Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「未成年」ドストエフスキー

2008-10-04 22:16:25 | book
未成年 上巻 改版 (1) (新潮文庫 ト 1-20)
ドストエフスキー
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未成年 下巻 改版 (3) (新潮文庫 ト 1-21)
ドストエフスキー
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未成年

こいつはどう切り込んでいけばいいのか~?
主人公のドルゴルーキーくんは、未成年らしく(いや、未成年らしからぬ?)高い理想や思想を求め、理知的で分別を持つことを望み、高尚な人間関係を求め、世の混迷を否定し、これらにふさわしい言動をこころがけ、しかし世のダイナミックな移ろいや混濁の前に都度困惑し動揺し感情の高ぶりをみせ、そしてそうした自分を低いものとしてみると同時に、あくまで自分には理想があるという高さも自負する・・・という、ああ、まどろっこしいヤツだ(笑)まっすぐなところも屈折した面もそれぞれに極端に振れる未成年を主人公に、ロシアの、時代の世相を浮き彫りにしつつ、人間の精神の成長のありようを描いちゃおうという、毎度ながら全体小説を目指したドストエフスキーらしい作品でありました。

ドルゴルーキーくんは悲しい境遇ながらもそれなりに財政的にも精神的にも基盤を持ち純粋培養された青年であるのに対し、世相は、農奴解放・無神論の横行・共産主義・拝欧・ロシア(自国)蔑視などなどの精神的動乱期である。動乱を反映してか、ドルゴくんの出会う人物は種々様々だ。父への憧憬と軋轢や友人の裏切りや悪意、女性たちの純粋ながら世知辛い態度などに一喜一憂し、元気になったかと思うと熱病にかかる彼に、文章はひっしりとよりそっていく。彼と一緒にくらし、苦楽をともにしているような錯覚を覚えるほどだ。

あの時代のロシアを青年として生きるということは、こういうジェットコースター的激情を生きるということだったんだろうか。今の日本の青年はどんな精神を生きているだろう。19世紀末ロシアとはかなり違うだろうけれど、やはり激動の時代であることは間違いない。親の世代は子に信念に満ちた未来への道を提示できない。子は指標を渇望しながらも、権威に導かれることを拒否する。高邁であるかはともかくもそれなりの理想を抱きつつ、それが実現できない重圧を感じている。そんな青少年はこれを読んで、直に指標にはならないだろうけど、世の中を考える視野を広げる一助にしてほしいなあとは思うけど、今の迷える未成年はドストエフスキーなんか読まないかなあ。。

***

やっぱり「悪霊」「罪と罰」などに比べると精神のダイナミズムが読者に与えるインパクトという点ではやや普遍性に欠けるかもしれない。このあたりが長編でありながらなんとなく地味な扱いを受ける理由だろう。回想手記という手法もそのダイナミズムのあり方に影響しているだろう。物語展開の都度、手記を書いている「現在」のわたし=ドルゴくんの見解がはさまれるので、いちいち物語から引き離される。手法的にはそこが面白いところではあるんだけれどね。

****

ドストさんらしい崇高な魂は、この作品では農奴で下男出身の、ドルゴくんの法律上の父親であるマカールが体現する。妻や主人に事実上裏切られながらも隣人を愛し、巡礼の旅に身を投じ、死の床につくためにドルゴくんや妻の住む家に現れる。彼の言葉は周囲の者の心に深い影響を与え、そのような影響力のない「新しい」思想を相対的に弱いものに感じさせる。

彼の光り輝く存在は、「白痴」のムイシュキン公爵、「罪と罰」のソーニャ、「カラマーゾフ~」のアリョーシャの系譜だ。人間にとっての善美とはなにかという問いに対して、普遍的な答えを求めるものにとってはおおいに影響力のある人物像だろう。たとえその答えがロシア的風土や時代背景と無縁ではないとしても。




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