Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「Peace ピース」想田和弘

2011-09-27 15:51:41 | cinema
Peace ピース
2010日本/アメリカ/韓国
監督・制作・撮影・編集:想田和弘


この素晴らしいドキュメンタリー映画を観るに至った経緯は
この映画への敬意とはうらはらに
実に申し訳ない感じなのだが、
要はスコリモフスキを観るつもりで
劇場を間違えちゃったのである。

その間違いがなかったらワタシはこの映画を観ていない。
別にドキュメンタリーだからとか
日本の作品だからとかで避けているわけでもないんだが
基本ヨーロッパの偏屈な映画が好きなので
限られた資源を分配するにおいて
スコリモフスキを選んでしまうのは仕方ない。
だってヨーロッパすきなんだもん、しかたない。

ということで、上映開始時刻になってもいっこうに始まらないにも関わらず
「変だな」くらいにしか思わず、
予告編を経て本編が始まる瞬間に至るまで
自分がよもや劇場を間違えているとは夢にも思わなんだ。

本編が始まって全てを理解したときは
衝撃のあまり無言の絶叫をしたのだが、
でもちょっと考えたら結構楽しいことかもと思った。
みるつもりのなかった映画を観ることになる。
それはなかなか素敵な出会いだよなと。
(負け惜しみではない)



しかしあれだな、その出会いもこのPeaceだから楽しめたのかもな。
同時期レイトショーやってたタクミくんシリーズだったらどうか??




まあいいや

ある地方都市で障害者や高齢者のケア
主に自動車による送迎を行う非営利団体に属する夫婦を中心に
訪問先などの人々の姿や
そういう活動に携わることの思いや愚痴などを
淡々と平明に写して編集している。
説明は一切なく、
カメラを回している「想田さん」も
ときおり声を発したり被写体と別れの挨拶をしたりと
その存在を隠さないので、
観ているこちらは想田さんと一緒に
撮影に関わっているような気分である。

全体としてなんとなく平和かもしれない的な
微妙な水準にある日本の中で
いろいろなレベルで確かなきしみが密かに存在する日常を
確かな切れ味でのどかに切り出しているのには
なんというかじわじわくるというか
思わず自分の日常と地続きの世界のありように
思いを致さないわけにはいかないのだな。

送迎を業とするのだが、一般的な運輸業との棲み分けのために
こちらはあくまで営利が出ないような料金設定しかできない。
とても生計が立つような収入ではないがなぜやり続けるのか
という問いに対しては、惰性だね、と笑って見せるが、
介助の講習会においては、
収入の低さを上回るやりがい、使命感があるとも説いてみせる。

制度の貧弱さという問題をあらわにしつつも
それを支える人の個人的な思いやこだわりのなかには
社会問題と私的な日常との間の大きな振幅があり
必ずしも明るくも暗くもない
人間の生活があるのだ。

そこになにやら感心する。
そこの広さをいっぺんに扱えるのが
ドキュメンタリー映画という形なのかもしれないな。



ご主人の飼う?にゃんこたちのすがたも
とてもリアルな(まあ実際の情景だからね)
家猫じゃなくてのら猫に庭で餌付けするというスタイル?は
こんな感じだよね。


@イメージフォーラム


コメント (2)
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