函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、江雪斎は有能なネゴシエーター!!

2016-05-31 | 歴史

残すは北条と伊達のみとなった秀吉による天下統一

関東の覇者北条は中々上洛に同意しません

秀吉を侮っているのか?秀吉の天下が長続きしない

と思っていたのか?

何れにしても天下の情勢を見誤った感があります

 

ドラマでは家康が氏政を説得しようとしていまし

が、現実的には有り得ない話です。

秀吉に頼まれたのなら分かりますが、家康自ら動く

となれば秀吉に不信感を与えてしまいます

「何の得にもならないが、たまには得にならない事

もしてみたくなる。」と家康が言っていましたが、

家康らしからぬ言葉ですね。

危ない橋を渡り得にならない事をするほど家康は愚

かな武将ではありません。

 

利休に「北条、潰なはれ。」と言われ北条征伐を決

めたかのような流れですが、秀吉は初めから北条征

伐を心に秘めていたと僕は思っています

秀吉は北条を潰す為の大義名分を求めていたのです

この後に起きる名胡桃城事件が正にそれ

北条は秀吉の術中に嵌ったともいえますね

ところで

北条の外交僧・板部岡江雪斎ですが…

鎌倉幕府14代執権北条高時の次男の末裔だと言われて

います

後北条とは名ばかり、北条氏と何の繋がりも無い後北

条氏に使える事になるとは皮肉なものですね

武田・上杉・徳川・豊臣との外交交渉に携わった江雪

斎ですが、後北条氏滅亡の後は秀吉に御伽衆として仕

えています

弁舌が巧みなだけではなく度胸も有り仁義を重んじ相

手の懐に入っていく交渉術は一級品だったとも伝えら

れています

有能なネゴシエーターといったところでしょうか?

そんな有能な人物だったからこそ秀吉の御伽衆として

召し出されたのでしょうね

その時の逸話があります

小田原城開城で生け捕りとなった江雪斎に戦争責任を

秀吉が詰問します。

江雪斎は「負けたのは誰のせいでもない。北条は滅ぶ

運命だった。全国の武将を相手に戦った事は北条の面

目躍如、これ以上の事は無い。遠慮なく首を刎ねよ。」

と言います。

主を全く批判しない物言い絆され「一命は助ける。今

後は豊臣に仕えよ。」と秀吉が言ったとか

豊臣が滅んだ後、江雪斎は徳川に仕え子孫は幕末まで

家名を守っています

因みに、江雪斎の姉の子供が家康の側室・万で、紀州

徳川家の祖・徳川頼宜と水戸徳川家の祖・徳川頼房を

産んでいます

御三家の内二家に江雪斎の血(北条得宗家)が潜んでい

るのです。

歴史って面白いですね




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チーズケーキ、白らら!!

2016-05-27 | グルメ

ちょっと見はザル豆腐

いや、どう見てもザル豆腐

ラップを外してもザル豆腐にしか見えませんが、かご盛り白らら(しらら)

というチーズケーキなのです

ぶどうの木・銀のぶどう社で作っているそうです

食べて驚き!!今までのチーズケーキの概念が変わります。

チーズの香りとほのかな酸味、口の中でスーット溶けてなくなります。

こんなチーズケーキは初めてです

チーズケーキであってチーズケーキではない、新しいスィーツですね


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真田丸、落首事件!!

2016-05-24 | 歴史

今の時代と違い一夫多妻が当たり前、正妻を離縁して有力者の娘を正妻

として迎い入れる事に昌幸はじめ信幸にも躊躇はなかった筈です

とはいえドラマとしては当たり前を当たり前として描く訳にはいかない様

です

ドラマでは仕方なく妻・こうを離縁する信幸ですが、真田の為とはいえ苦

渋の決断だったと思います

そんな信幸の前で「信幸がどうしてもと言うので認めたと言わんばかりの

昌幸。」

全く呆れた父親です

離縁されたこうは里へ帰ったとばかり思っていたら何と!!小松姫の侍女と

して再登場

いくら何でも有り得ません

流石というよりも驚きの三谷脚本ですね。

 

秀吉による虐殺事件、いわゆる落首事件

犯人とされる尾藤道休を含め60人以上が殺されたと言われています

現代ならネット上で匿名の書き込みに対し怒った作者が犯人を捜し報復した

といったところでしょうか??

京都ですので一揆を起こす事も出来ず目安箱も有りません。

溜まった市民のフラストレーションを吐き出す術がないのです

聚楽第の壁に落首を書いた市民感情が分からなくもありません。

 

当時、秀吉は刀狩令を発令していましたが、名目は方広寺大仏の建立です

一般市民からは嫌われた政策です。

一方で側室をたくさん持っていても中々跡取りに恵まれず、やっと懐妊した

子供が本当に秀吉の子なのか??

と市民に揶揄されてもおかしくはありません。

市民ばかり臣下の武将の殆どがそう思っていた筈です???

老境にさしかかった絶対権力者・秀吉には聞き流すだけの度量も残っていなか

ったのでしょうね

歴史上、秀吉ほど類稀な運と人並み外れた能力を兼ね備えた人物はいないと個

人的には思っています

秀吉を見るにつけ、年を重ねる怖さを感じてしまいます

ところで

信幸に離縁された(こう)は昌幸の兄・信綱の娘だと言われています。

信幸とこうは従妹という事になります。

信綱は長篠の戦いで弟の昌輝とともに戦死しますが、信綱・昌輝兄弟は中々の

人物だったとも伝えられています。

父・幸綱と真田三兄弟(昌幸は当時武藤嘉兵衛)は武田二十四将に数えられてい

たとか??

武田家臣団の中でもこのような一族はおらず新参者としては稀です

信玄がいかに真田親子の能力を高くかっていたか分かりますね



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真田丸、不思議な糸!!

2016-05-16 | Weblog

つくづく人間の欲は尽きないものですね

太政大臣として位人心を極めた秀吉が次に欲しいものは

どうやら茶々の様です

茶々が信繁に言った言葉が将来を暗示している様で意味

深でしたね。

「私と源次郎とは不思議な糸で結ばれている気がする。

離れ離れになってもあなたは必ず戻ってくる。そして私達

は同じ日に死ぬ。」

予言と言うよりは強烈な愛情表現と取れなくもありません

愛情を感じられない茶々が、愛情を取り戻した瞬間なのか

も知れません。

茶々は自分の運命を受け入れ秀吉の側室となりますが、三成

だけは胸騒ぎを覚えている様ですね

「これから殿下は何処に向かわれるのか??」と信繁に対し

呟きます。

伊達と北条が秀吉に服し天下統一となったその後…

日本の中で秀吉の欲しい物が無くなってしまいます。

三成の不安な気持ちも分からなくはありません

ところで

ドラマでは信幸との縁組に乗り気ではない忠勝ですが、小松姫

との婚姻を提案したのは本多忠勝だと言われています

武人としての忠勝は真田の武略を恐れ尊敬もしていた筈。

忠勝が溺愛していた愛娘の婿に信繁を選んだのも頷けます

小松姫は容姿端麗にして気性も非の打ちどころがなかったと伝え

られています。

そんな小松姫だからこそ真田家が幕末まで家名を保つ事が出来た

のでしょうね

この婚姻はあくまでも政略結婚です。

信幸には既に正妻がいましたが、正妻を側室にまでしてこの婚姻

を受けています。

ドラマでは…側室になった正妻をどう描くのでしょうか??

小松姫とあまりに器量に格差がある為自ら身を引いたのでしょうか??

興味が尽きません。

おそらく後世の作り話だと思いますが…

家康が婿候補を並べ小松姫に品定めをさせたと言われています。

婿候補達は家康と忠勝を恐れ髷を掴んで顔を覗き込む小松姫に対し

されるがまま状態

唯一、信幸だけが無礼な振る舞いの小松姫の手を扇で払いのけたとか

このことで小松姫が信幸との結婚を決めたと言うのですから世の中分

からないものです??

もしこの話が事実なら…

幕末まで続く真田家の命運がこの時決定した事になりますね




 

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真田丸、上洛出来なかったのです!!

2016-05-09 | 歴史

ようやく届いた信繁からの手紙

「上洛すれば大名にしてやるとの秀吉からの伝言が!!

さぞかし喜ぶと思ったら「大名の座は力で勝ち取るものだ!!

と駄々を捏ねる昌幸

その昌幸を必死で説得する信幸

三者三様の親子模様ですね

 

ようやく上洛した昌幸の前にもう一人の身内…阿国の一座に

いた姉の松。

すっかり記憶を無くしています

何とか記憶を取り戻させようと必死に昔話を始める親子です

が、中々上手くいきません

てっきり松の夫・小山田茂誠との再会で記憶を取り戻すものだ

とばかり思っていましたが、まさか!!きりの足だったとは

流石、三谷脚本です。

ところで

昌幸が上洛出来なかった一番の原因は北条です。

沼田城に固執する北条は沼田城を再三攻めています

守っていたのは昌幸の叔父・矢沢頼綱。

昌幸とすれば沼田城へ援軍を出したいところですが、徳川

の動きも気になり中々援軍を送る事が出来ません

信濃の豪族小笠原や木曾は既に上洛していますが、臨戦態

勢のさなか昌幸が戦場を離れる事など有り得ません。

ドラマでは昌幸の遺志で上洛を先延ばしにしたかの様な描

かれ方でしたが、昌幸は上洛しなかったのではなく出来な

かったのです

表面上秀吉は昌幸に対し激怒したと言われていますが、本心

は違うところにあったのでしょうね。

家康は一旦は許可された真田攻めの梯子を外され、昌幸は家

康上洛の餌に使われただけ

翌年、秀吉は建前上昌幸に恩赦を与え上洛を促しています。

全て秀吉の筋書き通り、結局、昌幸も家康も秀吉に利用され

ただけの様ですね



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真田丸、惣無事令!!

2016-05-03 | Weblog

久し振りに信繁の姉・松が登場しましたね。

行方不明になっていましたが、まさか出雲の阿国の一座にいたとは…

驚きです

どうやら記憶を無くしているようですが、果たして戻るのでしょうか??

おそらく最愛の夫・小山田茂誠が登場して記憶復活のパターンでは…

個人的には今からそのシーンが楽しみです(違うかも知れませんが?)

 

上杉の助けもなく秀吉からのお墨付きを得た徳川と戦わなければなら

なくなった昌幸ですが、ここで徳川の家臣となっていた弟・信伊から

吉報が

秀吉からの停戦命令発令

命拾いした昌幸ですが、「実は勝てないと思っていた。」と心の内をあ

かします。

「秘策がある!!」と言っていましたが、どうやらハッタリだったようで

すね。

昌幸の周りにいる人達はもう暫く昌幸に翻弄されそうです

ところで

秀吉が発した惣無事令、大名間の私闘を禁止したものですが、さすがの

家康も無視出来なかったようですね

上田征伐にあたり家康は秀吉に許可を求めてきました

後顧の憂いを無くし上田征伐に専念したかったのでしょうが、この時点

で家康は秀吉の軍門に下ったと見た方が良さそうです。

 

惣無事令は秀吉が初めてではありません

信長も甲州征伐(武田氏)の後、惣無事を発令し甲州での戦闘停止を命じ

ています。

惣無事令は秀吉の専売特許ではなく信長の二番煎じだった訳です

因みに、惣無事令違反の名目で九州征伐(島津氏)と小田原征伐(後北条氏)

が実行されていますが、島津氏は残り北条氏は滅亡しています

この差は一体何だったのでしょうか??

島津は遠隔地、北条は遠隔地とはいえ島津ほどではありません。

うがった見方をすれば…

北条の周りには徳川・上杉・佐竹・伊達などの有力武将がいます。

それらの武将達が同盟し反秀吉で結束するとしたら

秀吉にとって北条は何としても潰しておきたかった大名だったのでは…

この後に起きる名胡桃城事件が切っ掛けで北条氏は滅亡しますが、

秀吉の術中に北条が嵌った感じがしなくもありません



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