山頂が広々して大野山に似た ❝高松山(標高 801m)❞ へ。
私が小学生の頃、高松山の麓にある高松集落内の『高松分校』から担任の先生が赴任されてきました。
十年一昔と言われますが、もっともっと昔のことです。
舗装された道路も少なく、町中を走る車も凄く少ない頃でした。
その先生は子供の気持ちにとても優しい先生で中学生、高校生になっても記憶にありました。 その先生に驚いたのは、優しさだけでなく女性でありながら当時、自家用車通勤をされていたのです。 今でこそ女性ドライバーは当たり前の時世ですが、当時は子供心に「凄い」と感じ、車を見せて頂いたりしました。
今でも心の隅に そんな思いがあり、気分転換に出掛けてみようと地図を見ていたら、そうだ『高松分校』を見たいと思い高松山へ向かいました。
御殿場線の山北駅を8時半出発。 中学校への通学時に歩いた頃に思いを馳せ、歩きながらの風景の変化を楽しんだ。 東名高速道路下の尺里(ひさり)地区にある公衆トイレに8時 50分到着。
白いコンクリートの柱が一杯あるのに驚いた。
そこからは尺里川の右岸を北に進む。
尺里川に沿って道なりに進み、その先は新東名高速道路の建設工事が急ピッチで進められていた。令和5年4月 16日までの工期となっていた。
9時、「高松山ハイキングコースはこちら」と案内板が設置され、それに沿って進む。 右手に見える丸山の山頂 には、 ❝ 株式会社トヤマ ❞ (精密機械製造)が見えますが、本当にどちらから見ても丸い山です。
上に登って行くにつれ大規模な工事が進められていた。
この先は登山道が鉄パイプで作られた通路や階段に沿って工事現場を通過。9時 20分
工事現場を抜けた所に高松山への案内図があった。 それを見て予定のコースと違っているのを知り、そのままビリ堂経由で高松山を目指した。
当初計画は高松集落にある『高松分校』を見てから高松山を目指す予定であったが諦めた。
ハイキングコースの案内板から上部は普通の登山道に変わった。
鉄塔 № 369 を 10時 05分 通過し、緩やかな登りが続く。
馬頭観音石像2体と中央に石碑があった所を通過、10時 17分。
樹林帯の中の緩やかな登山道を軽快に登り詰める。
10時半、大小の石像が1体ずつ建てられた木立の中の『ビリ堂』に到着した。
ビリ堂(標高 678m)は、東方面の観音沢と西方面の太田沢の尾根筋に位置し、このハイキングコースは、昔から花女郎路といわれ山北、ビリ堂、高松山、ヒネゴの頭の尾根筋を通り八丁集落に通ずる路であったとのことです。 ここは、夜になると動物たち(鹿、イノシシ、穴熊、狸、キツネなど)の運動場になっているようです。
花としては春に、エイザンスミレ、ミツバ、夏は、てんなんしょう、オオバギボウシ、秋は、フシグロセンノウ、モミジガサ、ツリガネニンジン、冬は、カンアオイなどの野草が咲き乱れる花の山であります。 ビリ堂のいわれ由来は、一番びり、最後にある観音堂のためビリ堂と呼ばれています。
5分の立ち休憩を取り、最後の詰めで高松山山頂を目指す。 整備がされている長い急階段を、一歩一歩踏みしめながら ゆっくりと高度を稼ぐ。
長い階段を登り切り、分岐の尾根に出る手前数十mの登山道は、どこが道だか判らないほど荒れていてビックリした。
ビリ道分岐の道標のある広い尾根に出た。通過、11時 05分。 道標には山頂まで、あと5分とあり力が湧いて来た。
緩やかな登りであり、速足で山頂に向かう。
高松山山頂到着、11時 10分。
山頂はカヤト原であるが山頂付近一帯は綺麗に刈り取られ広々として気持ち良かった。
暖かくて、貸切りのテーブルベンチでノンビリ昼食休憩を取った。
※ 次に高松山から第六天までの高松山尺里峠コースを往復します。
※ ご覧頂き、ありがとうございます。