政治家や官僚には真の教育改革は無理、地域PTAよ、立ち上がれ!

2007年03月11日 20時54分06秒 | 政治
◆今日の教育問題の本質は、地域共同社会の崩壊とPTAの形骸化という現象から察することができる。試しに、昼間、戸外に出てみると、よくわかる。子どもたちの遊ぶ姿をほとんど見かけることができない。その代わりに、犬やネコたちと出会うことの方が多い。通い慣れた道すがら民家に繋がれた犬が尻尾を振りながらワンワン吠える。顔見知りのネコからは、ニャンと声をかけられる。閑静な住宅街では、ドロボー被害に遭ったという話をしばしば耳にする。PTAの役員は、地域のボスたちの名誉職と化しており、俗物たちのアクセサリーとなっている。地域の教育力には、何ら役立ってはいない。いじめや不登校などの問題に地域住民がかかわることは滅多になく、大半の人々は、無関心である。「君子危うきに近寄らず」「触らぬ神に祟りなし」という冷ややかな空気が支配的で、教育の民主化という言葉は、死滅しつつあるかのような感がある。
◆一方、安倍首相は教育改革に熱心だが、肝心の文部科学官僚たちは、教育改革を逆手に取り、テリトリーと権限を拡大する絶好のチャンスとみて、姑息にも小ざかしい動きに専念している。はっきり言えば、文部科学官僚は教育改革関連3法改正に便乗して総務官僚の支配圏である都道府県・市町村の管轄下にある教育委員会への直接的な影響力を奪い取ろうと目論んでいる。総務省は、旧内務省の末裔であり、総務官僚の最大の関心事は、旧内務省以来の地方支配の完全回復である。これに対して、文部科学官僚は、本来、独立性を帯びている教育委員会の占領を画策してきた。いずれも、官僚たちの習性であるポストと権力と財源の確保と拡大にしか、興味はないのである。子どもたちが、いかにいじめに遭おうと、不登校になろうとも、どうでもよい。
◆安倍首相は、官僚たちのこんな習性を熟知したうえで、教育改革を行なおうとしているのであろうか。心もとない限りである。いま日本の教育にとって大事なことは、教育の民主化を続行することである。それは、地域住民の手で自発的に教育改革を行なう機運を盛り上げていくということである。共産党はもはや恐れるに足りない。東西冷戦時代とは、違うのである。これは、また、安倍首相が提唱している「戦後レジームからの脱却」では行い得ない大事業である。「脱却」ではなく、戦後民主主義体制をより実のあるものにすることである。
◆日本は、まだまだ「自由主義」と「民主主義」を完成させてはいない。地方自治、すなわち住民自治を完成させることでしか、いまの教育環境を変えることはできないのである。まず、手始めに、PTAを形骸化から救い、「自由主義」と「民主主義」に立脚した本当の意味のPTAを蘇生させなくてはならない。政治家や官僚には、教育改革は、不可能である。地域PTAよ、立ち上がれ!
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