函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、惨忍で狂気を併せ持つ無邪気な武将!!

2022-02-28 | 歴史

数万に膨れ上がった軍勢を引き連れいよいよ鎌倉に入る頼朝 

比企をはじめ畠山など続々と頼朝軍に加わります 

皆、何とか勝ち馬に乗ろうと必死ですよね

平家軍として戦っていた大庭景親や伊東祐親はさぞかし驚い

 

数十名で安房に逃れた頼朝一行が、僅か一カ月半で大軍で戻

って来るとは… 

戦意喪失もいいところ 

もはや投降するしかありません。 

一人気勢を上げる大庭景親ですが、「既に勝敗は決していま

す。」と言っていた梶原景親の冷静な分析の方に分がありそ

うです 

それにしても… 

遂に登場した源義経 

惨忍さと狂気を併せ持つ無邪気な武将 

騙し討ちをして何の罪もない者の胸を打ち抜く様を見るにつ

け頼朝が排除しようとした事が間違っていない気もします 

 

いよいよもう一人の有力源氏・武田信義をも味方につけ富

士川の戦いへと… 

西国では飢饉が発生し兵糧を調えるのにも無理があり、兵

の士気もかなり低かったようですね 

平家軍2万と言われていますが、戦いの前から逃亡した兵

もかなりいて実質3、4千位の兵数だった可能性も… 

富士川の戦いは、武田信義の軍の動きに水鳥が反応し一斉

に飛び立つのを見た平家軍が、敵の夜襲と勘違い、一目散

に逃げた為の敗北と言われていますが、正面から両軍が戦

ったとしてもおそらく源氏軍の圧勝だったでしょうね

そういう意味では、最初から戦いにの勝敗が決していたと

言っても過言ではありません 

ところで 

義時は執権になるまで北条姓を名乗る事はありませんでし

 

江間小四郎義時、名前を見る限り北条の跡取りではなかっ

たと言う事にります。

兄・宗時が石橋山の戦いで戦死した後も江間義時を名乗り

続けます。 

まるで北条家の分家あつかいですね?と言うか分家そのも

 

13人合議制のメンバーで北条家からだけ二人選ばれたとよ

く言われますが、当時の感覚からすれば、北条家1名、江

間家1名と言う事になります。

宗時が亡くなった時点で義時の弟もおりましたので、おそ

らく時政は北条宗家を義時の弟に継がせたかったのでしょ

うね

 

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鎌倉殿の13人、迷う広常!!

2022-02-21 | 歴史

安房に上陸した頼朝一行ですが、房総の有力武士、

上総氏と千葉氏を味方につけるべく早速行動開始 

千葉氏は直ぐに参陣したと言われていますが、問

題は上総氏 

当主の広常は中々の食わせ物

父・常澄の時から源氏(義朝)との関りを考えれば、

真っ先に参陣してもおかしくありません 

広常も保元・平治の乱では義朝軍として従軍して

います 

しかし、一族の運命を握っている広常としては軽

々に行動が出来ません。 

頼朝が武士のリーダーとして担ぐべき神輿たり得

るか?

じっくり見定めなければならなかったのです。 

北条の様な小豪族なら直ぐに結論を出せたと思い

ますが、一万とも二万ともいわれる軍勢を抱え、

その家族を抱えているのです

 ドラマでは大庭方の梶原景時と頼朝方の和田義盛

と北条義時を雑魚扱いしていましたね

「何ならここで殺し合いをしてもかまわぬ。」と

両陣営代表に暴言放題。 

この広常の横柄さが命取りになった感じもします 。

大軍を擁していた広常の慢心がその後の誅殺に繋

がったとも言えますね。

広常は梶原景時との双六の最中に呆気なく殺され

てしまいます 

勿論、頼朝の命で… 

突出した勢力を持った御家人は頼朝にとって邪魔

でしかなかったのです。 

広常が三浦氏くらいの豪族だったなら長らえてい

たのかも知れませんね

 ところで…

江間小四郎義時、今回のドラマの主人公の名前です。 

江間義時と名乗っていたところをみると、時政に江

間の地を与えられていたと考えるのが自然です 

江間の地は川を挟んで北条の対岸に位置します。 

ドラマでは義時の初恋の相手とされる伊東祐親の娘・

八重姫ですが、江間次郎に嫁がされましたよね 

もしかすると江間次郎も北条の一族だったのかも知

れません?? 

江間次郎は頼朝が鎌倉に入った折の戦いで戦死した

と言われていますね 

八重は、この後、大庭某に嫁いだともいわれていま

すが、実は確証が全くないのです 

義時の息子・泰時の母親も誰なのか分かっていません。 

北条氏の歴史書と言ってもよい吾妻鑑にさえその記述

が無いのです 

御成敗式目を制定した泰時の母が分からないと言うの

は異常な事です 

もしかして 

泰時の母が八重姫だった可能性が… 

義時が、次郎の妻・八重と再婚し泰時を産んだ可能性

が無いとも言い切れません

泰時も江間太郎泰時と名乗っているところを見ると 江

間の地はそこそこの広さだったのでしょうね。

 

 

 

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鎌倉殿の13人、2人の恩人!!

2022-02-14 | 歴史

まわりを敵に囲まれ石橋山の山中に身を隠す頼朝一行。 

絶体絶命です 

隠れていたししどの窟を敵将・梶原景時発見。 

斬首され晒し首になるのが確定ですね 

それにしても人生何が起きるか分かりません。 

九死に一生を得るとは正しくこの事ですね。 

頼朝の一生を見るにつけ強烈な運の強さを感じます

 

もう一人、頼朝を救った武将がいます

大庭景親の娘婿でもある飯田家義。 

家義は元々頼朝軍に参加しようと出陣したのですが、

ひょんな事から大庭軍に加わるはめに

石橋山で大敗した頼朝一行をししどの窟へと導いた

のがその飯田家義だと言われています 

その後、大庭軍の頼朝探索が始まりその中の一人が

梶原景時。 

景時は窟で頼朝を発見しますが、何故か見て見ぬふり 

景時にとって頼朝を助けておけば後に恩恵を得られる

と思ったのでしょうか? ?

おそらく景時は坂東の武士達の平家への不満を肌で感

じていたのでしょうね 

平家の世がさほど続かないとも考えていたのかも知れ

ません。 

何れにしても飯田家義、梶原景時の二人武将のお陰で

頼朝は命拾いをしすることになるのです 

 

大庭も一枚岩ではありませんでした。

大庭景親の兄・大庭景義は保元の乱のおり源義朝軍と

して従軍しています 

敵となっていた義朝の弟・為朝の矢に当たり歩行困難

な重症 

その為、弟の景親に家督を譲ったと言われています

その景義ですが、よほど源家に対する忠誠心が強かっ

たのか?

隠居していたのにもかかわらず頼朝挙兵の折、真っ先

に味方となっています 

鎌倉幕府では長老として幕府を支え続けたと言われて

いますね 

その景義ですが、奥州藤原氏攻めに対し中々院宣を出

さない朝廷でしたが、「家人を討つのに朝廷の院宣は

必要ない。」と頼朝に進言。

景義の意見に従い頼朝は藤原氏征伐を決断したと言わ

れています 

頼朝がいかに景義を信頼していたかが分かりますね 

大庭景親は後に頼朝に降りますが、景義に対し「景親

の命乞いをするか?」と頼朝に打診されても何も答え

なかったとも… 

源家累代の家人として景義は源家に弓引く景親の行動

が許せなかったのかも知れませんね

 

 

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鎌倉殿の13人、言葉戦!!

2022-02-07 | 歴史

いよいよ宗時の最後です

「俺は平家とか源氏とかどうでもよい。坂東を俺達の

ものにしたいんだ。その天辺に北条が立つ!!」と…

壮大な夢を義時に語る宗時 

まるで義時に対する遺言のようでしたね 

ドラマでは伊東祐親に命令された善児に殺されますが、

祖父に孫が暗殺された事になります。 

生きる為には何でも有りの時代とは言え殺伐としたも

のを感じます

土地を維持するため血縁に頼るしかないにも関わらず、

ひょんな事から身内同士で命を掛け殺しあうのです 

そんなことで殺しあうのは人間だけかも知れませんね。 

ところで… 

大庭景親と北条時政の言葉戦には笑ってしまいました

「代々の主君源家に対して敵対するとは」と時政 

「昔は昔、今は今」と応ずる景親 

興奮した時政は「かかれ~」と急遽開戦。 

兵が少ないうえに戦略も無いままの開戦ですから戦

いになる筈がありません 

言葉戦はどう見ても時政の負けですね

喜劇を見ている感じすらします 

 

戦いの前に言葉で相手に鼓舞する言葉戦ですが、中

国から来ているのかも知れません 

三国志の官渡の闘いで曹操が袁尚に対し言葉戦で挑

発していたのを思い出します。 

 

いよいよ宗時の替わりに梶原景時登場 

連合軍につくか、頼朝軍につくか、じっと冷静に観

察している感じを醸し出していましたね。 

そんな景時を獅童さんがどう演じるのか?これから

が楽しみですね

 

 

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