大菩薩峠
と聞くと、きっと皆さん「アッ
」と思われるかと思います。
そうです。
中里介山
作の長編時代小説の舞台となった所なのです。
その舞台を含め今回、上日川峠~石丸峠~大菩薩峠~大菩薩嶺~上日川峠と言った周遊するコースを歩いて
来ました。
稜線からの展望が素晴らしく、富士山 や南アルプス、八ヶ岳に奥秩父の山々が一望できます。そして 8月であれば沢山の
花々
に迎えられるのですが、今回は景色も花も残念で、絵を描く前の白いキャンバスを見ているようでした。
それに、ここ大菩薩峠では確か 8月だと思いましたが、麓の甲州市立神金(かみかね)
小学校前から介山荘の有る大菩薩峠までの登山
競争が行われました。 距離は 17Km弱で、ほとんどが登り。
大して早くもないのに参加賞と水の代わりに出される美味しい桃が目的で参加しました。
コース上に並べられ、大きいのを両手に持ち、口や手がベトベトになって走った記憶があります。疲れ切ってゴールした時、マツムシソウが迎えてくれたり、富士が綺麗に見えました。
ゆっくりでも時間の取り方を工夫すれば、日帰りで歩けますので是非お勧めです。
介山荘の建つ大菩薩峠へは、福ちゃん荘など山小屋の有る登山道経由なら、上日川峠から 1時間半ほどで到着します。 ただ、そのコースは大菩薩峠登山競争のコースであり、あの時の苦しさを
思い出すのは辛いので、今回は避けて遠回りするコースを選択しました。
上日川峠のロッジ長兵衛 まえにある駐車場に車を止め、9時 12分
出発。石丸峠に向かう。
途中まで林道を歩いても登山道に合流するのだが、折角
山に来たのだからと最初から樹林帯の中に延びる登山道を
進んだ。 熊沢山本峰の斜面に取り付いた時は、急登に汗を流した。
樹林帯を抜け、熊笹の峰に出た時は風が
涼しく気持ち良かった。
熊沢山の本峰を巻いて石丸峠 到着、10時 50分。 風は
涼しいが共にガスの
流れも良く、折角の展望が得られなかった。
笹原が広がり南西側の展望が良く、晴れていれば大休止
の所だが、長く風に当たると体が冷えるので大菩薩峠に
向かう。
熊沢山 山頂までは厳しい登りであったが、通過したら樹林帯の中の尾根歩きで快調に進む。
雨は降っていないのだが、木々に付いた雫
が、風に
あおられポタ
ポタ
と落ち結構濡れた。
介山荘 到着、11時 15分。 大菩薩峠登山競争のゴールが懐かしく目に入った。
介山荘から北西に進む雷岩までは、稜線上の登山道で風が
強い。防風対策で合羽を着用。 風があるので、介山荘横にある休憩舎で早目の昼食
を取った。
それではお昼休みの休憩に、中里介山
作 長編時代小説『大菩薩峠』の全 41巻ある内の第 1巻
「甲源一刀流の巻」
書き出しをご紹介
❝大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里に またがる難所がそれです。 標高 6400尺、昔 貴き聖(ひじり)が、この嶺(みね)の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた。 それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿(うる)おし田を実らすと申し伝えられてあります。・・・・・ ❞
11時 45分、準備を整え 大菩薩峠休憩舎を出発。
12時丁度には大菩薩峠避難小屋 のある
賽の河原
を
通過。 稜線上はガスに
覆われ遠望効かず。
避難小屋から雷岩までは岩場の細い尾根歩きとなり、濡れた岩
のスリップに注意をしながら前進。周りは真っ白な
景色なので足元を見るしかなかった。
雷岩 通過、12時半。 そのまま標高 2057mの大菩薩嶺を
目指した。
雷岩から大菩薩嶺までは樹林帯の中の登りとなり、ぬかるんだ登山道であった。
大菩薩嶺 登頂、12時 35分。 山頂も樹林帯の中であり好天でも展望無しである。
日本百名山の表示あり。
休憩のあと、雷岩まで戻り(12時 52分)唐松尾根を福ちゃん荘まで下った。
唐松尾根の下り始めは岩がゴロゴロしたガレ場や滑り
そうな土がむき出しになった個所があり、捻挫や転倒に注意しながら
下山。
福ちゃん荘 到着、13時 25分。
福ちゃん荘からは細い車道を下らずに、山荘裏から始まる林間の山道をノンビリ下った。
駐車場の上日川峠に 13時 45分、無事下山しました。 とても静かな山歩きができましたが、途中に「熊に注意
」何て標示板があるとドキッ
としますね。
ラジオを
聞きながら
歩きました。