素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

⛩ 伊勢国一の宮 猿田彦大本宮 椿大神社 ⛩

2023年11月02日 | 宮詣で

椿大神社(つばきおおかみやしろ)の参拝者数は、三重県では 伊勢神宮 二見興玉神社に次いで 番目に多く、三重のパワースポットとして参拝される人が多いそうです。

                                           伊勢国 鈴鹿山系の中央山麓に鎮座する椿大神社は 『椿さん』 の愛称で皆様に親しまれ、二千年の歴史を持つ日本最古の神社であるとのことです。

全国でお祀りする猿田彦大神の総本宮として信仰されています。 

 

鎮座地   三重県鈴鹿市山本町御旅

御神徳 猿田彦大神さまは天照大神さまとの幽契によって、国つ神の根本の神として、皇孫を

     先達啓行され、皇大神宮の永久御鎮座の大宮所をもお定めになられた事跡により、地

     上に生きとし生けるものの平安と幸福を招く『みちびきの祖神(おやがみ)さま』とのこ   

     とであります。    

     

朝は正面の御拝殿 に御神体山に鎮座する奥の宮を訪ね参拝する旨の御挨拶をしましたが、13時50分に無事下山をしたので着替えを済ませ、無事下山報告など改めて参拝させて頂きました。

椿大神社は車道から参道は真っ直ぐなのですが、参道の正面に社名の石塔が建っているので、右手の鳥居から参道へと進みます。

獅子堂                                                      聖武天皇の勅願により奉納された獅子頭に由来して「獅子堂」と名付けられたとのことです。 三年毎に斎行される獅子神 御祈祷神事では魔を祓い平安を祈ります。                    平時は交通安全・車輌の清め祓いの祈祷が行われています。

御船磐座(みふねのいわくら)                                           室町時代の謡曲「鈿女(うずめ)」に謡い込まれている神代の神跡。                  天孫 瓊々杵尊(ににぎのみこと)一行の御船がここに御到着された場所と言われ、この地より九州に御先導されたと伝えられています。

高山土公神陵                                                    参道 中ほどにある前方後円墳は、高山土公神陵と呼ばれ、猿田彦大神の御陵であります。

拝殿正面                                                   幽玄なたたずまいをみせる地祇(ちぎ) 猿田彦大本宮 正面拝殿。                            みちびきの祖神・猿田彦大神をはじめ三十二神が祀られています。

鈿女本宮 椿岸神社                                       猿田彦大神の妻神で夫婦円満・芸能上達・縁結びの神として崇敬される天之鈿女命(あめのうずめのみこと)を主神とし、古来より信仰されています。                                 敷地内には古扇を納める扇塚やかなえ滝がありました。

芸能の祖神ということで、テレビで見る芸能人の沢山の方々も参拝されていることを知りました。

 松下幸之助社                                                   生前から『経営の神様』と神格化されるまでに経営手腕を称賛された松下電器産業株式会社の創始者:松下幸之助翁は、こちらの椿大神社に昭和 41年から幾度も参拝され、深く崇敬されていたとのことです。

 

松下翁は幼少の頃より苦労を重ねられる中で、持ち前の忍耐・努力・卓抜な発想・着想を以て身を起こし、一代にして成功を遂げられた立志伝中の人。                           それは延いては我が国の戦後復興・経済発展、また国民生活の向上に大きく寄与することとなりました。

                              

茶室  鈴松庵                                                        昭和 41年4月より開始された椿大神社の「昭和の大造営」において巨額の造営資金を寄付され、大造営完遂の牽引力となるとともに、『鈴松(れいしょう)庵』と名付けられた茶室をも寄進されたとのことです。

松下幸之助氏が日本の心をこよなく愛する情から茶道の発展を祈念し、庭園と共に寄進された茶室。                                                 鈴鹿の 「鈴」、松下幸之助の 「松」をもって『鈴松庵』と名付けられたそうです。           この茶室は一流一派に偏らず広く一般に開放されているようです。

                             

椿自彊館(つばきじきょうかん)                                                     私の参拝時に学生さんが真剣に練習されており、武道の素晴らしさに見入ってしまいました。

(写真は椿大神社のホームページよりお借りしました。)

古代、弓矢は狩りや漁など、日々の糧を得るための霊力を持つ狩猟具として使用されていました。                                                    そこから、祈祷や占いに用いられ、神話にも記述されているとのことです。

椿大神社では、平成 22年9月に弓道場 『椿自彊館』 を開き、自己の改革や精神修行の場として、多くの方々(特に高校生、大学生)にご利用頂けるよう開放されています。

 

 

 

 

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▲ 入道ヶ岳:椿大神社奥宮参拝 ▲

2023年10月25日 | 宮詣で

伊勢国一の宮:椿大神社の御神体山であります『高山入道ヶ嶽』に鎮座する奥の宮を参拝してきました。

『椿大神社』こちらの読み方なのですが、固有名詞であり難しいんです。

私も間違ってしまいましたが、正式な読み方は『つばきおおかみやしろ』と読むようです。

                          

椿大神社の登山者専用第三駐車場に6時 53分到着。 駐車場の広さにビックリ!

登山準備と長時間運転の疲れがあったので、軽い運動をして7時半、出発。           車道を社殿に向けて進むと第二駐車場から第一駐車場、そこには立派なトイレがありました。                                          参道入り口では巫女さんが朝の準備を進められていました。

とても気軽に挨拶を交わして下さるのに恐縮しました。

早朝の神気につつまれた参道を進み、椿大神社の御神徳は 『みちびきの祖神(おやがみ)さま』 とのことで、道中良い方向にお導き下さいますよう、しっかり本殿で参拝を済ませ、御神体山へ向かいました。

本殿に向かって左手に進みます。                                  椿大神社から奥宮へ向かうコースは3本あり、東側に北尾根コースと中央に井戸谷コース、西側には二本松尾根コースがあり、私は北尾根コースを登り、二本松尾根コースを下るコース取りをしました。

 

椿大神社から6分進んで愛宕社の鳥居前に着きました。7時 56分、通過。

北尾根コースは鳥居をくぐり、樹林に囲まれた中の先の見えない急な石段に、もう息を切らす。

石段を一気に 10分少々で、愛宕社前に登り切った。 参拝をして通過、8時 07分。

登山道は愛宕社のある尾根を進むと、北尾根コースの案内板が見えた。8時 27分。

北尾根コースの四分の一位だろうか     鉄塔の下を通過、8時 47分。                                     今日の天気は安定模様。

入道ヶ岳は標高 906m ですが、直登が4回ほどあり余り強くない私に 寝不足が加わり途中で眠くなったりと、低山といえども大変な思いをしました。

 

9時 06分、ポイント4 通過。                                        登山道の両脇にはアセビの木が群生し、根が飛び出していたりで歩き難い。

北尾根避難小屋着、9時 35分。10分の休憩。                                       避難小屋と言ってもトタンで覆われた簡単な建物で古く、中にはベンチが有るだけ。

更に高度を上げて行くと、益々アセビの群生林の中を進む。

アセビの群生林を抜けたら青空が広がり、ポイント8を10時 57分、 通過。

ポイント9(11時16分、通過)に来たら、正面に「高山入道ヶ嶽」が見えた。            あそこまで頑張ろう! 

好展望の尾根に出た。青空が広がり周りの景色が目に入ると、何故か足取りが軽くなる。   リンドウも迎えてくれた。

ポイント 10 通過、11時 32分。                               北側には中央のピーク『鎌ヶ岳』標高 1161mと右手の丸い稜線を見せる『御在所岳』標高 1212mが目に入った。

南側を望めば、弧を描いた入道ヶ岳山頂、そこには山頂の大鳥居が見える。

伊勢国一の宮 椿大神社の背後に聳え立つ高山入道ヶ嶽は鈴鹿山系の中央に位置し、山頂一帯には巨大な岩石で築かれた『磐座(いわくら)』が点在していました。                    磐座は、わが国古代における祭祀信仰の中心であって、まだ社殿が設けられない時代に神々が降臨された神聖清浄な場所とのことです。

 

入道ヶ岳山頂に向かう前に、先に標高 910mに建つ『奥の宮』 へ参拝に向かった。

奥の宮から北の頭に戻り、入道ヶ岳(標高 906m)山頂の大鳥居に向かう。山頂着、11時 56分。

山頂は広く風が 強い時もあるのですが、この日はとても穏やかで鈴鹿市街を見下ろしながら、ノンビリ 30分の休憩で お弁当にしました。

 

山頂の大鳥居は鎮座地の三重県鈴鹿市と椿大神社の社殿を見下ろしていました。

山頂でゆっくり展望を楽しみ、12時 25分 下山開始。                                鳥居の向く南側の二本松尾根を下る。

ポイント7を 12時 34分 通過。                                      入道ヶ岳山頂近くから東南斜面の海抜7百m付近まで樹齢2~3百年のイヌツゲやアセビを優占種とした常緑広葉樹の低木林が見られ、アセビはおよそ数千本と推定されているようです。

二本松尾根の避難小屋通過、12時55分。                              こちらの避難小屋も北尾根で休憩した避難小屋と同じで、小屋内にはベンチが有るだけです。

二本松尾根を下り切った所に、ポイント 1の標示板がありました。13時34分、通過。

朝の7時 56分に通過した愛宕社鳥居前に無事戻りました。13時 42分。お疲れ様でした。

第三駐車場着、13時 50分。                                        奥宮参拝も無事に済みましたので、着替えてから改めて猿田彦大本宮『椿大神社』へ参拝に向かいました。

 

 

 

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🎍 出雲大社相模分祠 参拝 🎍

2022年01月08日 | 宮詣で

初詣、 関東のいづもさんへ。 

 二礼四拍手一礼。

出雲大社の御祭神 大国主大神様をお祀りしており、島根県 出雲大社より正式に御分霊を賜った出雲大社教の分祠であります。

明治 21年(1888)に、島根県御鎮座の『出雲大社』第 80代国造・千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのが創まりとされています。

三が日には例年十万人以上の参拝者が訪れ、屋台の露天商も参道を埋め尽くさんばかりに出店し、三が日を通じてお参りの列は絶えないと聞き、コロナ禍でもあり三が日は避けて参拝しました。

立春大吉縁起とは、天地自然の霊気を正しく受け、平穏無事に過ごすことのできる万民に福をもたらす縁起ものとの事です。

夜にはライトアップされ、竹灯籠やぼんぼりの柔らかな灯かりの中で参拝ができるという時間に向かいました。

新年早々ですが、コロナのオミクロン株が猛烈な勢いで感染者を増加させています。     ワクチン接種も2回は済ませ、マスク、手洗い、うがい、消毒などできることはやっていても、通勤などでは電車、バス等、人混みは避けたいと思いながらもできない辛さがあります。

オミクロン株増加に伴い、また飲食店での会食人数制限が発表されました。何故、飲食店だけ。

学生さんの修学旅行も中止。この調子では明るい未来は見えていません。          一生に一度の修学旅行、入学式、卒業式、入社式、これらを迎える皆さんに、幸多いことをお祈りしています。

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

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⛩ 一之宮貫前神社 ⛩

2019年12月20日 | 宮詣で

一之宮貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する、約1400年の歴史を持つお社です。

御祭神「経津主神」(ふつぬしのかみ)「比売大神」(ひめおおかみ)で、現在の社殿は 3代将軍 徳川家光公の命によって建てられました。 

当社の社殿配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある。             すなわち正面参道からいったん石段を上がり、大鳥居を通り同じ高さの総門を潜ったところから石段を下ると社殿があるという、いわゆる「下り宮」と呼ばれる配置となっています。

社殿は江戸時代初期の極彩色漆塗りで国の重要文化財に指定されています。

                                           また、年間祭儀が 71回あり御戸開祭(みとびらきさい)や鹿占神事(しかうらしんじ)など古くからの祭儀が数多く残るのが特徴です。

御祭神                                                   経津主神は「日本書紀」などの国譲りの場面で神明がみえる、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の異称)平定に功績があったとされています。                                      比売大神は正確な神明も祀られた由緒も伝わっていませんが、一説には綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神と云われています。

 

 

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🐾 遠州の小京都 森町巡り 🐾

2018年03月04日 | 宮詣で

遠州の小京都・森町                                                 三方を自然豊かな山々に囲まれ、清らかな太田川はさらさらと流れ、蔵のある町並みはどこか懐かしい。                                                        由緒あるお宮やお寺も多く、古くから伝承されてきた文化や豊かな自然と農の恵みを楽しみ、ゆったり和やかな雰囲気の《遠州の小京都・森町》を歩いて来ました。

新東名高速道路の森掛川 ICを 10時 10分に 降り、現地ガイドの大須賀様と待ち合せの森町役場に 10時 20分 到着。                                                                                             丁寧に袋にまとめられたパンフレットを頂き、 大須賀様同乗のもと 10時半出発。

まず、遠江國 (とおとうみのくに)一宮 ❝小國(おくに)神社❞へ。                           小國神社は静岡県の西部、遠州地方の森町一宮、奥宮でもある本宮山の山麓より湧きいずる宮川のほとりに鎮座しています。 

                                              御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、神話「因幡の白うさぎ」のうさぎ を助けられた心の優しい大国様をお祀りしている神社です。  

                                            1400年余の歴史を有し、徳川 家康をはじめ、多くの武将から信仰を賜り、遠江國一宮として皆様から崇敬され親しまれています。

次に橘谷山 ❝大洞院❞(きっこくざん:だいとういん)へ。

                                                 浪曲でおなじみ、森の石松の墓で知られる大洞院は、全国に 3400余の末寺を持つ東海曹洞禅の名刹です。

                                               境内には「消えずの灯明」、「世継ぎのすりこぎ」、「結界の砂」など恕仲(じょちゅう)禅師にまつわる数々の伝説があり「伝説の寺」とも呼ばれ、紅葉の名所にもなっています。

石松の墓の所ではガイドの大須賀様が持参した衣装で、寸劇の浪曲を演じて下さり、とても楽しい ひと時を過ごすことができ最高でした。

13時、昼食が遅くなり展望の良い所に行こうと ❝天方(あまがた)城跡❞へ。             戦国時代、今川・徳川・武田の攻防戦が繰り広げられた天方氏代々の居城で、城跡は展望台公園として整備されていました。

                                            展望の良い所は風もあり杉花粉も舞っていましたが、展望台からは はるか遠く浜松にある地上 45階建て、高さ 212.8mのアクトタワーや太平洋も眺められました。

                                                                                             城跡には大きな枝垂桜もあり、これからがもっと賑わいそうです。

14時、松岩山 ❝蔵雲院❞(しょうがんざん:ぞううんいん)へ。

                                                                                   吉川沿いの東岸にある蔵雲院は、天方城主「山内山城守」の菩提寺として、境内には天方城主三代の墓があります。                                                                                               崇信寺(そうしんじ:森町飯田)五世・助岑祥佐(じょきんしょうさ)和尚により開山されました。                                              本尊の虚空蔵菩薩と本堂内の八方睨みの虎画 は一見の価値があります。

                                                                                             八方睨みの虎画には本当にビックリしました。 どこから見ても睨みを利かせているのです。

16時、この時期「しだれ梅」で有名な ❝龍尾(たつお)神社❞へ。

                                             こちらの神社は、掛川城の守護神として代々の城主が信仰してきたそうです。

掛川生まれの山内家二代目忠義は、築城した高知城にこの神社の分霊を祀り「掛川神社」と名付けて厚く崇敬していたといわれています。

                                            一寸時間が遅くなってしまい日影が多くて感動は薄れましたがこんなに沢山の枝垂れ梅は初めて見ました。

山歩きばかりでなく、街中歩きも中々楽しいですね。お疲れ様でした。

 

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⛩ 山住神社参拝 ⛩

2016年12月17日 | 宮詣で

南アルプスに連なる標高 1100mの頂で、1300年の大杉に囲まれ山霧深い霊山は、また霊験あらたかな山岳信仰の山住山山住(やまずみ)神社を参拝して来ました。

                                                  伝えられる ところによると、山住神社は和銅 2年 愛媛県伊予郡大三島の日本総鎮守「大山祇(おおやまずみ)神社」より遷祭(せんさい=移して祭る)し、お祀りしたと云われ、この時代は芽原河内(はぎわらこうち)神社と呼ばれたようです。

                                                     山住神社の社家山住家は、初代神官「守屋左京亮藤原茂家」から現当主まで36代の歴史を誇る名家であります。

また、山住神社は百戦錬磨、天下人となった戦国武将「徳川 家康」公との関連もあります。                                                                                                               元亀 3年(1572)三方ヶ原に於いて、血気盛んな 32歳の若き城主であった家康公は、軍勢 8千を率いて、軍勢 3万の武田軍と戦火を交え、52歳の知略・戦略に長けた武田 信玄勢の攻勢に家康公は防戦一方で、❝三方ヶ原の戦❞は家康公にとって、数少ない敗戦(まけいくさ)であった。

古老の語るところによると「戦に敗れた家康公は山住神社に難を逃れ、敵は家康公を追って神社に迫った。ところが俄かに空は曇り辺りは薄暗く日暮れの様になり、風暖かく霊山全域にウォ~ ウォ~と地響きのする山犬の吠える声が沸き上がり、敵はこの声に驚き 肝を潰し我先にと退散し、家康公は敵から難を逃れた。」と言う。

                                                  その翌年、天正元年正月 17日 家康公は御参拝をされ、また天正 4年に宝剣二振、慶長 19年にも宝剣一振を奉献された。                                                                                         宝剣の一振は名刀『伯耆安綱』(ほうきやすつな)であったとのことです。

                                                                                                                      土地の名家である片桐家の文書には「遠江国(とおとうみのくに)丑寅ノ鎮守二御座候」つまり浜松城の北東の守り神であり、浜松城の鬼門の守り神として家康公は三方ヶ原の戦の後ちに篤く信仰されたと伝えられています。

 

 

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🏠伏見稲荷大社参拝🏠

2016年11月08日 | 宮詣で

全国に30,000社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれている、もっとも身近な神社といわれる「お稲荷さん」

                                                  その総本宮が伏見稲荷大社です。

ご鎮座は和銅 4年(711)とされ、全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮。

                                                   古くは食物・蚕桑(さんそう)あるいは諸願成就の神、中世から近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大。

                                               本殿(重文)は明応 8年(1499)の再興。                                                                           重要文化財の権殿のほか重要文化財の摂末社も多い。

                                                       稲荷山の神蹟(じんせき)を巡拝する“お山巡り”は約4Km、参道にある数千本の鳥居は壮観であります。

朱色の鳥居が連なり神秘的な和の雰囲気を醸し出している『伏見稲荷大社』は京都の中でも、外国人に人気第一番の観光スポットです。

どうしてこんなにも外国人に人気なのか  と疑問に思われる方も居るのではと思います。                                                                                                         この凄まじい外国人の人気は、ハリウッド映画の「SAYURI」にあるようです。                       この映画は、不思議な目をした美しい少女に成長し、一人前の芸者になる姿を描いた『ゲイシャ映画』として世界中で話題となった作品が影響しているようです。                                この映画のロケ地として伏見稲荷の「千本鳥居」が使われたことで、その名が世界中に知れ渡ったといわれています。

最大の魅力である「千本鳥居」のある辺りは、神の降臨地であり稲荷山の入口にもあたり、現世から神様のおられる幽界へと続く門として多くの鳥居が建てられたのが始まりとのことです。

「千本鳥居」だから、鳥居は全部で千本と思うのは大間違いです。                             現在、稲荷山全体の鳥居は一万基ほどあるとのことです。 その数は今も増え続けているようです。

お稲荷さんと聞けば《きつね》が思い浮かびますね。                                                        ここ伏見稲荷大社の稲荷大神様のお使いも“きつね”とされています。

                                                そのキツネは野山にいるものではなく、我々の目には見えない“キツネ”であることから白(透明)狐=“びゃっこさん”と言われ崇められているとのことです。                   そんな事から伏見稲荷大社では“キツネ”をモチーフにした絵馬がたくさん奉納されています。  

 

 

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⛩ 大神(おおみわ)神社参拝 2016 ⛩

2016年02月15日 | 宮詣で

国のまほろば大和盆地の東南に位置する三輪山は、高さ467m・周囲16km・面積350ha、全山松・杉・桧等に覆われ、古来より神の鎮まりますお山《神奈備(かんなび)山・三諸(みもろ)山》として仰がれ、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通しお山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられている、我国最古の神社です。

遠い神代の昔、大己貴(おおなむち)神(大国主神)が自らの幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)(にぎみたま)を三輪山に鎮められ、大物主大神(詳しくは 倭大物主櫛𤭖魂命〔やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと〕)の御名を以て、お祀りされたのがはじまりです。

大三輪の神は国造りの神様として、また医薬・酒造・方除等 人間生活全般の守護神として、大和国一ノ宮・三輪明神と親しまれ、広くその御神威を仰がれております。

大鳥居から参道を進み、二の鳥居を通り拝殿へ向かいました。            二の鳥居からは厳粛な雰囲気が漂い、我が国最古の神社であることが、こういうことかと感じられました。

正面の拝殿を参拝し、この神社の有名な三輪鳥居(三ツ鳥居)を通してお山を拝みたいと思いましたが都合できませんでしたが、次回は必ず見てみたい。                                     鳥居には沢山の種類があるようですが、三ツ鳥居とは明神型という鳥居三つを一つに組み合わせた鳥居ということのようです。                          その鳥居が、神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立ち、本殿にかわるものとして神聖視されています。

                                               拝観は参集殿で申し込みを 

平成9年に竣工した檜を用いた木造の社殿、祈祷殿を参拝。                      大きな素晴らしい建物で紅梅が色を添えていました。

くすり道を通り、薬の神様・狭井(さい)神社へ。

                                                三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。                               力強い御神威から病気平癒の神様として信仰が篤いです。

社殿横には薬井戸があり、万病に効くという薬水が湧き出る井戸があります。   「ご神水」として水を汲みに来る方があとを絶たないようです。

                                                   また、狭井神社の右手からは、ご神体である三輪山へ登拝ができます。            神社に申込みをし、許可を頂いてから敬虔な心で登拝したい。

 

幸魂(さきみたま)とは、ズバリそれを拡大してゆく力。和を幸せに導くということだそうです。                                         奇魂(くしみたま)とは、無から有を生む力。それは努力の証しとされたり、奇跡をさすようです。                                         和魂(にぎみたま)とは、物事を包んで和合させる力で優しく何事にもこだわらず、それら全てをまとめ上げてゆこうとする力とのことです。                                荒魂(あらみたま)とは、現実界に幸魂、奇魂、和魂を行使させる力をいう。つまり全ての現実のために、多少困難な考えや荒い心を持って発露させてゆこうとする現実へのパワーだそうです。

 

 

 

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⛩ 談山神社参拝 ⛩

2016年02月15日 | 宮詣で

と紅葉の名所である談山(たんざん)神社を参拝して来ました。                               飛鳥の東方にそびえる多武峰(とうのみね)の山中にたたずむ談山神社には中臣 鎌足公が主祭神として祀られています。                                  神仏分離以前は寺院であり、多武峰妙楽寺といっていたようです。

                                                     ここは大化の改新でお馴染みの中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣 鎌足(後の藤原鎌足公)が日本の将来について、西暦645年5月に語り合った(国家改新の密談)ことから「談い(かたらい)山」と呼ばれ神社社号の起こりとなっています。                     「談い山」(566m)は本殿の裏山で山頂には大化の改新 談合の碑が立っています。

「談い山」での談合とは、どんな内容                                    蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力が極まり、国の政治をほしいままにしていた頃、中臣 鎌足(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。                                   その時、飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)での蹴鞠会(けまりえ)中大兄皇子に初めてまみえることができた鎌足公は、志を語り意見が一致し、多武峰の山中で「大化改新」の談合を行なったということです。

そんなことで、中大兄皇子と藤原 鎌足公が初めてお会いでき「大化改新」に至った発端は飛鳥法興寺の蹴鞠会であったことから、談山神社でも毎年4月29日と11月3日に「けまり祭」が行われています。                                  飛鳥時代の雅びが感じられるお祭りとのことです。見てみたいですね。

蹴鞠の庭から見た神廟拝所と十三重塔です。

授与所で御朱印を頂き、拝殿に移り歴史絵巻を拝観したり、幼稚園児の絵画が飾られ、格式ある神社にとても暖かいものを感じました。                        これは長岡千尋宮司のお考えによるものだろうと推察致しました。

それは談山神社発行の『談(かたらい)2016年1月 通刊85号に、こうありました。                  平成27年12月に神社の平成の大修理事業であった奈良県指定文化財「東大門」の修理が足かけ10年を掛けて竣工した「御礼の言葉」の中であります。

この度の修理事業は、申すまでもなく氏子・崇敬者の皆様の御支援がなければ成し得ないことでした。                                        皆様の崇敬の真心が一つに集まって、これを成し遂げたのです。ここに重ねて御礼、感謝の言葉を申し上げます。                                               談山神社の1300年の歴史と文化はもとより、数々の貴重な建造物は次世代へ継承されることになりました。 古来、日本は神国である。という言葉があります。             一つのイデオロギーからの見方という考えもありましょう。・・・                                                   しかしこれを実際に地理的に見てみますと、北海道から沖縄まで日本列島には、点として都会の大社から地方の各村々の氏神まで合わせて八万余社が鎮座しています。     これを線として結び付けると、ほぼ列島の形を描くことができるのではないでしょうか。神国たるゆえんです。                              神社は人々の暮らしと共にあります。神社の森は人々の憩いの場であり、子供の遊び場です。                                            祭りの時は、そこが信仰の場になりますが、神社と人々は常に一緒にあるのです。                          これが我が国の国体(くにぶり)であります。 (以上原文)

境内で子供たちが楽しそうに走り回っている姿を見かけました。          明治に官幣社となられた神社の現長岡宮司、格式高い神社の宮司に相応しく御立派な方であります。 

 

 

 

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⛩ 大神神社参拝 ⛩

2015年01月28日 | 宮詣で

最近のテレビコマーシャルで『大神神社』を、ときどき見かけますね。 

                                                                       静粛な境内の中に建つ荘厳な社、気にして見るまでは間違って読んでいました。

正式名は大和国一の宮三輪明神『大神神社』(おおみわじんじゃ)であります。             読めなかったのは、私だけかも  

14時20分に大鳥居前の駐車場に入りました。                                                            1月だからなのか? テレビの影響なのか? 分かりませんが参拝される人の多いのにビックリしました。

国のまほろば大和盆地の南東に位置する三輪山は、標高467m・周囲16km・面積350ha、全山 松・杉・桧等に覆われ、古来より神の鎮まりますお山(神奈備山・かんなびやま、三諸山・みもろやま)として仰がれ、

本殿は設けず拝殿の奥にある三ッ鳥居を通しお山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられている、我国最古の神社との事です。

三輪明神ともよばれる大神神社の常緑樹におおわれた参道から石段をあがると、太い丸木を左右に立て神縄(かんじょう)(しめ縄)を張った鳥居の原型といわれるしめ柱が立ち、広々とした境内の正面に、ご神体山を背負って拝殿が建っていました。

三輪山麓には沢山の神社があり、拝殿から祈祷殿歩を進め、 

                                                                      大三輪の神は国造りの神様として、また医薬・酒造・方除等 人間生活全般の守護神として、大和国一ノ宮・三輪明神と親しまれ、広くそのご神威を仰がれています。

病気平癒の霊験あらたかな神様、大神荒魂大神(おおみわのあらみたまのおおかみ)をお祀りしている『狭井(さい)神社』を参拝。 

                                                                       境内の薬井戸より湧き出るご神水は、万病に効くといわれ参拝者が絶えないとの事です。 また参道の石灯籠には有名な製薬会社の名前が記された石灯籠が沢山見られました。

 

 

 

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