(ひのまるを/ あげしいえあり/ けいろうび)
日の丸を振って、兵隊を太平洋戦争に送り込んだ軍国日本人も本当に困り者だったが、戦後の国旗掲揚を拒否した日本人も困り者だ。
何故なら、例えばサッカー「なでしこジャパン」の優勝を大騒ぎして喜ぶ日本人を見ると(私もその一人)、「この国に生まれて良かった、と思いたい」という国民的願望がよく理解できるからだ。
竹下首相が、ふるさと創生事業として各市町村に1億円をばらまいたことがあるが、私だったらスポーツ振興に使わせたい。日本全国に多種多様なスポーツ施設を作り、将来のオリンピック選手を目指し、特に青少年に無料で開放、指導する。
戦争ではなく、スポーツで戦い国旗を振る。勝っても負けても、平和のシンボルとして、日の丸を振ってもらいたい。
さてこの句、今や祝日に日の丸を揚げる家が、珍しくなってしまった。そういう世相を皮肉った句だとも言える。
「敬老の日」とは、なんて馬鹿げた名付けだろう。つまり「敬」の字がいらないのだ。尊敬されない老人が、尊敬されたくて「敬」の字を入れねばならなくなったのだ。
単に「老人の日」でいいのだ。「子供の日」「成人の日」には、愛とか敬の字など、ないではないか。
翁(おきな)・媼(おうな)という言葉がある。これは、老人のことで、死に近い人と言う意味の他に、神に近い人、という尊敬の意味があった。
イワシャジン(岩沙参)