函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、いたちごっこですね!!

2016-04-26 | 歴史

頼りにしていた上杉までもが秀吉に下り右往左往する真田ですが、

気が付けば四面楚歌状態ですね

信幸までもが、「源次郎に頼むしかない!!」と言う有様。

真田として打つ手が無いようです

馬廻衆に抜擢された信繁、秀吉の懐に入り情報収集に余念がありま

せん

「殿下は徳川に貸を作っておきたいだけ、本気で真田を潰す気は無

い、徳川が真田を攻めたら殿下が止めてくださると言い切る三成。」

そうは言っても疑心暗鬼状態の信繁ですね

 

家康に対して強硬路線で臨んでいた秀吉ですが、天正大地震が引き

金になり協調路線へと変更します

大阪は特に被害が大きく復興にかなりの時間とお金が掛かるためで

しょうね。

今も昔も自然の前で人間は為す術がありません。

家康にとっては直接対決を避ける事が出来たのでが、この時から秀

吉による家康への上洛要請が始まります

秀吉と家康は一応和睦したものの家康は中々上洛しようとしません

秀吉の妹・旭を家康の正室として差し出しますが、それでも家康は

動こうとしないのです。

家康は真田討伐を画策しますが、昌幸も指を銜えて見ていた訳では

ありません。

徳川領・佐久群へ侵攻を開始しますが、秀吉によって阻止されます

昌幸は上洛しないのではなく出来なかったのです

秀吉からすれば命令違反なのですから激怒するのも分かります。

結局秀吉は家康の真田征伐を支持し上杉景勝にも真田支援を禁止。

昌幸最大のピンチ

真田への援軍を禁止された上杉ですが、昌幸はその上杉を通して釈明。

秀吉はその釈明を受け入れ真田征伐を中止し真田問題を話し合うため

と称し家康に上洛を求めるのです

秀吉は初めから真田を潰す気は秀吉にはなかったのでしょうね。

真田は秀吉に翻弄された事になります。

流石秀吉、一筋縄ではいきません

一方の家康も、したたかさでは秀吉にひけを取りません。

屁理屈を並べ又もや上洛拒否

いたちごっこですね。

九州征伐を決定した秀吉ですが背後の安全を確保しなければならなく

ります。

ここで秀吉苦肉の策、何と生母・大政所を実質的な人質として家康の許

へ差し出す事に

何たる秀吉のしつこさでしょうか?流石の家康も降参です

 

ところで

感情を殆ど出さず笑う事も生涯で一度しかなかったと言われている遠藤

憲一演じる上杉景勝

ドラマでは信繁にだけは心を開いている様ですね

かの有名な前田慶次郎でさえ景勝の前ではふざけた態度をとらなかつた

とも言われています。

寡黙な景勝ですがどうやら衆道(ホモ)だったようですね

今の時代と違い衆道は武士の中ではマイノリティーではなく嗜みといった

ところでしょうか??

そういう意味で遠藤・景勝を見ると、何となくホモに見えなくもありませ

んよね



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真田丸、乱世の信繁、平時の信幸!!

2016-04-18 | 歴史

屁理屈をこね上洛しない昌幸

原因はまたしても沼田問題です。

真田にとっては沼田はいつも厄介な問題ですね。

信長のこともあり中々上洛に踏み切れないでいる昌幸ですが、

本能寺の変のせいでしょうか?かなりのトラウマ状態です

少ない情報で判断するのは流石の昌幸でも決断がつかないよ

うですが、それにしても大阪にいる信繁に丸投げし暫くは静

観するとは…

よほど信繁を信頼していたのでしょうかね?

信幸が不貞腐れるのも分かります

あまりにも信繁に頼り切っている昌幸に薫の一言、「息子は信

繁だけではありませんよ。」

昌幸曰く、「乱世が過ぎて世の中が落ち着いた時こそ信幸の出

番なのだ。荒れ果てた土地を再び耕し国を立て直す時こそ信幸

が役に立つのだ。あの生真面目さが役に立つのだ。」

乱世の信繁、平時の信幸といったところでしょうか??


いよいよ一日遅れで景勝と会う秀吉。

景勝が秀吉に謁見する前に信繁が秀吉と会っていた何て信繁から

言える筈がありません

しかし、謁見の場で秀吉が自ら暴露!!

秀吉は確信犯なのです

人たらしの面目躍如ですね。

 

有り得無い話ですが、検地を決定する大事な会議の場に何故か?

信繁も同席。

的外れの答えを連発する秀次に対し「升の大きさを統一すれば

良い。」と答える信繁ですが、前振りがあましたね

初対面の席で福島正則が飲んでいた升と秀吉が飲んでいた升です。

同じ一杯の酒でも量が違い過ぎます

三谷脚本ならではなのかも知れません。

因みに、秀次は言われているほど無能な人物ではありません。

明暗をつけるため仕方ない人物設定なのではないのでしょうか?

 

いよいよ窮地に陥る昌幸ですが、このままで済む筈がありませ

徳川と北条を巻き込みまたしても沼田問題がネックに。

今度ばかりは秀吉の仲裁案を断れなくなる昌幸ですが、暫くは

長い物に巻かれるしかなさそうですね



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真田丸、数正と且元!!

2016-04-11 | 歴史

梅の死を引きずって中々立ち直れないでいる信繁ですね

一方、徳川が再度攻めて来るというのに、「信伊が何

とかしてくれる!!」と静観を決め込む昌幸

ドラマでは信伊が石川数正を調略し秀吉に寝返らせた

という設定のようですが、かなり無理がありますね。

「大名ではない父上に何故?上洛を…」といぶかる信幸

ですが、昌幸は抜け目がありません。

上田合戦と並行して秀吉とコンタクトを取っていたの

です

秀吉の家臣となれば徳川も迂闊に手を出せません。

信幸ではありませんが、昌幸の頭の中を一度覗いて見た

いものですね

ところで

秀吉へ出奔した石川数正、家康にとって竹馬の友と言っ

ても過言ではなく酒井忠次と並ぶ重臣です

その数正が何故?家康を裏切ったのでしょうか??

秀吉側が数正が秀吉に内通したという噂を流します

勿論、家康は信じませんでしたが、家臣達は違いました。

広まった噂話に尾ひれがつき数正は次第に浮いた状態に

なります

豊臣との折衝を任せられていた数正ですが、豊臣と敵対

する事は得策ではないと考えていた筈。

数正は小牧・長久手の戦いの最中に豊臣との和睦を提言

したとも言われています。

小牧の戦いで局地的に勝利したとはいえ徳川が豊臣に勝

つ可能性は殆どありません

 

一方、武断派からすれば弱腰外交だと言われ数正は内憂

外患状態。

豊臣との対立を避ける為奔走して来た事が意味を為さな

くなります。

数正の心の中に虚しさが込み上げてきたでしょうね

出奔の理由は、内通を疑われ徳川家中での立場が低下し

ていたと言うのが本当のところではないでしょうか?


もう一人数正と同じような人物がいます。

豊臣家の忠臣・片桐且元。

豊臣から疑われ出奔するしかなかったという点でも数正

とソックリ。

徳川を去った数正、豊臣を去った且元。

同じ時代生きた徳川と豊臣の忠臣ですが、この二人、時

代の犠牲者といってもよいのかも知れません

 

もう一説。

家康から送り込まれたスパイ説ですが、秀吉に仕えた数正

は、決して厚遇されていた訳ではありません。

この説は信憑性がかなり低いと思います 

 

スパイ説より有り得そうなのが…

徳川が信濃を攻めれば秀吉が動き、秀吉が動けば上杉も動

かざるを得ません。

北条の寝返りの可能性もあります。

数正は信濃攻めを中止する術として自らを犠牲にして出奔

したというのです

結果的に信濃攻めが中止になったのですからまんざら有り

得ない話ではありません

 

余談ですが、数正は講和の後、於義丸(結城秀康)を秀吉の

許へ人質として送り届けますが数正の嫡男と次男も人質と

なっています。

数正の息子達も大阪に居たわけです。

何かキナ臭い匂いもしますね。

何れにしても不可解な出奔です



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真田丸、滅亡していたかも知れせんね?

2016-04-04 | 歴史

急拵えの六文銭の旗を掲げ昌幸の支持通り徳川軍を挑発する信繁

いよいよ第一次上田合戦の始まりです

史実ではおそらくこの合戦に信繁は加わっていない筈ですが、ド

ラマとして見ると面白さが倍増

真田一族が一丸となって大敵に立ち向かう様は痛快です


ドラマとはいえ、子供を産んだばかりの梅が少し出しゃばり過ぎ

の感じもします

呆気無く亡くなりますが、釈然としないのは僕だけでしょうか?

 

昌幸の策略に嵌り大敗した徳川軍は小諸城へ撤退しますが、手

こまねいていた訳ではありません。

井伊直政をはじめとする5000の兵が新たに加わり10000を超える

軍勢で反撃体制を整えていたのです

その矢先に大事件が

徳川家を背負ってきたと言っても過言ではない石川数正が…

事もあろうに徳川家を出奔、秀吉の家臣となってしまうのです

家康を幼少の頃から支えてきた数正の裏切り、昌幸の裏切りと比べ

ても裏切りの格が違いすぎます

このままでは内部崩壊に陥るかも知れません

家康にすれば上田城攻めどころではなくなった訳です。

撤退も仕方ありませんね

もし、石川数正の出奔がなければ上田城の戦いはどうなっていたで

しょうか?

奇策も一度目ならまだしも二度目は利きません。

ましてや相手が徳川家康。

信濃の小大名相手に二度も負けるとは思えません

真田家滅亡の可能性すらあった筈です

運を味方につけると言いますが、ここまでの昌幸の運は相当なもので

すね

ところで

梅が信繁の為に紐で編んだ六文銭ですが六連銭とも言われていますよね

六文銭の由来としては三途の川の渡し賃というのが一般的ですが、死を

覚悟して戦うという事でしょうか?

真田の先祖・海野氏も六連銭を掲げていたと言われています。

六連銭の旗印は鎌倉時代から続いていたという事になりますね。

一文は今の価値でいえば50円位だと言われていますから、六文で300

くらいでしょうか??

これって、三途の川の渡し賃としては少し安過ぎますよね



 

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