函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。
ドラマでは…
浅井長政の誘いに呼応しようとしている家康を
諫めようとしている忠次と数政ですが、微妙に
考え方が違う様にも感じます
この辺りが、後に数政の出奔に繋がるのでしょ
うか?
二人が一致しているのは、乱世を終わらせるの
は長政ではなく信長だと言う事です
時間を掛けて三河統一を成し遂げたのに、長政
が勝ったとしても元のカオス状態に戻るだけだ
との思いがあったのでしょうね
二人の思いは何とか家康に通じたみたいですが…
姉川の戦いで家康は、先方を信長に懇願したと
言われています
そうだとすれば、信長を裏切って長政につくと
は考えられません
どうする家康としては面白いストーリーだとは
思いますが…
姉川の戦いは信長軍の勝利に終わったと言われ
ていますが、戦況を見ると織田軍有利で終わっ
たと言った方が良いのかも知れません
実質的に浅井長政と朝倉義景が滅ぼされたのは、
姉川の戦いの三年後
姉川の戦いが織田軍にとって決定的な勝利とは
ならなかったのです
姉川を挟んで両軍が対峙しますが、徳川軍の正
面には浅井軍、織田軍の正面には朝倉軍といっ
た布陣でいよいよ合戦開始
最初は織田軍も徳川軍も劣勢の戦いでしたが、
浅井・朝倉軍の側面を突く戦法で一気に敵を退
却させたと言われています
戦死者の数では織田・徳川軍の方が少なかった
みたいですが、決定的な勝利ではなかった事だ
けは確か
織田・徳川君の判定勝ちと言ったところでしょ
うかね
その後、両軍は一時的とはいえ和睦しています。
本願寺をはじめ周りを敵に囲まれていた信長に
とっては、究極の選択をした訳です
和睦せざるを得なかったと言った方が正しいの
かも知れません
金ケ崎・姉川の戦いと二度も信長を窮地に陥れ
た朝倉景義
凡将なのか?知将なのか?
個人的には決断の遅い武将のイメージがありま
すが、信長をあと一歩のところまで追い詰めた
事だけは事実です
そう考えると凡将ではなさそうな気もしてきま
す
詰めが甘かったのだけは間違いなさそうですが…
いよいよ朝倉討伐ですね
浅井長政の裏切りで絶体絶命の織田軍。
後の天下人、徳川家康・豊臣秀吉・織田信長は勿論、
信長を討った明智光秀も参加していますし、戦国の
梟雄と言われた松永久秀も加わっているのですから、
戦国オールスターといった感じがします
この時、オールスターの内一人でも戦死していれば
後の歴史が大きく変わっていた戦いです
敦賀に入った織田軍ですが、家康が天筒山城を、秀
吉が金ヶ崎城をあっという間に落とします
先方を務めていた家康は朝倉の本拠地・一乗谷を目
指しますが、まさにこの時、浅井軍が朝倉へ寝返り
を…
信長は最前線にいた徳川軍には知らせず少人数で京
へと一目散に撤退
朝倉領深く潜入していた徳川軍にとっては青天の霹
靂状態で何が起きているのか?正確な情報を得るま
で身動きが取れなかったでしょうね
金ケ崎の退き口とよく言われていますが、金ケ崎城
には秀吉が殿として留まっていました。
実は、家康はもっと深く朝倉領に侵入していたので
す
結果的に最も危険な場所に取り残されてしまった家
康ですが、一刻も早く朝倉領から撤退しなければ全
滅となる可能性が大
敵の領内に取り残された家康軍、まさに絶体絶命の
ピンチ
決死の覚悟の家康軍、何とか金ケ崎城まで辿り着い
たものの金ケ崎は籠城には不向きな城で、時間を稼
ぐ様な戦いは出来そうにありません
国境の国吉城まではおよそ10キロ。
平地でも大変なのに国吉城は山城
火事場の馬鹿力ではありませんが、兵達は生きる為
の必死の行軍を続けたのでしょうね
それにしても、当時の兵達の体力には驚かされます
家康の三大危機と言われている三河一向一揆、三方
ヶ原の戦い、伊賀越えですが、金ケ崎の戦いでも討
ち死にしてもおかしくない状況だったみたいですね。
この戦いも加えて家康の四大危機と言った方が良い
かも知れません
何れにしても、九死に一生を得た家康、ここでも並
外れた運の強さを感じます
直ぐに京都へ撤退した感じがする信長ですが、信長
の撤退もすんなりとはいきませんでした
10人ほどの供を連れての撤退でしたが、小さいとは
いえ朽木元網の勢力圏を通らなければなりません
朽木元網はどちらかと言うと浅井家と縁の深い武将
ですね
信長の幸運は共の中に松永久秀がいた事です
朽木領を無事に通れる様にと元網の説得をかって出
たのです
信長も全面的に信用していた訳ではないと思います
が、弁のたつ久秀に全てを託すしかありませんでし
た
限られた時間の中での瞬時の決断は信長ならではで
すね。
面白かったのが、上下に結んだ小豆を信長に届けた
故事。
信長に挟み撃ちを知らせようとしたお市の話ですが、
後に作られた逸話の様です
ドラマでは小豆ではなく、阿月という娘に託した話
に替わっていましたね。
危機を家康に知らせた阿月は、使命を全うして絶命
してしまいます
なるほど~、こういう展開もあるのかと唸ってしま
いました
流石の脚色ですね
信長の後ろ盾で将軍になった足利義昭の命令で
上洛する家康一行
家康の初上洛ですね。
街中で浅井家の家臣と揉め事を起こした本多忠
勝と榊原康政
信長に呼び出され叱責されますが、浅井長政の
機転で窮地を救われます
肖像画での割腹の良い姿と違い、凛々しい長政
でしたね
家臣を救ってくれたお礼をする家康に対して、
「一度でいいから、腹を割って心ゆくまで語り
合ってみとうござった」と…
まるで今生の別れの様な言いっぷりです
信長を裏切る雰囲気を醸し出している様に感じ
たのは僕だけでしょうか?
長政はこの時点で朝倉義景に味方するのを決め
ていたのでしょうね
朝倉家の本拠・一乗谷には浅井家の屋敷もあっ
たと言われていますし、長政の書状にも御屋形
様と記されているところを見ると、朝倉家と浅
井家は主従関係にあったのは間違いなさそうで
す
長政は近江全域を領していた訳ではないので、
大名と言うよりは、少し大きめの国衆といった
感じでしょうか?
勿論、信長とも婚姻を通して主従に近い関係だ
ったのは間違いありません。
この時の長政は、朝倉を選ぶか?織田を選ぶか?
の決断を迫られていたのです
結局、朝倉を選択した長政でしたが、一概に間
違いだとも言えない気もします。
長政にはかなりの確率で勝つ自信があったので
す
朝倉軍と浅井軍に挟み撃ちされれば、さすがの
織田軍といえども壊滅状態になっていた筈
しかし、危険を察知して一目散に京へと引き返
した信長の決断力と運には敵いませんでした
もしこの時、長政が信長に反旗を翻さなくても、
明智光秀の様に何れ敵対する事になっていたの
ではないのでしょうか?
そう考えると、時間軸がほんの少しずれただけ
だったのかも知れませんね