函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

謹賀新年!!

2016-12-31 | Weblog

あめましておめでとうございます!!


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真田丸、浪速の事も夢のまた夢!!

2016-12-19 | 歴史

「私は私という男がこの世にいた証を何か残せただろうか?」

と内記に尋ねる幸村

内記曰く「人の値打ちは時が決めるもの。」と…

「昌幸を乗り越え、徳川家康と渡り合った日本一の兵として

語り継がれるでしょう。大事なのはいかに生きたかです!!

幸村主従、完璧に死を覚悟していますね


幸村は家康さえ打ち取れば交渉を有利に運べると思っていた

様ですが、果たしてそうでしょうか??

少し疑問が残ります

最期に家康と対峙した際に家康も言っていましたが、家康が

亡くなったとしても直に豊臣の天下になるとは思われません

「わしを殺したところで何も変わらん!!戦で雌雄を決する世

は終わった!!」と言い放つ家康の言葉には重みがあります

やはり家康は政治家なのです

家康が言い放った言葉は幸村にも理解出来た筈ですが、幸村

は政治家ではありません

「我が父の為、友の為、先に死んでいった愛する者達の為に

お前を討ち果たさなければならなのだ~」と絶叫する幸村。

まるで仇討ちの為とでも言っている様ですね

その家康に狙いを定め馬上筒を構えた瞬間…

救援に来た秀忠軍に左腕を撃たれ万事休す

長い戦いが終わりいよいよ佐助を伴い最後の時を迎えます

泥まみれで血だらけにもかかわらず何て美しい武者姿でし

ょうか

色んな時代劇を見て来ましたが、堺・幸村ほど鎧姿が似合

う役者は初めてです。

又、何処かで是非見たいものです

ところで

幸村は何故?徳川政権を容認出来なかったのでしょうか

長い蟄居生活の為でしょうか?

それとも豊臣家への忠誠心の為でしょうか?

気力体力が充実していた時を無駄に過ごし、老いてゆく

自分を見るにつけ安穏な選択をする訳にはいかなかった

のではないのかと個人的には思っています

『人生五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり…』

敦盛の一節ですが、50歳も生きれば十分とされた時代で

49歳となった幸村にとって生死は問題ではなくなってい

たのです。

14年間の鬱積した思いをぶつけるには豊臣軍として最後

の大戦をしてみたいと思っても不思議有りません

軍略家として優れた才能を持っていた幸村なら当然の選

択だったのかも知れません

秀吉の辞世の句ではありませんが、浪速の事も夢のまた

夢という事なのでしょうかね  

 

来年は女城主・直虎が始まります

女性として城主になり、井伊家を滅亡から救い、徳川四

天王の一人・井伊直政を育てた女傑・直虎ですが、直虎

が男だったという説が浮上しています

あくまでもドラマとして見る分には良いのですが、史実

として全く違うとなれば問題です

この辺りをどのように描くのか興味がありますが、タイ

ミングが悪いのも確かですね



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真田丸、相思相愛のカップル!!

2016-12-12 | Weblog

久し振りに聞いた黙れ小童!!でしたね

事ある毎に室賀正武に言われていた信之ですが、

正武の息子・久太夫が父を殺された事を根に持

ち信之を足止めします。

何が何でも大阪城へ行き幸村に面会したい信之

が万感を込めて一喝!!

『黙れ小童~~~!!』、中々迫力がありましたね。

一喝された久太夫が小さな声で「すいません」と

言ったくだりに思わず吹き出してしまいました

三谷幸喜らしい脚本ですね

 

危険を承知で幸村に面会した信之、「ひれ伏すも

反抗するも構わない、しかし死んではならぬ!!

と幸村に哀願

「捕まれと??」と信之に問いかける幸村に「そ

うじゃ、今度も又、必ずお前を助けて見せる」と

言い切る信之

死を覚悟している幸村を助けるのはこの道しかな

いと信幸は思ったのでしょうか?

二人の迫真の演技につい引き込まれ見入ってしま

った僕なのです

ところで…

堺雅人演じる真田幸村、赤い甲冑に六文銭、何と

も凛々しい武者姿ですね。

男の僕から見ても惚れ惚れします

しかし、実際の幸村は白髪だらけで歯も抜けお世

辞にも美男子とは言い難い風貌だったとか

出っ歯だったと言われている源義経もそうですが、

生き様に共感した人々が人物像を美化し作り上げ

たものなのかも知れませんね


大阪城で一番の美男子と言えば文句無く木村重成

です

文武両道、色白で身長も高く所作も全く隙が無い

ほど完璧だったと言われています

重成の馴れ初めにも面白い謂れがあります

豊臣家の家臣で組頭だった真野頼包の娘・青柳は

茶々の側近として仕えていました。

青柳は琴や若にも秀でて絶世の美女だったと言わ

れています

その青柳が偶然見掛けた重成に一目惚れ

恋の病とやらで寝込んでしまったとか  

そんな青柳が一念発起せめて思いだけでも伝

えようと下の歌を送ります

重成からも直に返しの歌が届き、相思相愛だとい

う事をお互い確認出来たのです

歴史上稀に見る美男美女の結婚です

因みに、「あおやぎ」ではなく「あおやなぎ」と

読みます

呼び名からして絶世の美女だと感じるのは僕だけ

でしょうか??

重成と青柳が結婚したのは冬の陣の和議が成立し

た直後です。

結婚生活は僅か4,5ヵ月という事になりますね

結婚生活は短過ぎますが、この時代に相思相愛で

結婚出来る可能性は殆どありません。

結婚生活は短いですが、何とも羨ましいカップル

ですよね


最期の戦いを覚悟した重成は風呂に入り、香を

き決戦に臨んだと言われています。

戦場の露と化した重成ですが、死に様も一流だっ

たという事でしょうかね


いよいよ来週で最終回となりますね

幸村がどの様にして亡くなるのか?

残された家族の思いはどうだったのか?

ほんの一瞬輝いた武将が何故?これ程まで後の世

の人々の記憶に残ったのか?

尽きない思いが最終回を見て少しでも納得できれ

ばと思っている僕なのです






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真田丸、影武者だったとは!!

2016-12-06 | 歴史

幸村の命令で京へ向かい家康を襲う佐助

「無事戻ったら夫婦になって欲しい!!」ときりにプロポーズしますが

「ごめんなさい!!」の一言でお断り、秒殺失恋です

佐助も命を懸けて行くのですから、断るにしてももう少し言い様があ

りますよね

それでも家康を見事亡き者にした佐助でしたが、何と打ち取った相手

が影武者だったとは

流石は念には念を押している家康ですね

信玄もそうでしたが、家康にも数人の影武者がいたと言われています。

家康双子説もあります

夏の陣で亡くなった家康の替わりに、そっくりな兄弟が家康としてそ

の後の大御所政治を行ったとか??

双子説はかなり突拍子もない説だとは思いますが…

 ところで…

冬の陣から5ヶ月、夏の陣は起こるべくして起こったのです。

冬の陣の後、大勢の浪人を抱えた豊臣家、実質65万石ほどの石高なの

で召し抱えてもせいぜい1万くらいが限度でしょか??

秀吉の莫大な遺産をもってしてでも流石に10万もの兵を養いきれませ

浪人達が居なければ戦いが出来ないのは事実ですが、浪人達がいたため

戦わざるを得なくなったのも事実です。

皮肉なものですね

冬の陣の後、豊臣家では浪人達を解雇しますが、解雇された浪人達も行

き場が無く結局大阪城内に居座ったのです

もし?浪人問題を解決出来きていれば夏の陣も起こらなかった筈。


その浪人達に金や米を与え台頭してきたのが大野治長の弟・治房です。

和睦派の治長と主戦派の治房は兄弟とはいえ犬猿の仲だったと言われて

います

求心力を失った治長に代わって主戦派の筆頭・治房が実権を握った時点

で再度の戦は避けられなくなりました

終始主戦派だった治房にとって10万もの兵を抱えた状態で戦わない選択

肢は考えられなかった筈です。

 

昌幸も言っていましたが、人の塊と化した10万もの兵は戦をする以外な

 かったのです。

家康も豊臣家存続のため、一大名として残る術を考えていた様ですが、悉

く豊臣家に撥ねつけられ万事休す

秀頼は名誉ある滅亡を自ら選んだ気がしてなりません

個人的には、西南の役の西郷隆盛と重なって見えます。

不満武士を抱え、道連れとして新しい時代への橋渡しをした秀頼。

一廉の人物だったのかも知れませんね






 

 

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2016-12-03 | メガネ

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