函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、善児再登場!!

2022-07-25 | 歴史

御家人達のパワーバランスも微妙に崩れだしましたね

御家人達だけならまだしも、若い将軍と宿老達との対

立も激しさを増します 

そのさなか、頼家の次男・善哉が誕生し三浦義村が乳

母父になります。 

比企の血を引いていないその子は、後に三代将軍・実

朝を殺した公暁ですね 

梶原景時追放を裏で操っていたのは誰か? 

ドラマでは、シナリオを書いたのは三浦義村と言う事

になっていましたが… 

讒言された結城朝光が一番頼りにしていたのが義村だ

と言われています 

義村による何らかの陰謀が有ったのは間違いなさそう

ですね 

もし、義村が主犯だとすれば、実衣も義村に利用され

た事になります 

義村と朝光が口の軽い実衣を利用した可能性も否定で

きません。 

景時追放も実朝暗殺も義村が陰で糸を引いている気が

してなりません

義村は陰謀好きなのでしょうか? 

誰かを操り、自分は表に出ない、影のフィクサーと言

った感じですね

ところで 

謎の人物・善児が再登場 

善児が義時の兄・宗時を殺したのを知っているのは伊

東祐親、梶原景時、畠山重忠の三人です 

祐親は善児に殺され景時もこの後… 

残るは重忠一人

そんな善児は景時の置き土産として義時の許へ… 

善児は架空の人物ですが、善児の様な陰の人物はおそ

らくいたでしょうね 

そんな善児を義時はどのように使いこなすのでしょう

か? 

義時が真相を知った時が善児の最後なのでしょうか? 

真相を知ったうえで手足として闇の部分を善児に負わ

せるのでしょうか? 

そんな善児のこれからに興味が尽きない僕なのです

 

 

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鎌倉殿の13人、主導したのは時政!!

2022-07-18 | 歴史

いよいよ鎌倉殿の13人、本編が始まりましたね

鎌倉殿は頼家、13人は有力御家人と文官。 

主導権を握る為に血で血を洗う争いの始まりです

昨日の友は今日の敵を地で行くような… 

何故?13人の合議制を敷いたのでしょうか? 

頼家が18歳と若かったのはもちろんですが、訴訟

の多さも背景に有った様です 

将軍が裁可を下すにも数に限りが有りますよね 

しかし、この13人は一度も揃った事がなかったと

も言われています

おそらく数人による寄り合いが主だったのでしょ

うね

頼朝の晩年は将軍に権力が集中し過ぎた為、将軍

の決断が御家人達の為にならなくなっていたのも

事実です

将軍の代替わりを期に、将軍による権力の集中を

避け、御家人達のためになる政治を求めたのでは

ないのでしょうか?

頼家派の比企や梶原が合議制に賛成の立場を取っ

たのも、そう考えると頷けます。 

組織として未完成のままでの合議制は混乱の許だ

った気もしますが… 

景時が頼朝の死が早すぎたと言ったのもその通り

なのかも知れません 

 

時政は2ヶ国の守護に任じられていましたが、幕

府の要職には就いていません 

京の公家達との縁戚や、有力御家人との縁組を通

して着々と地盤を固めていた節が有ります 

満を持して表舞台に登場したといった感じですね 

そう考えると、間違いなく13人の合議制を主導し

たのは時政に違いありません

いよいよ時政による有力御家人への粛正の始まり

ですね

ところで 

後鳥羽上皇と共に土御門通親が登場しましたね 

本名は源通親です。 

62代・村上天皇の子孫で、源姓の公卿として7代

の天皇に仕えたと言われています。 

通親は曹洞宗の開祖・道元の父親だとも言われて

いますが、定かではありません??

通親は九条兼実の部下の様な立場で仕えていたの

ですが、中々昇進出来ないので兼実と喧嘩別れ、

遂には兼実を失脚させ権力を握ります 

天皇の外祖父として権力を増大させますが、何故

か?54歳の若さで亡くなります 

突然の死だったのでキナ臭い臭いがプンプン

東国でも西国でも権力争いは尽きないのです 

 

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2022-07-12 | 店舗

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鎌倉殿の13人、忠臣・景時!!

2022-07-04 | 歴史

頼朝の髻の中から出て来た観音像。

比企尼には捨てたと言っていた物ですね。 

粛正に粛正をかさねてきた頼朝ですが、やはり

仏に縋るしかなかったのでしょうか

そんな瀕死の頼朝を尻目に後継者争いで鎌倉は

ドロドロ状態

各々の思惑が入り乱れ収拾がつきません

御家人達は勿論ですが、北条家でも頼家と全成

を巡って親子・兄妹の争いが始まりそうです 

チクリ技では梶原景時をも上回る実衣ですが、

実衣のチクリで梶原景時や畠山重忠も粛正され

るのですから… 

下に恐ろしきは女なりですね

 

二代目鎌倉殿にほぼ決まった頼家

陰の様な参謀の梶原景時を従えている様ですが、

実衣の餌食となるのはもう少し先です。 

ところで 

無骨な坂東武者の中にあって、和歌を嗜み教養

も有る景時を頼朝が重用したのもある意味頷け

ます

この時代、読み書きが出来る武士は殆どいなか

ったと言われています。 

武力だけで生きられた時代も終わり、組織の一

員として生きて行く為には武力は役には立ちま

せん 

当然の様に組織の中で生きられない武士も沢山

いたでしょうね 

武力よりも読み書きの出来る武士の方が貴重だ

ったと言えます。

13人の合議制に選ばれたメンバーは読み書きに

は 通じていた筈です。

和田義盛は少し不安ですが

 

梶原景時は和歌を詠み、華道にも通じ風流を嗜

んだと言われています

坂東武者の中でも異質だったのかも知れません

巧みな弁舌の持ち主でディベートの達人、ある

意味マルチな人間ですので、部下として使うな

らまたとない人材です。 

将軍に忠節を尽くしたという意味では忠臣中の

忠臣ですよね 

景時のお陰で頼朝は命を永らえ、鎌倉で武士に

よる初めての政権を開く事が出来たのですから

頼朝にとっての大恩人でもあり、幕府にとって

も欠かせない人物として遇されたのもなるほど

です

景時自身も自分がいたから幕府を開く事が出来

たと自負心を持っていたとしてもおかしくあり

ません

66名による弾劾状も御家人達の嫉妬心が為せる

業だったのかも知れません

頼朝が生きている間は弾劾状を出す事は流石に

なかったでしょうね。 

頼朝亡き後、一線から身をひいていれば景時も

あのような最期を迎えずすんだかもしれません 

景時自身70歳位の高齢だったのでその選択肢

もあったのではと個人的には思っています。 

権力を動かす側の人間になると、その呪縛から

は逃れられなくなる物なのでしょうかね

 

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