函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

最後の将軍??徳川家定!!

2008-06-02 | 歴史
いよいよ西郷と慶喜が初めて対面しましたね
身分が天と地ほど違う二人の初対面なのです

そう遠くない未来で敵味方に分かれ、一方の大将に西郷がなり、
慶喜(徳川家)失脚を旗印に戦いを挑む事になるのです
お互い、この時までは想像だにしなかったでしょうね。

慶喜の無機質な言動に西郷は不信感を抱いたようです。
第一印象が悪かったと云う事ですが、この印象の悪さが西郷を
反徳川にさせた一因なのかも??
第一印象はとても大事なのです

篤姫にとって幕閣の中で唯一の味方、老中阿部正弘が亡くなり
ます
心細さも頂点に達した事でしょうね。
益々幾島との絆が深くなりそうです。
大奥での見方は幾島一人になってしまったのですから
ところで
篤姫は遂に本心を家定に語りましたね
慶喜を次期将軍にする為に嫁いで来たのだと…
頑なに心を閉ざしていた家定でしたが、あまりにも純真な篤姫の
告白に対し遂に本心を語り始めるのです
『毒を盛られた』は衝撃的な発言でしたね
『これまで何度か毒を飲まされた。夜になると頭を上げるのがつ
らい。』『もう長くはない』
そんな馬鹿な事が…
考えてみれば、家定の父・家慶には14男13女の子がいたのですが、
成人になれたのは家定ただ一人??
これってどう考えてもおかしいと思いませんか
英明な家定という脚本に無理があると思っていましたが、まんざ
ら有り得ない事ではありませんよね。
やはり大奥とは魑魅魍魎の住む伏魔殿なのでしょうか
将軍とは名ばかり、権力闘争のシンボルにすぎなかったのでしょ
うね。
それにしても家定の言った一言『一橋にこの国難が乗り切れると
は思わぬ、誰が将軍になっても同じ事じゃ!!』
ある意味、家定は時勢を達観して見ていたのかも知れません??
家定は自分が最後の将軍になるつもりだったようです
最後の将軍として歴史に名を残したのは慶喜ではなく、家定だっ
たのかも知れませんね

下田条約が遂に締結されました
日米修好通商条約締結に向けての第二段階に入った訳です。
幕府からすると時間稼ぎのつもりだったのでしょうが…
これから日米修好通商条約・不平等条約(日本から見れば)の締結
に向かって交渉が激化する事になるのです。
個人的な意見ですが、下田条約とは次官級折衝の様なものだと僕
は思っています??
下田条約は全9条からなっていようなのです
下田・函館は日米和親条約で開港していたのですが、新たに長崎
も加わりました。
アメリカ人が下田・函館に住む事を許可したり、双方の貨幣を同種
同重量に限っての交換も許されたのです。
問題は第4条・片務的領事裁判権と関税を自主的に決められないこ
とですよね
下田条約の翌年に締結された日米修好通商条約にも片務的領事裁
判権がそのまま残される事になります
以後日本はこの不平等条約に苦しめられる事になるのです

現代の日本でもアメリカ軍人の起こした事件を日本の裁判で裁けま
せんよね
治外法権を傘に自国で起きた事件を自国で裁けないのです。
今の日本も幕末の不平等条約締結時とさほど変わりがないのかも
知れませんね






コメント (2)
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