五色の風

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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新幹線が見える

2017-10-18 20:25:48 | 道南地方



函館から松前を経て江差へと通じる一般国道228号。
その途中の知内町にある道の駅の所に、一つの展望塔が建っています。
(場所はこちら





ここは、北海道新幹線を望むことができる展望塔です。
新幹線が通過する時間帯はHPで調べられるので、その時間帯は多くの人で賑わいます。
早速行ってみましょう。








エレベーターもあるのだけど、階段で最上階へ到達しました。





津軽海峡方面へ一枚。





最大限ズームアップ。
写真は、青函トンネルの出入口です。





そしてこちらが函館方面。





新幹線よりも先に貨物列車がやってきました。
青函トンネルは、もともと新幹線が走行できる規格で設計されており、その状態で、二十八年間在来線として稼働してきましたが、新幹線が開業した現在も、貨物列車はこうして変わらずに走行しています。








さあ、新幹線が見えてきましたよ。





やってきたのは、東京発新函館北斗行きの、「はやぶさ1号」でした。




次の停車駅は木古内駅です。
北海道新幹線はまだ一度しか載っていないけれど、23日(月)、万一飛行機欠航の時は、新幹線で帰ることも覚悟しておこう。
二日続けて休暇にしちゃったらみんなに申し訳ないので。
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祈るしかない

2017-10-18 20:00:19 | 日々のもろもろ
台風21号 週明けに九州〜関東直撃か


もうここまで来たら、祈ることは一つしかない。
23日(月)、羽田が欠航閉鎖されることなく、無事に飛行機が飛んで函館に帰還できること。
私は23日の17時30分羽田発で帰還するのだけど、リンク記事の予想進路だと、ちょうどその時間帯がやばそう。
せめて、予報よりも早く進んで、17時30分には既に関東から離れてくれれば・・・って言いたくなるところだけど、その場合でもどこかの地方に影響、場合によっては被害が出てしまうから、あまり不謹慎なことは言えないか。
上陸は仕方ないとしても、被害は小さく、そして私と、九州から上京する友人が共に帰還できること、これを祈るしかないか。

仕方ないとはいえ、これは本当についてない。
滞在中は、東京なので、屋内で過ごす方法も色々と選択肢があるからいいけれど、帰って来られないとなったら一大事ですからね。
出発前日(20日(金))は早く帰れる勤務時間設定なので、旅行会社に寄って、万一の場合の対応策を確認してから上京するようにしよう。

さ、明日夜の時点ではどんな予想進路になってるかな・・・。
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十三回目もそろそろ?

2017-10-17 21:36:29 | 日々のもろもろ
お題「今まで何回引越ししましたか?」に参加中!
ざっと思い出してみました。


一回目・・・1977年4月。父の転勤。
二回目・・・1981年4月。小学校2年生になる時。同じく転勤。
三回目・・・1984年4月。小学校5年生になる時。同じく転勤。
四回目・・・1989年3月。中学卒業後、今の実家(新築)へ。
五回目・・・1996年4月。就職により、初めて実家を離れる。
六回目・・・1996年6月。「大人の事情」(?)により、独身寮の部屋替わり。隣の建物に移ったので住所変更も必要になり、普通に転居届を提出。今までで一番短い期間での引っ越し。
七回目・・・1998年4月。転勤。再び実家へ。
八回目・・・2002年3月。転勤。釧路へ。
九回目・・・2005年4月。転勤。帯広へ。
十回目・・・2008年3月。転勤。函館へ。
十一回目・・・2012年4月。異動(「転勤」とは言わない)。江差へ。
十二回目・・・2014年4月。異動。再び函館へ。


ああそうか、父子二代で転勤族ともなると、十二回も引っ越してたんだ。
(制度が変わらなければ)定年退職まであと十六年。あと何回引っ越すことになるのやら。
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可能性を絞ってみる

2017-10-16 19:19:49 | 函館









八年半前に抱いた疑問。
この「センタイ」って一体なんだろう?
図書館にある歴史本の数々や「函館市史」を読んでも載っておらず、この時点では、未だわからずとしていた。

何とかあと半年の間に究明したいと思っているのだが、先日、全くの偶然ながら、こんな情報に行き着いた。


接待場跡(せんたいばあと) 奈良県橿原市


へぇ~、「接待」と書いて「せんたい」って読んでたんだ。

何でも、「おかげ参り」と言って、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣の客に対し、湯茶や食事の接待、宿の世話をした場所らしい。

しかるに箱館はというと、「センタイ」の横にある「八マン」とは、江戸時代後期(1804年~1878年・1879年の大火まで)、現在の八幡坂の途中にあった「函館八幡宮」のことだろうから、八幡宮に参詣する客を接待する場があったとしたら・・・

何とも言えないけど、その可能性に絞ってみるのも悪くはなさそうだ。
とりあえず、その可能性が当たりかハズレかわかった時点でまた報告します。

因みに、掲載した写真は、「旧イギリス領事館」の館内のものだけど、1868年の「箱館真景」という作品にも、同じように「センタイ」が載っています。
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台風かよ・・・

2017-10-15 16:12:46 | 日々のもろもろ
【衆院選影響か】台風発生の可能性+前線で投票日にかけ情勢悪く


ウーン、非常に気になるニュースだなあ・・・。

何がって?
今週土曜日から「遠足」で上京するからですよ。
例年の10月の進路だったら、何がしかの影響はあるとしても関東への直撃はなさそうだけど、9月と同じ気圧配置って・・・。
へたすりゃ首都圏直撃ですよ・・・。
それになんですって?台風の直撃を免れても、秋雨前線の影響で強い雨の影響があるって・・・?

まあ、少なくとも秋晴れの下での遠足は望めなさそうだということだけは覚悟しておこう。
気になるのは、遠足当日(22日)の天候もさることながら、飛行機が飛ぶかどうかだな。
リンク記事にある進路のとおりだとすると、とりあえず函館への影響は小さそうだけど・・・。

とりあえずは祈るしかなさそうですな。

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箱館通寶という貨幣

2017-10-14 15:34:34 | 函館
日本で最古の貨幣といえば・・・、日本史の授業で出てきました、「和銅開珎」ですね。
これは、西暦708年(和銅元年)に鋳造された貨幣とされていますが、今日は、その貨幣に関する話題。





いきなりですが、かつてこんな貨幣が存在していたことをご存知でしょうか?
「箱館通寶」と書いてあります。そう、そういう名前の貨幣が実在したのです。








これは、「函館公園」にある「箱館通寶」の銭座(鋳造所)の跡地の碑。

江戸幕府は、蝦夷地における経済手法として鉄銭を通用させていましたが、1821年に松前藩に復領した際にはこれが廃止され、藩内経済は、貨幣流通が始まる以前の物々交換に戻される形となりました。
そんな中、藩内の場所請負人(上級家臣から商場の経営を委ねられていた商人)の中に、不正な物々交換で私腹を肥やす者がいたことから、箱館奉行はこの悪弊を正し、鉄銭の鋳造流通を考えました。
こうして、再び蝦夷地が幕府直轄となって以後の1856年、幕府の許可により、谷地頭に銭座が設けられ、翌年2月から鋳造を始め、同年閏5月から、「箱館通寶」という名の一文銭の通用が始まりました。
それまで箱館には銭貨が乏しく、不便であったため、当初は大変喜ばれましたが、重いとか粗末だとかいう理由により不評が高まり、後に銅銭の通用が主体となってくると、鉄銭は敬遠されるようになり、いつの間にか用いられなくなってしまったとのことです。





ご存知、現在流通している貨幣。
これらに至る貨幣の歴史の中に「箱館通寶」という地域限定の貨幣があったというのも、大変興味深い話だなと思いました。
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最初の映画館跡

2017-10-13 20:03:38 | 函館



護国神社坂の下、高田屋嘉兵衛屋敷跡の側にある「ホテルWBFグランデ函館」
建物はそのままに、何度かホテル名が変わっていて、かつては「函館グランドホテル」だったらしいのだが、私の知っているだけでも、「ホテルJALCITY函館」「チサングランド函館」と変わっていた。
私は「チサングランド函館」の印象が強いんだけど、いつの間にか今の名前に変わっていました。





って、今日の本題はそこではなく、実はこの場所も、函館の歴史上のエピソードに登場する施設の跡地なのです。

何があったかというと、1909年、北海道最初の活動映画館である「錦輝館(きんきかん)」がこの場所に開設されました。
「活動映画館」というのは、別に何のことはない、映画を上映する場所のことで、当時、「活動写真」と呼ばれていた映画を、広く大衆に見せるための施設のことです。
当時の映画は、映像と並行して「弁士」と呼ばれる人が解説を加えていた「無声映画」であり、函館でも大変な人気職業だったそうです。
ここを皮切りに、函館の映画館の数は、全盛期で19にも上っていたそうです。

今は市内の映画館は「シネマ太陽函館」「シネマアイリス」の二館だけになりましたが、数多くの作品でロケが行われるなど、日本の映画史にとっても欠かせない場所になっている函館。
そんな映画にまつわる場所としても北海道初のものがあったんですね。これもまた貴重なエピソードだと思います。
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鳥居のあるお寺

2017-10-12 19:35:54 | 函館



西部地区の「函館聖ヨハネ教会」の裏手に、赤い鳥居のある建物があります。
まだここは行っていなかったな・・・よし、行ってみましょう。





「妙福寺」ですか・・・。
鳥居があるから「○○神社」かと思ってました。お寺だったんですね・・・。











本殿の側にも、こうして大小の鳥居が立ち並んでいます。
すみません、宗教には全くもって疎いので、「鳥居」=「神社」だと勝手に思い込んでました。





この「妙福寺」は、日蓮宗の最上(さいじょう)稲荷教という教派の施設です。
「最上稲荷教」とは、岡山市にある「妙教寺」というお寺を本山とする教派で、「伏見稲荷」「豊川稲荷」と並ぶ日本三大稲荷の一つとされています。
元来は、報恩大師が752年に孝謙天皇の病気平癒の勅命を受けて、吉備山中の八畳岩で修法し、最上位経王大菩薩を感得し、天皇は全快したことに始まるとされる教派で、明治維新の際、岡山県で唯一廃仏毀釈(神仏習合を廃して神仏分離を押し進める動き)の対象とならず、日蓮宗系「神仏習合」の祭祀形態が許されたとされています。
1951年の宗教法人法の施行に伴い、1954年7月に、宗教法人・最上稲荷教として日蓮宗から独立、包括法人が組織されましたが、2009年7月24日に、傘下の寺院とともに日蓮宗に復帰しました。
その傘下の寺院の一つが、この「妙福寺」ということです。





最初の写真と反対側の「チャチャ登り」の方から一枚。
大変勉強になりました。興味深いスポットだと思います。

場所はこちらです。
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命の尊さを伝える場所

2017-10-11 20:10:13 | 函館
最近は、同僚や友人から、函館市内(近郊も含む)にあるスポットについて、「あれは何?」と尋ねられることがたまにあるのですが、今日は、最近尋ねられたのだけど、さらっとだけで詳細は答えられなかった場所について触れたいと思います。





谷地頭で市電を降り、立待岬へ向かう途中にある「住吉町共同墓地」の一角に、こんなお墓が設置されています。
同僚から尋ねられて、写真撮ってなかったかなと思って探したら、昨年の初冬に撮っていたので、遅ればせながら掲載しました。
「育児墓」って、一体どういうお墓なのでしょう・・・?





先のお墓の概要はこの表示板をご覧いただくとして、これにまつわるエピソードについて書きます。

「明治初年」と書いていますが、さる歴史書によると、明治2年(1869年)の6月、一人の妊婦が槇山淳道(まきやまじゅんどう)という町医者を訪れ、生活に困るので堕胎してほしいと願い出ました。
槇山は元々江戸の出で、堕胎という悪習を改めさせるために錦絵を発行するなどの運動をしていたことから、この妊婦に対しても非を諭し、同志と共に「育児講」という講社を結成し、この妊婦の産んだ子を引き取り、養育しました。
「育児講」は、明治4年(1871年)に「函館育児会社」と改称し、槇山が社長となって、官吏や財界、有志らの支援のもと、産婆(助産師)とも連携して堕胎の防止につとめ、困窮者のもとに生まれた赤ちゃんを引き取り、保育したとのことです。

表示板中にある「慈恵院」とは、明治33年(1900年)に設立された慈善団体で、「函館育児会社」はこれに引継がれ、孤児や困窮児の養育、旅のさ中に病気となった者の救済などを行いました。
昭和21年(1946年)には「函館厚生院」と改称され、現在、函館中央病院、五稜郭病院などの運営に携わっています。

函館中央病院は、私が毎年人間ドックでお世話になっている病院なのだけど、なるほどそういう歴史があったわけですか。
ガイドブックや検定のテキストにも載っていない、知る人ぞ知る的なスポットだけど、設立者の思いに触れ、命の尊さについて考えさせられるという点で、もっとクローズアップされてよい場所だなと思いました。

場所はこちらです。
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街道の一角に

2017-10-10 21:38:54 | 道南地方
昨日に続き、江差町内で、観光スポットではないけれど、「はこだて検定」で出題されたことがあるなど、町歩き派の方には外せないと思われるスポットを紹介します。





これは何でしょう?
時計塔かな?




ではありませんで、これは気圧を測定する器械です。

これは、1928年に、江差町の名家である船具商の関川家によって町に寄贈された、「アネロイド気圧計」。
「アネロイド」とは、「非液体」という意味のギリシア語「アネロス」に由来する言葉で、気圧の値を、水銀を用いることなく、内部を真空にした薄い金属製の容器が気圧の変化によって膨らんだり凹んだりするのをてこによって指針に伝え、その針の動きで測定する器械です。

何に用いられたかと言うと、ニシン漁全盛の当時、漁師たちが出漁前にこの気圧計を見て、その日の天候を判断していました。
気圧に基づく天候の判断は漁師たちによって大変重要なポイントでしたが、当時気圧計を保有していたのは親方たちぐらいのものであったので、町に寄贈されたこの気圧計は、一般の漁師たちにとっても大変重宝されていました。

文字盤には、日本語で「かんかん照り」「晴れ」「雨」「嵐」の表示があり、現在でも現役として稼働しています。











アネロイド気圧計の横にあるのは、「姥神大神宮」の基となった「姥神社」「折居社」の跡を示す碑。

解説文にある「折居姥」とはニシン漁の守護神とされた存在で、現在の江差町津花町で草庵を営んでいました。
折居姥は天変地異を未然に知らせることから折居様と崇められていましたが、ある日の夜、折居姥は神島(現在のかもめ島)が光っているのを発見し、そこにいた白髪の翁からに瓶を授けられ、「この中の水を海中に注げば、鯡(ニシン)という青魚が群来して必ず里人の生活を支えるであろう。」とのお告げに従ったところ、本当にニシンの大群(「群来(くき)」と呼ばれます)が来て、町人たちを飢えから救ったという伝説が残されています。

※ニシンという魚は、漢字で「鰊」と表記するのが一般的ですが、江差の漁師たちにとっては、「ニシンは魚に非ず。米のようなものだ」とされていたことから、「魚」に「非」ずという「鯡」という表記がされていました。

今回紹介した場所はこちらです。
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