五色の風

北国に生きるオーバーフォーティーの気まぐれ日記 
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今日も歩いた

2017-05-28 18:21:50 | 日々のもろもろ



池袋って、「IKB」と略すんですね。
因みに、我が町函館は、「HKD」と略しているのをよく見かけます。





今日は、私の臨時上京に合わせて、臨時の「遠足」を敢行。
写真がどこのどういう場所かは帰還後にアップしますが、はっきり言って、私達は、ただの怪しい集団と化してました。(声をかけられなかったのが不思議なくらい)

というわけで、明日から二週目。
まだ長いけど、頑張らねば。
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あれから十年

2017-05-27 18:21:46 | 音楽&アーティスト
今日5月27日は、私の人生の中で大きな位置を占めているアーティストが亡くなられて十年という日。
そう、これまでも何度か書いてきた、ZARDの坂井泉水さん。
もう十年も経つんですねえ・・・。つくづく時の経つ速さを実感します。


そんなわけで、これまで書いてきたことと大部分重複するのは承知で、今一度思い出を振り返ってみたい。

今から二十数年前、ちょうど学生から社会人になる時期、私の一番好きなアーティストは、ズバリZARDだった。
シングル曲で一番好きな「揺れる想い」は93年の大ヒット曲で、これもCDシングルを買っていたのだけど、本格的にハマり出したのは、それから約一年後。
ちょうど、FCに入っていたCoCoの解散時期(94年9月末)と重なるのだが、当時毎週観ていた「THE 夜もヒッパレ」(日本テレビ)の冒頭の、出演アーティストが他のアーティストの曲を歌うコーナーで、CoCoが、ZARDの「こんなにそばに居るのに」を歌う場面があり、それを聴いてこの曲に興味を持ったのを覚えている。
その時歌っていたのは1番ではなく2番で、そのせいか、二十三年経った今でも、「こんなにそばに居るのに」は、1番よりも2番の方が耳に馴染んでいるから不思議なものだと思う。

明けて、大学4年生になった95年度。3年生終了の時点で既に卒業単位を取得していた私は、前半は公務員試験の勉強で、後半は、※1行けば誰かしら友人に会えるだろうという動機で大学に通っていたが、その頃通学途中にウォークマンで聴いていたのは、ほぼ毎日ZARDだった。
ウォークマンと言っても、当然ながら今の仕様ではなく、カセットテープを聴くものだったのだが、A面の一曲目が、デビュー曲の「Good-bye My Loneliness」で、帰宅時に、大学を出た瞬間にスイッチオンしてこの曲を聴くのが定番だったこともあり、今でも、「Good-bye My Loneliness」を聴くたびに浮かんでくるのは、※2大学の最寄地下鉄駅のホームだったりしている。


※1 一応念のため書くけど、ゼミと講義二つは履修していた。(卒業論文は、必修ではなかったこともあり履修せず)

※2 私の卒業した大学は、地下鉄駅と直結(荒天の日も外に出ずに駅構内に出入りできる)していた。


あれから二十年以上が経ち、今年は、坂井泉水さんが亡くなられてから十年になるが、実は今でも、カーステやウォークマンなどで、ZARDはよく聴いている。
好きな曲は、「揺れる想い」の他に、シングルだと「心を開いて」や「負けないで」などがあり、アルバム曲だと「HOLD ME」というアルバムに収録されている「あの微笑みを忘れないで」や、「OH MY LOVE」というアルバムに収録されている「I still remember」などが挙げられるが、どの曲を聴いても、リアルタイムで好きだった頃の色々な思い出が頭を過ぎってくる。

そんな「思い出」の一つ。これは今回初めてエピソード。
当時の私は、決して一人で楽しんでいたわけではなく、同級生に、私と同じくらいZARDが好きだったのがいたのだが、実はその彼は、数年前に病気で亡くなってしまった。
報せを聞いた時は、言うに及ばず大ショックだったけど、最近では、ZARDを聴いているうちに、彼との思い出を、ZARDとは何の関係もないことも含めて色々と思い出すこともあり、そういうことの一つ一つはこれからも大切にしていかねばと思っている。
そう考えると、きっと天国でも坂井さんがアーティストとして活躍していて、彼も、向こうでまたファンになって・・・なんてことも想像できる。
て言うか、そうなっていてほしいと、今は思う。

そうか・・・改めて振り返ると、もう十年か・・・。
ここへ来て、こういう物まで発刊されるに至り、改めて、日本の音楽界に与えた影響の大きさと、それが今でも色褪せることなく持続していることの凄さを実感させられます。
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散歩

2017-05-26 19:59:51 | 日々のもろもろ
研修施設に寝泊まりし、平日は三食全て施設内で取るので、運動不足にならぬよう、朝夕一時間程度、近隣を散歩するようにしている。

実は今回来ている施設に来るのは二回目で、前回同じように歩いた時の記憶を頼りに歩きながら、「あ~こんなのあったな~」と思い出すことも多いのだが、せっかく二回目なので範囲を広げようと思い、今日の夕食後には、出発から帰着まで片道一時間半のルートを開拓してきた。
これはなかなかいい運動になると思うので、いる間は続けることにしたい。

明日からは最初の週末。
日曜日に「遠足」が予定されているが、明日も、基本徒歩で近隣を散策する予定。
どんな光景に出会えるか楽しみだ。
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私鉄沿線

2017-05-25 17:40:03 | 日々のもろもろ






今回の東京滞在中は、西武鉄道にお世話になります。
路線は、池袋線でも新宿線でもなく、多摩湖線です。
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暑さとの戦いか?

2017-05-23 21:09:01 | 日々のもろもろ
もうじき落ち着くみたいだけど、首都圏は兎に角暑い!
気温は25度くらいだけど、蒸し暑さが体にこたえる。
梅雨入り間近ということなんでしょうなこれは。

これは別に暑さのせいではないと思うが、羽田から研修施設までの道中、うっかり乗り換え駅を間違えてしまい、30分くらい時間をロスしてしまった。
これに懲りて、帰りは、若干高いけど一番わかりやすいルートにしよう。
(今日のは、最安だけど、決して定番とは言いがたいルート。)

というわけで、明日からいよいよ研修スタート。
暑さに負けないように頑張らねば。
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出発前夜

2017-05-22 19:20:33 | 日々のもろもろ
いよいよ明日から、これまでで一番長い、17泊18日(!)の旅(研修)に出る。
宿泊施設は、幸い洗濯設備が充実しているので、着替えは2泊3日程度分しか持たないが、日中は真夏の陽気でも、夜はまだ気温が下がることもあるようなので、長袖と、万一のためにパーカーも持って行くことにした。
当初考えていたより荷物が増えてしまったが、長丁場ゆえ、健康管理はしっかりしないといけないので、それは苦だと思わないこととしよう。

健康管理といえば、函館もこの週末は夏の陽気になり、ちょっと草むらに入る時間があったのだが、よりによってこんな時に、今年は大したことないと思っていた花粉症の症状が出て来てしまった。
どうしようか迷ったけど、あと一日あるので、万一に備え、時間休暇を取って耳鼻科に行き、薬を処方してもらった。
眼の方は、眼科の目薬があるのでこれを活用し、何とか耐え抜くとしたいが、首都圏の花粉状況はどんなかなあ・・・。
因みに、私のアレルギー源は、主にブタクサとカモガヤです。

というわけで、大変そうだけど、何とか頑張るとしよう。
土日は普通に休みで、臨時の「遠足」も計画しているので、散策を楽しみながら、更新できる時は更新するようにしたい。

ではでは。
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北洋漁業の歴史

2017-05-21 20:20:17 | 函館



西部地区にある、歴史感漂う雰囲気の建物。
左の水色の建物は、現在はカフェとして営業されていて、市民や観光客にも高い人気となっていますが、元々は、大正5年に、函館の歴史に名を残す会社の社屋として建築された建物です。

函館の基幹産業の一つである漁業は、現在は、コンブやスルメイカを中心とする沿岸漁業が主流となっていますが、かつては、日本海、オホーツク海、ベーリング海に至るロシア領海にまで出漁しての、所謂「北洋漁業」が主流で、函館はその出漁基地として繁栄してきました。

1917年のロシア革命以後、ソ連側の海洋進出により、ロシア領での漁業経営が圧迫されると、これの対抗手段として、1932年に、「露領漁業の大合同」の名のもと、北洋に出漁する漁業会社が一つに統合されました。
それが、「日魯漁業株式会社」(現:マルハニチロ株式会社)という会社で、同社は、本社を東京に置きつつ、北洋漁業のための事業拠点を函館に置き、約2,000名もの社員が常勤していました。
当時、自然環境が厳しく生活条件が劣悪な北洋での漁業に従事する同社社員の給与水準は他を大きく上回り、制服姿で市内を闊歩する社員達は、消費生活、文化、スポーツ、娯楽面などで時代の最先端を行っていて、「嫁にやるなら日魯の社員へ」などという言葉が広く語られるほどでした。

日魯漁業の社屋だったビルは、函館駅前、朝市の近くにありますが、冒頭の写真の建物は、その日魯漁業の前進である「堤商会」という会社の建物として建築されたものです。





因みにこれが、その日魯漁業の社屋だった、「ニチロビルディング」と呼ばれているビルです。


※ 旧堤商会はこちら

※ 旧日魯漁業社屋はこちら








この像は、一昨年開設された、「函館アリーナ」の敷地内にあるもので、「平塚常次郎」なる人物の物。
どういう人物かと言うと、「函館四天王」の一人である平塚時蔵の甥で、後に日魯漁業の創設者となる「堤清六」の妹と結婚し、堤商会を露領漁業のトップ企業に躍進させ、その後、戦前戦後の二回にわたり日魯漁業の社長を務め、函館市名誉市民の称号を受けている人物です。

戦前に隆盛を極めた北洋漁業でしたが、第二次大戦直後、駐留米軍が設定した「マッカーサー・ライン」によって操業範囲の縮小を余儀なくされました。
「サンフランシスコ平和条約」によってそれは解消されましたが、今度は、ソ連が設定した「ブルガーニン・ライン」と、両国間で締結された「日ソ漁業協約」により再び規制が強められ、更に1977年に米ソが設定した、200海里漁業専管水域により、日本漁船が出漁できる海はどんどん小さくなっていきました。
こうして、「マッカーサー・ライン」解消直後には14船団334隻を数えていた北洋船団は、わずか1船団43隻にまで縮小され、1989年の出漁を最後に、その歴史に幕を閉じることとなりました。
そうした北洋漁業の歴史を垣間見ることができる展示施設として、五稜郭公園向かいにある「函館市北洋資料館」という施設がありますので、五稜郭公園観光の際は、ちょっと足を延ばしてお立ち寄り下さい。展示だけでなく体験施設もあり、オススメのスポットです。
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七年前の回想

2017-05-20 20:55:07 | その他テレビ全般
今週の「ブラタモリ」は、尾道が舞台。

いやあ・・・懐かしかった。
尾道は七年前のGWに旅行しているけれど、行って来た場所が幾つか出てきたので、懐かしいと思いながら見ていた。
特に、三重塔で知られる「天寧寺」や、岩を登る修行スポットがある「千光寺」は本当に印象に残っている。
他に、記事としてはアップしていなかったけれど、かつての「西国街道」だったアーケード街は、ちょうど疲れてきた時間帯で、喫茶店(番組でチラッと映ったお店ではなかったと思う)で休憩を取ったのを思い出した。

今回に限らず、行ったことがある場所が舞台になるのは、番組のファンとしては本当に嬉しいし、有難い。
次回(再来週)は倉敷だそうで、こちらも、十三年前に行ったことがある(このブログの開設前なので記事はありません)ので、思い出しながら楽しむとしよう。
まだ出張中だけど、宿泊室にはテレビがないので、スマホで観ることになるのだが、願わくば電波の受信が良好でありますように・・・。

ラストで出てきた、井戸からの水汲み。
器用なタモリさんでも一回ではできなかったので、本当に難しい、テクニックを要する術なんだろうなあと思ったけど、あれ、近江アナにもやらせてほしかったなあ・・・。(可愛いリアクションが見たかった。とか言って、タモリさんをさしおいて一回で成功してたりして・・・。)
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身近な観点から

2017-05-19 20:41:44 | 函館






以前も一度紹介したことがある、「中島三郎助父子最期之地」碑。
明日から二日間開催される「五稜郭祭」では、この碑の前で「碑前祭」が開催されるのが恒例となっているが、職場でこのことが話題になった際、この碑の存在と、そもそも「中島三郎助」とは何者かということ、そして、





この「中島町」という町名が、中島三郎助に由来する町名であることを説明したところ、(思いがけず)関心を示してもらえたのだが、そんなやり取りの中で、「これだ」という実感を持つことができた。

何が「これだ」かと言うと、自分の今後の活動の在り方。
「はこだて検定」上級合格者としては、歴史や文化などの研究ということにも一応関心はあるのだが、いきなりそこへ行くにはいくらなんでもハードルが高過ぎる気がするので、まずは、周囲の人達にとって身近な部分からの情報発信を頑張っていきたいと思う。

上の話題で言うと、「中島三郎助」という人物の名前はあまり知られていなくても、「中島町」という町名は、市民であれば知っている人が多いので、そういう角度からの情報発信をしていけば、相手にとっても食いつきやすくなり、自分も無理なく学習できるのではないかと思った。
明後日は、私共「はこだて検定合格者の会」主催の街歩きイベントが開催予定で、私も出席予定ですが、無理せず、身近な部分から楽しみ、それを積み上げる形で知識を深めていければと思います。
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百貨店の歴史

2017-05-18 19:47:54 | 函館



函館駅前にある「棒二森屋百貨店」
私も、函館に住んでからはもとより、観光客として来ていた頃から、何度となく利用させてもらっています。

さて、唐突ですが、ここで一つ問題。


「函館駅前の『棒二森屋百貨店』と、有名な観光スポットである『金森赤レンガ倉庫』とは、何の関係もない。○か×か?」


失礼しました。
これは、答えを○にしようと思ってもなかなかできない問題です。
「何の関係もない」と言い切るからには、ありとあらゆる角度から気が遠くなるような検証を重ね、それを積み上げていく必要がありますが、場合によっては、表に出てこない奥深い部分で僅かながら関わりがあるということだって考えられるから、そういうことまで調べ上げて答えを○にするというのは、もはや不可能と言ってもいいのです。

ということで、正解は「×」なんだけど、では一体どういう関わりがあるのでしょうか?






先日紹介した、「市立函館博物館郷土資料館」。
これを紹介した際、この建物の歴史として、1869年に「洋服店金森森屋商店」として開業したと書きましたが、この「森屋」というのが、そのまま、現在の「棒二森屋」に繋がっているのです。

ざっと書くと、こんな具合になります。



1880年  前年の大火で「金森森屋商店」が焼失した後、「金森洋物店」が新装開店。

1925年  「金森洋物店」が、業態を百貨店として、「森屋百貨店」と改められ、通り向かいに移築。

1937年  その「森屋百貨店」が、「棒二荻野呉服店」と合併し、「棒二森屋百貨店」として、函館駅前に進出。





現在は観光地となっている金森赤レンガ倉庫は、洋物店開業以降業種を拡大していった渡邉熊四郎が、既存の建物を買い取って営業倉庫業に乗り出したのが始まりとされ、海運の活況により、荷物の取扱量が年々増加していったため、倉庫の増築で営業規模を拡大していったものです。

もうおわかりと思いますが、現在の「棒二森屋百貨店」と「金森赤レンガ倉庫」は、共に、1869年に開業した「洋服店金森森屋商店」がルーツになっているということなのです。
(「金森赤レンガ倉庫」のルーツはこちらを)








1925年に「森屋百貨店」と改められた際に移築された建物というのが、現在のこの建物。
現在、海側はホテルとして、電車通り側は、知内町出身で函館ともゆかりの深い、北島三郎さんの記念館として活用されています。

さて、ここで次の課題。
「金森」はわかったけど、合併の片割れ、「棒二」ってどういうルーツがあるんだろう?
さらっと調べてみたが、「棒二荻野呉服店」は、函館では、滋賀県出身の創始者が、現在の北斗市である「戸切地(へきりじ)」という場所で創業したらしい。
そうか、じゃあ北斗市の歴史を調べる必要があるわけか・・・。よし、調べてみよう。
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