Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

マーティン・スコセッシ「ノー・ディレクション・ホーム」

2006-01-06 16:57:49 | cinema


ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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2005アメリカ
製作・監督:マーティン・スコセッシ

デジタル・ハイビジョン作品。
上映自体はDVD化されたもので行っているらしい。
ディランの映像は商品化されるかどうか怪しいので、観ておこうと思いました

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アメリカの超有名シンガーソングライター、ボブ・ディランに関するドキュメントである。
4時間弱の長尺作品なので期待を持って臨んだ。

冒頭、いきなり現在の本人が、自身のことについて饒舌に語り始めるのにびっくりした。ディランとは、語らず、歌い書く人だと思っていたから。
ここでの語りは、60年代の記者会見などでの、人を食ったような受け答えとも違った真摯な語りだ。『自伝』を著した彼が、熱い時代を振り返り語っている。その姿には驚き困惑すると同時に、なんだか胸が熱くなった。

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このドキュメンタリーは、結局、ディランのもっとも伝説めいた時代=デビュー前の放浪から、フォークの旗手となり、ロックへの変節、そしてバイク事故までの時期に限定したものだった。
長尺なので、70年代のローリング・サンダー・レビューや、80年代の宗教的な展開、90年代以降の憑かれたようなツアーについてまで言及されるのかと思っていたので、ちょっと肩すかしを食った感じだった。(続編が観たい!)

とはいえ、ディランが捨て去った故郷ヒビングの古き映像には、なんだか見てはいけないものを見てしまったような生々しい閉塞感があったし、随所で繰り返される、ツアーでのブーイングに満ちたステージ映像や、伝説のニューポートフェスでの演奏風景、記者会見風景、ステージ直後の車内の映像!などが、当時の関係者へのインタビューを挟み、繰り広げられる様は、まさに手に汗握る映像の連続。タイムマシンで当時に戻って撮影してきたんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。

要するに60年代のある時期のドキュメンタリーと思えば、十分面白いものだった。
公民権運動やキューバ危機などの時代の大きな波のなかで、本人の意志を大きく超えて有名な存在となっていく過程を描くことを通じて、力みなぎる60年代という時代を感じさせるとともに、一方で、その渦中に確実にあった、異様な息苦しさ・疎外感・緊張感をもあぶり出していた。この点で、このドキュメンタリーは成功していると言えるかもしれない。
いま振り返ると、ディランという「偉大な」人物は、時代の渦中で実はおどろくほど実直なあり方をしていたのであり、傍若無人に振る舞い、変節し、過ぎ去っていったのは時代と大衆だったのだという気がした。

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作りとしては、ビートルズの『アンソロジー』によく似たテイスト。

個人的には、ザ・バンド(レヴォン・ヘルム抜き)が同行したヨーロッパツアーの映像(Like a Rolling Stone)が々堪能できてよかった。あの迫力ある演奏では、さぞかし当時の「フォークの」聴衆は度肝を抜かれたことだろう。

あと元恋人のスージー・ロトロのインタビュー!この人もある意味伝説の人だしね。

そしてやっぱりジョーン・バエズのインタビュー。バエズの、ディランに対するとても微妙な感情をよく表現していて、胸キュンになる(<古)。

日本でのみ有名ということで有名な(笑)アル・クーパーのインタビューもいい。図らずして伝説の人となった、自分をよく知っている人の発言だった。

不思議なのは、なぜロビー・ロバートソンのインタビューがないのか??
ロビーはまさにブーイングを浴びまくった伝説的なステージをともにした渦中の人物。のみならず、スコセッシとロビーは一時期尋常でないほどの親好を結んだはずなのに。
なぜ?

あとは・・ある有名なエピソードの伝説的なシーンが、まさに映像となって・・(以下ネタバレなので伏す)・・・これって・・・結構あざとい演出だなあと思った。いかにも「隠し球出したなスコセッシ!」って感じ(笑)

↓これはサントラCD。
ノー・ディレクション・ホーム:ザ・サウンドトラック
ボブ・ディラン
Sony Music Direct

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↓これもエレクトリックへの変節期の証言アルバム。
ロイヤル・アルバート・ホール
ボブ・ディラン
ソニーミュージックエンタテインメント

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