函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、人材豊富な北条家!!

2022-05-30 | 歴史

義時には正室がいるので、これからの八重をどう描くのかと

思っていたのですが、まさか千鶴丸と同じ様に川で亡くな

るとは

川で流されまいと必死に岩にしがみつく鶴丸をみて、亡くな

った千鶴丸の姿が重なって見えたのでしょうか? 

思わず「千鶴」と口にした八重ですが、夢遊病者の様に鶴丸

の許へ…

仏に肉体を与えたと言われている仏師・運慶も登場しました

が、運慶の彫った仏像と川で亡くなった八重がだぶって見え

たのは僕だけでしょうか? 

最後は仏様の様な顔をしていたに違いありません

 ところで…

ドラマ後半の重要な役どころ北条時房が登場しましたね 

連署として義時、泰時を支えた傑物だと個人的には思ってい

ます 

頼朝が旗揚げした時には10歳位だった筈です。 

最初は時連と名乗っていた様ですが、烏帽子親の三浦義連か

ら一字を貰ったのでしょうね 

比企一族が滅亡した後、二代将軍頼家も幽閉されますが、頼

家の側近だった時房は何故か?お構いなし 

最高権力者となった時政の力の成せる技でしょうか? 

承久の乱後にも朝廷との交渉したのは時房です 

蹴鞠が得意だった時房は後鳥羽上皇にも蹴鞠を通じ取り入っ

ていたと言われています 

藤原頼経を4代将軍に迎える交渉も時房の手腕です。 

時政・義時・時房・泰時と北条家の面々は抜群の交渉力が有

り政治的にも一流の政治家と言えます 

混沌とした時代にこれほど一流の人物が揃うのは珍しいです

よね 

奥州藤原氏や後北条氏は4代目で滅亡しますが、曲がりなりに

も15代続いた北条氏の人材の豊富さには驚かされます

 義時や政子が亡くなっても北条執権体制がその後も続いたの

は時房あっての事。 

3代執権となる泰時とは多少の確執があった見たいですが、

北条家の存続を優先する事が自分の立ち位置だと分かってい

たのではないでしょうか

 

 

 

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初真子!!

2022-05-27 | 頂き物

この色、艶

今年初、全長32cm、知内産の真子鰈です

知人のH氏から頂いた物ですが、この時期としては

かなりの上物

こんな時はスプリングバレーですね

粉山葵を少々。

何故か?練り山葵好きなんですよね~

 

 

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鎌倉殿の13人、秀衡の奇策!!

2022-05-23 | 歴史

人を信じ過ぎる弟と人を信じられない兄

兄弟としての情は有っても共存は出来そうにありません

首桶の前でも猜疑心を露わにして罵るのかとばかり思っ

ていましたが、ドラマとは言え、首桶を抱え嗚咽しなが

ら話しかける頼朝を見ていると何か切ないものを感じま

すよね 

 

何とか秀衡の許へ辿り着いた義経でしたが、安住の地と

はなりませんでしたね

八カ月後に秀衡が亡くなりますが、亡くなる間際、義経

を担ぎ頼朝に対抗する様に遺言を残しますが… 

秀衡は遺言だけでは心許なかったのでしょうか? 

考えられない様な奇策を言い残したと言われています

何と、自分の正室と長男・国衡を結婚させるのです。 

国衡と泰衡は父・秀衡の目から見てもかなり険悪だっ

たのでしょうね 

曲がりなりにも、この結婚により国衡は泰衡の義父と

なる訳です。 

窮余の一策ですが、国衡と泰衡の相続争いは収まった

感じがしません 

頼朝による奥州征伐がもう少し遅ければ、遺言は反故

となり兄弟争いが続いた筈… 

奥州征伐の直前に泰衡によって忠衡と通衡が攻め滅ぼ

された事を見ても明らかです 

秀衡の遺言に忠実だった弟達を粛正したでしょうか? ?

国衡は鎌倉軍の和田義盛と戦い討ち死にしますが、そ

の後、坂を転げ落ちるように滅亡の道を進んだ感があ

ります

奥州に覇を唱えた藤原氏の最後としては呆気なさ過ぎ

ます 

兵力と財力を兼ね備えていたにも関わらず、人に恵ま

れなかったとも言えますね。 

大軍になればなるほど統率力が必要なのですが、泰衡

には無理だった見たいです 

清衡→基衡→秀衡と三代の英雄の後なので仕方ありま

せん。 

後北条氏の滅亡とだぶって見えるのは僕だけでしょう

か? 

優秀な人材が四代も続く方が有りえない事なのかも知

れません

 

秀衡の正室と言われているのが徳尼公ですが、藤原基

成の娘です 

基成は義経の母・常盤御前の再婚相手・一条長成の従

兄弟です。 

平治の乱以前には陸奥守・鎮守府将軍として平泉に下

向。 

この時に秀衡の父・基衡と誼を通じていたようですね

平治の乱では異母弟・藤原信頼に連座する形で陸奥国

に流され頼朝による奥州征伐まで居続けたと言われて

います。 

義経が奥州藤原氏を頼ったのも頷けますね 

奥州・藤原氏は秀衡が亡くならなければ簡単に滅亡す

る事はなかったと僕は思っています。

義経の首を差し出しても、攻め込まれるのは確実だと

秀衡なら普通に考えたでしょうね 

座して死を待つより義経を大将軍として戦いを挑んだ

 

息子を殺された武田信義をはじめ、反鎌倉として兵を

挙げそうな武士も相当数いたでしょうし、西と東から

挟み撃ちになれば屈強な坂東武者でもどうなったか分

かりません 

もしかして?藤原秀郷の子孫だと言われている奥州藤

原氏が全国を統一した可能性すらあるのです 

義経にとっては、返す返すも秀衡の死が悔やまれます 

これも天命と言うものなのでしょうか?? 

運も実力の内と思うしかありませんよね

 

 

 

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鎌倉殿の13人、天下一のバカ殿様・後白河!!

2022-05-16 | Weblog

「まるで平家を滅ぼすためだけに産まれて来られた

お方じゃな!!」

北条時政が呟いた言葉が、義経の全てを言い表して

いる見たいですね 

破竹の勢いで平家を追い詰めてゆく義経ですが、果

たして頼朝はそれを望んでいたのでしょうか? 

頼朝は長期戦を考えていた節があります。 

安徳天皇と三種の神器を何としてでも取り戻さなけ

ればいけなかったのです 

勝ち負けだけではなく、勝ち方が問題だった気がし

てなりません。 

平家を追い詰め、降伏の機会を与え、天皇と神器を

無事に取り戻さなければ負けなのです 

頼朝と義経の対立はその事が原因だったのではない

のでしょうか? 

平家を滅ぼし、意気揚々と凱旋した義経にすれば、

何で頼朝に怒られているのか理解出来なかったのか

も知れませんね 

そこを突いたのが、老獪な妖怪・後白河

乳人の信西にさえ「天下一のバカ殿様。」と言わし

めた後白河 

兄・崇徳には「文にも武にもあらず、能もなく芸も

無し。」

父・鳥羽には「即位の器量なし。」と滅茶苦茶な言

われ方

何をしても駄目な人物と、父・兄からも烙印を押さ

たのですから救いようがありません

今様(流行歌みたいなもの?)被れで、今様ともなれ

ば卑賤の者とでも昼夜歌い続けたと言われています

声が出なくなった事が3回もあったと言われている

くらいですから、尋常な今様好きではありません 

元々天皇に即位する可能性がなかったので、趣味

の今様に走って放蕩親王で一生を終えた可能性が

高かったのです

そんな後白河がひょんな事から天皇になり、退位後

上皇として34年も院政を敷き、治天の君として君臨

するのですから分からないものですね 

根っから争い事好きで平凡が嫌いな人物で何度も幽

閉され院政も停止され権力を失いかけますが、その

度に復活

独特の臭覚を駆使して紆余曲折の時代をしたたかに

生き延びます。 

平清盛、木曽義仲は勿論ですが、実の息子・二条天

皇とも対立します 

たとえ能力が無くても、長生きさえすれば再起の目

はあるを実践実践した天皇ですね。 

主義主張が無く掴み処も無く権謀術数で相手を利用

する利己的な人物だと個人的には思っています

頼朝に日本国一の大天狗と評されたのも頷けます

そんな後白河にすれば義経を翻弄するのは朝飯前だ

った筈。 

後白河との出会いが義経の最大の不幸だったのかも

知れませんね

 

 

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鎌倉殿の13人、総大将・範頼!!

2022-05-09 | Weblog

一の谷の戦いから屋島の戦いをスルーして

一気に壇ノ浦の戦いに突入ですね 

屋島での那須与一が扇の的を射た話も当然

スルー。 

壇ノ浦の戦いでの平家の勇将・知盛の奮戦

ぶりなども見たかった気がしますし、二位

の尼が安徳帝に言ったとされる「波の下に

も都が御座います。」も聞けませんでした

 

展開が早過ぎて少し戸惑いを覚えますが、

主人公が北条義時で、これからがドラマの

佳境に入るのですから仕方ありませんよね 

鵯越も捏造だったので壇ノ浦での八艘跳び

も捏造するのかと思っていましたが、そこ

だけはかろうじて八艘飛びもどきを見れた

ので…

 

主力部隊を率いていた範頼ですが…

平家との戦いでは義経の陰に隠れた感があ

りますよね 

歴史的には全くと言ってよいほど目立たな

い人物です 

しかし、頼朝の代理として総大将を任せら

れたのは範頼です 

義経はあくまでもサブの搦手軍を任された

に過ぎず、メインの大手軍を率いたのは範

頼。 

大軍を率いていた範頼に比べ、義経軍はか

なり少なかったと思われます 

機動力と言う意味では少人数の方が動きや

すいのが当たり前

義経は搦手軍を任されたからこそ突拍子も

ない奇襲を掛けられたとも言えます 

裏を返せば、義経は大軍を動せる武将では

なかったのかも知れません

 ところで

頼朝の血縁関係者、特に弟達は殆ど謀反の

疑いを掛けられて死んでいます 

希義は頼朝の旗揚げの前後に平家方によっ

て殺されていますが、戦死した義円は別に

して、範頼、全成、義経とし非業の死を遂

げています 

最も長生きしたのが全成ですが、2代将軍

頼家によって謀反の疑いを掛けられ修禅寺

で幽閉生活の後、おそらく刺客によって殺

された可能性がかなり高そうです 

叔父・全成幽閉を命令した頼家自身も祖父

北条時政に将軍の座を追われ同じ修禅寺で

幽閉の後殺されています 

因果応報と言えばその通りかも知れません

が、短い間にこれだけ身内の粛正が出来る

のも源氏の血の成せる業なのかも知れませ

んね

いよいよ、来週からは政治家として変貌し

ていく義時が見られそうです

お人好しの北条家の次男から、どの様に変

貌していくのか?見ものです

 

 

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鎌倉殿の13人、粛正の始まり!!

2022-05-02 | 歴史

源氏の棟梁としての立場を確立するためには

手段を選ばない頼朝

義仲を殺し次は甲斐源氏の一条忠頼 

目的を達成する為にはなりふり構わない冷徹

な頼朝です

実の弟達も例外ではありません

義経も活躍すればするほど粛清される側にな

るのです。 

御家人達は、いつ自分が粛正されるか分から

ない緊張感の中で生きているのです 

そういう状態が長く続く筈がありませんよね。 

頼朝は落馬した怪我がもとで亡くなったと言

われていますが、おそらく暗殺だったと個人

的には思っています 

鎌倉殿を挿げ替えれば、そんな世の中を変え

る事が出来ると思った人物がいても不思議有

りません

人物達かも知れませんが…

 

遂に頼朝は義高の処断を義時に命じましたね 

許婚とは形だけのものとはいえ、11歳の若者

の首を刎ねなければいけないのですから過酷

な命令です 

義時が変わったとすれば、おそらく、この事

件が分岐点だったような気がします 

義高を討った藤内光澄にしても、本来、大手

柄と言われても良い筈なのに処刑されてしま

うとは… 

理不尽にも程があります

「怖い所だ、この鎌倉は。」工藤佑経の囁い

た一言が、創成期の鎌倉を言い得ているのか

も知れません 

 

ところで 

工藤佑経が二人の子供に石を投げつけられて

いましたね 

おそらく、石を投げつけたのは曽我兄弟。 

後の仇討ちを醸し出していましたね。 

ドラマではそこまで描かれないとは思いますが… 

もう一つ… 

一の谷の戦いで有名な敦盛の話がスルーされま

したね 

物語の展開が速いので仕方ありませんが、個人

的には少し残念。 

平家の公達・平敦盛を討った熊谷直実ですが、

自分の息子と同じ様な年齢の敦盛を最初は逃が

そうとしたのです。

平家の名を汚すまいと名前も明かさず打ち取ら

れた敦盛 

直実には分かっていたのです 

その後、直実は無常を感じ出家したといわれて

います。 

「人間五十年、化天のうちを比べれば、夢幻の

如くなり。一度生を受け、滅せぬもののあるべ

きか。」 

合掌。

 

 

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