素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 岩殿山 七社権現洞窟へ▲

2023年03月20日 | 私の見た山・登った山

好天に恵まれたので、東京スカイツリーと同じ高さという『岩殿山(標高 634m)に向かってみた。

戦国時代の山城跡が残る岩山で大月市街と富士山の展望が最高です。

大月に近づくと岩壁をまとうドーム形の姿を見せてくれる。                   岩場を天然の要害とした岩殿城跡が残り、富士山 と大月市街の展望にすぐれ大月市秀麗富嶽十二景の一つになっています。

大月駅 から直接、登り下りできる強瀬(こわぜ)登山口から丸山公園を経由し岩殿山のピストンを考え向かいました。

14日、東京で 桜の開花宣言 が有ったので、ここはどうだろうか❓ と思い、寄る切っ掛けにもなった。

岩殿山公園 駐車場から ふれあいの館まで 15分ほどの登りだが、急登で汗をかいた。

桜は まだだが、この陽気であれば開花も間近だろうと感じた。

ふれあいの館の館長さんに桜の事を伺ったら、いつもは三月下旬から四月上旬頃だが、今年は暖かいので例年より早くなるだろうとのことでした。

この蕾の膨らみを見ると、もう時間の問題のようです。                                             ふれあいの館の南側に丸山(標高 444m)の山頂で、そこから見た富士。

ふれあいの館が建つ丸山公園から岩殿山へ登れると思って上がってみたら、「岩殿山への道は通行止め」とロープが張られていた。調査せずに行くとこんな事かとガッカリ。

簡単に登れると思っていたところ、四ヶ所 (強瀬:岩殿:畑倉:浅利)登山口の有ることを知り、大月駅から近い二ヶ所(強瀬:岩殿)が、「落石の危険あり」とのことで通行止めになっていました。

案内図を見ると岩殿山の北側からは登れそうであり、登った道を下り車道を進み、そちらへ向かうことにした。

国道 139号線を15分ほど進んだら東側の岩殿登山口に到着、そこにも山頂へは通行止めとなっていたが、岩殿神宮までは通行可であり、初めてなので行って見ることにした。

直ぐに手摺りのある細い登り、ジグザグに車道から 15分ほど登ったら山道に変わった。             山道に入り5分ほど進んだら、右手に小さな祠の七社権現洞を通過、12時 32分。

そこを過ぎたら、岩殿山山頂と洞窟への分岐に出た。                          山頂へは通行止めのロープが張られ、洞窟へと右に 向かった。

右手の切れ落ちた狭い道を進む。

12時36分、洞窟内に祀られた岩殿神宮に到着。

御祭神は 岩殿大神 と案内板がありました。

凄い斜面にある洞窟で行き止まり、写真撮影のみ済ませて帰路につきました。

今回、洞窟へ登った岩殿登山口から更に車道を北側に回り込むと、岩殿山頂へ通行可能な 畑倉登山口 が有るので、次の機会には畑倉登山口から岩殿山山頂を目指し、山城からの景色を眺めてみたい。

 

 

 

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▲ 竹森ザゼンソウ群生地から小倉山へ ▲

2023年03月17日 | 私の見た山・登った山

ザゼンソウを眺めながら、ガイドブックにもあまり出ていない小倉山 (標高 955m)を歩いて来ました。

甲州市の玉宮ざぜん草公園に7時半到着。晴れの予報なのに曇っていた。

20分で準備を済ませ、7時 50分 出発。 小倉山から上条山へと反時計回りに歩く。

8時、竹森ザゼンソウ群生地入口に到着。                                 入口にはイノシシなどの食害を防ぐため群生地一帯が、電気柵で覆われ守られていた。

プラスチックの黒い部分 を持ち電気柵内に入ったら必ず元に戻す。

ザゼンソウはサトイモ科(ザゼンソウ属)の多年草で山中の湿地帯に自生しています。

竹森のザゼンソウ群生は本州の南限地とされており、山梨県の自然記念物に指定されています。

名前の由来は仏炎苞という覆いの中に小さな花が密集して咲く姿が、僧が座禅をしている様に見えることからのようです。

また、幸福を呼ぶ縁起の良い花と云われています。

開花する時に発熱し、自ら周囲の積雪を溶かすため早春にいち早く見ることができます。

ザゼンソウ群生地の上部の木道を登り切ると小倉山への広い登山道に出る。              急に明るくなり、とても歩き易い。

薄暗い湿地帯を抜け、 10分ほど登ると明るい尾根に出る。 小倉山分岐通過、8時 40分。

陽射しが出てきて良かった。雑木林の明るい尾根歩きとなる。

尾根に出ると軽いアップダウンで小倉山山頂に到着。8時 50分。

折角の展望台が設置されていたが、一部の町並みが見えるのみで展望良好ではなかった。

10分ほど休憩して、上条峠に向かう。尾根上の歩きは暖かな陽だまりハイクであった。

一部だけ珍しく岩場の道が現れた。 それほど危険ではありませんが、巻道もあります。

9時半、上条山(標高 996m)通過。  薄っすらでしたが大菩薩嶺方面の山々が望めた。

上条林道と平沢集落への分岐点着、9時 45分。                              林道歩きより山道のがハイキングらしく、山道で平沢集落を目指す。

小休止をしたが、辺り一面にドングリが沢山落ちていた。 木の実が豊作なら動物たちが人里に下ることはないだろう。

平沢集落への下りは、落葉の厚い絨毯の道で、フカフカと歩いていて気持ち良かった。

平沢集落と玉宮ざぜん草公園駐車場分岐を 10時 05分通過。

分岐を過ぎてからは歩き易い竹森川の左岸を下り、太陽光発電パネルの横を抜け、玉宮ざぜん草公園駐車場に 10時 20分、戻りました。                                              こちらの周回コースは、ご家族連れでもノンビリと楽しめるコースであります。

 

 

 

 

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💎 矢佐芝石丁場を歩く 💎

2023年03月12日 | 日本の歴史

御嶽神社 参拝の後は、南足柄市の埋蔵文化財包蔵地に登録された『石丁場』を歩いて来ました。                                          初めて見た時は、地元に この様な歴史遺跡の有ることにビックリしました。 

                            

                                           どうして、江戸時代初期に石の需要が生まれたのでしょうか ❓

当時、江戸城や小田原城の大規模な土木工事が計画されていたと考えられています。

江戸城の普請の時、石垣用の石は小田原付近から伊豆半島辺りの石丁場(いしちょうば)から運ばれたと云われています。                                               小田原では早川石丁場が良く知られています。  

 

南足柄市にある三か所(塚原矢佐芝石丁場、塚原上向坂(かみむこうざか)石丁場、広町平石通石丁場)の「石丁場」は、すべて標高 250m以上の山林で、沢筋に近い所で見つかっています。

本市は箱根外輪山のすそ野に位置し、箱根火山の マグマが冷えてできた石である安山岩が多いという点から「石丁場」が点在しております。

「石丁場」は石を割る場所で、主に近世、江戸時代に機能していたと考えられています。

「石丁場」という言葉は石切り場の昔の言い方で、丁場とは仕事場、作業場といった意味を持っています。  

                                                   つまり、「石丁場」とは石を適当な寸法で切り出して加工するための作業場ということになり、ここで見られる石の特徴は、幾つもの小さな長方形の穴が、一定の間隔で一直線に入っていることです。

この穴を『矢穴(やあな) と呼びます。

鉄ノミで石の割りたい場所に沿って穴を開け、そこにを含むと膨張する木を差し込み、作業が終わる時に水を掛けておきます。                                     すると、木が水を吸って膨らむことにより、次の日の朝には矢穴の線に沿って石が割れています。下記のように大きな石が綺麗な平面で割れているのです。

この様にして割った石は、沢や石を曳くための石曳道(いしびきみち)を使い、山から運び出し、江戸城や小田原城の石垣に用いたと考えられています。

ただ何故❓ この様な大変な思いをして山から石を運び出さなくてはいけなかったのか❓

江戸幕府は各大名の統制する方法として、参勤交代や大規模工事を命じました。

諸大名が競って江戸城の石垣用の石を集めなければならなかったのかは、大名の忠誠心を試すと共に資金力を削ぐために、江戸幕府が行う大規模工事に動員をかけたと考えられています。

工事の失敗は御家の取り潰しにつながるので、諸大名は命令に従い必死に作業を行いました。

私たち地元に、この様な貴重な歴史遺跡が有ることを知り、調査に向かいました。      矢穴が開いた、形の整っていない石が矢佐芝橋を中心に分布しているのです。

矢穴の開いた大石には 〇 や △ などの刻印が付けられたものがあります。

刻印の意味は  石を割った人達が作業を行う石を判別するために刻んだもの、仕事の手順に応じて刻むなど現場で石を割るために必要な刻印です。                          石を割ることを江戸幕府から命じられた大名たちが、石垣とする良質な石を見つけた際に、自分たちの縄張りを主張するために刻むというものです。

上部の陽が当たっている所に、大きな 〇や △の刻印のある通称「おでん石」。

この様にして採石した石は、石垣用の大きな石であり重量もある。                      山中で切り出した石を、どの様にして運び出したのか、今のように重機やトラックなど無く道路さえしっかりと整備されていない時代であり、大変な苦労が考えられます。

それでも、妻子を江戸に囚われている大名は、何が何でもやらなくてはならなかった。

この明神ヶ岳の麓にある矢佐芝地区には足柄平野の栢山で生まれ育った「二宮金次郎」が父母を助け働き、学問に励みながら栢山から矢佐芝へ薪を拾いに来たところでもあります。

矢佐芝集落では、この地域の歴史遺跡を守り続けています。

 

 

 

 

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⛩ 郷土の御嶽神社 ⛩

2023年03月09日 | 史跡・名勝探訪

御嶽(みたけ)神社は蔵王権現を祀った神社。総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂であります。      また、ヤマトタケルの伝説が残る神社で、古くから御嶽権現と呼ばれ信仰されてきました。

苔生した階段の上の平場に社殿が建つ。

現在の社殿は昭和 45年(1970)に再建されたものだそうです。

社殿には、風化し傷みの激しい木製の仏像・神像 18体が保存されているそうです。                傷みが激しく年代は不確かですが、平安時代のものも含まれているのではないかと云われています。蔵王権現かと思われる右足を上げた木像も2体含まれているそうです。         明治 15年(1882)奉納の祭礼の様子が描かれた絵馬や『金峰山』・『蔵王権現』の扁額などが残され、狼の木像も有るとのことです。

この神社の起源は不詳でありますが、古代にさかのぼる歴史を持つことは確かであります。

                              

鳥居杉について

新編相模風土記稿に「杉二株・鳥居杉と称す」と記されています。                    2本が根元でつながり、真っ直ぐに高く聳える姿は圧巻であります。

古くから地域の人々に親しまれ、崇められてきました。                            杉は長寿で大木になるので、昔から神社仏閣に多く植えられてきたそうです。           一説によれば、高く聳えて人間の目印になるような大樹は、神にとっても目印になるとも云われています。                                              また、私たち日本人にとって古木は単なる木材ではなく「長年生き続ける精霊」として古代から大切にしてきました。                                                  日本武命(ヤマトタケル)を祭神とする、この神社の杉も同様であります。

昭和 59年(1984)には『神奈川の名木百選』に選ばれ、高さといい樹形の優雅さといい、我がふるさと南足柄の誇る文化財であります。

樹高       約 50m                                                  胸高周囲     約 7.3~7.5m                                       根回り周囲    約 17m                                            樹齢       推定 500年

                              

お神水(みたらし)の由来について

このおみたらしは権現さんの御神水と呼ばれ、昔から霊水として近隣にも聞こえていたそうです。                                          その由来は、昔 弘法大師が、この三竹山を通りかかった時、部落に水が無くて困っていることを知り、法力でこのみたらしの水みちを開いて下されたという伝説や、また日本武命が東征の折、野火の難をのがれ、ここで休息され村人に世話になった礼として、持っていた剣で水を湧かせた。それがこのみたらしの起こりだとも伝えられています。

おみたらしの水 は眼病、その他 諸病に効くと今でも深く信仰されています。         また、関東大震災でも枯れず水量は減ってしまいましたが、現在でも湧き続けています。

                                   

御嶽神社の社叢林(しゃそうりん)について

御嶽神社 社叢林は箱根外輪山の明神ヶ岳東斜面の標高 160~200mに位置しています。

周辺には杉植林が広がっていますが、神社 社叢林はスダジイ、タブノキ、シラカシ、ウラジロガシ、ムクロジ、ビランジュ(ばくちの木)などを主体とした常緑広葉樹林で構成されており、面積的にまとまっているだけでなく、胸高直径 1.5~2.0mに達するスダジイ の老大木も生育しています。

御嶽神社は箱根外輪山溶岩の安山岩上に堆積した関東ローム層(立川層)上に位置しており、ローム層堆積の浅深の差はありますが、樹高 19~32mに達する常緑広葉樹を良く保存しています。

樹木の保存状態が良好で平成6年(1994)2月 15日、神奈川県指定天然記念物に指定されています。

 

 

 

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▲ 五湖台から紅葉台へ ▲

2023年03月06日 | 私の見た山・登った山

足和田山 「五湖台」 から三湖台への尾根道は、全体として僅かに下りとなる雑木林の中の歩き易い散歩道です。                                         コースは全域が東海自然歩道であり、体力に自信のない方でも安心して歩けます。

山頂は陽当たりが良く富士山の展望は最高でしたが、風が冷たかった。 出発、9時 25分。

足和田山山頂付近の西側には常緑樹であるモミやシラビソが群生しており、そこを過ぎるまでの日陰道には雪が残り、スリップに注意しながら足早に下った。

5分ほど下ったら、雪は大分減って来た。

下り道は意外と広く、西に向かって進む。                            ここの下りは左側に車の通れるほどの道が並行しているが、稜線上にある東海自然歩道を下る。

歩道が広いので林道を走らず、モトクロス用のバイクなどが東海自然歩道に入らないよう車止めが各所に見られた。

稜線の北側には遠く南アルプスの山々と眼下には西湖が望めた。

下りながらも時折り林道と合流しながら、陽射し のある暖かな雑木林の中を進む。

ノンビリ歩ける静かな雑木林の中の陽だまりコースである。

上の絵の坂を登り切ると三湖台と紅葉台への分岐に出る。 10時35分、通過。

進路は紅葉台だが、足和田山より眺めが広大で休憩するには最高の三湖台広場に立ち寄る。  到着、10時 45分。

『三湖』とは西湖、精進湖、本栖湖を指し、かつては一つの湖であったと考えられており、複数回の噴火による溶岩流により三湖に分断されてできた湖とのことです。

なお富士五湖のうち、こちらの三湖は同じ地下水脈を有しているため、水位が連動し湖面標高は、ほぼ同じ約 900mだそうです。

初めて歩いたコースだが、広々して東屋、テーブルベンチ、展望台などが設置され素晴らしい。                                         お休みの日は、家族連れや多くの登山者で賑わう場所です。

足和田山と違い、こちらはポカポカととても暖かくノンビリできた。

展望台にて南の富士から中央の黒いピークは大室山、右のどっしりした山塊は毛無山、右手の白い稜線は南アルプスと南から西、そして北西へと望んだパノラマです。

北側眼下には西湖、その上の稜線は左のピークが鬼ヶ岳、中央が十二ヶ岳、右手は御坂山塊の黒岳です。

三湖台では 15分、ブラブラとノンビリし 11時、紅葉台に 向かう。

紅葉台着、11時10分。手前広場は駐車場で、奥に見えるのは展望レストハウス。          紅葉台は秋の樹海の紅葉を展望する最高のポイントとのことです。

極力、車道を避けて 下山。

11時20分、万葉歌碑のある広場に出た。                                      富士山を霊妙な神とたたえ、日本鎮護の神、日本の宝とすべき山として尊ぶ内容の歌が日本最古の歌集「万葉集」巻三に詠われているそうです。                              石碑にある歌は光線の状態が悪く読み取れませんでした。

歌碑から5分ほど下って紅葉台登山口に出た。通過、11時半。

登山口からは平坦な車道を 10分歩いて、国道 139号にある紅葉台入口バス停に到着。

バスがなかったので、15分歩いて道の駅「なるさわ」に無事戻りました。11時55分。

ノンビリと道の駅内にある富士山博物館で岩石や富士山の成り立ちなど見学して来ました。

 

 

 

 

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▲ 東海自然歩道にある足和田山へ ▲

2023年03月04日 | 私の見た山・登った山

箱根の足柄山、駿河の愛鷹山(足高山)と共に『富士の三脚(足)』と呼ばれる足和田山(標高 1355m)へ。

足和田山は、富士五湖の中央に位置しているため、別名を「五湖台」とも呼ばれています。

                            

国道 139号線にある一本木バス停を8時出発。 左の車道を進む。

国道から脇の車道に入り、河口湖に戻る感じで5分ほど進むと、左側に東海自然歩道の案内板が設置され、その横に足和田山登山口がある。

登山口には動物除けの柵だろうか? 改修の作業をされており、通して頂いた。8時 10分。

入口から真っ直ぐに丸木の階段が延びている。

ひょろ長く伸びた赤松と雑木の林に覆われた尾根をジグザグに、やや斜度のある道を登って行く。 この時期の落葉樹は枝だけなので、日が差し込んで暖かい。

8時 45分、左手に大きな岩が現れ、そこからの富士が綺麗に見えた。

大岩から5分ほど登ったら、尾根らしき道に出た。

右に進路を 取り、その尾根の右手にはカラマツ、左手にはヒノキが植林されており、そのヒノキの間から本栖湖方面と遠く雪をかぶった 南アルプスが望めた。

階段の登山道を登ると祠らしきものが見え、 山頂かな?と思ったが違っていた。9時丁度。       その祠の中には、古い鉄剣が刃を上に向けた状態で立てたまま保管されていたが、文字が読み取れず仏教徒か修行者使った剣だろうか? 

祠を過ぎたら道は緩やかになったが、日陰で冷たい風が 吹き抜け雪が残っていた。

9時 10分、尾根上で大嵐から来る道と合流した。

三叉路分岐を過ぎ軽いアップダウンの登山路を進むと、木々の合間に小屋らしき建物が見えた。

足和田山山頂(標高 1355m)の展望舎であった。到着、9時 15分。                                高床式展望舎は風通しが良くて、長居は出来なかった。でも頑張って 10分、付近を歩き周り写真撮影をした。

天気は最高だが、吹き抜ける風が 酷く冷たかった。後ろには河口湖が望めた。

足和田山は別名『五湖台』とも呼ばれ、富士五湖全部が見渡せたようですが、山頂付近の木々が成長してしまい、湖の展望は今一つ望めませんでした。 五湖台、9時25分出発。

でも何といっても、富士山の眺めは圧巻です。 

 

      ※ 次は五湖台から三湖台経由紅葉台へ下ります。

 

 

 

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