Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

寺山修司「さらば箱舟」

2006-12-22 23:29:58 | cinema
さらば箱舟

ジェネオン エンタテインメント

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悲しい話だった。
見方によってはハッピーエンドなんだけれども、
全然ハッピーではない感じ。

【ネタばれデスヨ】
ある村。寒村というには活気に満ちているが、決して大きな村ではない。「本家」とその分家でなりたっているような集落が舞台。
分家の分際で、本家の娘=いとこと結婚した捨吉とスエの夫婦は、ほとんど村八分の生活。
いとこと結婚すると犬の体の子供が生まれる、と、スエの父親はスエに貞操帯を穿かせてそのまま他界。捨吉とスエは貞操帯をはずそうと手を尽くすが外れない。

祭りの日、闘鶏場でスエとの関係を揶揄された捨吉は、本家の大作を刺殺してしまう。その夜スエを伴って村を逃げ出した捨吉だが、数日歩きとおした末、元の家に戻ってきてしまう。(この夜のモノクロのシーンは消え入りそうな明かりを便りにしており秀逸)
もどってからの捨吉は、物の名前を忘れてしまうという奇妙な病?に侵されはじめ、同時に大作の幻を見、会話するようになる。
家中の物に、名前を大暑した紙を貼り付け、自分自身には「俺」と書いた札を下げる。しかし妻スエのことだけは忘れない(;;)

一方、村のおかしな形をした木の近くに妙な穴があいている。どうやら冥土とつながっている穴のようで、冥土からの手紙を配達に来たりする。
また、「隣街」がどうやら魅力的な街らしいと言うことが伝わりはじめる。
とともに、村にも電気が引かれはじめるなど、近代化の波もやってくる。
村人は次第に「隣街」に移りはじめる。

ある日、物売りが時計を売りに捨吉の家にやってくる。捨吉の家が時計を所有したことを知った村人は、捨吉の家を襲撃し、時計をたたきこわし捨吉を撲殺してしまう。
捨吉を荼毘に付したあと、スエは花嫁衣装をまとい、冥土につながる穴に身を投げる。「隣街なんてない。百年経ったらその意味わかる」と叫びながら。

***

時計をもつことで時間を所有する、あるいは時計を個人で持つことによって共通の時間が失われる、というモチーフは、「田園に死す」でも出てきたものだ。
時間の個人所有が、近代の生活だとすると、ここでは、冒頭本家の大作が本家を除き村中の時計を集めて浜に埋めてしまうことによって、この共同体が、近代という波のなかにおいてなお前近代的な性質を保っているのだということが明らかにされる。

その共同体の中で、タブーを侵し人殺しをする捨吉は、村八分の対象であるとともに、殺した当人と会話するという、冥土との通底者でもある。
スエもまた、捨吉と一緒であることで村では疎んじられる存在で、その存在はあのザンギリ頭に象徴される。とともに、捨吉の狂気を素で受け入れ、捨吉の葬送を行う、やはり冥土と交流を持つものなのだろう。

タブーを侵すものが狂気の側に立ち、冥土と交流し、同時に個人的時間という「近代」を手に入れ、過去から未来の複数世界を見通すと言う、なんとも複雑な構図が未消化でむき出しに置かれる。
侵犯者=狂気=冥土=近代=隣町=百年後、という強引な結びつき。このむき出しの力の度合いがかなり強力で、なじみのある寺山的風景(カタワや見世物小屋なんか)がちりばめられてもその印象はむしろこの映画では薄い。

という意味では、寺山苦手派にもこの映画なら大丈夫、という気がしなくもない。コンプレックスや自分語りを超えて、百年を描くことに力をそそいだ、そんな超越感が映画を支えているように思うのだ。
遺作でやっと映画に達することが出来た・・というのは言い過ぎか?
(というほど寺山観てはいないのでね)

**

合田佐和子による装画がいい。
しばらく存在をわすれていた作家だったが
一見して、おおっ?この絵のタッチはたしか・・??と思い至る。
作品集「パンドラ」を持っているが実家に置いてきている。
こんど取りにいこう。

「村」は沖縄ロケらしい。
シーサーが屋根でにらみをきかせ、薄暗い屋内で老婆がいつまでも同じ姿勢で座っている。そういう悠久な前近代を沖縄にみたのだろうか。
そういえば岡本太郎も60年代ころに沖縄に行って写真を残している。
岡本がそこにみた土俗と同じものを寺山も見いだしたのだろうと根拠なく思う。

で、日本の・・といってしまうと大きすぎるのかもしれないが、わたしたちの百年を振り返り、そこで得たものと喪失したもの、喪失したと思っていても根付いているもの、根付いていると思って喪失しているもの、そうしたものたちに思いを馳せる。

「百年たったらその意味わかる」
あと百年たったとき、わたしたちにはたしてなにかがわかってるだろうか。
(あ、生きてないか・・・)

**

ところでこれ、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」の映画化ということらしいが、作家のクレームにあい、公開が遅れたという話である。
「百年・・」とはもちろんかなり違う内容で、まあムリもないかな・・・

***

関係ないけど、これを観る1時間前に「よつばと」6巻を読んだんだけど、よつばが家中にはりがみをする段があって、妙なシンクロに驚き笑えた。


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