこが信仰の場になりますが、神社と人々は常に一緒にあるのです。                          これが我が国の国体(くにぶり)であります。 (以上原文)

境内で子供たちが楽しそうに走り回っている姿を見かけました。          明治に官幣社となられた神社の現長岡宮司、格式高い神社の宮司に相応しく御立派な方であります。 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲俱留尊山ハイク▲

2016年02月15日 | 史跡・名勝探訪

奈良県桜井市にある宿を8時出発。                           曽爾(そに)村役場の観光課に寄ってから俱留尊山(くろそやま)登山口の曽爾高原駐車場へ9時半に入った。                                   役場の観光課は曽爾村を知ってもらうために大阪・名古屋方面には宣伝をしているようですが、神奈川県から来たということで大変親切な対応をして頂きました。

曽爾(そに)村をご存知ですか? 今、日本中に村って、幾つくらい在るのでしょう エッ

場所は奈良県の東北端に位置し、三重県境に接し静かな曽爾川の流域に開ける村です。                                      村の大半を占める山地は室生火山群に属し、西側の岩肌もあらわな鎧岳、兜岳などの珍しい柱状節理の美景は国の天然記念物に指定されています。

                                                  また、東に位置する俱留尊山(1037m)、亀山などのなだらかな山々とその山麓に開ける雄大な曽爾高原一帯は室生赤目青山国定公園に指定されています。

現在、全国には183の村があるそうです。  一番多いのが長野県。                             曽爾村は人口1,610人(2015.5.1現在)の小さな村ですが、日本の農山漁村の文化や景観の継承を目的として運動を行っているNPO法人「日本で最も美しい村」連合に加盟されています。                                         その土地でなければ経験できない独自の景観や地域文化を持つ村とされており、人の営みが生み出した美しさがある村が選ばれています。                                          曽爾村には、曽爾高原のススキ野原と曽爾の獅子舞があるとのことです。

雨上がりの青空でとても気持ち良い高原です。                           3月には山焼きが行われるようですが、2月でもまだまだ高原一面を覆う、金色の幻想の世界を楽しむことができました。                           高原の中央にある「お亀池」を左手に見ながらススキの登山道を登り、亀山峠に10時05分到着。

                                                       尾根に出たら風が冷たい、そのうえ徐々に雲が日をさえぎり寒さ倍増。      皆さん防寒対策を万全にした。

高度を増して行くと岩が見え始め、積雪もあることから慎重に歩を進めた。          少し登ると樹林帯に入り、少し風は防げた。

                                               その先に大きな看板と小屋が見えた。 入山料の徴収小屋のようです。            この山は個人所有の山であり入山料を徴収しているようです。                     初めての経験でビックリしました。

小屋のすぐ先が「二本ボソ」(996m)、10時40分到着。             山頂風になった所だが、何故か風がなく、ちょっとホッとできる場所でした。10分休憩。

                                               目指す「俱留尊山」が直ぐそこに見えたが、1峰1峰が独立峰になっており、目的の山頂には一度下ってから登り返さなくてはならなかったが、皆さん黙々と頑張られた。

この山は第三紀に活動した火山の名残りで、三重県側斜面には火山岩による柱状節理が見られると言われ、見てみたい気がした。

11時20分、三等三角点の設置された俱留尊山登頂。  

この所の暖冬で霧氷が大分消えてしまっていたが、降り始めた雪もあり山頂部では、まだ見ることができた。                                             振り返ると先ほど通過して来た「二本ボソ」の山頂と小屋が見えた。

                                         雪の山頂で風もあり、ベンチにも雪が積もり、ノンビリ休憩もできず15分ほどで下山の途についた。

 

寒さで体の動きも鈍ってきており、下山時は登り以上に慎重に歩を進めた。  周りのあらゆるものが滑りそうに感じ、気を引き締めた。

往路を戻り、二本ボソ着12時。                                       風の強さが増し、吹雪が頬に当たり痛くて長時間歩いていたら完全に凍傷になったと思われる厳しい気象状況であった。                                             宿での天気予報は終日曇りであったのに、山での気象状況は予想外である。

そんな状況下であり、周りをキョロキョロすると霧氷が成長しているように感じた。

樹林帯を抜け右手下方にススキの曽爾高原が見えたら、更に吹き上げてくる強風に参った。                                       右頬が痛いのと口の動きも悪くなり、皆さんのお喋り声も聞こえなくなった。

亀山峠着、12時25分。                                           腕に付けた温度計は通常、体温に近い温度を示しているのに、この時は-1度とビックリした。                                              風が強いので体感温度はマイナスであった。                                   帰りは、お亀池に下らず亀山(849m)経由で駐車場へ向かった。

亀山山頂は吹雪の状態で休憩せず12時40分通過。

                                                 10分ほど下ったら樹林帯に入り、多少風が穏やかになりホッとした。            私もそうでしたが、皆さんも山で吹雪かれた経験は初めてとのことでした。

                                                   1,037mの麓の近い俱留尊山で吹雪の激寒状態を体験できたことは実に有意義なことであったと思う。                                         この様な経験は中々できません。無事下山、本当にお疲れ様でした。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲氷の雲竜渓谷トレッキング▲

2016年02月07日 | 日本の四季

冬でしか見られない、氷柱、氷瀑の冷や汗の出る涼しい世界を楽しんできました。  前日の夜に出発、道中雨で心配しましたが、当日は素晴らしい天気になり最高のコンディションでした。                                    ここ雲竜渓谷は2011年『山と渓谷』という山岳雑誌で紹介されてから冬季限定の観光地となっています。

                                                   薄暗い中の神橋を横目に東照宮を迂回するように車は霧降高原方向に進め、雲竜渓谷への林道をつめました。                               林道は狭く、日曜日の上、天気良好につき沢山のが入るだろうと予想され、林道に入って間もなく広い場所には、すでに車が止まっており、とても慎重な方だと思いました。                                            この雲竜渓谷までは林道歩きが長いので、少しでも奥へと車を進めましたが、中間あたりだろうか 前方でタクシーが止まっており、急坂の上りでスピンした車が林道をふさいでいるとのことでした。                               いくらスタッドレスタイヤだからといっても、万全ではありません。                          仕方なく下方の広い路肩に車を止め、歩くことにしました。7時45分出発。

途中2度休憩を入れ、9時10分に稲荷川展望台に到着。                    周りの風景は枯れ木に白い花が咲いた様に霧氷が見られた。                                               登りの林道は不用意な歩き方をしない限り、充分アイゼンなしで歩くことができました。                                                簡易トイレのある雲竜渓谷入口に10時15分到着。

ここからは急な階段を下りて雲竜渓谷に入るので、全員アイゼンを装着した。

                                                渓谷内では3度アイゼンを付けたままの徒渉があり、この時期に川に落ちては大変なので、皆さん慎重になり行きも帰りも渋滞していました。

夏であれば一番奥に雲竜滝があり、途中の渓谷両サイドからは雫がポタポタと落ちているだけの普通の渓谷ですが、激寒の時期には、その姿を一変させるところが、岳人を引き付けるのです。

進むにつれて渓谷両サイドの氷柱が目に入り、心が躍りだし、寒いけど そんなことは言っていられず気分が弾んだ。                             でも指は寒さに弱く、素手でカメラを操作していたら爪が割れ血がにじみ出てきた。

ザックを開けたり、アイゼンやスパッツを装着したりの作業は、寒い中で無理やり進めるもので手に怪我をすることが多い。                               何せ手の感覚が消える前が勝負なのである。

今年は、どこのスキー場も雪不足に悩まされたほど暖かく、ここ雲竜渓谷も激寒の年はギリシャ、パルテノン神殿の柱に似た氷柱が数本できると聞いたが、今回は1本見られただけでした。

現地には凄く太い氷柱の折れた残骸を沢山見かけました。                   その様子では一時は冷えて出来上がっていた氷柱が気温が上昇した時に砕け折れてしまったようでした。                                          自然が相手では仕方ありません。

 

でもまだまだ氷柱は見頃です。                               が、これからドンドン溶け始める時期なので頭上から氷が落ちてくることもしばしば。      ヘルメットの安全対策も必要です。

渓谷の氷柱でアイスクライミングをされているグループを見かけましたが、登りながらアイスアックスを打ち込むとバラバラと氷が砕け落ちる瞬間を見かけました。         下を歩くのに危険を感じ、素早く通過しました。

約1時間ほど、冬だからこそ見られる風景というか、自然の芸術をノンビリ堪能してきました。

11時半、渓谷を後にし、途中の徒渉で沢に落ちないよう皆で慎重に通過しました。

                                                  帰りの林道歩きは約2時間、行きは結構な登りであったのに驚きました。         アイゼンを外して歩き始めた直後に滑りビックリ、最後まで気は抜けません。     車に到着13時40分。お疲れ様

もっと冷えて氷柱がたくさん出来た時に、再度挑戦したいと思いました。          暖冬と言う言葉がくせ者です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎白い大自然の景色◎

2016年02月07日 | 日本の四季

森が白一色になって、眠っている。

渓谷に入ると沢筋や、そしてはるか遠くの稜線も、白く静まりかえっている。

冬の山行は、常に自分が墨絵の世界に入れることです。

に見る、緑の森とはちがって、雪の森の中に白い造形が限りなく続く。

樹氷に霧氷、そして純白の絨毯を敷き詰めたような雪原や 、

と雪、氷がつくるオブジェ。

冬の森でしか見ることのできない、大自然の芸術美です。

まるで幻想の世界、それが冬の森にはあります。

一度、これに魅了されると中々抜けられない魅力があります。

純白の世界、怖い所も沢山ありますが、大好きです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲伊豆大島:三原山トレッキング▲

2016年02月01日 | 国立公園

平成28年1月31日から3月21日(月)まで第61回大島 椿まつりが開催されています。

                                               以前、カメリアマラソン参加のため、東京・竹芝の客船ターミナルから大型客船で向かって以来の訪問になりました。                            今では、高速ジェット船で東京から105分、熱海からでは45分で行けると聞きビックリです。

今回は熱海港から9時10分発の高速ジェット船に乗り、途中 稲取に寄港しながら大島の岡田港に10時40分に着岸しました。 

                                               今日は残念ながら、曇天で午後から降ってきそうな感じでした。

岡田港の乗船待合所にて登山準備を済ませ、10時55分バスで三原山山頂口へ移動し、11時15分着。

                                                 三原山にはガスがかかり、寒々しい。                        お鉢巡りになると風も予想されたので、その準備も行い、バスの中で昼食を済ませ11時35分に出発。

直ぐ外輪山三原山展望所に立ち(11時38分)ましたが、手前の方のくぼ地(カルデラ)が少し見えただけで、大昔の大噴火で形成された様子や1986年11月の噴火で噴水のように吹き上がった溶岩が斜面を流れ、この時の流れは、今も黒い筋となって三原山の山肌に残っているようですが、それも見ることはできませんでした。

展望所から広がる平坦なくぼ地(カルデラ)に下りて噴火口に向かう途中、流れ出たゴツゴツ、トゲトゲした溶岩を遊歩道からまじかに見ることができました。

                                               伊豆大島の歴史は、今から100万年~数10万年前にさかのぼり、海底火山の噴火によって形成され、現在では東西9Km、南北15Km、周囲52Kmの楕円形に近い島となっています。

火口への斜面は短いですがきつい登りで、

                                                         途中に休憩できるシェルター(本当は噴火時の避難用です。)があります。

火口に上がってからは、お鉢巡りをしましたが、予想通り突風に吹かれ耳が痛くなり、指の感覚も消えそうになりました。

                                               好天であれば噴火口を覗き込んだり、遠く富士山を望んだり、更に南の島々を望んだりできたのでしょうが、今日はその点が非常に残念でした。

                                               また、古来より“御神火様”ごじんかさま)と呼ばれ島民から崇められると同時に恐れられてきた三原山は、世界三大流動火山の一つに数えられ、その溶岩の流れ跡を見られなかったことも残念だった。

生きている火山の島、伊豆大島。                                   噴火は一時、多くのものを破壊しますが、人も生き物も、その上に必ず再生します。

子犬かな・・・・・? 

鳥? ニワトリ・・・・・? 

なんだろう・・・・・?  ゴリラ ?

荒涼たる大地を、今しか見ることのできない目の前の景色をじっくり見てきました。

三原山温泉の大島温泉ホテルに14時35分下山し、待機したバスで岡田港(15時5分着)に向かい、15時半発の高速ジェット船で熱海に戻りました。                 時には、こんな天気の日もありますね。 お疲れ様でした。

椿まつりが始まっていますが、現在ではまだ早いように感じました。       3月21日まで開催されていますので、もう少し後の天気良い日がお薦めです。    約300万本の椿がお待ちしています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする