Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「サヴァイヴィング・ライフ -夢は第二の人生-」ヤン・シュヴァンクマイエル

2011-09-28 16:55:32 | cinema
サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-
2010チェコ
PREZIT SVUJ ZIVOT (TEORIE A PRAXE)

監督:ヤン・シュヴァンクマイエル
脚本:ヤン・シュヴァンクマイエル
出演:ヴァーツラフ・ヘルシュス 、クラーラ・イソヴァー
ズザナ・クロネロヴァー、エミーリア・ドシェコヴァー
ダニエラ・バケロヴァー


前にも観に行ったんだけど
ほとんど全て寝ちゃってだね、
リベンジなわけですよ。。

シュヴァンクマイエルにしては毒気が少ないかなと
見た目では思わなくもない。
背景も概して落ち着いているし
アニメーションもグロというよりはコミカル
冒頭時間稼ぎと称して語る内容のとおり
本当に予算がないのかも

オテサーネクやルナシーのような実写作品にしたかったのだろうが
「不完全な代用品」という正直な言葉通りかもしれない。

けど、
夢と現実を同化したときに人間は完全になるという言葉の
実践としては
このスタジオ作品はその面白さをいささかも追い損なってはおらず
悲しむべきはあのシュヴァンクマイエルにさえ
適切な予算をつけられない我々を含む状況なのだろう。。

副題が「理論と実践」なので、一方では実験室的な作業になったことで
シュヴァンクマイエルの試みが割とシンプルに伝わってくるのかもしれない。
初期の作品のような本当にわけがわからない衝動のようなものはない。
これはシュヴァンクマイエル的科学の記録なのかも。




プロットのややこしさは
フロイト的精神分析の世界なのだなと
納得したくもなるが、
そういう理解の仕方をフロイトとユングの肖像写真の
せめぎ合いによって
笑い飛ばしてくれるのはなにか痛快。

なにやら種明かし的なラストに至るシークエンスで
ユングが落下したのちにフロイトが自ら匙を投げるように
落っこちて見せ、
精神分析医は治療の終わりを宣言するなか、
主人公エフジェンは「わたしはどうすればいいのか?」と叫ぶ。

ここにこのところの100年間くらいのヨーロッパの息苦しさを
読み取らないわけにはいかないが、
同時にシュールレアリストのふてぶてしい楽観
もしくはオレハカンケイナイヨ的な逸脱を
ラスト血の池を泳ぎ回る幼児としてのエフジェンの立てる水音が
サラウンドにより客席をぐるぐる回って見せる音響の
ばかばかしいふてぶてしさの中に、やはり感じてしまうのだ。

シュールレアリズムこそ有効だとか
そういう風には思わないけれど、
人間の精神を閉塞から開放へといざなう力を持っているのは
今持ってやはり芸術で
その不定形で語り尽くせない怪しい力には
こちらからモロに接触しに行くしかないのだろう。

社会運動的な芸術活動から
今は個人の孤立した空間での芸術体験へと
力の場が移って久しいのだろうから、
メディアに乗って行く芸術
映画や音楽や小説にシュヴァンクマイエルみたいな人が
たくさんいることが
ある種の希望なのだよな。

高齢だけどずっと頑張って欲しいし
健全なフォロワーがたくさん出るといいな?



あまり映画の感想になってないけど。



コメント
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