函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、景勝決起!!

2016-08-29 | 歴史

三成を抱きしめ家康打倒を宣言した景勝

重い、重~い腰をようやく上げましたね

少しどころか?かなり決断が遅い様な気もしますが…

ドラマでは優柔不断で謝ってばかり、決断力に欠ける

武将として描かれているみたいですが、実際の景勝は

かなり違った様です。

尊敬してやまない謙信に近づこうとして自らを厳しく

律し寡黙で威厳に満ちていた景勝、近寄りがたいオー

ラを発していたと言われていますね 

謙信の代から越後では反乱が続きますが、景勝が国主

となってからは殆ど起きていません

よほど統治能力に長けていたのではないのでしょうか。

かぶき者で有名な前田慶次郎ですら景勝の前では悪ふ

ざけを慎んだとか??


そんな景勝がいよいよ動き出します。

家康からの上洛要請を断り反徳川の狼煙を上げます

 

前田利家が生きている間は何とか歯止めが利いていま

したが、利家が亡くなると七将による三成襲撃事件が

勃発

加藤・福島・藤堂・蜂須賀・細川・浅野・黒田と秀吉

子飼の武将達が三成を亡き者とする為決起

結局、三成は家康の許に逃げ込み助かりますが、豊臣

政権から脱落佐和山に蟄居となります

ドラマでは伏見屋敷に避難する三成ですが、徳川屋敷

に逃げ込み難から逃れたというのが通説ですね

ドラマでは秀吉が建てた伏見屋敷に、七将が乗り込ん

で来る筈がないと言っていましたが、三成打倒で熱く

なっている七将なら秀吉の居なくなった伏見屋敷に乗

り込んでも不思議有りません


三成のいなくなった豊臣政権では表だって家康に対抗

する武将なく、もはや家康が天下人と言っても良いの

かも知れません

三成の傲慢さは気になりますが、後先を考えない七将

の愚かさも感じます

結局、徳川の天下に協力しただけで加藤・福島などは

家自体も存続出来ませんでした

七将は政治家ではなかったという事でしょうか??


来週はいよいよ歴史上最大の戦い関ケ原が始まりますが、

関ケ原の勝敗は七将による三成襲撃事件が起こった時点

で決まっていた様にも思います。

豊臣VS徳川ではなく三成VS武断派の構図を作った事で

家康の勝が決定的になったといっても過言ではありません。

やはり家康は秀でた武将でもありますが、超一流の政治家

ですね



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸、次の天下人を求めていたのです!!

2016-08-22 | 歴史

秀吉亡き後、自身で最高権力者になれない武将達は次の天下人を

求めていたのです

長い物には巻かれろ!!ではないですが、この時点でも家康こそが次

の天下人だと殆どの武将は思っていた筈です

俄か作りの五大老・五奉行の合議制など上手く機能する筈がない事

は亡くなった秀吉自身が一番理解していたのかも知れません

秀吉は五大老・五奉行制度に一縷の望みを託しただけなのではない

のでしょうか??


頼みにしていた上杉・毛利も動かず孤立する三成、細川忠興を自ら

が説得に向かいますが、土産に持って行った干し柿を見て「人の心

分からぬのか?馬鹿にするのも大概にせい!!」とかえって怒らせ

始末

宇喜多秀家、小早川秀秋を除く殆どの武将は家康に走った今、もう

打つ手がありません

吉継が言っていた様に今は刀を納め時期を待つのが得策ですが、熱

くなった三成にはすぐには無理なようですね


話は逸れますが…

三成が関ケ原で負け、処刑される前に食べたのも干し柿でした

三成は干し柿が大好きなのでしょうかね


ところで…

三成の重臣、猛将島左近が登場しました

秀吉が言ったとされる「三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近

に沢山の城。」

4万石だった知行の半分・2万石で召し抱えたとされているのが島左近

です

実際には半分の知行を与える筈がありませんので、かなり誇張した話で

すね。

もし?本当だとすればどちらが主君なのか分からなくなります

それほど優れた武将だと言いたいのでしょうが…

関ケ原での左近ですが…

通説では小早川秀秋が裏切ると最前線で奮戦

西軍総崩れが明確になると黒田長政の軍勢に突撃、銃撃により

死亡したと伝えられています

しかし、左近の遺体は見つかっておらず戦場から逃走、逃げ延

びたとも言われているのです

眉唾物ですが、京都・立本寺に左近の墓があります。

没年1632626日…

本当だとすれば関ケ原から32年後に亡くなった事になりますよ

当時としては天寿を全うした事になります。

左近は関ケ原の後、ひっそりと身を隠し生きていたのでしょう

生きていれたとすれば何故?大坂の陣に参陣しなかったのでし

ょうか??

左近ほどの武将なら居ても楯も居られなかった筈です

夏・冬の大坂の陣で名前が出て来ないという事は、左近が関ケ原

で戦場の露となったのは間違いなさそうですね

何れにしても島左近、謎の多い武将です





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸、多数派工作!!

2016-08-15 | 歴史

政界に付き物の多数派工作がいよいよ始まりましたね

家康VS三成、誰の目から見ても家康有利は間違いあり

ません。

付け焼き刃の五大老・五奉行の合議制度が上手く機能し

ないのも仕方ありませんね。

血を流さずに独裁から合議制へと移行するのは至難の業

なのです

 

秀吉の死は新しい戦乱の幕開けとも言えます

長く続いた戦乱の気質は直には変われません。

家康は勿論ですが、他の武将達も虎視眈々と次の天下人

座を狙っていたのです

豊臣家の忠臣・三成も例外ではありません。

秀頼の名の許、実権を握ろうとする筈です

もしかすると?次々と政敵を陥れ鎌倉幕府の執権の様な

形で権力を握ろうとするか知れません。

権力とはそれほど魅力的なものなのでしょうか??

二番ではなく一番じゃないと満足出来ないものなのでし

ょうか??

凡人には理解し難いものがあります

 

禁止されている大名同士の婚儀の件で信繁が家康を問い

ただしますが、豊臣政権の筆頭・大老に向かって問いた

だすとは有り得ない話です

主人公なので仕方ないとは思いますが、個人的にはかな

り違和感を覚えます

「太閤殿下の死去が公表されていない以上、遺言は無効

!!」と言い返す家康ですが、五大老・五奉行の合議の

席では流石に言えなかったでしょうね。

信繁にだから言えたともいえますが…

 

三成一人では家康に太刀打ち出来ないと考えた大谷吉継が、

上杉景勝宛に密書をしたため信繁に託します 

しかし、肝心の景勝が全く頼りなく、合議の場で怒られた

子供の様にボソボソと話す始末。

実際の景勝はこれほどいじけた人物ではないとは思います

が、家康との人物対比としては面白い設定ですね。 

「声が小さい、耳に入ってこぬは!!」と一喝されディベート

上手な家康のペースを崩す事が全く出来ません

家康にやり込められ助け舟もいない三成、塩漬けとなった秀

吉の遺体の前で孤独感に苛まれている様です

結局、自分が動かなければと悟った三成。

次週では腹を括った三成がいよいよ実力行使に出る様ですが、

確か?史実には無かった筈…

どのように描くのか楽しみですね





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸、家康暗殺!?

2016-08-08 | 歴史

遺言の書き換えに翻弄する家康と三成

遺言がどうであれ政治体制が盤石でない状態では

実力勝負です。

戦乱へ逆戻り、立身出世を望んでいる武将達にとって秀吉

の死は好都合

昌幸もその一人ですね。

秀吉亡き後、天下人となるのは家康だと殆どの武将が思って

いた筈なので、ついでに家康も居なくなれば混乱に拍車がか

かります

昌幸も大々名となれるかも知れません

 

死が近づいている秀吉から三成へ最後の命令が…

「家康を殺せ!!

忠実な三成は秀吉からの暗殺命令を昌幸に頼みます

血が騒ぐ昌幸と出浦昌相、「この話は聞かなかった事にいたそ

う。」と一応答えますが、やる気満々です

家康暗殺は結局失敗し、昌相は瀕死の状態で真田屋敷へ…

最後を迎える昌相ですが、まさか?ここで亡くなるとは

出浦は昌幸が九度山で亡くなり、信繁が大坂の陣で死んだ後、

信之に仕え生涯を終えたとばかり思っていました。

あくまでもドラマなので仕方ありません

昌相は忍者の棟梁だったとも言われているので、もしかして??

復活何て事もあるかも知れませんよね

ところで

あれほど無益な殺生を重ねた秀吉、せめて堂々と死を迎えて欲

しいと思うのは僕だけでしょうか

殺生関白とは秀次ではなく秀吉の事です。

伝え聞く信長の死に様とはあまりにも対照的。

朝鮮出兵などせず、官僚体制をしっかり整えておけば秀吉一代

で豊臣家が滅亡する事はなかった筈です。

天下を統一するのは難しい事ですが、維持するのはもっと難しい

のです

秀吉にとって天下統一が到達点だったのでしょうか??

そう考えると豊臣家滅亡は必然性があったのかも知れません。

秦の始皇帝も有能だった長男を遠ざけ宦官に牛耳られ滅亡します

が、秀吉も利休を殺し個人的には有能だと思っている秀次まで

も殺し、自ら豊臣家滅亡の原因を積み重ねていきます

いくら秀頼の事を頼んでも哀願だけでは人は動きません

因果応報とはこの事ですね



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸、既に死んでいるのです!!

2016-08-02 | Weblog

必死に秀吉の異変を隠そうとする三成と信繁

それ自体かなり無理があります。

人の口に戸は立てられないのです

「殿下はいささか長く生き過ぎたのかも知れん。」と呟いた大谷吉継

の言葉が全てを物語っている様ですね。

晩年の秀吉は英雄だった欠片も感じません

権力に任せやりたい放題、罪の無い者まで手当たり次第に処刑すると

は…もはや老害以外の何物でもありません

一代の英雄・豊臣秀吉は既に死んでいるのです

醜い老人と化した肉体だけが残っていただけなのかも?

我が子??秀頼に対する愛情??だけが生きる術とは…

怒りを通り越して哀れみすら覚えます

家康の晩年と比べると月とスッポンですね。

 

兄・信幸から問われても真実を話せないでいる信繁

「太閤殿下が亡くなれば世の中は必ず揺れる。その時、真田は誰に付い

て行くのか見極めるべきなのだ!!」と信繁に詰め寄る信幸

真田家次男の立場より秀吉側近としての立場を優先しているとしか信幸

には見えなかったのでしょうね

豊臣家の家臣としての自分、真田家の人間として自分、二つの顔を持つ

信繁、板挟み状態ですが、信幸にはお見通しの様です

遂に信幸に秀吉の病状を打明けますが、その情報を持って信幸は直に徳

川へ直行

信幸には迷いはないのです

 

平時には居場所がない昌幸ですが、伏見城の普請に情熱を傾けていた矢先、

又もや大地震が…

すっかり気力を無くし吉野太夫にのめり込んでいきますが、その吉野太夫

も徳川の息の掛かった忍びだったとは踏んだり蹴ったりです

その昌幸も秀吉の病状を背中で聞き何やら息を吹き返したみたいですね

世が乱れれば昌幸は元気になるのです


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする