信長を討ちたかった家康と家康に討たれたかった信長、
結局どちらの願いも成就出来ませんでしたね
あり得ない脚色だとは思いますが、見方をかえればあ
り得ない話だとは言い切れないのかも知れませんね
二人の願いの足元をすくったのが明智光秀でしたね。
光秀の許へ家康の首桶が届けられましたが、穴山梅雪
のものだったとは
家康だと自ら名乗って討ち取られたところを見ると、
家康の身代わりになったのでしょうか
もしかして、そのお陰で家康の伊賀越えが成功したの
かも知れません
あくまでもドラマでの事ですが…
ところで…
甲賀の主・多羅尾光俊の助けが無ければ、家康の伊賀
越えは上手くいかなかったと個人的には確信していま
す
家康に同行していた信長の家臣・長谷川秀一が多羅尾
光俊の息子・光広とたまたま親しかった事が家康に幸
運をもたらします
光広の案内で父・多羅尾光俊の許へ家康一行を案内し
無事小川城へと入る事が出来たのです
ドラマでは、胡散臭い光俊に疑念を抱き、家康一行は
小川城を抜け出しましたが、史実は少し違うみたいで
すね
光俊は三人の息子と家臣五十人、甲賀衆百五十人で家
康を警護し無事白子浜まで送っています
歴史上、あまり有名ではない長谷川秀一ですが、家康
が無事三河に帰れたのは秀一のお陰だと言っても差し
支えありません
そういう意味で、秀一は家康の命の恩人といっても過
言ではありませんよね
秀一は歴史の表舞台に立つような武将ではありません
が、歴史を大きく動かした人物だと密かに思っている
僕なのです