Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「幼年期の終わり」新訳版 クラーク

2008-10-10 23:44:06 | book
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク
光文社

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先頃逝去したクラークさんの名作の誉れ高い「幼年期の終わり」を読みました。
1953年に発表された小説ですが、その第1章を1989年に改稿した版の翻訳が、この光文社版です。改稿前の版は米ソ冷戦構造に基づく設定があったということで、新版ではその部分を大幅に変更し、舞台を21世紀に変え、むしろ宇宙開発でアメリカやロシアをはじめ世界各国が共同していることを強調する作りになっています。

89年はベルリンの壁が崩れた年でもあり、そういう政局の激変のインパクトのままに改稿を施したのだろう、そこに決して希望を失わないクラークさんの性格を感じました。


さて、小説ですが、本筋となるプロットや設定は良く練られていて面白いです。人類が異星の高度な文明によって支配されるときにはどのようになるか。この問いに対して、地球における支配と被支配の歴史をそっと参照しながら、適切な力を最適な場所に最適な方法で注入することにより完全な支配が行われるだろうということを描いてみせます。

カレランが代表する異文化(オーヴァーロード)は地球を有史以前から観察してきたという設定も、なぜ彼らが完璧な英語を話すのかといった素朴な疑問をさりげなくかわしてしまいます。世界中の主要都市の空に船を浮かべてみたり、発射されたミサイルを消してみたり、亜光速まで加速できる動力など、計り知れない高度な技術についても記述がありますが、過度に奇想を追わず、仮に実現したらこの程度かなという範囲に納まっていて、まあ納得いく範囲です。


それでも、どうしても納得いかないぞぉこれは??という部分もなきにしもあらず。

そもそもオーヴァーロードが世界中に船を浮かべただけで(あるいはちょっと太陽を消してみせただけで)地球人がなよなよと萎えて、争いも諍いもない、自給自足で平和な地球国家を形成してしまうものだろうか?
もっと人間は愚かで多様なんじゃないかな。どんなに高度な文明が目を光らせているからって、バカをするヤツは絶対バカをするだろう。どんなに抑止力があったって戦争をするヤツは戦争をする。いちおう異文化に異を唱える集団も描かれてはいるが、なんだか単にデモ行進をするだけで、行儀が良すぎる。

それに、支配される100年くらいの間にすべての人間が英語を話すようになった、とか、これもありえねーだろう。
飢えや貧困がなくなり、生活必需品はタダで手に入り、労働の必要もなくなった、とかに至っては、まったくもって現実の厳しさに対する目配せを欠いている。


そんなこんなが気になりながらも読んでいくと、第2章ではなんだかオカルトちっくなプロットがでてきたり、オーヴァーロードの母星へ密航する話(40光年を亜光速で往復するから、船に乗っている人は数ヶ月でも地球上では80年が過ぎるっていうお約束の話ね)があったり、おやおやっ?と飽きさせない。

それもこれも、第3章での大飛躍の伏線だったのね、というところはなかなか面白いです。最初はええっ?とおもったオーヴァーロードの容姿についても、実は集合記憶というものは時空を超えるんです、とかいう説明のための材料だったので、まあ許せるし。人類が個体のアイデンティティを捨ててオーヴァーマインドにとりこまれるというプロットは、今でこそそんなに驚きはしないけれど、50年代に出されたヴィジョンとしてはかなりインパクトあったんじゃないかなあと想像します。

まあ、オーヴァーマインドとはいえ、すべての現象は物理法則に支配されるとするなら、やっぱり意識の共有だか伝達だって光速を越えられないんじゃないの?とか思ったりするのですが^^;
どうやらクラークさんはいわゆる科学で説明できない事象についても、頭からそれを否定する派ではなかったようで、そういう含みもあってこの小説を書いたんだろうと思います。


思うに、人類の未来はどうなっているかということで、人類を取り巻く環境の変化については山ほどの小説があるでしょうけど、人類自身がどう変わっていくのかということについて書かれたものはあまり多くないのでは?(全部の本を読んでるわけでないので、そんな気がするだけ)
たぶんそれを書いてもリアリティがないっつーか、まず娯楽としては受け入れがたいし、なんだか気色悪いことになるんでしょうね~

クラークはこのあと「2001」で再びそういうテーマに挑みます。
環境と技術の変化が人間の本質のありようにまで浸食する世界を描くのがイーガンでしょうか。

機械化/自動化が進んで人間は動く必要がなくなるから手足が退化し頭だけになる、とかいう俗説の類いはよく○○マガジンとか子供向け科学雑誌とかで目にしましたが・・・60年代に花開いた大層な未来像はどうなってしまったんでしょう?アレを描いた大人達にはこれまでの時代を総括していただきたいとワタシは思うのです(けっこうマジで)。
なにが正しくてなにが間違っていたのか。子供にムダな夢を見させた大阪万博が、壮大な無駄遣いだったのかどうかをキチンと明らかにしてほしいです。
(自分でするかな?)


改稿前の旧版はこちら↓
幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))
アーサー・C・クラーク,福島 正実
早川書房

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SFマガジンにイーガンの短編

2008-10-10 08:02:59 | book
S-Fマガジン 2008年 11月号 [雑誌]

早川書房

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まだ読んでいませんが、SFマガジン11月号にはイーガンの短編「グローリー」掲載ですな。

最初の3パラグラフをチラ見したけれど、すでに十分ハードでした^^;

コメント (4)
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