素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

◎ 鎌倉七福神めぐり ◎   

2016年01月06日 | 鎌倉カメラスケッチ

七福神は福神信仰に由来するもので、夷尊神(恵比寿)、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人という七人の福の神様の集合をいいます。                                                                                                                                                                            このうち、恵比寿神は古神道の神。                        大黒天・弁財天・毘沙門天は仏教の神。                       福禄寿・寿老人は道教の神仙。そして布袋は禅僧で実在した人物とのことです。

                                                         したがって、七福神はインド・中国・日本という三国の、それぞれ異なる宗教が合体してできあがった集団ということになります。                                            下の写真は集合時間前に円覚寺前の白鷺池で見つけたカワセミです。

これらの福神を参詣して回ると、除災招福・諸願成就がもたらされるといわれ、江戸時代にお正月の行事として一般化しました。                              現在ではお正月に限らず参詣されているようです。

JR北鎌倉駅西口の交番前を10時に出発。                                     まず、臨済宗円覚寺派で鎌倉五山第四位の金宝山:浄智寺に向かいました。     山門脇には鎌倉十井の1つである「甘露の井」があります。             甘露と言われたほどですから、昔はさぞ美味しい水だったのでしょう。

浄智寺には境内裏の洞窟に等身大の石像、弥勒菩薩の別の姿である『布袋尊』が祀られています。                                          知恵を授け、福徳円満な人を作る福神です。                             巨大な太鼓腹に、いつも半裸という風体で杖と大きな布の袋を携えていたようです。

ところがこちらの布袋尊は、他の布袋尊と異なり、右手で前方を指しています。   一説に、これは参詣者の「幸せはどこにあるのでしょうか?」という質問に対して「それはお前のすぐ後ろにあるのだ」と教えているのだということです。          これは、入口の山門に掲げられた額の「寶所在近」(ほうしょざいきん)つまり「宝は近きにあり」という文言に由来するようです。

鶴岡八幡宮 『旗上弁財天』                                    源 頼朝が平家の滅亡を祈願したとされる旗上弁財天社は源平池右の中島にあります。 弁財天像は国宝館に安置されており、武運長久、大願成就の福神です。 

                                                    弁財天は七福神の中の紅一点。                                 もとはインドのヒンドゥー教の女神で河川の神様、水の神様でサンスクリット語ではサラスヴァティーと呼ばれていたようです。                             水の流れる音から音楽の神、弁舌(知恵)の神として信仰されました。      仏教に取り入れられた後、わが国にも伝えられ、はじめ技芸の神として崇められ、また、日本固有の神様である市杵島姫命いちきしまひめのみこと)と同一視された結果、琵琶を抱く色白の美女の姿で表されることが一般的になりました。

金龍山:宝戒寺『毘沙門天』                                           北条氏ゆかりのお寺です。 ご本尊の左手に毘沙門天が祀られています。            仏教の四天王の一人で、病魔退散、財宝富貴の福神です。

                                               この地は北条 義時が小町邸を造って以来、代々の執権が住んでいた屋敷跡だといわれています。                                  この屋敷は1333年(元弘3年)新田 義貞が鎌倉に攻め入ったとき全部焼け、同時に百年以上も続いた北条氏は滅びてしまいました。                    その後、1335年(建武2年)足利 尊氏が北条一族の霊を慰めるため、後醍醐天皇の命で寺を建て宝戒寺と名付けたそうです。

にこやかな七福神の中でただ一人、甲冑(かっちゅう)に身を包んで厳めしい表情をしているのが、毘沙門天です。                               もとはインドの財宝福徳を司り、サンスクリット語でクベーラと呼ばれる神様だったといわれています。

叡昌山:妙隆寺『寿老人』                                   「鍋かむり日親」と呼ばれた傑僧・日親上人ゆかりの妙隆寺。               欅一木造りの寿老人尊像が祀られています。                               人々の安全と健康を守り、長寿を司る福神です。

                                                    日親上人は上総の生まれで21歳の時、仏の教えを広めるためには苦しみに負けぬよう修行を積まなければと考え、この寺の池で百日間水を浴び経を唱えたそうです。     その後、京都で将軍足利 義教に「立正治国論」という意見書を出し、政治の悪いやり方を治させようとして、逆に捕らえられてしまいました。              何回も厳しい責めを受け、最後に焼けた鍋を頭にかぶせられるという苦しい罰を受け、鍋かむり日親と言われたようです。

中国の道教の長寿神。                              竜骨座という星座の中に、「カノーブス」と呼ばれる星があります。          きわめて明るい星ですが、南半球の星に属するため、日本ではほとんど知られていません。                                      中国ではかって、この星は「寿星」または「南極老人星」と呼ばれていました。    寿老人とは、この星を人格化したものだそうです。

 

東身延:本覚寺『夷尊神』                                              恵比寿は七福神の中でただ一人の日本の神様です。                 恵比寿は、古く関東では夷尊神(えびすそんじん)と書かれました。 商売繁盛、家運隆盛、縁結び、五穀豊穣の福神です。

                                                   二代目の日朝(にっちょう)上人は「日蓮上人の生まれ変わり」といわれるくらい学徳にすぐれ、40歳の若さで身延山の十一代住職となり、身延山を今の様な立派な寺に建て直しました。                                    それから本覚寺に日蓮上人の骨を分け、東身延と呼び身延山に遠い人の便利なようにしました。 この骨は今も分骨堂に祀られています。                   また、鎌倉時代の刀鍛冶(かたなかじ)として有名な五郎正宗の墓もあります。

                                        漁業と商売繁盛の神様として、今でも全国的に熱心に信仰されています。       狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬきに風折烏帽子(かざおりえぼし)をかぶり、左脇に鯛を抱えて右手に釣竿を持つ姿は、誰にもなじみ深いものがあります。               (ただし、こちらの夷神像は鯛を持たない古い形の像です) 

                                                                         その釣竿は「釣りして網せず」、すなわち暴利をむさぼらない、清い心を象徴しているといわれており、そこが商売繁盛の神様として人気を集めたようです。

                                          御霊神社『福禄寿』                                            御霊神社(ごりょうじんじゃ)は九月に行われる奇祭「面掛行列」が有名です。      その十面の内の一面が福禄寿で、宝蔵庫に祀られています。 長寿、家禄永遠を司る福神です。

土地の人々は権五郎神社と呼んでいます。祭神は鎌倉権五郎景正という武士です。                 もともと土地の神としての祖先をまつる神社という意味の ようです。          このころ関東には大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉という平氏の一族、五家がありました。この五家の先祖をお祀りする神社として「五霊」神社が創建され、その「五霊」がいつしか同音である「御霊」へと変わり、やがて権五郎景正だけをまつるようになったのではと考えられています。

福禄寿は中国道教の神が起源です。                             宋代以降になると、寿老人が違った姿で描かれるようになります。           それは頭が異様に長く、豊かな白髭をたくわえた背の低い老人の姿でした。         これが七福神中の福禄寿で、したがって寿老人と福禄寿は同一人物ではないかとも考えられています。                                       日本では二様に描かれた同一人物を別人として、それぞれ七福神に加えたのではないかと思われます。 境内の宝物庫に祀られています。

海光山慈照院:長谷寺『大黒天』                                   四季折々の花と由比ヶ浜を一望できる長谷寺は鎌倉有数の古刹。                  大黒堂は下境内に広がる放生池に隣接。 出世開運、商売繁盛の福神です。

                                                721年(養老5年)に徳道上人が楠から彫り上げたといわれる日本最大級(9.18m)の木彫十一面観音像を本尊としています。

大黒堂の本尊は1412年(応永19年)の作で県最古とされ、現在は宝物館に安置されています。                                      これに代わり、堂内には「出世開運授け大黒天」がまつられ、現在七福神めぐりの一つとなっているのは、こちらの大黒様です。

                                             大黒天はもともとインドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身の一つといわれています。  仏教に取り入れられてからは、お寺を守護する神様となりますが、日本へは特に「台所の神様」としてもたらされました。                                今でも住職の奥さんを「大黒さん」と呼ぶことがあるのはこのためです。

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 🎍 平成28年 : 2016 🎍 | トップ | 🎍 小正月 🎍 »
最新の画像もっと見る

鎌倉カメラスケッチ」カテゴリの最新記事