某所にて催された某社編集者+関連翻訳者の新年会(それが新年会だったということは、後日知った)に呼んでいただいた。ありがたい話である。某社編集長の「ウクレレの兄貴」ことI氏と、美人敏腕編集者のKさんのお二人にお会いするのは昨年の11月以来だ。そして、歩く古典落語あるいは現代の東方見聞録こと翻訳家の某N目大さん、さらにリトルサイパンダまたはネリマタイフーンの異名を持つ美しき翻訳者Yさん、そして世界のS社が誇る新進気鋭のネットワーク関連翻訳者Sさんとわたくしを加えた豪華6人が一堂に会するというドリームナイトが水道橋の「食堂アンチヘブリガン」という素敵な店で実現したのであった(ここまではっきり言ったら某所じゃないですな)。
趣味は何?その一言から夜が花咲くこともある
隣に座った美人編集者のKさんの私生活は、これまで僕にとって神秘のベールに包まれていた。なので、思い切って週末は何をしているのですか?と聞いてみた。そしたら、意外といえば意外、言われてみれば納得なのだけど、それは「映画」なのであった。しかも、彼女は本格的に映画が好きだということがよくわかった。僕も昔一応シネフィルまがいのことをしていたこともある(一応大学時代は映画研究会所属、映画業界でも何年も働いていたのです)から、本当に映画が好きな人かどうかはすぐにわかる。なんかこういうとえらそうですが。つまり、頭で映画を観ているのではない。理性で映画を観ているのではない。とりあえず映画でもという気持ちなのではない(別にそれが悪いというわけじゃないけど)。もう、どうにもとめられないリビドーに突き動かされている。淫している。それが、本物の趣味なのだと思うし、「趣味は何?」と聞かれたときに、ためらいなく答えられる何かだと思う。というわけで、同じく映画好きのSさんと3人で、速攻で映画研究会が発足してしまった。例会は某新宿の某映画館で開催される? ともかく、やはり、何かが好きだという人の話を聞くのは楽しい。何かに突き動かされている人の話は。何気ない、お約束の質問も、捨てたものではない。「ご趣味は?」は、お見合いじゃなくても、やはり聞いてみるべきなのだ(といいつつ、僕には人様に言えるような趣味は何もない)。そして趣味といえば、もう趣味の領域を遥かに通り越して、生き様のレベルに昇華させてしまっているのが、兄貴のウクレレなのであった。兄貴は、本物だ。ホンマモンだ。店にあったギターを勝手に手に取り、おもむろに兄貴に渡す。もう酔っ払ったわたしに怖いものはない。兄貴は私と違って、間違っても勝手に店のギター弾いたりするような人ではない。なので、兄貴はお店の人にやわらかく断りを入れてから、ポロンポロンとギターを奏で始めた。今夜の兄貴はいかしてるよ一段と。楽器弾ける人はいいですな~。弾きなれた指の動きがとってもセクシーだ。ロマンチックが止まらないのだ。
紅白のワインを浴びてハワイアン奏でる兄貴は今夜CCB
その後、兄貴の口から驚愕のエピソードが。あまりにも凄すぎるのだけど、残念ながらそれをここには書けない。そして、少々ほろ酔いのN目さんもギター片手に弾き語りを始めた。しかし楽曲の演奏というよりも、漫談だ。これはかなり貴重なものをみた。動画撮影してYoutube投稿するべきだった? それにしても、この二人、いつ見てもいいコンビやな~。
鼻ほじることほど翻訳と通じるものなく じっと人差し指を見る
ところで、鼻をほじるという行為ほど、翻訳を連想させるものはない。鼻をほじりたくなる。つまり、そのとき鼻のなか(無意識の言語的世界)に何か(訳文)があるのはわかっている。だけど、モヤモヤしていてそれが何かはまだわからない。ただ、原文を読んだら激しく鼻をホジホジしたくなる。だから鼻をほじる。つまり、人差し指というソナーを鼻腔の中に下ろしていくのだ(つまり、中沢新一氏が言うところの『アースダイバー』と考え方は同じだ)。訳文を求めて、とりあえず無意識の世界にダイブするのだ。そして、とにかくその暗闇のなかで見つけたものを取得して、明るみの中に出してみる。そのときに初めて、ああ、俺がモゾモゾしていたのはコイツが原因だったのか。なるほど、これが俺のなかにあったものの正体(原文を読んでイメージしたもの)だったのか、と思う。とにかく、訳文を吐き出してみる。鼻をほじってみる。そうすることから翻訳は始まるのだ(なんて)。
ともかく楽しかった。結構酔っ払った。あくまで普通に酔っ払った。そして、酔っ払ったのはわたしだけではなかった。そんなわけで、素敵な夜は過ぎていったのだった。ああ、幸せすぎて怖い。バチが当たらないように、まじめに働こう。皆さん、ありがとうございました! 勝手にネタにしてすみません。
『紙のライオン』沢木耕太郎
『アメリカ外交』村田晃嗣
『情報と国家』江畑謙介
『鉄道ひとつばなし』原武司
『短編小説のレシピ』阿刀田高
趣味は何?その一言から夜が花咲くこともある
隣に座った美人編集者のKさんの私生活は、これまで僕にとって神秘のベールに包まれていた。なので、思い切って週末は何をしているのですか?と聞いてみた。そしたら、意外といえば意外、言われてみれば納得なのだけど、それは「映画」なのであった。しかも、彼女は本格的に映画が好きだということがよくわかった。僕も昔一応シネフィルまがいのことをしていたこともある(一応大学時代は映画研究会所属、映画業界でも何年も働いていたのです)から、本当に映画が好きな人かどうかはすぐにわかる。なんかこういうとえらそうですが。つまり、頭で映画を観ているのではない。理性で映画を観ているのではない。とりあえず映画でもという気持ちなのではない(別にそれが悪いというわけじゃないけど)。もう、どうにもとめられないリビドーに突き動かされている。淫している。それが、本物の趣味なのだと思うし、「趣味は何?」と聞かれたときに、ためらいなく答えられる何かだと思う。というわけで、同じく映画好きのSさんと3人で、速攻で映画研究会が発足してしまった。例会は某新宿の某映画館で開催される? ともかく、やはり、何かが好きだという人の話を聞くのは楽しい。何かに突き動かされている人の話は。何気ない、お約束の質問も、捨てたものではない。「ご趣味は?」は、お見合いじゃなくても、やはり聞いてみるべきなのだ(といいつつ、僕には人様に言えるような趣味は何もない)。そして趣味といえば、もう趣味の領域を遥かに通り越して、生き様のレベルに昇華させてしまっているのが、兄貴のウクレレなのであった。兄貴は、本物だ。ホンマモンだ。店にあったギターを勝手に手に取り、おもむろに兄貴に渡す。もう酔っ払ったわたしに怖いものはない。兄貴は私と違って、間違っても勝手に店のギター弾いたりするような人ではない。なので、兄貴はお店の人にやわらかく断りを入れてから、ポロンポロンとギターを奏で始めた。今夜の兄貴はいかしてるよ一段と。楽器弾ける人はいいですな~。弾きなれた指の動きがとってもセクシーだ。ロマンチックが止まらないのだ。
紅白のワインを浴びてハワイアン奏でる兄貴は今夜CCB
その後、兄貴の口から驚愕のエピソードが。あまりにも凄すぎるのだけど、残念ながらそれをここには書けない。そして、少々ほろ酔いのN目さんもギター片手に弾き語りを始めた。しかし楽曲の演奏というよりも、漫談だ。これはかなり貴重なものをみた。動画撮影してYoutube投稿するべきだった? それにしても、この二人、いつ見てもいいコンビやな~。
鼻ほじることほど翻訳と通じるものなく じっと人差し指を見る
ところで、鼻をほじるという行為ほど、翻訳を連想させるものはない。鼻をほじりたくなる。つまり、そのとき鼻のなか(無意識の言語的世界)に何か(訳文)があるのはわかっている。だけど、モヤモヤしていてそれが何かはまだわからない。ただ、原文を読んだら激しく鼻をホジホジしたくなる。だから鼻をほじる。つまり、人差し指というソナーを鼻腔の中に下ろしていくのだ(つまり、中沢新一氏が言うところの『アースダイバー』と考え方は同じだ)。訳文を求めて、とりあえず無意識の世界にダイブするのだ。そして、とにかくその暗闇のなかで見つけたものを取得して、明るみの中に出してみる。そのときに初めて、ああ、俺がモゾモゾしていたのはコイツが原因だったのか。なるほど、これが俺のなかにあったものの正体(原文を読んでイメージしたもの)だったのか、と思う。とにかく、訳文を吐き出してみる。鼻をほじってみる。そうすることから翻訳は始まるのだ(なんて)。
ともかく楽しかった。結構酔っ払った。あくまで普通に酔っ払った。そして、酔っ払ったのはわたしだけではなかった。そんなわけで、素敵な夜は過ぎていったのだった。ああ、幸せすぎて怖い。バチが当たらないように、まじめに働こう。皆さん、ありがとうございました! 勝手にネタにしてすみません。
『紙のライオン』沢木耕太郎
『アメリカ外交』村田晃嗣
『情報と国家』江畑謙介
『鉄道ひとつばなし』原武司
『短編小説のレシピ』阿刀田高