函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、魔性の女??

2016-06-27 | Weblog

鶴松の死の影で何となく利休の死が薄れた感がありましたね

 

ドラマでは利休の見張りを命じられる信繁ですが、利休の邸

宅の周りには上杉をはじめとする3000の兵が取り囲んでいた

と言われています

何故か?利休の見張り役を命じられた信繁ですが…主役なので

仕方ありませんよね

その信繁の問いに「人の命を金で操る業の深い商人である自分

は、それがゆえに茶をたてるのだ。茶の道を究める事が出来た

のは、その自分の業が深いからだ…」と答える利休ですが、何

となく理解出来なくもありません

大徳寺の木造の件では「あれで足元を掬われた!!一言でいえば

定めだ!!」と言っていましたが、答えになっていません

利休の木造が欲しいという茶々の我が儘で木造を作った利休で

すが、寸法を間違え等身大利休が完成

置く場所に困った茶々の一言「大徳寺に預かってもらえば~。」

この一言で利休の運命か決定。

とすれば…やはり茶々は魔性の女ですね。

利休からすれば茶々の要望を聞いたあまり三成や吉継に隙を見

せてしまったという事なでしょうか??

 

鶴松危篤の知らせにニンマリしている武将が二人

50を過ぎた秀吉には跡取りが出来る可能性が殆ど無く、豊臣も

秀吉一代で終わり、乱世へ逆戻りとほくそ笑む家康と昌幸

家康はともかく、息子・信繁と同じような立ち位置では生きら

ない自分に昌幸は気が付いていたのでしょうね。
昌幸は乱世でしか才能を発揮出来ないのです

 

ところで…

一度権力を手にした者はそれを失う事を必要以上に恐れると言

います。

もし、権力を失うとすれば身近にいる実力者が…

 密室の茶室は情報交換の場としては最適、情報が洩れる事も殆

どありません

利休の弟子である武将はあまたいますが、その武将達と権力を蓄

えた利休が共謀すれば…

秀吉が疑心暗鬼にかられても不思議有りません

陰の実力者として動いている分には良かったのですが、財力も兼

ね備え発言力も増してくると絶対権力者から見て脅威でしかない

のです

利休失脚は必然性があったと僕は思っています。

秀吉から蟄居→切腹を言い渡された利休は一切の弁明もせず受け

入れたと言われています

茶の湯を通したネットワークと情報力を持っていたがため秀吉に

重宝された利休ですが、それ故排除されたとも言えます。

秀吉からすれば諸刃の刃だった訳です。

もしかして?利休は何れこうなると思っていたかも知れません

生き様も含め、分かっていても後戻り出来ないのが人生なのでし

ょうかね


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真田丸、北条幕府?何てことも??

2016-06-20 | 歴史

この時点で惣無事令違反に当たるは、北条と伊達ですが、

名胡桃城を乗っ取った北条と蘆名を滅ぼし領地を併合した

伊達と比べれば誰が見ても伊達の方が重罪ですよね

本来なら伊達を取り潰し北条が生き残るところですが、秀

吉の裁定は違いました

実の母に毒殺さかかった正宗ですが、その為予定より遅れ

て小田原に到着します

得意のパフォーマンスで秀吉の心の中に素早く入り込み攻

め滅ぼした蘆名領のみの没収で一件落着

流石に秀吉の御前でズンダ餅の作り方までは披露しなかった

と思いますが…


一方の北条ですが…氏直は早くから秀吉に下る道を模索して

いた様ですが、氏政が中々首を縦に振りません

家臣達も相変わらずの小田原評定、当主・氏直と実質的な権

力者・氏政のツートップも決断を下せず時間だけが過ぎてい

きます

氏政・氏直父子の決断力、政治力の無さには目を覆うものが

ありますね


武田が滅んだ後、北条の領土は最大になります。

氏政は凡庸な国主だと言われていますが、政治家としてはと

かく、武将としては優れた資質を持っていたと僕は思って

います

この時点での石高から見れば豊臣の次が北条です

秀吉としては240万石の大々名をそのまま残しておく訳には

いかなかったのです。

北条を取り囲むように伊達・上杉・徳川も犇めいています。

その他、佐竹・里見・最上などなど…

もし、これらの大名達が反豊臣を掲げ結束すれば流石の秀吉

でも太刀打ち出来ないかも知れません

その時に盟主となるのは240万石を領している北条です

北条幕府!!源頼朝の再来、何て事も絵空事ではなかったのか

も知れません。

秀吉は北条を潰し、その後に徳川を入れ、伊達・徳川の楔と

して旧蘆名領に蒲生氏郷を配置、睨みを利かせます

災いの種を無くそうとしたのでしょね

 

 

三成が攻めた忍城ですが、秀吉の命で水攻めを敢行。

決して三成自ら水攻めを主張した訳ではなさそうです

攻め難い湿地帯にある忍城ですが、周りは平地。

水攻めともなれば大規模な土木工事が必要になります。

現地視察を終えた三成は水攻めは難しいと考えていた様ですが、

現地を見ていないとはいえ秀吉からの命令には逆らえません

小田原征伐で唯一落ちなかった忍城ですが、そのため戦下手の

レッテルを張られる羽目になった三成

忍城攻めは水攻めに固執した秀吉の失敗といっても良いのかも

知れません。



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真田丸、窶れて行く二人!!

2016-06-14 | 歴史

暫く行方知れずとなっていた信繁の姉・まつの夫・小山田茂誠

どの場面で再登場するのかと思っていましたが、籠城中の小田

原城だとはは驚きでしたね

史実では茂誠が北条に仕えていたのは間違いなさそうです


それにしても…信繁が氏直を説得するため単身小田原城へ行くな

んてドラマとして見る分には面白いですが…

吉継や三成、家康までもが信繁に氏直説得を託します。

北条の命運が信繁の肩に掛かっているのです

全く有り得ない話ですが、ドラマならではですね

 

小田原攻めで日に日に窶れていく武将が二人。

三成と氏直

二人共、思い通りにならない戦局が原因のようです

有利不利に関係なく悩みは尽きないようですね

 

ところで

後北条の祖・早雲(伊勢新九郎盛時)は桓武平氏の末裔だと言われ

ています

足利幕府の官僚として仕えていた様ですね。

鎌倉執権の北条家の後裔ではありませんが、先祖を同じくすると

いう意味では同族と言っても良いのかも知れません。

伊勢氏から北条氏を名乗ったのも頷けます

 

いよいよ北条征伐ですが、氏政は何故?秀吉に臣従しなかったの

でしょうか??

信玄や謙信ですら攻略出来なかった小田原城があったせいだけで

しょうか??

それとも秀吉の出自を蔑んでいたからでしょうか??

豊臣軍20万、北条軍8万、軍勢の数は少し誇張した数だと思います

が、この数だけ見ると全く歯が立たない相手ではなさそうです

難攻不落の小田原城と8万の軍勢が有れば氏政でなくても勘違いする

かも知れません

 

氏政はおそらく…希望的観測も含め徳川や伊達の援軍を期待していた

のでしょうか

全国の武将を敵に回し籠城しか選択肢がない戦いに勝ち目がない事く

らい氏政も分かっていたでしょうね。

巨大な小田原城には35年分の兵糧は有った筈です。

数年持ち応えれば…攻めている秀吉軍の武将達にも亀裂か入ります

しかし、この戦いには唐入りの為か九州勢は加わっていません。

戦況が膠着すれば九州勢も加わるかも知れないのです。

頼みにしていた徳川も秀吉軍に加わり、残る伊達までもが秀吉に降伏

して万事休す

援軍の期待出来ない籠城戦ほど惨めな戦いはないのです



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真田丸、惣無事令違反!!

2016-06-07 | 歴史

惣無事令…

秀吉の許可なくして戦が出来なくなるという事ですが、

武将同士の争いの殆どは土地問題です。

戦が出来なくなった代わりに秀吉が裁定を下さなくて

はならなくなります

一所懸命と言いますが、武士は命懸けで土地を守るも

のです

理不尽な裁定を下すと禍根が残り豊臣政権が揺らぐ事

にもなりかねません

鎌倉幕府二代将軍・源頼家も土地争いに対する裁定が

元で失脚したとも言われています

ある意味、戦で解決するより難しいかも知れませんね

 

いよいよ戦国裁判の始まりです。

被告・真田、原告・北条、裁判官・石田三成と秀次、

証人・本多正信、各々の思惑が絡んだ裁判です

裁判長・秀吉の判決が見物ですね。

判決…

沼田の2/3北条、残りの1/3を真田、徳川が真田へ代替

地を用意する。

北条氏政が上洛する。

掻い摘んで言うとこんなところでしょうか。

秀吉は北条氏直に大きく譲歩し沼田領の割譲と引き換え

に氏直の上洛を約束させます

長く続いた沼田領問題は秀吉によって解決されますが、

三か月後大問題が発生、いわゆる名胡桃城事件

この事件が引き金となって北条征伐が発動されます。

沼田城に入ったのは北条の中でも親秀吉と言われている

北条氏邦の家臣・猪俣邦憲です

その猪俣邦憲が名胡桃城の城代・鈴木主水を騙し城を乗

っ取ってしまいます

明らかな惣無事令違反。

そもそも沼田城の目と鼻の先に在る名胡桃城だけを何故?

真田領として秀吉は認めたのでしょうか??

秀吉の作為が感じられます

伊達・徳川⇔北条との間に楔を打つ為の時間稼ぎだったの

ではないのでしょうか??

戦国時代では名胡桃城事件のような争いは日常茶飯事です

が、天下人・秀吉が出した惣無事令に違反したのは確か。

何れこのような争いが起きると秀吉には確信があったと僕

は思っています

氏政が速やかに上洛し秀吉に謁見し形だけでも臣従してい

れば別ですが、大大名北条を潰す大義名分を秀吉に与えて

しまった北条氏政は凡庸な国主だったのでしょうね

 

ところで

個人的には裁判官・秀次が言った言葉がとても印象的でした

「譲り渡すにせよ、奪い取るにせよ、沼田城が暗に真田の城

だと認めている事にならないか?もし、沼田が北条のものだ

とすれば、取り返す、奪い返すと言うべきである。語るに落

ちるとはこの事。」

ドラマでは無能力な二代目として描かれていましたが、好人

物の片鱗を見せましたね

もし?秀次が殺されなかったなら…

豊臣家はあんなに早く滅亡しなかったと今でも確信している

僕なのです

 

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