函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

麒麟がくる、武士は病んでいる!!

2020-03-30 | 歴史

光秀の四回目の尾張行きでしたね
織田からの援軍要請を断るのが任務とは荷が重そうです 
失敗すれば人質同然の帰蝶が殺されるかも知れません。 
信長が理解を示したのは一筋の光明でしたが… 
 
美濃の国衆自体も相変わらず纏まりがありません 
道三でも無理なようですね。 
後に、信長による稲葉山城攻めにおいて美濃三人衆と呼

ばれた有力国衆たちも義龍をあっさり裏切るのですから… 
 
「我々武士は今病んでいる!!」 
現代にも通じる言葉かも知れませんね。 
古い秩序が崩壊し将軍とは名ばかり。 
少なくとも畿内を治めるのは将軍の筈ですが、実権は次

から次と変わります
家督争いの末、斯波や畠山の管領家は没落、唯一残った

細川も家臣の下剋上で没落       
病んでるというよりも崩壊へのプロローグをもはや止め

る事は出来そうにありませんね 
「麒麟を連れて来る事ができぬ、無念じゃ!!」と囁いた

義輝の言葉が虚しく響きます 
ところで 
信長の守り役にして織田家の外交も担った平手政秀です

が、信長を諫める為に自害したと言われていますね 
信長と政秀の息子の揉め事が原因だとされる説もありま

すが、 信憑性に欠ける感じがします
単に信長の器量を見誤った末の自害の様な気がしてなり

ません 
もう少し生きしていれば、立派な麒麟を見られたかも知

れませんね 

 

 

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麒麟がくる、竹千代奪還作戦!!

2020-03-23 | 歴史

今川と織田の戦いが再燃しましたね。
織田方の最前線・安祥城を任されていた信広でしたが、捕虜となってしまいます 
今川から竹千代と信広との人質交換を提案されましたが、信秀なら拒否するのか

と思いきやあっさりと 応じてしまいます 
この時点で竹千代と信広を比べると、織田家にとっては竹千代を今川に渡さない

方がはるかに益があります。 
若い頃の信秀だったら間違いなく拒否していたでしょうね。 
人間、死が近づくと人が変わる様です 
 
人質交換によって三河が完全に今川方になるのを最も恐れているのが道三 
尾張の動静を探るため三度目の尾張偵察の命令が光秀に下されます。 
と言う事で尾張に潜入する光秀ですが、何故か?またまた菊丸と遭遇 
光秀の行く所には必ず菊丸が居るのです 
光秀の家来といってもいいですね。 
 
ところで 
信長 の兄・信広ですが、母親が身分の低い女性だったので長男でも家督

を継ぐ事が出来ませんでした 
信広にも多少の憤りがあったでしょうね 
信秀から三河との最前線にある安祥城を任せられるくらいですから、武将

としての資質もあった筈です
そんな信広が城を枕に討ち死にしなかったのは何故でしょうか? 
裏では義元と軍師・雪斎による竹千代奪還作戦があった様です。 
父亡き後、松平の当主となりえるのは竹千代しかしません。 
初めから信広を生け捕りにして竹千代との人質交換を狙っていたのです 
作戦はまんまと成功 
今川の思う壺です。 
信長の言っている様に信広を見捨てて竹千代を松平の当主にすれば三河

は織田家の属国となっていたかも知れません 
何れにしても、今川と織田に挟まれている松平は、この時点では自分の

意志だけでは動く事が出来ない状態ですね 
そこから六十有余年掛けて天下統一を成し遂げる竹千代ですが、翻弄さ

れ続けた幼少時代の 経験が糧となったのは間違いなさそうです

 

 

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麒麟がくる、広忠暗殺!!

2020-03-16 | 歴史

徳川家康の父・松平広忠。 
登場したと思ったら呆気無く暗殺されてしまいましたね 
広忠の父・清康も家臣に殺されています。 
親子二代に渡り討ち死にではなく家臣に殺された例もあ

まり聞いた事がありません 
清康に至っては城攻めの最中に家臣に殺されたと言われ

ています 
呪われた松平家です 
 
ドラマでは若き日の信長が父・信秀に褒められたい為に

広忠を暗殺した様に描かれていましたね
肯定する気はありませんが、当時の武将だったら否定も

出来ません。 
並の武将なら親に認められたいと思うところでしょうが、

長く続いた戦国の世を終わらせる程の稀有な武将・信長

です 
褒められたい一心で事を成すとは考え難いですよね。 
  
織田に人質となっている家康ですが、広忠が尾張を攻め

れば殺される可能性が高くなります
松平家の世継ぎでもある家康なので信長がそこを突き家

臣に揺さ振りをかけた可能性もあります 
家康を生かす為に秀忠を殺したのかも知れません 
 
家康の母・於大の方に家康の身辺警護を頼まれた菊丸の

素性も明らかになりました。 
やはりただの農民ではなかったのです 
菊丸は架空の人物の様ですが、信長と家康を繋ぎ、光秀

と信長を繋ぎ、最後には家康と光秀を繋ぎ天海登場とな

る気がしてなりません 
あくまでも可能性ですが… 
 
それにしても今回の信長、細身の肖像画が焼き付いている

僕としてはピンときません 
全く新しい信長像を描こうとしているのでしょうね
乞うご期待です。

 

 

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麒麟がくる、二人の女性!!

2020-03-09 | 歴史

今週は二人の女性の強さを感じましたね 
道三といい、光秀といい、決断出来ない男と比べ、女性の方は達観していたのです。 
「行かせたくなければ調べにはいかん。」と言う帰蝶ですが、裏を返せば美濃に行

かせたいから光秀は信長を調べに行った事になります 
帰蝶は自分の運命を全て受け入れていたのです 
 
もう一人女性牧の方。 
帰蝶にどう伝えればよいのか迷っている光秀に対し「変わらず有る物を守っていく。

大事なのはこの国ぞ!!」 
女性は強し、母は強しですね 
この時代、戦っていたのは男ですが、世の中を動かしていたのは女性かも?と思わせ

られます 
 
ところで 
光秀の母の牧の方、父の名前すら定かではないので牧の名も怪しい限りです 
若狭守護・武田義統の妹だとも言われています 
もし?本当ならば光秀には武田家の血も流れている事になりますね。 
 
光秀が五年を要した丹波攻め 
一時は味方となった波多野兄弟ですが、突如裏切り最大の敵となります。

(赤井氏と裏で繋がっていた可能性が大)
一時は挟み撃ちになりそうでしたが、光秀の機転により難を逃れます 
信長の怒りを恐れる家臣からは撤退反対の意見もあった様ですが、光秀は撤退

を断行。 
この撤退に関しては信長から攻めを受けるどころか感状を貰い光秀の決定を褒

めたたえたと言われています。
牧の方が有名になったのは丹波攻めの最終段階。 
波多野兄弟と引き換えに母・牧を人質として敵方に送り込んだことでしょうか。 
あろうことか!!人質の三兄弟を信長は斬首 
勿論、敵方の人質となった牧の方も磔にされてしまいます 
何と惨い話でしょうか。 
事実なら…
 
そもそも敵方を包囲していた光秀軍は勝利の最終段階になっていたのです。 
兵糧も尽き、飢えが蔓延していた兵達に戦う気力も失せていた筈です

そんな時に和議があっても光秀側から人質を出す事などあり得ません 
江戸時代の軍紀ものあたりの創作話でしょうね
 
若狭武田家の最後の当主は元明だと言われていますが、牧の方が本当に

武田義統の妹だとすれば光秀と元明は実の従弟と言う事になりますよね 
本能寺の変の後、元明は光秀軍に加わったと言われています。 
牧の方が若狭武田家の出身だったとすれば頷けます

 

 

 

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麒麟がくる、信秀の財力!!

2020-03-02 | Weblog

もう一人の主人公といっても良い織田信長が最後の最後に

登場しましたね
朝日を背に神々しく登場した信長ですが、今までの信長と

は全く違う新しい信長像の予感がします
 
今週は帰蝶の再婚話
信長との結婚話に耳を貸さない帰蝶
道三から帰蝶の説得を頼まれる光秀ですが、体よく断ると… 
「帰れ!!」と道三

「帰る!!」と光秀。
間に入った光安の狼狽振りにも笑ってしまいました 
こういう役は西村さんにピッタリですね。 
海の無い美濃のため、いかにこの同盟が必要か切々と話す道三 
光秀も心を動かされたみたいですね 
帰蝶に信長の人となりを調べてほしいと頼まれる光秀、二度目

の尾張侵入ですね
そこで何故か?又しても菊丸と遭遇。 
菊丸の案内で信長を見に海まで行くことに…
 
現代風にアレンジした結婚話ですが、戦国時代ともなれば親の一

存での人質替わりの結婚は日常茶飯事 
女性は家を存続させる為の道具でしかなかった様ですね 
ところで 
この時期、信長の父・信秀は守護でも守護代でもありません。 
織田大和守家の有力武将の一人にすぎなかったのです。 
そんな信秀が京都御所の修復や伊勢神宮の遷宮費用を大名並、いや

それ以上寄付出来たのには驚きです
門前町で湊町でもあった熱田の街を抑えたのが大きかったのでしょうか 
道三が持っていなかった海、その海を信秀は持っていたのです 

守護でも、守護代でもなかった信秀の織田家との縁組が成就したのは

信秀に大名並の財力があったからでしょうね 

その財力があったからこその信長なのかも知れません

 

 

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