パソコン(パーソナル・コンピューター)が登場したのは、1970年代後半であるらしい。もちろん、それ以前より既にコンピューターという概念、というかコンピューターそのものは存在した。けどその頃のコンピューターというのは、やたらとデカくて一部屋占領してて、飛行機の操縦席をさらに広げたような操作卓で動かすもので、壁一面にオープンリールデッキみたいなのが何十台も並べられ、やたらあちこちでライトが点滅し、細長い紙にパンチ穴を開けたものがぞろぞろと吐き出されてくる、と、そういうものだった(あくまで僕個人のイメージです^^;)。そんなコンピューターが、小型化・軽量化されて、机の上にも置けるようになった訳だ。パソコンというのは、非常に画期的な発明だったに違いない。
僕の実生活にパソコンが関わってくるのは、90年代以降だけど、20歳過ぎた頃にはパソコンの存在は知ってたと思う。周囲に持ってるのはいなかったけど^^; でも、一般にも販売されていたらしい。東野圭吾の『白夜行』にも、80年代初頭(推定)にパソコンゲームのソフトを盗み出して、コピーして転売する、というエピソードがある。理工系大学の研究室なんかには、おそらくパソコンが置いてあったりしたのだろう。うちは文系なもんで、そんなのはなかったけど^^;
そういや、その頃のパソコンって、データやソフトを、カセットテープに保存していたんだっけ? 知り合いが、当時データを保存してあるカセットテープを、フツーのカセットデッキで再生してみた事があるらしいが、ただノイズが聞こえるだけだったそうな。
しかし、僕の感覚では、あの頃の最先端はパソコンより、使い勝手のいいワープロだった。テレビCMでも、頻繁にワープロが登場するようになっていたし。でも、僕が初めてワープロに触れるのは、就職してから3年後、80年代も終盤に差しかかった頃だ。とことん遅れていたのである(笑)
しかし、あの頃のワープロってデカかったよなぁ。ワープロ専用機だというのに(やや意味不明)。うちの会社で使ってたワープロは、一昔前のデスクトップパソコンくらいの大きさだった。しかも、記録媒体はフロッピーではあるが、3.5インチでない、もっと薄くて大きいヤツだった。ソノシートみたいな感じ、と言えば分かって貰えるかな(笑)
余談だが、フロッピー・ディスクを発明したのは、かの発明王ドクター中松というのが通説になってるみたいだが、実際は違うらしい。
平成に入る頃、社内にコンピューター・オンライン・システムが導入される。日本IBMの指導を仰いで構築されたのだ。数千万円かかったらしいけど(笑) 全部署・全支社営業所に、同じ型のパソコンが設置され、製商品の発注や在庫管理は、全てパソコンで行うようになった。地方の営業所にいながらにして、本社の倉庫の在庫状況も画面で分かるのである。当時は、ついに我が社も最先端企業の仲間入りか、なんて感激したけど、今思うとさほど大したものではなかったような(笑) しょっちゅう故障して毎日のように、定時後にメンテナンスなんてやってて、ログインしたままでいると、何番のパソコン落として下さい、なんて電話がかかってきたりして、仕事も残ってるので結構鬱陶しかった記憶がある。で、メンテナンスが終わるまで一時間くらい待って、その後また立ち上げて仕事の続きやったりしてた。そう、時はバブル真っ只中、結構忙しかったのだ(笑)
そのオンライン・システムは今も健在だ。全社的にWindowsマシンに入れ替えるのに伴い、ソフトの改修工事をした以外は、ほとんど変わる事なく、現在に至っている。そう、ほんと、昔のままだ。今どき、マウスを使わず、ファンクションキーで操作するアプリケーションなんて、まずないと思うが、うちのシステムは今でもそうである(笑) Enterキーの代わりに、Ctrlキーを使うようになってるし(笑) 正に、旧態依然(爆)
所で、僕はずっと“パソコン”と“マイコン”は違うものだと思っていた。マイコンの事を“マイ・コンビューター”の略だと思い込んでて、笑われた事もあるのだが、その時にマイコンとは“マイクロ・コンピューター”なのだ、と教えられた。で、家電などでも「マイコン制御」と謳う物も出始めていたから、要するに、箱ではなく、基板みたいな物と信じるようになったのだ。
でも、最初の頃、パソコンがマイコンと呼ばれていたのは事実らしく、同じ物と解釈してても間違いではなかったのだ。もちろん、“マイ・コンビューター”という意味ではないのだけど(笑) でも、“マイ・コンピューター”と“パーソナル・コンビューター”、似たような意味だよね(笑)
という訳で、今日のネタは、↑の看板を見て思いついたものである。オチなくて、すいません(爆)