函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

海上のツリー!!

2014-11-27 | 函館風景

25日の9時少し前だったと思いますが

出勤への道すがら晩秋の公会堂の横で

振り向くと…

いつもと同じ風景ですが、海上にツリーが

冬の風物詩・Xmasファンタジーのツリーですね。

海の上を結構速いスピートで航行しています

ツリーを見ると師走、今年も残すところ1ヶ月、1年が

とても速く感じます

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師官兵衛、政略結婚!!

2014-11-25 | 歴史

長政が糸に話があると言っていましたが、一体、離縁の話をどう

切り出したのでしょうか??

まさか!!全てスルーするとは驚き

期待していた僕としては拍子抜けした感じです。

描き方によってはかなりインパクトがあるシーンだと思っていたの

で尚更

関ヶ原の戦いの前哨戦・会津討伐の直前、長政は糸と離縁してい

ます。

ドラマでは長政の弟・熊ノ助が死んだのは自分のせいだと思い悩

み離縁に至ったように描かれていましたが、それはドラマの中での

話。

長政に正妻・糸がいたにもかかわらず、家康がゴリ押しした感があ

ります

この再婚話に如水の名前が出てこないのも不思議です。

裏で如水が画策していたに違いありません

家康としては秀吉子飼いの武将を一人でも多く取り込みたかった筈

ですし、如水としては関ヶ原の戦いが長引く間に九州を平らげ毛利

調略すれば一大勢力として関ヶ原の勝者と一戦交える事が出来の

です

関ヶ原の戦いが一日で終わらなければ……

如水が天下人になっていたかも知れません

如水の目には関ヶ原で徳川が負けるとは映っていなかった筈です。

徳川が天下人となっても栄姫との婚姻は黒田にとってアドバンテージ

となります。

どちらに転んでも黒田家は生き残れ、あわよくば天下人として君臨出

来る可能性もあるのです

二重に策を弄していた事になりますが、軍師官兵衛の真骨頂ですね

糸との離縁は如水と家康の利害が一致しただけですが、糸にとっては

不幸な出来事、時代に翻弄された女性ですね

その後、黒田家と糸の実家・蜂須賀家は百数十年絶縁状態となります

蜂須賀家にとっては一方的な離縁だった証拠です。

蜂須賀家との間には遺恨を残す事になりますが、家の存続や繁栄には

替えられないと言う事なのでしょうか? 

糸を娶ったのも栄姫を娶ったのも元々政略結婚。

秀吉の養女から家康の養女へ乗り換えただけで、この時代としてはあま

り不思議な話ではありませんが、関ヶ原の直前だっただけに露骨な感じ

もします

 

ところで、ドラマでは先週亡くなった前田利家

加賀・能登・越中の太守となった前田利家ですが、100万石を超えるよ

な働きをしたとは僕にはどうも思えません。

秀吉が唯一心を許した人物だったと言われればそうかも知れませんが…

確かに個人的な武勇は認めても豊臣政権樹立にあたっての功績は官兵

衛にはるかに劣る筈です

秀吉の信頼を背景に出世を続けた利家は家康と共に遂に大老筆頭格

で登り詰めます

人望もあり忠誠心も人並み優れた利家が反家康の頼みの綱だったのは

間違いありません

豊臣秀長が亡くなり秀次も切腹、最後の砦だった利家まで亡くなり豊臣家

は万事休す

三人の内、一人でも寿命を長らえていたならこんなに早く豊臣が滅亡する

事はなかったでしょうね

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師官兵衛、衆道関係だったのかも??

2014-11-18 | Weblog

おねVS淀、家康VS三成、三成にとって豊臣家に忠誠心の強い前田利家を

味方につけ何とか均衡を保っているうちは良かったのですが、利家が亡くな

ると一触即発状態

雌雄を決するしか道は無さそうです

 

「太平の世が続くのなら誰でも良い、もっとも相応しい人が天下人となれば良

い」と官兵衛を見つめ諭すように話すおね

まるで官兵衛に天下を取って欲しいと言っているようなもの

おそらく実際のおねも同じ様な思いだったのではないのでしょうか??

秀吉と共に作り上げた豊臣家、淀や三成をはじめとする官僚達に牛耳られ自

分の居る場所も無かった筈です

自分達の代で豊臣家が滅んでも仕方ないと思っても不思議ありません

 

世の中を動かしていたのは間違いなく武力を背景にした武士です

その頂点にいたのは誰の目から見ても徳川家康だった筈。

もし、秀吉が官兵衛に50万石くらいでも与えていれば関ヶ原の戦いは黒田VS

徳川の戦いになっていた可能性が大きいと僕は思っています

加藤・福島をはじめとする豊臣恩顧の大名達が徳川方につく可能性はかなり低

く官兵衛の圧勝となった筈です

勿論、家康も官兵衛相手だと迂闊に戦いを仕掛けない可能性が高そうです。

そう考えると、家康の代で徳川家が天下を握ることは出来なかったでしょうね

官兵衛が勝てば大老筆頭として君臨し少なくとも秀頼の代で豊臣家が滅亡する

事はなかったかも知れません

それこそ浪速の事は夢のまた夢ですね 

 

「三成にも徳川にもつかぬ」と宣言する如水、回りくどい言い方ですが、天下を狙

うと家臣達に宣言

いよいよ12万石の小大名・黒田如水の天下取りの始まりです

結果的に実現しない夢ですが、どういう描き方をするのかワクワクしている僕なの

です

 

ところで

戦国時代までは男子と男子が関係を持つ事は別に不思議な事ではありません

現代でいうホモとかゲイですが、当時は衆道とか若衆道と言われていました。

織田信長と前田利家にも衆道関係にあったという説が??

利家は小顔で身長は180センチ以上、当時としてはかなり目立った存在だったと言

われていますが、そんな利家を面食いの信長が見過ごす筈がありません

寵童として早くから信長に仕えたのはそんな理由からだったのかも知れませんね

もう一組

大谷吉継と石田三成にも衆道関係の噂が

秀吉が「吉継に100万の軍勢を指揮させてみたい」と言ったくらい武人としての才能

に満ち溢れていた吉継と官僚としての才を発揮した三成のカップル。

吉継が家康打倒の決意を三成から聞いた時、「家康には勝てぬ」即座に忠告したと

言われていますね

三度説得したと言われていますが、三成の決意の固さに翻意するのを諦め三成に

味方する事になったと言われています。

果たして、それだけの理由でしょうか?

武人として負けると分かっている戦をするほど虚しい事はありません

間違いなく負けると確信していた吉継ですが、衆道相手の三成を見捨てる事が出来

なかったのではないでしょうか??

愛の力は強いのです

あくまでもそういう説もあると言う事で…

歴史を動かしていたのは意外や意外、男と男の友情ではなく狂おしい程の愛情だっ

たのかも知れませんね

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり南瓜です!!

2014-11-17 | 頂き物

知人から頂いた南瓜と南瓜風のような物??

表面を見る限り南瓜のようなのですが…

切ってみると、やっぱり南瓜です

知人の話だと、適当な大きさにカットしレンジで数分加熱

バターを載せ予熱で融けた頃が食べごろだとか…

胡椒を少し振り掛けると絶品だと言っていました

早速、試してみようと思っています

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師官兵衛、面白い時代が来た!!

2014-11-10 | 歴史

今週は単純にドラマとして見る分には引き込まれるものが

ありました

記憶も曖昧になり、子供?に対する愛情だけで全てを占め

ている秀吉

手の震え、老いた顔の表情、覚束ない体、時にはっきりする

言葉、竹中・秀吉の演技につい見入ってしまいました

「わしは間違っていたと思うか?」と秀吉に聞かれ、「殿下は

信長公に拘り過ぎたのです。」と官兵衛、強権的な政治手法

を暗に批判

「秀頼と豊臣家を頼む」と秀吉に哀願される官兵衛ですが、

握り締めていた手を離し「天下とはその器たるべき者が治める

べきと存じます」と…

6才では天下を治める事は出来ないとはっきり否定している様

なもの

その言葉を聞いた秀吉は「わしが死んだら豊臣を滅ぼすつもり

であろう」と増々疑心暗鬼に…

しかし「世の乱れを収めたかっただけだ」と返答する官兵衛の答

えに秀吉も納得したようですね

「官兵衛は変わらない、いつまでたってもお人好しだ」と秀吉に言

われる官兵衛ですが、表情は満更でもなさそうです

帰り際「すまなかった、おぬしの思うような天下人にはなれなかっ

た!!」と深々と頭を下げる秀吉

あり得ない話ですが、個人的には妙に感動的なシーンでした

史実とはかなりかけ離れているようですが、プロセスを描くのが歴

史小説であり映像だと思うので、これもありかなとも…

 

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

秀吉辞世の句と言われていますが、秀吉が本当に詠んだのかは別

にして中々意味深な歌です

そのまま詠めば卑賤の身から天下人となったが、自分が死んだ後、

豊臣の天下が続かない事を悟っているような歌です

どんな人でもいつかは朽ちる、平家物語の盛者必衰と同じ人生観を

感じます

ドラマでの官兵衛は清廉潔白、欲の無い人物として描かれています

が、官兵衛も戦国武将

武人としての性を消す事など出来る訳がありません

秀吉が亡くなってから吉川広家に「面白い時代が来た」と言っている

くらいですから、乱世を望んでいた事だけは間違いなさそうです

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師官兵衛、殺傷関白!!

2014-11-04 | 歴史

「拾の行く末を考えると自分が抑えられんのじゃ。わしは老いた」

と話す秀吉

官兵衛に本音を漏らしますが、「頼りにしていた者は皆、死んでし

もうた」とは何とも身勝手。

死んだのではなく殺したのです

数少ない身内の中で秀秋を小早川家の養子に出し、秀次を殺した

のですから豊臣家が呆気なく滅んだのも仕方ありません

 

殺傷関白と呼ばれている豊臣秀次ですが、実像とはかなりかけ離

れた感じがします

どうも秀吉を英雄視し事件を正当化するため後世作られた虚像の

様ですね

 

当時としても関白・豊臣秀次失脚のニュースはかなりスキャンダラ

スだった筈です

仮にも天皇を補佐する関白を蟄居させ自殺に追い込むのですから…

追い込んだのが前関白となればなおさら

弟・秀長亡き後、身内の少ない秀吉にとって数少ない成人男子だっ

た秀次を殺した時から豊臣家の衰退が始まったと言っても過言では

ありません

もう一人、お拾い(秀頼)が生まれた為に他家に出されたのが小早川

秀秋

命拾いしたというてんでは秀次よりはましかも知れませんが、遺恨が

残った事は確かです

秀秋が関ヶ原の戦いで東軍に寝返ったのもこんなところに原因があっ

たかも知れません。

因みに、秀次に取り入っていたとされ疑いをもたれた武将の殆どが関

ヶ原の戦いで東軍として戦っています

 

それにしても秀次一族に対する処罰は常軌を逸しています

家臣を除いた秀次の一族39名が処刑されたと言われていますね。

後に災いを残さない為に男子を処刑するのはこの時代の常ですが、

側室達や幼女までもが処刑される話は滅多に聞きません

老若男女を問わず秀次と関わり合いのある者を無差別に殺戮した

感があります。

個人的には秀吉一人の責任だとはとても思えません

秀次切腹を期に武断派の勢いを止め難癖をつけ三成をはじめとす

る官僚達が実権を握ろうとしたというのが秀次切腹の本質だったの

では…

一種のクーデターといっても過言ではありません

 

もし秀次が生きていれば?ここまで早く豊臣家が滅亡する事もなか

った筈です。

家というよりも自分の子供に執着し過ぎ、その執着を官僚達に利用

されたた秀吉の哀れを感じます

もし秀吉が武士の家に生まれていたならここまでえげつない殺戮は

しなかったと思っている僕なのです

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする