函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、赤備え!!

2016-01-25 | 歴史

今週も子供達だけではなく身内や国衆達を含めて翻弄する昌幸。

一歩間違えば殺されていたかも知れない信幸にとってはたまりま

せん。

「俺までも騙すのか」といった顔の信幸、少しやり過ぎ゛ですよね

ドラマとしては面白い設定なのですが、あり得ない話です。

どうやら史実ではなさそうです

 

兄の為なら死を決してでもと話す信繁

話した相手が叔父の信伊なのも笑えます

信繁と信伊、境遇を含め似たものを感じます。

信伊は昌幸と年も近く武田家へ人質として昌幸と行動を共にしてい

ます

兄達が亡くなったので実質的には昌幸が長男で信伊が次男でしょうか?

信之と信繁もそうですが、昌幸と信伊も兄弟仲はかなり良かったようです

しかし、二組の兄弟は全く別の道を歩む事になります

 

真田家の血なのかも知れません

 

信繁は大坂の陣で亡くなりますが、信幸は松代藩主として天寿を全う。

昌幸は志半ばで亡くなりますが、信伊は最後には徳川の旗本として生き

残り天寿を全うします

生き残った二人は共に徳川に仕え真田の家名を幕末まで残した事になり

ます

二組の兄弟の連携が真田家の礎を作ったのは間違いなさそうですね。

 

因みに、大阪の陣で討ち死にした信繁の首実検をしたのが信伊だったと

言われています

戦国の世とはいえ信伊の胸中は如何なものだったのでしょうか??

 

それにしても、オープニングの映像、迫力ありますね

赤の甲冑に覆われた赤備えの真田軍、かなり目立ちます

赤備えといえば武田軍では山県・飯富・小幡が有名ですね。

徳川軍では井伊の赤備えでしょうか。

赤は目立つので戦場では格好の餌食となった筈です

言い換えればよほど強くなければ赤の甲冑は身に着けませ

ん。

又、赤の武具はお金もかかるので赤備えで戦場に立った武

将はかなり裕福な武将だったとも言えます

武田の赤備えは次男や三男で構成されていたと言われてい

ます。

家督を継ぐのはだいたい長男なので、弟達が日の目を見る

事はありません

危険を承知で赤備えとして働き恩賞を貰うしかないのです

勇敢に戦うのも頷けますね

 

 



 

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真田丸、昌幸の決断

2016-01-18 | 歴史

今週も又、父・昌幸に翻弄される息子達

生き残りをかけ上杉か北条かの選択を迫られる真田親子ですが、

そんな大事な事をまさか籤で決めるとは…

口の乾かぬうちに言い出しっぺの昌幸からまたもやまさかの発言

「本当に籤で決めて良いのか」??

言われた息子達はたまりません

三人の掛け合いに見入ってしまった僕ですが、コメディーも真剣に

演じると引き込まれてしまいます。

三谷演出ならではですね

 

家中の裏切りを心配する家康に対し「徳川家中は一心同体、心配

ご無用」と言い放つ石川数正。

後に徳川を裏切り豊臣へ出奔する数正と家康の掛け合いも笑って

しまいました

 

ところで

昌幸は武田家滅亡の二年位前から北条とコンタクトをとっていた

ようですね

当然と言えば当然ですが、真田家の行く末だけを考えていたので

はなく、勝頼を含めた武田家存続を模索していたようです

昌幸には武田家滅亡の確信があったのか?転ばぬ先の杖か?

勝頼の実弟・高遠城の仁科信盛を除く殆どの武将が武田を離反

するのですが、結果的に見ると真田が一番の忠臣だったともいえ

ます

滅亡後の旧武田領は隣国の草刈り場

織田、上杉が虎視眈々と狙っているのです。

当初、昌幸の選択は北条だったようですが、北条との交渉より織田

の侵攻の方が早く織田を選択するしか時間的余裕がなかったと言う

のが本当のところではないでしょうか?

いよいよ来週あたりが本能寺の変でしょうか?

武田が滅亡し、織田が統一するかに見えた天下が、あっという間に

くり返ります

ここからが昌幸の真骨頂、昌幸の人生で一番輝いた時ではないかと

僕は思っています

 

 

 

 

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真田丸、偉大な父を持った息子達!!

2016-01-10 | 歴史

大河ドラマでは久し振りの戦国物、いよいよ真田丸が始まりました

大坂の陣で敵対した徳川家康にでさえ、「あの世に行ったら真っ先

に酒を酌み交わしたい人物である」とまで評された真田信繁

真田家を戦国大名として存続させた昌幸、松城藩真田家として幕末

まで続く礎を作った信之と比べれば実績で信繁はかなり見劣りま

戦績と言えば大坂の陣だけと言っても過言ではない信繁が、何故?

戦国一の人気者として後世に語り継がれるのでしょうか?

彗星の如く現れあっという間に消えて行った信繁、その潔さ、敗者の

美学に日本人は心を打たれるのかも知れません

 

初回は少しコミカルな感じもしましたが、偉大な父を持った武田勝頼

真田兄弟の比較がテーマだったような気もします。

武田家の国衆となってからの真田家は、武田家が滅亡するまで武田

裏切っていません。

武田家滅亡の後、目まぐるしく主を替えた真田家ですが、それは家を

続させる為の手段にすぎません

もし?勝頼が岩殿城ではなく真田の岩櫃城へ逃れていたら…

小山田氏の様な裏切りで滅亡する事はなかった筈です。

 

少なくとも真田は武田を裏切らなかったと僕は確信しています

 

木曽・穴山・小山田など一門衆にまでそっぽを向かれた勝頼の人望の

なさ、哀れとしか言えません。

滅びるべくして滅びたのかも知れませんね

 

ドラマでは現実を見極め情に流されずひょうひょうとした昌幸を

演じていた草刈・昌幸ですが、実際の昌幸もおそらく…と思わせ

る演技でしたね。

前編の主人公は昌幸です。

これからの草刈・昌幸の演技が楽しみです

 

人生の殆どを裏舞台で過ごした真田信繁ですが、幸村という名前が

一般的ですよね。

江戸時代に入ってから講談などで広まった呼び名のようですが、幸村

の幸は幸隆→昌幸→信幸と真田家では代々使われています。

幸村の村は信繁が名刀村正を所持していたからだとも言われています。

生きていた時から幸村を名乗っていたという説もありますが、個人的に

は江戸時代に入ってから名付けられたと僕は思っています

 

真田氏の出自には諸説あります。

清和源氏説や大伴氏説などなど…

足利氏や新田氏と違いどれも確固たるものではなさそうです。

真田氏の祖とされる海野氏ですが、平安の末期、源平合戦の頃、

木曽義仲の家臣に海野幸広という武将がいます。

幸広の子供が幸氏です。

平家打倒で共倒れを避けるため頼朝と義仲は一時和睦しますが、

その証しとして義仲の嫡男・義高と頼朝の娘・大姫?の政略結婚

成立

義高は鎌倉へと向かうのですが、その時同行したのが幸氏です。

義仲は翌年には頼朝軍に攻められ敗死

義高は身の危険を察し逃亡しますが、囚われ殺されます

義高逃亡の際、時間を稼ぐ為、あたかも義高が鎌倉に居るように

画策したのが幸氏だと言われています

本来なら殺されても仕方ない幸氏ですが、主君・義高への忠義心

に免じ助けられ鎌倉の御家人となったとか…

たとえば(個人的にはそう思っていますが。)御家人となった幸氏

が真田家の先祖だとすれば…

頼朝が幸氏を助けなければ真田家は存在しなかった事になります。

幸隆・昌幸は勿論、真田丸の主人公・信繁(幸村)も存在しません

真田家にとって源頼朝は大恩人と言う事になりますね

 

信繁の祖父・海野幸隆が真田郷に住んだ事から真田氏を称したと

も言われていますが、それより以前に実田某という武将も…

実田→真田となったのか

このあたりになると闇の中に入って何が何だか分からなくなります

何れにしても真田家の祖先は信濃から出た事だけは間違いなさそ

うです

 

 

 

 

 

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