![]() | 曼陀羅ジェネオン エンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
1971日本
監督:実相寺昭雄
脚本:石堂淑朗
音楽:冬木透
出演:清水紘治、森秋子、田村亮、桜井浩子、岸田森
無闇に面白かった。
観る者をいったいどこまで連れていくのか?
ここまでだろうと思っているとまだ先がある。
今のわたしたちにこれほどの道程があるだろうか?
これほどまでにたどるべき道があるっていうのはどういうことなんだろうか?
**
初めは、幼少の原風景とエロティシズムの関係が、関係を深めるほどに虚無的になっていく男女の話なのだけれど・・
それはあるきっかけから、死と密接に絡み合った快楽への目覚めへと繋がっていき・・・
(それだけで十分一本撮れるテーマだろうに)
その快楽の源をたどっていくと、ある共同体の生活様式に行き当たる。
それは単純再生産(=農業+エロティシズムの追求!)により時間=歴史=生と死を超越しようとしう共同体。
それに対置されるのは、統一と改革を目指した学生運動の挫折と、それがもたらす個人主義へのベクトル、その暗さ。
そしてもう一方のベクトルである日本回帰的思想の怪しさ。
閉鎖的なモーテルの中での二組のカップルのスワッピングからはじまる物語は、そうした鉱脈をたどるようにじわりじわりと広がっていき、
共同体の生活にのめり込んでいくカップルは、共同体の聖地を求める旅の果てに終焉を迎えるし、一方の個人主義にも日本回帰にももちろん共同体の原理にもなじめないカップルは自死と、単独テロという、極端な道を選んでゆく。
登場人物すべての行動は結局デッドエンドなのだ。
まさに方向性を失った社会の分子構造が崩壊する瞬間の様を描いた作品。
進むべき道はなく、それでも進まなくてはならない閉塞感を生々しく描いた映画であり、それはいまの私たちの社会とまぎれもなく地続きなのだ、と思う。
***
奇怪な、ダダイズム建築ともいうべきモーテルはなかなかすごかった。
毎度いうのもなんだけど、ウルトラセブン的異郷感だ。
後半、岸田森率いる共同体の行動をモノクロでとるようになってゆく。
共同体がどんどんこの世から隔たっていくかのような演出で、迫力があった。
共同体を追う男が、一度はモノクロで示された風景を今度はカラーで通り過ぎるのも、なかなか新鮮な構成だ。
これもまたカメラアングルやカット割りに、一瞬も気の抜くところはない。
ひたすらの緊張感に、あっというまに時間がすぎてゆく。
緊張によって時間を演出する作家なのだろう、と考える。
桜井浩子はがんばっていましたが、声をきくとそれはまさにフジ隊員のそれ。
あの声がずっと自分の脳裏にしみついていたことにあらためて驚く。
機会があったらもう一度観たい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/b1/a2d25dd96101e6160d66aad3e4f9dbe6.png)
↑ぼちっとオネガイします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/70/8f54d88527c8f4a8180d0cb1821c14d4.png)
↑お買い物はこちらで