函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、勝ち組と勝ち組の戦い!!

2022-06-27 | 歴史

ドラマ前半のクライマックスシーン

意識朦朧とした頼朝が落馬しましたね 

落馬説、病気説、暗殺説など頼朝の死には

謎がかなり有りそうです? 

馬を曳いていた安達盛長の「佐殿~」と言

った言葉が、鎌倉殿としての不安定さを感

じたのは僕だけでしょうか?

 

旗揚げ当初とは全く違う力関係を危惧した

古参の御家人達の反乱

旗揚げ当初は北条や比企よりはるかに大き

な所領を持っていた大庭や岡崎。 

あっという間に追い越され今や完全な負け

曽我兄弟を使った謀反を起こした可能性が

大きそうですが、その謀反に北条や比企が

関わっていないとも言い切れません

身から出た錆とはいえ、頼朝の心中が穏や

かでなかった事だけは間違いなさそうです

 

そういう意味では、曽我事件までは勝ち組

と負け組の争いと言っても良いのかも知れ

ません 

 

頼朝は糖尿病だとは言われていますが、落

馬して意識不明となり亡くなるなんてどう

も腑に落ちません

もしかして?毒を盛られたのではと勘繰り

たくなります。 

頼朝がどのような形で亡くなるのか? 

今週を見る限り落馬説として描かれそうで

すが、三谷氏の事ですから、ありふれた落

馬説ではない気もします。 

来週が楽しみですね 

 

この頃、戦もなくなると御家人たちの収入

も増えなくなります 

分割相続が普通なので子供が多ければ多い

ほど一人当たりの土地が縮小。 

必然的に豪族達の力も弱まります 

挙兵前の状態に逆戻りするかも知れません。 

幕府への府役も増え、ただ働きだけが増し

ます 

御家人達の不満が増し、不穏な動きも必然

的に増えていきますよね。 

そんな不穏な状況を背景に今度は勝ち組と

勝ち組の戦いが始まろうとしています 

北条VS比企・畠山・和田と… 

やはり、権力とは二番じゃいけないものな

でょうかね? 

 

 

 

 

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鎌倉殿の13人、頼朝の嫉妬!!

2022-06-20 | 歴史

範頼は平家物語や源平盛衰記などでは凡将として

描かれていますが、頼朝の代理として大軍を任さ

れたところを見るととても凡将とは思われません 

頼朝の悲願でもある平家討伐の将軍なのですから、

中々の武将だった筈 

曽我事件を見ても分かりますが、この時期、一発

逆転を狙っている武将は大勢いたのです 

頼朝が、猜疑心に取りつかれたとしても不思議有

りません 

範頼はそんな頼朝の餌食になったのでしょうか? 

実直な性格だったと言われている範頼ですが、疑

いを晴らす為、起請文を頼朝にしたためます 

起請文の最後に源範頼と書いた事が頼朝の逆鱗に

ふれ万事休す 

全くの言い掛かりですよね 

範頼は自害して果てますが、その死が源氏将軍家

のその後を暗示している様な気がしてなりません

 

頼朝は何故?範頼を殺したのでしょうか? 

もし生きていれば、源氏将軍家を支えた可能性が

かなり高かったのでは… 

範頼は御家人達に信望も高く控えめな人物だと言

われていますが、人望が高ければ高いほど範頼を

疎ましく思った可能性が大きいのではないでしょ

うか

いわゆる嫉妬ですよね 

範頼のとった行動は別に不思議でも何でもありま

せん。 

むしろ、当たり前の行動だった気がします。 

曽我事件に連座する形で冤罪を仕掛け葬った頼朝

の極端な猜疑心の成せる業でしょうか

権力の頂点に立つと、孤独で、誰も信用出来なく

なるものなのでしょうか? 

漢の劉邦も韓信を殺していますし、豊臣秀吉も秀

次を殺しています

共に惨忍な形で…

頼朝は範頼の子供達までは殺しませんでした

範頼の子孫は吉見氏として家名を保ったのが、せ

めてもの救いでしょうか

 

頼朝は馬から落ちたのがもとで亡くなったと伝え

られていますが、今までの流れから暗殺されたと

思うのが自然な気がしています 

次に粛正されるのは誰か? 

御家人達もかなり疑心暗鬼になっていた筈 

誰が頼朝暗殺を仕掛けたのでしょうかね?

 

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鎌倉殿の13人、曽我の仇討ち、犯人は誰だ??

2022-06-13 | 歴史

「敵討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った敵討ち

に御座います。」と呟く義時 

たまたま頼朝の替わりに寝所で寝ていた工藤祐経が殺

されただけで、謀反ではないと言う事なのでしょうか 

曽我兄弟は頼朝の寝所に祐経が寝ているのを知ってい

た事になります。 

物も言いようですが、騒ぎを大きくしたくないと言う

義時の思いも感じられますね 

流石は三谷脚本、普通のドラマとして曽我兄弟の仇討

ちを描く筈がありません。 

まるで古畑任三郎のトリックを見ている感じがしたの

は僕だけでしょうかね

それにしても… 

単なる敵討ちではなく、謀反の臭いがプンプンします

よね

曽我兄弟だけでは頼朝の寝所迄は辿り着ける筈があり

ません。

誰かの手助けが無ければ…… 

「鎌倉殿は天に守られておられます。」と義時。 

「いつも天の導きを感じたが、昨日は何も聞こえなか

った。」と頼朝 

何となく死期が近づいて来た感を醸し出していました

よね 

死が近づくと疑心暗鬼が増幅するものなのでしょうか? 

頼朝による次の粛正の対象は範頼のようです

 

曽我事件の発端は伊東祐親による傍若無人な振舞です 

祐経の父・祐継の遺言により祐経の後見人に指名され

たのが祐親だったのです

後見人だからといって何をしても良い訳ではありませ

ん。 

祐経が京に行っている間に伊東の領地を簒奪 

有ろう事か、祐経に嫁いでいた自分の娘を勝手に離縁、

土肥遠平に嫁がせてしまったのです

祐経でなくても怒り心頭に発する出来事です

踏んだり蹴ったりとはこの事ですね。 

当然の如く祐経は祐親殺害を計画し実行に移します

祐親は討ち漏らしますが息子・河津祐泰を殺害。 

殺された祐泰の子供が曽我十郎・五郎です。

個人的には祐経に同情的な僕ですが、負の連鎖なの

でしょうか?恨みは形を変え続く物なのでしょうね

兄弟は母の再婚相手の曽我を名乗っていますが、父

殺害の恨みを待ち続けていたのか、それとも…誰か

に焚きつけられていたのか? 

曽我兄弟を裏で操っていたのは北条時政だとも言わ

れています 

祐経暗殺で終わっていれば別ですが、その後、頼朝

の寝所まで襲っているところを見ると、誰かが兄弟

を動かしたいたのは間違いなさそうです 

時政が一番怪しいのですが、この時期、時政が頼朝

を殺すメリットが感じられません。 

一番恩恵を得られたのは誰か…………比企義員……

頼朝亡き後、頼家が将軍になれば乳母父として権力

を得る事が出来ます 

暗殺に巻狩りを選んだのも頷けます。 

頼家のお披露目が済んだ後なので、すんなり二代将

軍へと継承出来た可能性が高そうですものね 

仮に時政が犯人だとすれば、必ず次の将軍を用意し

ていた筈です。 

しかし、この時期、頼家以外の将軍候補はいません

し、いたところで御家人達のコンセンサスを得るの

はかなり難しい政治状態だった筈

もう一人、範頼がいます。 

その性格からか?御家人達からもかなり人望があっ

たみたいですね 

政治の変化について行けず置き去りにされた古参の

御家達の不満を背景に次期鎌倉殿として祭り上げら

れても不思議有りません 

事件後、大庭景能・岡崎義実や範頼の家人・原小次

郎も追放されているところを見るとかなり可能性が

高そうですね 

何れにしても、今まで経験した事のない権力の魔物

に侵され始めている御家人達の争いは、まだまだ続

そうです

ところで 

頼朝と祐経は似た様な境遇ですよね 

祐親の娘でもある妻を奪われ、別な男に嫁がされて

います。 

後に、頼朝が祐経を取り立て側近くに置いたのはこ

の辺りに原因が有るのかも知れませんね。 

祐経は武芸は勿論、歌舞音曲にも優れ、特に鼓の腕

前はプロ級だとも言われています 

無骨者だらけの御家人の中で、朝廷との関わり合い

にも通じていた祐経は頼朝に何かと重宝されたよう

です。 

伊東祐親が祐経の領地を奪ったのも、自分の息子達

に比べ能力が高かった祐経に嫉妬していたのかも? 

将来的には自分の領土も祐経に奪われるのかも?と

思っても不思議有りません 

と考えると、この時代の揉め事の全ての原因は土地

だったと断言出来ます

最大の敵は近くの身内と言う事なのでしょうかね? 

 

 

 

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鎌倉殿の13人、征夷代将軍は二番煎じ!!

2022-06-06 | Weblog

1192年(いいくにつくろう)頼朝は征夷大将軍に

任じられましたね

後白河法皇が崩御した後だったので、いろいろ

憶測を呼んでいますが、頼朝自身も征夷大将軍

を何が何でもと言う感じではなかった様ですね 

源氏で最初に征夷大将軍(征東大将軍かも?)に

任じられたのが木曽義仲です

頼朝は義仲の二番煎じと言う事ににります

恫喝の様な形で大将軍に就任した義仲のですが、

任じたのは後白河ですね 

後白河自身が2回も征夷大将軍を指名する訳には

いかなかったのではないのでしょうか?

治天の君として前例を踏み外す事は出来ればした

くないと言う思いが有り、その辺りを後白河と頼

朝も暗黙のうちの了解状態だったのだと個人的に

は思っています 

前九年・後三年の役で活躍した頼朝の御先祖様、

源頼義・義家親子も鎮守府将軍と陸奥守でしたし

藤原秀衡も… 

武士の棟梁として、権威の象徴として相応しい役

職として頼朝は征夷大将軍を選んだのでは… 

何れにしても、征夷大将軍が武士の頂点の役職と

して認識されたのは頼朝以降の話ですよね 

ところで 

ドラマでは比奈として登場した姫の前 

絶世の美女だと言われていますね。 

義時が口説き落とすのに一年以上も掛かったとか

御所内では頼朝のお気に入りで権勢を誇ったとも

言われるくらいですから、かなりの才女だったの

でしょうか?

もしかして?頼朝とも関りが有ったのかも知れま

せん

この辺りの人間模様を亡くなった八重と重ね合わ

せた脚色にしたのかも知れませんね 

頼朝の仲立ちもあり無事姫の前と結婚に漕ぎつけ

た義時ですが、「絶対に離縁しません。」と起請

文まで頼朝に書かされたとか

尤も、後に離縁しますのでこの約束は反故となり

ますが… 

時政に騙し討ちされ比企氏は滅亡しましたので、

比企氏出身の姫の前をそのままに出来なかったの

でしょうね 

姫の前はその後、公家に嫁いだと言われています

が、魑魅魍魎の鎌倉で暮らすよりその方が平穏な

生活を送れたのかも知れませんね 

義時の息子・泰時の生母に関しては確かな資料が

少ないので断定は出来ませんが、八重でもなく、

姫の前でもない事だけは間違いなさそうですね 

一般的には姫の前と結婚する以前の女性だと言わ

れていますが… 

この時代、後に産まれても正妻の子供が嫡男とし

て認識されるのが普通ですが、姫の前の産んだ子

供達が家督を継ぐ事は有りませんでした。

やはり、比企氏の女性だったからなのでしょうか

来週はいよいよ曽我兄弟の仇討ちですね

曽我十郎と五郎の後ろにいるのは間違いなく北条時政

時政は兄弟を使い頼朝暗殺を企てたのでしょうか?

御家人内でも老と青のジェネレーションギャップが表

面化しつつありますが、時政は老の代表者なのかも知

れません

 

 

 

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