詩人であり、童謡作家であり、そして歌人でもある『北原白秋』が平成27年に生誕130年を迎えました。 それを記念した特別展(H28.1.23~3.16)が小田原文学館で開催され、当地にも深い関係がある白秋を見てきました。
白秋は本名を「隆吉」といい、明治18年(1885)1月25日、福岡県山門郡沖端村(現 柳川市)の北原家に父 長太郎と母 しけ(通称しげ)の長男として生まれました。 家はもともと海産物問屋として九州一帯に知られていましたが、長太郎の代に酒造を業とするにいたりました。
地元は水郷として知られ、切支丹や南方文化が早くに流入したところでもあったので、一種の異国情緒豊かな雰囲気をかもし出していました。
隆吉少年は、そうした豊かな環境の中で多感な幼少期を過ごしていたようです。
しかし、白秋が16歳の時、大火で酒蔵が全焼し、家は傾きます。 傷心の白秋は没頭していた詩歌の創作へと更にのめりこみ、明治37(1904)年に家出同然で上京し、早稲田大学の同級 若山牧水や与謝野鉄幹、石川啄木といった才能とも交流しながら、26歳の時に書き上た処女詩集「邪宗門」耽美的な表現で称賛をあびました。
その2年後に出した詩集「思ひ出」は、故郷 柳川と破産した実家に捧げる懐旧の情で、白秋の名を世に知らしめました。 57年の生涯で2万点以上の作品を残した白秋。
山田耕作との「からたちの花」などは日本の心ともいうべき童謡の傑作です。
実家の破産、隣家の女性との恋愛事件、結婚、離婚と苦境の中、生涯に30回以上の転居し、その中の大正7年から15年までの8年ほどの間を小田原で過ごしています。
この間に全童謡作品の半数近くを創作したといわれています。 小田原時代の作品「赤い鳥小鳥」の石碑です。 赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い。赤い実をたべた。 白い鳥、小鳥、なぜなぜ白い。白い実をたべた。 青い鳥、小鳥、なぜなぜ青い。青い実をたべた。
話は変わりますが、大相撲初場所で日本出身力士として10年ぶりに優勝した大関『琴奨菊』関32歳(佐渡ヶ嶽部屋)の出身地が「北原白秋」と同じ、福岡県柳川市とのことで、3月の春場所での横綱昇進を皆さんで応援しましょう